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第12話 リョウ視点(1)


 小学校の頃までは、自分の思っていることを表に出せていた。

「なんでそんなことしているの?」と聞かれれば、その時自分がしようとしていることや、その目的を説明することもできた。

その頃は、「自分は人と違う」という自覚がなかったからだと思う。


 中学になってから、ある日友だちと一緒にお弁当を食べていて、たまご焼きを口に入れたとき何か話しかけられて、急いで返事をしたときのことだ。

「リョウ、今たまご焼きを丸呑みしたでしょう。あはははは・・」

 友達は屈託なく笑い転げた。

 その友達の笑うポイントがわからず、ふん・・と鼻をならし、そんなことどうでもいいやと、その時は流れて行ったのだけれど、あとから思うと、ひどくバカにされたのだ・・という気がして来た。

 あのときどうするべきだったのか、何度も考えてしまう。卵焼きを食べて飲み込んでからゆっくりと返事をすればよかったのか、バカにされたのだから、「バカにしないで!」と反撃するべきだったのか、ぐるぐると考え込んだ。そして、自分が気にしている事柄がどれほどくだらないことなのか、実は自分でもわかっていて、そんな自分がバカみたいだと思った。

 その友達に悪気がなかった事は、わかっている。笑ったことすら覚えていないと思う。

 ただ、笑われることは怖かった。


 次の日から、友達と一緒にお弁当を食べるのがつらくなった。



 もともと、物事が進むとき、なぜそうしなければいけないのか?この次はどうすればいいのか?自分に求められていることが何なのか、誰もが当たり前のこととして知っているのに、自分にはわからないことが多かった。

 たくさんの人が、何かを笑っている時、何がおかしいのかわからないことがよくあった。だから、自分も間違ったことをすれば、たくさんの人から笑われるのだろう。

 誰かから「おもしろいね。」なんて言われると、変に緊張してしまう。また、他人と違うことをしたのだろうか?と不安になる。おもしろいと言われるぐらいで済んでいるから、今はまだいいけれど、いつか自分が、突拍子もない事をして、「なにあれ・・。」と指差されるのではないか・・。


「あの子変ってるね。」

と知らない誰かが言われているのを聞くと、次は自分がそう言われるのではないかと震え上がった。 自分が「普通」に「人並み」に反応できるのかどうか、わからない。自分の気づかぬ間におかしなことをしていて目立つのは嫌だ。笑われるのも嫌われるのも嫌だった。


普通にいたかったから、何が普通なのかを必死で探して、まわりがしていることを、見よう見まねでやりすごして、一日が終わると神経は疲れ果てた。


 ある日、「学校に行くのが辛い」と言うと、母親は困った顔をした。

 母親の困った顔も、辛かった。

 少しずつバリアの強度を上げていき、友達とも距離を置くようになり、そのうち教室に入れなくなり、保健室に転がりこんだ。

 保険の先生は「ここにいてもいいよ。」と、いつも柔らかな笑顔を浮かべていた。そこには、どう過ごしていても許されるいびつで不思議な空間があった。違和感はない事もなかったが、これでもいいのかな?・・と思えた。親も何も言わないし。学校に行くと、教室にはいかず、そのまま保健室へと向かった。

 友達が迎えに来ることもあったけど、よほどのことがないと教室には行けなかった。クラスメイト達との距離をどうとればいいのか、やはりよくわからなかった。

 時々起き上がれなくなって、学校を休む日もあったけど、母親はやはり何も言わなかった。


 仲良くしてた友達のことも、クラスメイトのことも、先生のことも、家族も、私は、みんなのことを嫌いじゃない。むしろ、回りのみんながそばに来てくれて関わろうとしてくれることは、嬉しくもあった。

 しかし、同時に苦しかった。




 中学2年の夏休みに入った。

家族もまわりの人も、あまり学校の事は話題にしなかったが、公然と学校に行かなくてもいいのだと思うと、多少なりとも安心できた。これでもわかっているのだ。学校に行かないことも教室に行かないことも、「普通ではない」ということぐらい。


ある日、母親が奈良の叔母が遊びにおいでと言っていると伝えてきた。

・・・めんどくさいな。


 両親は、自分を急かしたり責めたりはしない。

 母親は、作られたような笑顔に中に、おびえなのか批難かわからない物を含ませながら、腫れ物に触るように接してくる。少なくとも私にはそう見える。

 父親も、小さい頃と同じように話しかけてくるのだが、いつの頃からか素直な返事ができなくなった。逃げているのは、自分だと思う。

 家族の理想どおりに動けない自分を、申し訳なく思う。


 自分の部屋には、絵の具と鉛筆で落書きをした紙やら文房具なんかがちらかっていて、筆とえんぴつはペン立てにまとめて立ててある。パレットと水入れはバッグの中だ。

 絵を描くための道具は、みな母親がかたづけている・・。


 自分はいつもなんとなく鉛筆を動かしていて、両親は自分が絵を描くことが好きなのだと思っているようだ。被写体は、PCの中にいるものだけだ。

 自分には、絵を描くことが好きなのかどうかも、あまりよくわからなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 結局、言われた通り奈良へは行くことになった。

