恐怖の中の恐怖
「あ、あのう焔華さん。心中お察しするけど……何があったのかの?」
『おう。ちょうどいいとこに戻ってきたな爺さん。待ってたぞ。あんたの眷属のお子様に命じてあのストーカーを今度こそ消してくれ』
「話したいことってそんな内容じゃったの?」
枢機卿が『神が話したがっていることがある』と言っていたが、まさかヨロさんの再始末のリクエストだったとは。
「やりますか邪竜様? 確かに今のパワーアップした私なら造作もありません。それに――この鎧もずいぶん弱体化しているみたいですね」
「む? やるのなら吾輩は構わんぞ。魔力はかなり失ったが、だからといって吾輩が絶対的強者であることに変わりはない。パワーの差なぞ心意気でいくらでも埋めてくれる」
「いい覚悟だ。せめて苦しまぬよう冥土に送ってやる」
「待って。なんでお主らは物騒な方面で意気投合しちゃうの。この場でまた喧嘩とか始めないで」
今にもノリノリで戦い始めようとしたレーコとヨロさんの間に割って入り、わしは慌てて仲裁を試みる。それを見た焔華は「ちっ」と舌打ちを吐いていた。
「とりあえず状況を整理しようの。なんでヨロさんはこんなスピード復活したの?」
『まー……アタシのミスっていうか軽率っていうか……ああ面倒くせえ』
顔をしかめながら、焔華はその場に胡坐をかいた。
『ほら、前にも言ったろ。アタシはそう迂闊に全力出せないから、国を守るのは手下にやらせてたって。聖獣たちと――あと、噴煙の雲から作った火山雷の化身』
「そういえばそうじゃったの。雷神様とか」
この国の首都に踏み入ったとき、一般に崇められていたのはむしろ焔華そのものより、その雷神様という感じだった。
『あれ、実際は自動操作の迎撃装置みたいなもんでさ。雷神なんて高尚なもんじゃなかったんだけど……いつの間にかだいぶ信仰集めててな。行き場もなく信仰の魔力だけが溜まってたわけ』
「うん」
『それが全部あいつに流れた』
「あっ……」
『やることが紛らわしいんだよ。雑魚魔物どもを片付けるためにあいつが雷落としまくったろ? そのせいで、雷神への信仰心が一気にあいつに向きやがった。それで魔力が急回復して復活したっぽい』
そのあたりでわしはだいたい察した。
実像のない信仰(畏怖)対象への魔力が膨大に溜まり、何かの拍子でそれに近い存在へと流れ込む。レーコの力の源ではないかと疑った現象と一緒だ。結局レーコは自前だったけれど。
「ま、まあよかったではないの。ヨロさんも悪い人ではないんじゃから、仲良くやったらどうかの?」
『ふざけてんのか爺さん? あんな粘着質のストーカー野郎が勝手にアタシの部下になったみたいなもんだぞ』
「なんじゃろう。すごく共感できるかも。大変じゃと思うけどわし応援するよ。一緒に頑張ろうの」
『おいふざけんな。なんでちょっと笑ってんだ』
がくがくと焔華に頭を揺すられながらも、わしは後ろ暗い仲間意識に微笑む。道連れが増えた。
「おい焔華。それよりもこうして復活したのだから、今度こそ正々堂々と決闘するのである」
『うるせえ。アタシは今日もう疲れてんだよ。暇ならその辺の拭き掃除でもしてろ、この新入り』
「ふむ……いいだろう。吾輩も魔力万全の完全復活状態で貴様とやり合いたいことだしな。神としても吾輩が一流であることを示し、貴様以上の信仰を得させてもらうとしよう」
ヨロさんは律儀にマントの中からバケツと雑巾を取りだし、拭き掃除の体勢に入った。
めちゃくちゃ雑巾の絞り方が下手だった。
しかも鎧のまま膝をついているせいでガリガリの大聖堂の床に傷を付けている。
