109「根負け」
「……く。ただ、いわれるがままに領主の椅子に据えられたガキだと思っていたのだがな。さすがは英雄レオポルドの嫡孫よ。あのニコラとは大違いだ」
――父上と比べるな。
カインは口元に余裕の笑みを浮かべた。
「お褒めにあずかり恐悦至極。だが、おまえを捕らえたあとの待遇は変わらない」
「拷問などできるのか? 軟弱な貴族の坊やに」
「必要なら」
カインは背中を見せたまま転がっていた左腕を靴先で踏み潰した。
骨と肉とがひしゃげて細い腕がズタズタになった。
カインは踏み潰したメイドの腕から袖をびりりと引き千切った。
二の腕の部分にロムレス古語で「一」を意味する刺青が入っている。
「おまえが暗殺者の元締めか。毒蛇も頭を潰せばおしまいだ。観念するんだな」
メイドは長く息を吐き出すと流れ出た足元に広がった自分の血の池をザッと蹴飛ばした。
「我が名は邪眼のミロス。ここまで私を追い詰めたのはおまえがはじめてだぞ、小僧」
「名を名乗るとはようやく降参したか」
「いいや、勝利を確信したからさ、坊や。そこの娘、覗き見は罪悪はだと教わらなかったのか」
「は?」
――しまった、と思ったときにはすべては遅かった。
カインの足元に隠れていたメリアンデールはミロスと完全に視線が合っていたのだ。
内心、悔やんだがもはやどうにもならない。メリアンデールは静かに机の下から立ち上がるとミロスと視線を合わせたままその場に佇立したまま動かない。
メリアンデールはミロスが目配せをするとフラフラとした足取りで歩き出した。
盲人の騎士たちもカインの命令がなければ動けず、動揺したままだ。
カインが合図を送ることを察したミロスが先んじて声を上げた。
「妙な真似はするなよ小僧。こっちはいつだってこの小娘を自害させられる」
「やめろミロス!」
「だから動くなといった。この娘、おまえの姉なのだろう。調べはついている。領主代行である小僧を殺れなくとも、ニコラの娘であるならば充分な戦略的価値がある……!」
「くそっ」
メリアンデールはミロスの前に立つとナイフを手渡された。
「さすがに小僧を害すればそこの騎士たちが我を許しなしないだろう。となれば、まずは目障りな犬どもを刺し殺すのだメリアンデール! ふふ、犬ころども。よもや抵抗すればご令嬢がどのような目に遭うかは理解しているのだろう?」
――ミロスはメリアンデールの手で盲人の騎士たちを刺殺させるつもりなのだ。
なんという卑劣なやつだ。
だが、そう思っていても一瞬でこの場を逆転する策を生み出すことはさすがのカインにも不可能だった。
メリアンデールは手渡されたナイフを右手に持ち替えるとボーッと突っ立っている。
「魔抵抗が強いのか? ふむ、娘よ。こちらをもう一度」
ミロスが勝ち誇った表情で無警戒に近づいたときだった。
白刃が素早く動いて深々とミロスの胸に突き立った。
「がっ」
メリアンデールの動きはその場の誰もが予測しえなかったほどに俊敏で、狙いは確かでありナイフはミロスの胸に柄まで深々と埋没していた。
攻撃は不意打ちのお手本にしたいほど見事だった。
「な、なぜだ? なぜ、我の幻術が通じぬ」
惨めな暗殺者の独白を無視するようにメリアンデールは固く眼をつむっていた。
ミロスにのしかかるようにメリアンデールはナイフに体重をかけたまま押し倒した。
「きゃんっ」
だが、ミロスは最後の力を振り絞ってメリアンデールを蹴り上げてどかすと、致命傷を受けた死に体であるとは思われない速度でその場を遁走した。
「追え、追うんだ!」
カインが命令するよりも先に盲人の騎士たちが逃げ出したミロスを追って転がるよう部屋を出て行った。
ミロスの闘争は暗殺集団にとって青天の霹靂だったのだろう。
カインの首を取ったのち、逃走を助けるため屋敷の周辺に潜んでいた殺し屋たちは転ぶように駆けてきたミロスの姿にギョッとして我を失った。
――この時点でカルリエの若き総帥の命を狙う策は完全に破綻していた。
同時にカインが密かに招いていた五十余名の騎士たちの陣は堅牢さを増した。
村の周囲には赤々と炬火が焚かれ、逃げ惑う刺客は地の利を得ることができずに、士気の横溢した若き騎士たちの手によって次々に討ち取られた。
世界が水色に染まり朝がようやく顔をみせはじめたとき――。
刺客は野に倒れ伏し壊滅状態に陥った。
ただひとり、長であるミロスを除いて。
「これで刺客は全滅か」
カインは赤茶けた土の上に並べられた暗殺者たちの首実検を屋敷から急いで駆けつけたロックと共に行っていた。
「身体に刻まれた番号から類推するに彼らはこの地で暗殺業を営む黒の雑技団と呼ばれる殺し屋集団に間違いありません」
ロックが片膝を地面について刺客たちの身体に入った刺青を露にした。
ロムレス古語によるナンバーが身体の各所に刻まれている。
いずれも顔面が深く切り刻まれており身元が容易に割れなくしてあるのは暗殺者の習性のようなものであると推察できた。
「たかだか、十人そこそこで攻め入ってくるとは舐められたものだな」
「カインさま、だが、こやつらは残らず手練れでした」
