112「聖牛作戦」
――それにしてもゴウライの見事な采配だ。
豪傑である兄に隠れて印象は薄かったものの、その武勇や軍の指揮も劣るものではないことをカインはこの戦いで発見した。
単純な指揮能力ならば兄よりもはるかに優れている。
ただ騎馬を乗り入れているわけではなく、その場その場で的確な指示を兵に出しているのが高所では、よりわかったのも今回の収穫であった。
「投降兵はいかがいたしましょうか」
「怪我の手当てをして飲食を振舞ってやれ」
ゴウライは疑問を微塵も浮かべず、すぐ仕事に取りかかった。カインはいちいち命令を噛み下さずとも、こちらの意を計って素早く行動するゴウライに心地よさまで感じはじめていた。
(頭の回転も速いな。ジェフやゴライアスと違ってゴウライは単独でも軍を進退できるだろうな)
ほぼ無傷といっていいカルリエの陣にサルヴァトーレ伯の兵たちが次々に運び込まれ手厚い看護を受けていた。
カインは日が落ちると炬火を赤々と焚き、国境に偵騎を放ってサルヴァトーレ伯が援軍を送ってこないか慎重に見張らせた。
明けて翌日――。
飲食物を振舞われて手懐られた犬のようになったサルヴァトーレ伯兵の前にカインは姿を現し、まだ編成前の高いがよく通る声で告げた。
「親愛なるサルヴァトーレ伯の兵たちよ。貴殿たちは主人の命によりよく戦った。今回は天運に恵まれず我が軍の虜になったが、いくさの勝敗が終わった今となっては忠勇なる兵たちを辱めるには忍びない。我が軍に下って働きたいのであれば相応の対価を払う。また、故郷に帰りたいものがいれば引き止めはしない」
ポカンと虚ろに口を開けていた兵たちがざわめき出した。
「ってことは、おれたちはお咎めなしでクニに帰れるって?」
「馬鹿な、オレらは敗軍だぞ。そんなうまいことがあるはずが……」
「どうも信用成らぬようだな。そうそう、こちらも手ぶらでサルヴァトーレの勇者たちを返すわけにもいかん。ささやかながら手土産を用意した。ぜひとも持ち帰って貴殿らの家族を安んじてくれ」
カインは昨夜のうちにゴウライに用意させた物資の山にかけてあった覆いを取り払い澄んだ声で笑った。
これにより無感情であった敵兵たちから爆発したような歓声が湧き上がった。
もとより飢えによって渋々領主の命令を聞いて略奪の為にカルリエに来た者たちである。
そしていくさに負けて命はないと思ったところに、この大盤振る舞いである。
サルヴァトーレ伯の兵士たちは絶叫を上げながら、配られた食物に覆いかぶさり、またある者はその場に跪きカインに対して絶対的好意の感情を発露させた。
沈鬱であった戦場の陰の気は掻き消されて陽の気があたりに満ちた。
恨みのあるはずであるカルリエ兵士たちにまでサルヴァトーレ伯の兵士たちは首を垂れ、全身で喜びを表した。
「損して得取れってな」
カインの狙いを理解していたであろうゴウライは鉄面皮のような髭面にあるかなしかの微笑をわずかに浮かべた。
ひと段落着いたカインのもとにサルヴァトーレ伯の使者がたどり着いたのは翌日の朝だった。
カインの佐将であるひとりがともなってきた正使はカインの徳をおおいに讃え、自らの愚行を恥じる文書を携えていた。
――これで南方の憂いはほぼ取り払われた。
だが、サルヴァトーレ伯がこちらの恩威に打ち震えたとしても、状況によってどう転ぶかがわからないのが今の情勢である。
現に、ロムレスの王権は諸侯に対して効力を微塵も発揮されていない。
今回の国境線で起こった小競り合いは、王都における王の力が地方によってはどれだけないがしろにされているかという現実が浮き彫りにされていた。
カインとしてもサルヴァトーレ伯の善性を頭を空っぽにして丸ごと信じるわけもいかず、南方の砦に連れてきた兵のほとんどを置いておかなければならなかった。
「ゴウライ、おぬしは私に代わってこの地に留まり南からの侵攻があればこれを食い止めよ」
「命にかえましても」
将としてゴウライを抑えに置いておけば、とりあえず南からの憂いはない。
(予備隊はこれでほとんどなくなった。あとは、他方で群盗が静かにしているのを願うだけだ)
小競り合いを鎮めたカインはゴウライを留めて再びカルリエ盆地に戻ると、ディーバ川における洪水の手当てを次々に行った。
「雨季によって増水したディーバ川の大水を人工的な堤で防ぐには限界がある。それは、箱庭を見ればわかるように、このカーブの部分に増水した流れがモロにぶち当たるからです。だったら、途中で我々が川の勢いを弱めてやればよいのです」
「ほえー」
カインの説明を聞いているメリアンデールがアホの子の顔をした。元来持っている知能指数は低くないはずであるが、カインは若干彼女の将来が心配になる。
「つまり……どゆこと?」
「上流で増えた濁流がカーブに接する前に、こう、ところどころで堤に穴をあけて逃がしてやる。それから、川の中に水流の勢いを弱める工作物を設置して下流にゆくに従い力を減衰させる。あとは基本である堤防の強化、それくらいですかね」
「よし、やりましょう!」
「力強い賛同ありがとうございます」
「すぐ、やりましょう!」
「とても心強いです」
「カインくん……お姉ちゃんのこと侮ってる?」
「まったくもってそんなことはありません」
「しかし、カインさま。上流からの勢いを弱める工作物というものは一体……」
「洪水時に水流を弱めるものを聖牛という。これをディーバ川に置く」
「聖牛?」
「別にそれほど特別なものではない。聖牛は木材を三角錐に組み合わせて足の部分に石の重りを入れて固定する。材料もありふれたものである上に、人手があれば量産は可能だ」
カインは紙の上にサラサラと聖牛の形をスケッチして見た者の脳裏にイメージを浮かべやすくした。
「確かに、これを川底に設置すれば洪水時には激流の被害から堤を守ることができそうです!」
長年、このあたりで雨季の水害に悩まされていたジャンはカインのアイデアを誰よりも早く理解することができたようで、口調に興奮を隠さなかった。