誰か止めないのか、と思ったいたが、教会の面々は広間の奥の方で固まってこちらを遠巻きに眺めるばかりである。
信仰対象を前に畏まっている感じではない。何をどうしていいのか思考停止している感じだ。ちなみに、わしもほとんど同じ表情になっている。
どうしたものか迷っていると、ヨロさんがわしに顔を向けてきた。早くも拭き掃除に飽きたようで、雑巾を放置したまま歩み寄ってくる。
「ところで邪竜よ。お前は今からどうするのだ? なにやら吾輩を差し置いて魔王を自称している奴がいるらしいが、そいつを倒しにゆくのか?」
「うん……そうじゃね」
ちょっとだけ躊躇いつつも、わしは自分に叱咤を入れた。
「もうここまで来たら、逃げ回るよりもレーコと一緒にどこまでも行った方がいい気がしてきての。お主も励ましてくれたことだし。もうわしはどんな敵が相手でも怯えたりせんよ」
「ふむ、いい心がけだ。まあ確かに怯える必要はあるまいな。お前が相変わらずの弱さというのは変わらんが、そのマイナスを踏まえてなお、あの娘がとんでもなくパワーアップしたようだしな」
「本当にレーコは頼りになる子じゃよ。しかも今はこれまでの100倍も強いからの」
既にレーコの強さは、わしの眼力をもってしても図り切れぬほどの強大さである。まあ、元から全容を把握しきれていたわけではないが。
と、ここでヨロさんが首を傾げた。
「む? 100倍? おかしいのであるな。吾輩から見た感じ、とてもそうは見えんが……」
「あはは。まあ、レーコも人間じゃからね。わしもちょっと調子に乗ってホラを吹きすぎたかもしれんの。でも、2倍とか3倍でも十分すぎるほどの力じゃよ」
「何を言っている? 100倍どころではないと言っているのだ」
空気が凍った。主にわしの周りだけ。
「……ええと。100倍どころじゃない? ご、誤差かの? 101倍とか? 具体的にはどのくらい?」
「でかすぎて吾輩にも詳細は分からん。ただ、1000倍……いや、万倍……それすら軽く上回りそうだ」
何にも怯えまいと決心していたわしの身が、凄まじい勢いでブルブルと震え始める。
「な、なんで? どういうことかの? レーコはちゃんとわしの言いつけは守る子じゃし、許可した以上にそこまで強くなるなんて……」
「いや吾輩に聞かれても」
『おい爺さん』
そこで、わしとヨロさんの間にそっと入ってきたのは焔華だ。
『あの戦闘、アタシも遠くから見てたんだけどよ……よく考えたらあのとき、最初から『100倍!』って言ったわけじゃないだろ?』
「どういうことかの?」
『まず2倍にして、次5倍。その次10倍……っていう感じで順々に増やしただろ? その都度ごとにパワーアップしたんじゃないのか?』
わしとヨロさんと焔華は沈黙する。
この間、レーコはヨロさんが途中で投げ出してびしょびしょになっていた床を「見ていられん」と拭いていた。
「お、落ち着こうかの。その場合、トータルで何倍になるのかの? 計算できる人おる?」
「吾輩はあんまり桁数が多いと自信ないのである」
『あたしもちょっとアレだ。枢機卿呼んでこい。あいつ馬鹿だけど頭はいいから』
「呼びましたか我が神よ!」
ドンと正門を開けて枢機卿が飛び込んできた。名前を出した途端に反応するあたり、この人もだいぶ筋金入りの信奉者である。
何の数字ということかは伏せて、とりあえず手短に枢機卿に計算を依頼する。
彼はその場の暗算だけですぐに答えた。
「はっ、我が神よ。2×5×10×11×12×13×20×100……その答えは3億4320万であります」
今までのどんな敵とも比べものにならない、真の恐怖がわしの心に襲い掛かってきた。