「伏せておいた騎士の内、半数が手負うとはさすがに予想しなかったが、死者が出なかったのが幸いだ」
「あらかじめ、こやつらの動きを掴んでおいたのも功を奏しましたね。ただ――」
「ミロスの首はない、か」
「申し訳ございません」
「いや、構わない。ミロスの幻術はとびきりだった。それに、姉上の手によって相当な深手を受けたはずだ」
「は? カインさまの姉ぎみ?」
「あ、はーい」
いつの間にかその場にいたメリアンデールが元気よく返事をするとロックは驚きで身体を痙攣させた。
「なんですか。ちょっと傷つくんですけど」
「これは……すぐに気づかず。すみません、メリアンデールさま」
(こいつ、ほんと実戦に向かないタイプだよな)
「と、とにかくだ。暗殺ギルドの構成員のほとんども討ち取った。組織としては壊滅状態といっていいだろう。ロック、よくやったな。これもおまえが事前に情報を集めて策を練ってくれたおかげだ。助かった。これで、ようやくまともに動ける」
「は。カインさま、ただ、決してご油断召されぬように。ミロスは続けて捜索しますが、暗殺者というものは古来より生き汚い上に、執念深いものゆえ。どんなときでもおひとりにならないでくださいませ」
「世話をかけるな」
「うむうむ」
メリアンデールがカインを真似て腕組みをして、ふんふんうなずいている。
「うっ」
朝日に目が眩んだのかカインはふらりと上体をよろけさせ倒れそうになる。
「だいじょぶっ!?」
咄嗟にメリアンデールがカインを横合いから抱き止めた。
「カインさま、昨晩からお休みになられていないでしょう? 現場の処理は私どもに任せてお休みくださいませ」
「そーだよ、そうだよっ! その人のいうとおりカインくんはちょっと寝たほうがいいよ!」
「それをいわれるなら姉上だって……」
「わたしはあのあとちょっと寝たから平気だよ。それよりもカインくんが心配。ここはわたしたちに任せてよ。ね?」
メリアンデールはパチッと長いまつげを瞬かせてウインクをするとまるで疲労を感じさせない声で明るく微笑んだ。
「しかしですね……」
横を見るとロックが赤らんだ顔でメリアンデールをボーッと眺めている。カインは無意志の内にロックをじろりと睨んでいたのか、慌ててロックがごまかすように咳払いをした。
「ん、んんっ。とにかく残務処理は私どもにお任せください」
「……わかったよ」
カインはふらふらした足取りで屋敷に戻った。
家人に案内してもらい控えの部屋に移った。
臨時の客間らしくベッド以外には大きなソファがひとつあるだけだ。
「ふう」
ポンと腰を下ろしてもたれかかる。
寝るつもりはない。
こうしてわずかでも眼をつむって休めていれば眠気も去るだろう。
うつらうつらしているとドアが控えめにノックされた。
足音から女性であるとわかった。
昨夜のこともある――。
念のために短剣の柄を握りしめ入室の許可を出した。
「なんだ、おまえか」
そこにはやや疲労した様子であるが唇をキッと引き結んだアイリーンが立っていた。
「カインさま……」
「悪いな。昨晩は聞いてのとおりゴタゴタがあっておまえを気遣ってやれなかったが、大事はなかったか」
「私のことはよいのです。それよりもカインさま、顔色があまりすぐれないようで……」
「はは。ちょっとばかりさすがに疲れたかな。でも、平気だ。まだまだやることがたくさんあるんでね」
それだけいうとカインはくふふと唇の端から漏れ出る笑いを噛み殺した。
「カインさま……?」
「いや、なにね。私が領内の仕置きをしようとすると、途端に横槍が入ってわやになる。つくづくみんなに嫌われているらしい」
徹夜明けの変な状態だったのでこみ上げてきた妙なおかしみを抑えきれなくなって笑った。
(ふわぁ、ねむ)
気づけば目尻からあくびと共に涙が滲んでいた。
「カインさまっ!」
「わっ、なに?」
気づけばカインは抱きついてきたアイリーンにソファへと押し倒される格好になっていた。
「無理しないでください」
「へ?」
「辛かったら、私の胸で泣いていいんですよ」
――なにいってっだ、コイツ?
というか、苦しい。
カインはアイリーンの胸に圧し潰される格好で呼吸が苦しかった。
ジタバタと動くが態勢がよくないので無理やり上から押さえつけられる。
「だって、こんなに頑張っているのに、カインさま……まだお小さいのに……」
――いや、ガキじゃねーから。
「だ、ダメです」
ソファでサンドイッチになったカインは真っ赤な顔で押しのけようとするがアイリーンも気合の入れ方が違うのか容易にどかすことができない。
極めて真剣な力の綱引きが続けられる。
「ぷはっ」
「きゃ」
なんとかアイリーンのハグから抜け出したカインは呼吸を再開する。
「あ、あのな。なにかを勘違いしているようだが……」
「私にできること、ありません?」
「じゃあ、あれだ」
「あれって……」
「枕になってくれ」
「は、はいっ」
カインはソファに座ったアイリーンの膝に頭を乗せた。
アイリーンが涙目で顔を真っ赤にして覗き込んでくる。
照れくさくてカインは目を閉じた。




