106「現地現物」
カインは紅茶を飲み干すとセバスチャンが用意した馬車に飛び乗りディーバ川の流れるカルリエ盆地へと向かった。
屋敷から盆地はそれほど離れていない。
馬車を駆けさせれば朝に出ても夕方には着く距離である。
「で、なんでおまえたちも乗っているんだ」
「えへ、わたしたち姉妹はカインさまと一蓮托生でございます」
「です」
馬車にはメリアンデールとアイリーンのほかにリースとライエの姉妹がちゃっかり乗っていた。
「それにメリアンデールさまが許可をくださいましたし」
「ごめんねカインくん」
「……別に構わないですが。静かにしてろよ」
「はーいっ。了解です」
「はいっ」
リースとライエは右手を高く差し出し明朗に応じる。
「はは、カインくん。女の子にモテモテなんだねっ」
「そうなんですよー。カインさまはお屋敷の娘たちから絶大な支持を得ているのですよ、メリアンデールさま。そういえばこの間も――」
「なになにっ。聞かせて聞かせて」
リースはいつの間にメリアンデールに取り入ったのか、キャッキャッと雑談に余念がない。
(こいつらは放っておこう)
「で、アイリーン。地所で川にもっとも詳しいのは、おまえの叔父なんだよな」
「はい。叔父のジャンは地元の名士で各村の相談役をしておりますので」
「水害は領地の生産力を極度に弱める。毎年ならばなおのことだ。カルリエは他領に比べればそれほど生産力に秀でているわけではないし、洪水が続けば村人の逃散もさけられないだろう。私の代でなんとかこの悪循環を断ち切れればよいのだが……」
「はい。水さえ出なければすごくよい場所なのですが。カインさま、叔父さまや村の人たちの力になってください。わたしにできることならなんでもいたします」
「アイリーン」
「カインさま……」
自然とふたりは見つめ合った。
「あーっ、見てください! 空飛ぶ黒い白鳥が荒野を走っていますよっ!」
「きゃっ」
「なんだっ?」
不意にリースが大声を出してライエの頭を掴んで下げさせ、窓から身を乗りだした。
「なにを馬鹿なこといっているんだ。そんな生き物が存在するはずないだろう」
「あ、そうですね。わたとしたことが。荒野を走る白ワニと勘違いしてしまいました」
「そんなもんいるわけないだろ」
リースはアイリーンを挑発的な視線で見ると「ふふん」と目を細めて口元を意地悪そうに吊り上げた。
アイリーンは温厚な彼女に珍しくムッとした表情でリースをにらんでいる。
カインはふたりの一触即発の雰囲気に気づていたが明後日の方向を向いて「私は一切関係ありませんよ」というスタンスを取った。
――早く着いてくれ。
ひたすら願うカインであった。
「ご領主さま。このような僻地へよくぞ脚をお運びくださいました」
――若い。
カインがアイリーンの叔父であるジャンを見て、まず、驚いた。
叔父だというので、中年をイメージしていたが、目の前の青年は今年で三十そこそこだという。
大柄である。
風貌には精悍さと重みが刻まれており、人格の重厚さが一度で見て取れた。
目元は叔父だけあってアイリーンによく似ており涼やかさを湛えていた。
「いや、私は領主代行なのでね。まだ若輩でありこうしてカルリエの人々に助けてもらわねば自律すらままならぬ。力を貸してもらえるとありがたい」
「そのようなことを。カインさまのことは姪のアイリーンからよく聞いております。いくさの達人にして、人の弱さを救うことができる賢主であると。実際、あなたさまが王都から参られてからカルリエの土地は活気が戻っております。私どもでできることならなんなりとお申しつけください」
本題にはすぐに入らずカインはジャンとの雑談をしばしかわした。
――なるほど。アイリーンがいうだけあって、この男は賢智に長けている。
ジャンは土地の名士であり広い農地と多数の小作人を持っているだけあって、身代は相当に羽振りがよいのだろう。屋敷は建ててからかなりの年月を経ているので古臭く感じるが、使っている木材は相当に質のよく、軋みも弱さも感じられなかった。
「それでは陽が落ちる前にご案内を」
カルリエ盆地を貫くディーバ川は端的にいうと「ゝ」というように北から流れて右方でキツいカーブを描いている。
「私どもは一応は堤を築きましたが、雨季に入ると川の水量が増してどうにも。特に屈曲した部分は幾度も決壊して多数の被害が出ているのです」
ジャンは河川のことになると、表情を曇らせて嘆息した。
高地の丘から眺めるディーバ川のカーブ地点はなるほど北から流れ込んできた水がモロにぶち当たり普通の土木工事では叩きつけられる力を到底抑え込めないと素人のカインでも理解できた。
「なんとかして工夫を凝らし、この問題を解決しなければならないな」
馬上のカインは滔々と流れるディーバ川を眺めながら、深く、思いを巡らせていた。
「待ってくださいカインさま。わたしたちは護衛も兼ねてるんですからね」
「おおっと、悪いな」
堤の全体を見ようと馬を走らせようとしたところで、リースが抗議の声を上げた。
カインは護衛に相応の数の騎士を引き連れているが、以前の刺客の攻撃もあり完全な単独行動は慎まねばならない身の上である。
「ご心配いりませぬ。このあたりは私どもの領分で。見知らぬ人間がいれば即座にわかる手はずになっておりますゆえ」
太い首を伸ばしてジャンがいった。語気は普段どおりであるが、よそ者は絶対に近づけさせないという自信が籠った声であった。
「ご配慮、感謝いたす」
カインは名士であるジャンの庇護のもと、時間の許す限りディーバ川の周囲を見て回った。
――見たところ、堤は相当強固に作ってあると思われるが。
治水事業に関しては門外漢もいいところであるカインが初見で本質を看破できるはずもない。
時間も金も限られたカインの挑戦が新たにはじまった。




