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 月曜日の朝、朝食の目玉焼きをつつきながら、わたしは母さんに切り出した。

「あ、あのさ」

「なあに」

 母さんは既にばっちりとメイクをして、スーツに身を包んでいた。母さんはご飯を食べるのが速い。もう、プレートの上には何も残っていなかった。

「実はさ、記憶回復セラピーっていうのを受けてみようと思うんだ」

「なにそれ」

「古い記憶を呼び起こすっていう治療のこと」

 すると、あまりわたしの言うことに興味がなさそうだった母さんの表情が曇った。

「ねえ、そんなの、やる必要ある?」

「え?」

「母さんは反対。やめなさい」

「なんでよ」

「なんでも」

 母さんは会話を打ち切って立ち上がり、プレートをシンクのほうへ運んで行った。わたしのほうに振り返ることもなく。

「でも母さん。実はね、最近嫌な夢を見て眠れないの」

「悪い夢? そんなもの母さんだって見るわよ」

「本当に眠れないの。変な怪獣が出てくる夢。もしかしたら、それがトラウマに由来する夢なのかもしれない、って」

 俊雄に教えてもらった知識が口から飛び出す。

 でも、母さんは取り合ってくれなかった。

「胡散臭いわね。そういうことを言う人とあんまり仲良くしちゃダメよ」

 この一言が、わたしの逆鱗に触れた。彼氏の言うことをバカにされた、ということが、わたしの頭を沸騰させてしまったのだ。俊雄の顔が浮かぶ。彼の瞳のことを思い出すと、また母さんへの怒りが湧いた。

「もういい! わたしは受けるから!」

「やめなさい、って言ってるでしょう」

 母さんはわたしの前に立った。その表情にはありありと苛立ちが浮かんでいる。昔はこの顔を見るのが怖かった。でも、今なら。

「母さんが何を言おうが、わたしは受けるからね」

「――勝手にしなさい」

 母さんはバックを持って玄関へ向かってしまった。

 一人食卓に残されたわたしは目玉焼きをつつきながら、LINEにつないで俊雄と連絡を取った。

『なんとかセラピーっていうの、受けたいんだけど』

 すると、そんなに時間もかからずに返事が来た。返事をくれたのはもちろん俊雄だ。

『ああ、記憶回復セラピーね。うん分かった。で、どうする? 教授に頼もうか?』

 小首をかしげるスタンプが押された返事に少し笑う。そして、わたしはその返事を書いた。

『ああ、別に誰でもいいけど……。もしよかったら、俊雄にお願いしてもいい? ほら、だって見ず知らずの人にわたしの記憶が見られちゃうなんて怖いじゃん?』

 すぐに俊雄の返事が来た。

 でも、言葉ではなくて、親指を立ててにたりと微笑むスタンプだった。

 任しておいて。

 そんな、俊雄の優しげな声を聴いたような気がした。

 また返事を送信した。

『いつから行けばいい?』

 すぐに返事が来た。

『なんだったら、今日からやっちゃう?』

 即断即決は俊雄の専売特許だ。

『わかった、じゃあ大学で』

 すると、俊雄はまた、親指を立てたスタンプで返してきた。


 その日からというもの、俊雄の手による記憶回復セラピーが始まった。

 場所は大学の心理学研究室。誰もいない研究室の中で、俊雄はわたしにいくつかの質問をして、わたしがそれに答える形で記憶回復セラピーは行われた。

 最初の数回はただの世間話だった。でも、問題が起こったのは、四回目のセラピーの時だった。

 ある質問を投げられた時、胸の奥を掻き回されたかのような不安に襲われた。背もたれのある椅子のおかげで座っていることができたけれど、もし座っていたのが背もたれのない丸いスツールだったらきっと落ちてしまっていただろう。

 それをきっかけにしていろんな記憶が洪水のように飛び出してきた。心の奥底にせき止めていたはずの記憶がわたしの頭に飛び込んでくる。どれが本当の記憶でどれが偽記憶なのかなんてわからない。俊雄の言うことは本当だった。

 どれが本当のわたしの記憶なの? それとも全部偽記憶?

 と――。

「はいおしまい」

 俊雄が手を叩いた。

 すると、さっきまであれほど頭の中を駆け巡っていた記憶たちが深い水の底に沈殿していった。

「いろいろ、『思い出した』みたいだね」

「あ、うん……」

「何を『思い出した』のかを僕に言う必要はないよ」俊雄は釘を刺した。「言いにくいかもしれないし。続きは明日だ」

「今日、やらないの」

「もう夜も遅いよ」

 俊雄は時計を見やった。既に窓の外は真っ暗だった。

「また明日にしよう」

 俊雄の囁きには勝てない。ぼうっとした頭で、わたしは頷いた。

 振り返りざま、俊雄は薄く微笑んだ。

 ……この優しげな笑顔に怖気を感じる時がある。なんでだろう。


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