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人という悪魔

 聞けば、納得のいく話だった。

 矢代はその監視者とかいう立場上、世界軸を超えて記憶を共有している。したがって、彼女はうちにメイドがいることを知っていた。

 そのことを綾乃(と盗み聞いていた三山)に話したところ、会ってみたいという話になり、それがまた発展して一緒に修学旅行も行きたいね、という話になったそうだ。


 ……納得していいのかは悩みどころだが、まぁひとまず筋は通っている。というより、後からこそりと矢代が囁いた「彼女との思い出も作りたいでしょ?」という言葉が、すべての疑念をかき消したのかもしれない。


 はじめはただひたすらに騒がしかった新幹線の車内も、ひと段落ついてほどほどの喧騒となっていた。流れる景色を横目に歓談したり、友人とトランプに明け暮れたり、はたまた到着後にそなえ睡眠をとったりと、それぞれの生徒が有意義な時間を過ごせているらしい。


「あと30分ほどで到着するようですよ」


 隣で京都特集の観光雑誌を読んでいた少女が、だれにともなくそう言った。それに対し、三山が「うわっ、さすが新幹線、速いねぇ」なんて返答する。

 高速で消え去っていく住宅街を窓から眺めていた俺は、ちょっと車内に顔を向ける。


 俺の向かいでは綾乃が俺と同じように外を眺めて、その隣の席では矢代が新しいお菓子の袋を開けていた。で、そのまた隣で三山があれこれと喋っている。

 そしてこちら側の席には、俺と一人の銀髪少女が腰掛けていた。彼女はもちろん、うちのメイドである。


「――? どうかなさいましたか?」


 じっと見つめていたせいで、メイドと目が合ってしまった。彼女は不思議そうにこてりと首をかしげる。

 その仕草はもちろんのこと、彼女の洋服に目が行く。それはいつものメイド服ではなく、学校指定の制服だった。


 どちらかというと体のラインが出やすいこの学校の制服だが、彼女がそれを纏うとそのデザインは絶対的に正解であると言えた。端的に言えば、彼女の細身で整ったスタイルを、この制服は最高に引き出していた。胸元に小さく綻ぶリボンさえとても美しく感じてしまうくらいだ。


 ちなみにこの制服は綾乃がこの前家に持ってきてくれていたらしい。このメンバーがうちに夕飯を食べに来た日。あの日に今日のことは話し合っていたのだそうだ。ちなみに、メイドはクラスにいる不登校生徒を装って出席しているということになっている。どうやって誤魔化したのかは知らないが、さすがは矢代といったところか。


「あの……そこまで見つめられると、恥ずかしい……です」


「あっ、いや、すまん」


 思わずぼーっと見つめてしまっていたらしい。目を逸らした視界の端で、身を捩り、口元を袖で隠して恥じらうその姿にまた、ドキリとさせられる。

 そんな俺たちのやり取りを、正面の二人はいかにも面白くなさそうに眺めていた。


「なーんだかなぁ……」


「羨ましいよ、圭人……」


 矢代と三山が、つづいてそんなことを言う。不満たらたら、とでも言うべき表情に俺は極まりが悪くなり、再びその逃げ場を窓の外へ求めた。

 ふと、正面の彼女へ視線が行く。彼女はちらりとメイドの方を見遣った後、ほんの小さく悲し気に目じりを下げた。



   *   *   *



 京都――歴史と人が交錯する古都。そんなイメージが頭に浮かぶこの街だが、当たり前ながら駅周辺はなかなかに近代的だった。京都タワーとか、景観条例に抵触しないの、と不安になるほど。


 しかし、さすがは日本を代表する観光地だ。どこを見回しても楽し気な表情の旅行客が多く目につく。さらに今は修学旅行のシーズンらしく、俺たちと同じような学生の集団とも三組ほどすれ違った。


 紅葉の舞う都を一目見んとてこの場所に集まる人間の心理は、もしかしたら昔とそう変わっていないのかもしれない。


 しかしとりあえず、一行は無事に京都へ到着した。駅を出た俺たちはバスに乗り換え、観光地を巡り始める。


「最初は清水寺……だっけ?」


 三山の言う通り、最初の目的地はかの有名な清水寺だ。バスは清水坂下の広場に止められ、生徒はぞろぞろと坂を上っていく。あのコンクリートばかりだった駅から離れ、この一帯はいわゆる京都らしさを持っていた。


