発車時間
相変わらず、秋晴れの空。身が締まるような肌寒さに震えながら俺は玄関前でメイドと正対していた。俺の右手には中くらいのボストンバック。その中には三日分の衣料品と少しの菓子、そのほかもろもろの日用品が入っているはずだ。
修学旅行。またの名をトラウマ生成旅行。いわゆるそういうものが、今日から始まるらしかった。
「んじゃ、行ってくるわ」
「はい、いってらっしゃいませ」
にこりと微笑むメイドに送り出されて俺は一歩踏み出す。彼女を一人置いていくのはどうにも心が痛むが、こればかりはどうしようもない。せめて気の利いたお土産でも、と考えたとき、俺は自然と足を止めていた。
「……土産。なに、買ってくればいい?」
扉を閉めかけていたメイドに向かってそう問いかける。
「私には何も必要ありませんよ。どうか圭人様が圭人様が楽しんできてください」
「けど俺だけ、ってのがなぁ……」
今更ながら、彼女に対する申し訳なさがあふれてきた。全く寂しさを感じさせない笑顔を浮かべ続ける彼女を見たからかもしれない。こいつを一緒に連れていければ一番いいのだが、そうもいかない。
「そうですね、お気遣いはありがとうございます。ですが」
そうやって言葉を切ったメイドの表情は、クリスマス前に胸を躍らせる小さな子供のように輝いていた。
「心配には及びませんよ」
どうしてこいつはこんなにいい顔で笑うのだろうか。そんな疑問は残りながらも、その笑顔を背に俺はそうして家を出た。
家から最寄りの駅までは徒歩15分。そこから新幹線の通る駅まで半時間。そこまでたどり着くと、遠くにうちの学校の制服がわらわらと見え始めた。誰も彼もが楽し気に声を張り上げているせいでホームは大変な喧騒だ。
しかしながらこうして遠くから見ると、まったく同じ洋服を着た人間が大量に集まっているというのは少しばかり気味が悪い。いずれも多少の差はあれど、男、女という観点ぐらいでしか見分けがつかないほどどの人間も同じに見える。
彼らがこうして声を張りあげるのは、それに起因しているのだろうか。均された集団の中で、自分は唯一無二の存在であり、周囲の木偶とは全く異なると、無意識のうちにそう彼らは主張しているのかもしれない。
逆に、こうして俯瞰的な立場を持つ俺のような人間も同じなのだろう。集団からあえて外に自分の場所を置くことで、他と自分の違いをはっきりさせようとする。その行動はどうにも、悲しいお遊戯に感じられてしまった。
「どうしたの、朝から難しい顔して」
「馬鹿みたいに人が多い場所まで連行されるんだ。そりゃ気分も悪くなる」
突然かけられた声にも動じず、俺はそんな戯言を発する。確かにそれには同感、と隣に立った少女、夜神綾乃は呟いた。
「他の奴らは?」
「さぁ。遥は寄り道して来る、って言ってた」
もうそこまで時間の余裕はないのだが。あの矢代が遅刻するなどありえないとは思うものの、その寄り道の内容は少し気になる。三山は……まぁどうでもいいか。むしろ別に来なくてもいい。
「ねぇ、圭人」
「ん?」
珍しく細々としたためらう声で、隣の綾乃が声をかけてきた。そちらを見れば、彼女はこちらをまっすぐに見据えている。その真摯な瞳に、俺は思わず気おされてしまった。
「三日間、楽しもうね」
笑顔。どこか諦観さえにじんでいるように見える、穏やかな笑顔だった。
「あぁ。今年はお前も居るしそう悪くなさそうだ」
「そう? ありがと。お互い様だね」
わざと婉曲させた、面倒な表現。それをあえて使うことが、俺たち二人における暗黙のルールなのかもしれない。そこに確信は存在せず、だからこそ安心できる。そんな丁度いい関係は、きっとなかなかに貴重なものだと俺は思う。
「遅くなった! 待たせてすまないね」
「あぁ、待ってない」
「さすが圭人、やっさしぃねぇ」
全身全霊で悪意を込めた返答だったのだが、どうやら彼には伝わらなかったらしい。別に気遣いで言ってるわけじゃないから。言葉通りの意味で取っていいから。彼のこの性格は、なかなかに人生が楽しそうでうらやましい。そこに現れたのは、お分かりの通り三山だった。……お分かりの通りってなんだ。
綾乃と一緒に呆れていると、散々騒いでいた生徒たちが急に静まり返った。ホームには似つかわしくない、妙な沈黙。それと同時に、先ほどまでとは対照的にひしめき合うような話し声が聞こえ始める。
「来たみたいね」という綾乃のセリフで、俺はこの状況が何を意味しているのか、はっきりと理解した。だがしかし、現実は俺の予想の一歩前を行っていたらしい。いくら何でも矢代一人が登場しただけではここまでの人数を黙らせることなんてない。むしろ、矢代の場合は彼らの会話の中心へ一瞬で溶け込み、喧騒はさらに大きくなるはずなのだ。
「銀髪美少女とポニテ美少女かぁ……。尊いねぇ」
その姿は、俺の場所からもよく見えた。
真新しい制服にその身を包み、二つに分けられた白銀の髪を揺らす浮世離れした雰囲気の少女。
それと並んで歩く、春の花を否応なく連想させる温かな笑顔の少女。
この、二人が並んで存在するこの一瞬を切り取ったならば、それはきっと世界のどんな芸術作品とて美しさでは叶うわけがない。俺は、いや恐らくその場に立ち会ったすべての人間が、そう確信した。
「おはよう、圭人くん。綾乃ちゃん。三山。ごめんね、時間ギリギリになっちゃった」
「皆様、おはようございます。今日から三日間、どうぞよろしくお願いします」
申し訳なさそうに眉尻を下げる矢代と、その横でぺこりと頭を下げる一人の少女。いや、正しく語るなら、うちのメイドである、アヤノ。
――どうしてお前はここにいる。
本来すぐにでも尋ねるべきその言葉は、「制服姿も最高だな」という知性のかけらもない感想に上書きさえ、一音たりとも発することができなかった。ただ、今言えることはただ一つ。うちのメイドは、メイド服以外だって何でも似合うらしい。
まもなく発車と報せるアナウンスが、静まり返ったホームに遠く響いた。




