承
「ふーん、怪獣、ねえ」
アイスコーヒーをストローで吸いながら、俊雄は唸った。夢の話なんかしたら呆れられるかもしれないと思ったのだけれど、彼は呆れた風なんてこれっぽっちも見せなかった。
「変な夢だっていうのは分かってるんだけど」
目の前のアイスコーヒーをかき回しながら、わたしは言い訳じみたことを言った。まるでそれを笑うかのように、グラスの中の氷がカラカラと鳴った。
結局、ネックレスが見つからなかったことが尾を引いて俊雄との約束に遅れてしまった。まさか、ネックレスをほったらかしにして場所が分からなかったのが遅れた原因です、とはとても言えず、最近眠れない、ということにした。とはいっても、眠れないのはウソじゃない。そうしてわたしはいつからか、子供の頃から時折見る怪獣の夢について話していた。
俊雄はわたしが話している最中、まったく身じろきもしないで話を聞いてくれていた。そして、話が終わってから、ゆっくりと口を開いた。
「いや、変でもないよ」
「どういうこと?」
「簡単さ。夢っていうのは、往々にして現実を映す鏡なんだよ」
わたしと一歳しか違わないのに、俊雄はすごく大人っぽく見える。もしかして、ゼミに入るとこうやって大人っぽい雰囲気をまとうようになるんだろうか、と二年生でまだゼミも決めていないわたしはそんなことを思った。
そんなわたしたちの元に、喫茶店の店員さんがやってきた。わたしが頼んでいたミルクレープと、俊雄が頼んでいたコーヒーゼリーがやってきた。その店員さんを見送ってから、俊雄は言葉を重ねた。
「もしかして、君が怪獣だと思っているのは、昔、君が見た強烈な何かなのかもしれない。あまりにそれがショッキングで、子供の頃の君が無理矢理『怪獣』っていう変なものに変換しちゃっただけかもしれない、ってことだ」
「強烈な何か? 全然記憶ないけどな」
「そりゃないはずだよ。だって、もしその『怪獣』がトラウマから生まれている夢だとしたら、その当時の君にとっては思い出すことさえしたくないタブーだったはずなんだ」
タブー。
「もし、そんなものがあるとしたら、思い出すことはできるの?」
「うーん、こればっかりは何とも。それに、これは仮定の話だし。『もし』君の見る夢がトラウマ由来の夢だったら、っていう。もしかしたら、その怪獣の夢は子供の頃見ていたアニメのワンシーンかもしれない。読んだ絵本の内容なのかもしれない。思い出したくないことを無理矢理思い出すことなんてないと思うけど」
「それでも知りたい、ってなったら?」
俊雄は苦笑した。
彼は、わたしの彼氏だ。
一歳年上の彼と知り合ったのは、大学のサークルだった。小さなテニスサークルの先輩と後輩。そんなシチュで付き合い始めたカップルなんてどれほどいるかは分からないけど、少なくともわたしはこの人に会えてよかった、と思う位には彼のことが好きだ。
でも、時折俊雄はわたしのことを子ども扱いにする。それが何となく許せないこともある。もしかしたらそれは、彼のほうが一歳年上で、入った心理学ゼミの話をよく聞かされることにも一因があるのかもしれない。
「どうしたら分かるの?」
「方法、なくはないんだ。ただね、ちょっと危険なんだよね」
「危険?」
「うん。聞いたことない? 催眠療法って。要は、人に催眠をかけて心のタガを一時的に外して記憶を意識の上に浮かび上がらせる療法のことなんだ。その中で、忘れた物事を思い出させるっていう記憶回復セラピーっていうのがあるんだけどね」
それ、使えそうだ。
「でも、記憶回復セラピーっていうのは、偽記憶が作られる危険性のある療法なんだよね」
「偽記憶?」
聞き慣れない言葉だ。
俊雄曰く――。
もともと、催眠という状態にあるとき人は無防備になってしまう。そのため、『思い出した』とされる記憶が、全く別の経緯で接した情報であることもある。たとえば、宇宙人との接触を『思い出した』とされ有名になったアメリカの夫婦などは、国内で放送されていたSFドラマの影響をもろに受けていた。催眠状態の元で引き出された記憶というのは、シチュエーションや前後関係、どういった性質の情報なのか、という属性を失ってしまう。そして、そうやって引き出されてしまった記憶が、本当にあった出来事の記憶だと勘違いしてしまう恐れもある。それどころか、セラピーを行なった者の誘導によって、ありもしなかった出来事さえも『思い出して』しまう。それを指して、偽記憶と呼ぶ……。そのようなことを言った。
もしも、と俊雄は前置きをした。
「記憶回復セラピーを受けるとしたら一つだけ覚えておいて。そこから引き出されたものは、君の記憶そのものじゃないってこと」
「なにそれ、予防線?」
「まあ、そう取ってもらってもいいよ。それくらい、記憶回復セラピーは難しいんだ」
俊雄はコーヒーゼリーをスプーンで崩して口に運んだ。
でも。俊雄は云った。
「もしも、本気で記憶回復セラピーをやろうっていうなら、僕に相談してよ」
「え、俊雄に?」
「あのね、僕、これでも心理学のゼミ生なんだけど。僕の腕に信頼持てないってことだったら、うちの教授とか院の人を紹介してもいいよ」
じっ、と俊雄はわたしの顔を覗き込んだ。その茶色い瞳に見つめられると、なぜか何も言えなくなる。綺麗さに息を呑まれた気もするし、有無を言わさない力があるような気もする。そんな不思議な目をしている。でも、この目が俊雄のパーツの中で一番大好きだ。
しばらく彼の目に見惚れていたわたしは、何度も頷いた。
「うん、じゃあ、俊雄に頼むことにする」
「ふーん、高いけど?」
「え、お金取るの?」
ふん、と俊雄は鼻を鳴らした。
「キス三回で負けてあげるよ」
バカじゃないの。そう口にしようとしたものの、俊雄のしてやったりな顔を見ているとそんなことも言えなくなってしまった。
こうやって、臆面もなくそういうことを言えてしまう俊雄のことが、本当に好きだ。きっと、言いたいことも言えない引っ込み思案なわたしにとって、俊雄のようなキャラクターに惹かれるところがあるんだろう。
でも――。
わたしは何層にもなるミルクレープを見つめる。
わたしの記憶も、こうやって積み重なっているのかもしれない。そして、その底にフォークを差し込んでやった時、その奥から何が出てくるんだろう。ミルクレープみたいに甘いクリームが出てきてくれればいいのに。そんなことを思いながら、わたしはミルクレープにフォークを差し入れた。何の抵抗もなく、ミルクレープは一番下の層まで一気に切れて、均整のとれた三角形も崩れていった。
目の前に座る俊雄が薄く笑った、そんな気がした。