 道の両端には風情ある木造の建物。きっとそれぞれ建築の形式だとか名前があるのだろうが、非学な俺にはどれも同じに見えた。しかし、そのようなこの自分にさえわかるほど、ここ一体の空気は澄んでいる。


 秋という季節もあるのだろうが、やはりそれは寺社仏閣が集まるこの町特有の空気感なのかもしれない。隣で綾乃が感心したようにほぅ、と吐息を漏らしていた。


 土産物の店では呼び込みの店員がここぞとばかりに声を張り上げている。そのうちの一人、綺麗な美人のお姉さんに三山がふらふら近づいていったが、あっけなく矢代に連れ戻されたようだ。


 そのまま坂を上っていくと、大きな門とその後ろに真紅の塔が見えてくる。あれが、仁王門と三重の塔なのだろう。

 仁王門の前でクラスの記念写真を撮るようだったが、俺はメイドと共にうまくフェードアウトしていた。俺自身写真は好きじゃない。加えてメイドがここにいた証拠を残すわけにもいかないし。


「本当に入らなくていいのですか?」


 メイドはそう尋ねてきたが、むしろ俺は入りたくない。というより、あの集団の中に自分がいるところを想像できないのだ。昔からずっとそうしてきたせいで、本来人間が持っているべき何かを俺は取り落としているのかもしれない。


 しかし、写真に写らなかったことを後から矢代に怒られてしまった。


「ほー、すげぇな」


 清水の舞台まで到達し俺がそう声を漏らしたのは、その歴史的建造物に驚いたからではない。高台となった舞台から見下ろすと一面に広がる、紅葉の森。朱色、山吹色、紅に染まったその山は、風情を心得ない俺の心にさえ強く響いた。時間の流れだとか、歴史だとかそんなものはよくわからない。だが、目の前に現れた儚げなその光景は、とても美しかった。


「綺麗。この時期に来たのは正解ね」


「あぁ、間違いない」


 隣に並んだ綾乃に、俺は心から頷き返す。彼女は、どんなことを思ってこの光景を前にしているのか。それを俺が尋ねる前に、綾乃は口を開いた。


「きっと、来月にはもうこの景色はないんだろうね」


「来月……。あぁ、そうだな」


 紅葉が見られる時期なんて、とても短いものだ。少し時間が経ってしまえば、鮮やかな色は失われて寂し気な木枝のみが残される。小さく息を吐いてから、「ちょっと悲しいかも」と彼女は呟いた。その声は妙に湿っていて、俺は反射的に何か言わなければ、と頭を回す。


「まぁ、来年には同じ景色が見れるだろ」


 なかなかに珍しい、ポジティブな発言だったと思う。だからその言葉は、彼女の印象に残ったのだろうか。また綾乃も、らしくない言葉をこちらに向けた。


 安易な言葉は人をいとも容易く傷つける。それを知っているから、俺も彼女もとっさに言葉が出てこないのだ。かすり傷でもつけてしまえば、きっと相手は自分の想像できないほどの報復をしてくるに違いない。そうやって人という悪魔を恐れて、縮こまっている。それが俺という人間だ。いやきっと、俺たち、か。


「じゃあ……来年も一緒に来てくれる?」


 息が詰まった。別段、何か特別なことを言われたわけでもない。どこにでもある、ただの日常会話。そう、これはそういうものだ。

 だが、彼女のほうを振り向いた瞬間。その深い瞳と視線が重なった瞬間。俺は全身の肌が粟立つのを感じた。


 真意。すべての言葉にそれがあるわけではない。だが、彼女のその言葉には。


 わからなかった。それに、自分が何と返答すればいいのかも知らなかった。だから、愚かにも地上に上がった魚のように、俺はただ口を動かすことしかできない。それでも彼女は、まっすぐにこちらを見据え続けていた。


「圭人様、綾乃様。あちらでおみくじを引くそうですよ?」


 ふっと力が抜け、反射的に俺は、よかった、と内心で呟く。

 唐突にかけられたその言葉に、俺たちはそちらを向いた。そこに立っていたメイドに促され視線を動かすと、少し遠くで三山が手を振っている。覚えず、生温いため息が漏れ出た。


 そうして引いたおみくじは凶で、俺はその紙をポケットに突っ込んでおいた。


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