 新幹線を京都で降りて、そこからの乗り換えを書いてくれたメモを持って一人で行くことにした。 母親はついていくと言ったが、断った。

 自分が乗り物に弱い事は知っている。でも母親について来られるのはわずらわしかった。



 新幹線は京都で降りて、私鉄に乗り換えて、T駅まで行って、少し離れたホームまで歩いてもう一度乗り換える。その線の終点が、おばさんちの最寄りのO駅だ。

 新幹線を乗るところまでは、母親がついてきてくれる。降りるのは、簡単だと思う。私鉄の乗り換えだけ気をつければいい。家族と一緒に何度か行ったこともある。その場所に行けば、たぶんどう歩けばいいのか思い出せるだろう。

「お母さん、心配しなくてもだいじょうぶだよ。」

そう言って出掛けた。



 新幹線で、2時間20分・・。時間を言われても、それを感覚として掴むのはなかなか難しい。そして、慣れていない場所はとても疲れる。

 名古屋を過ぎればあと30分程・・と聞いていた。だから、到着する少し前に、棚に乗せた荷物をとるために立ち上がって、切符を取り出しやすいようにしのばせてあるポケットを確認して、通路を歩いて出口まで歩く・・という当たり前のことを何度もシミュレーションして、車内放送を今か今かと耳のアンテナを立てていた。キンコンキンコンとアナウンスがあり、「きょうと」の単語を言っていることを確かめて、ゆっくりと動く。自分だけ取り残されたり、誰かに押されたり、切符を亡くしたり、悪い想像ならいくらでも湧いてくる。

 大丈夫。そんなことは、ない。なんとか京都で降りることはできた。


 私鉄の改札は、新幹線の改札からすぐそばだ。JRの在来線よりも近い。歩く方向が見えると少しホッとする。

 私鉄の改札を通ると、電車が入っていて、そのホームのすぐ上に、教えられていたK本面行きの急行と書いてあった。

 これだな・・と、その電車に乗り込んで、座席に座った。

 私鉄の切符は、特急の指定席を取ると言われたのだが、その時間に乗り遅れないようたどりつけるのか、指定の座席を探すことができるのか、いちいち考えるのが面倒だったし、京都まで行けば何とかなるような気がしたから、指定がない方がいいと言ったのだ。

 あとは、T駅で乗り換えるだけだ。1時間20分ぐらいと言っていた。


 しばらくすると、少し聞き取りにくいアナウンスがあって、扉が閉まり、電車が動き出した。緊張していたからか、頭のしんがぼおっとしてくる。

 30分経ったと思う。まだだ・・あと一時間ぐらい・・いや?・・自分が出発した時刻は何分だったっけか。自分の近くににぎやかな学生たちが乗ってきた。車内の案内放送がよく聞こえない。外を見て駅の名前を見ているが、通り過ぎる駅の名前を読み取るのは至難の業だ。疲れてきた。そして面倒になってきた。


 このあと、1時間も集中しつづけるのは、私には無理だ。だいたいの時間を見て、その駅に停車するときには、乗り換え案内の放送があるだろう。乗り越したって、戻ればいいや。少しぐらい間違えても、自分でリカバリーできる。どうという事もない気もした。ずっと100%緊張の糸を張りつめ続けていなくても、普通は大丈夫なはずなのだ。中学2年生なら、誰だって電車ぐらい乗れる。誰もがそうしてる。



・・・。


がたん・・・・・・と電車が発車して、はっと我に返った。

あっ今・・放送を聞いていなかった。・・・ここは・・どこ。


居眠りしたわけでもないのに、どれぐらい時間が経ったのかもよくわからない。

随分・・ぼーっとしていたような気がする。・・今、何と言う駅を出たのだろう。

一気に汗が噴き出て、心臓がどくんどくんと脈うち始めた。


ゴール近くまで来ているという心の緩みもあって、注意力を欠いていた。

ついさっき、迷っても自分でリカバリーできる・・と強気な事を思ったばかりなのに、いざ進路を見失ってしまうと情けない程にうろたえている。普段から鍛えていない神経なのに・・自分が思っていた以上に疲労していたのか。


・・・。


息がしづらい。


自分がうろたえていることはわかる。冷静にならなきゃ。


・・でも動けない。


目は閉じても大丈夫?・・大丈夫。目を閉じて少し考えた。

そうだ・・駅に着けば、どこにいるのかぐらい、わかるだろう。


「次の駅で一度降りてみよう。」


そう決めて、頭の中でその言葉を繰り返した。



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