58 あの約束を、もう1度
ナインちゃんよりもやらかす人が出てくる話。
よくここまで保ったものだ。
ユウトは半ば感動しながら、ナインの支度が整うのを待っていた。
これは、同盟を結んだクロスエルディラ建国祭の日のお話。
10年前、龍王国アステラーザは、新参にも関わらずルナ・ノア各地から集まった代表達を守った。
また、珍しい薬草や資源を惜しげもなく、かつ低価格――オウレンディアス監修の下――で提供するという大盤振る舞いに、各国並びに各月は、彼等を快く迎え入れた。
これにより、アステラーザは民衆からも支持を得る。
その分。
悪徳商法を片手に持ち運ぶような輩も、大量に押し寄せる事となる。
そして、それらに対する「耐性」が無かったアステラーザは、ここ10年その処分や対策に追われた。このため、この10年アステラーザから新たな産業は生まれていない。
また、自然の迷宮である古神木の聖なる森のエリア3を突破する者は、未だに現れていなかった。
早くも停滞を余儀なくされたアステラーザだが、ここでようやく転機が訪れる。
「我が国の建国祭へ、お越しいただけませんか?」
そう、オウレンディアスが提案したのである。
ユウト、並びにアステラーザの国民はこれを歓迎した。
その10年を城と街、そして迷宮の最奥を行き来するだけであったナインは、いつ暴走してもおかしくない状態にまで差し迫っていたのだ。
ただ、お仕事に忙殺されそうになっていただけで。
現在銀の月の代表であるナインのサインと判子が必要な書類は、案外大量にあるのだ。
そして合間に入れたコンサートをこなし、ユウトと遊び、書類と格闘し、ユウトのご飯を食べ、クロウと一緒に隠れて森へ向かいつつ散歩をし、ユウトに怒られる。
……。
まぁまぁ忙しかった日々が、10年続いた。
それでよく、暴走せずに来たものだ。
それもこれも、ユウトが作る美味しいご飯と、姉のストレスを上手く解消するクロウの苦労があったからこそ。冗談でも何でも無く。
しかし、だ。
そう、しかし、である。
いい加減、ごまかしが利かなくなっていた。
元々一所に留まっていられないのが、ナインという少女だ。
それはさながら、爆発寸前の爆弾と同じである。
そのため、一も二も無く。どうせならばと0や3~10まで総動員して頷いた。公的な理由で国外へ連れ出し、あわよくば散策でもしてくれれば御の字である。
オウレンディアスも、ここ最近隠し切れなくなっていたナインの様子にドキドキハラハラしていたための提案だった。あちらが体裁を整えてくれたのだ。アステラーザに断る理由は1つとして無い。
「良いですか、ナイン様。1日目は賓客として、城で歓迎のコンサート。及び昼餐会と晩餐会があります。2日目から5日目までは、あちらの御厚意で自由視察という建前の下、変装姿での観光が許可されました。1日目だけ、大人しくしていてくださいね?!」
「あぅ、はぁい」
リミに大声かつ口が酸っぱくなるほど注意を受けるナイン。腰掛けたイスに深く座り、しゅんとうなだれている。ここは自分の部屋のはずなのに、今はリミの独壇場と化していた。
そんなナインは早朝からおめかしをしている。
10年という月日でも長寿な種族は増えにくく、兵はそれほど増えていない。洗練はされたので、かつての世界会議のようにどたばたする事はなくなったが。
今回、シュンはお留守番である。
「ふふっ、おいでー」
「みゅっ」
もふっとした物が、ナインの懐に飛び込んだ。美しい夜色の毛並みを持つミュリフューイ、ミュンだ。
小さく細い指に、温かくふわふわとした感触が馴染む。ミュンは嬉しそうに目を細め、されるがままに撫でられていた。
ミュンと戯れている間も白銀に藍色を差したドレスに着替え、リミに髪を整えてもらう。夜をイメージしたため、髪飾りは金色の三日月をモチーフとしていた。
そしてお揃いの飾りを、ミュンの首にかけ、耳に飾る。
「みゅ?」
「お揃いだよー、ミュン。一緒に行こう!」
「みゅ~!」
ミュンの瞳がキラキラと輝いた。
かなり喜んでいる事を確認して、綺麗に編みこまれた自身の髪をそっと撫でる。そうすると、ナインの顔にも笑みが咲いた。
先程厳しい口調でもって注意したばかりだというのに、既に緊張感が崩れ始めている。
リミはやれやれと、それでいてガックリと落ち込んだ。
さっきまで、しゅんとなって落ち込んでいたはずなのに。いつもの元気で活発なナインはもちろん、レアな落ち込みと不貞腐れの中間のような様子もかわいらしかったのに。
さすがに後者は口に出さなかった。
しかし、前者はさめざめと小さく呟かれる。
龍のナインには、確実に聞こえる音量で。
そしてやはり聞こえたのだろう。ミュンを撫でながら、気まずそうに顔を引き攣らせ、ナインはリミから極力目を逸らした。
……沈黙が居た堪れない。
「えーっと、時間まであとどのくらい? リミ」
「1時間ほどです。ロキ様」
『正確には、57分と3秒です』
「うん分かった!」
ナインはミュンを抱いたまま、あくまで優雅に歩き出す。向かう先が化粧台である事を確認して、リミもまたそちらへ向かった。
ナインだけでも化粧は出来る。その上素材が良いために薄化粧でも良く、あまり手間はかからない。
だからといって主人本人に化粧をさせるというのは、気が引けた。
「私がやります。ナイン様は動かないでくださいね」
「はぁい」
気の抜けるような返事をして薄く微笑むと、ナインはスッと表情を消した。
後は、リミが仕上げをするだけだ。
先程よりかは、一応空気が軽くなっていた。
それはさながら白昼夢のよう。
ナインは静かに、それに聞き入っていた。
賓客の一人として迎えられ、薄暗くなっているホールの特設された2階席についたナイン。彼女の隣には同じくおめかししたクロウと、執事として付いてきたユウトがいた。
彼等もまた、それに聞き入っているだろう。
その目は見開かれ、しかし困惑よりも喜びが勝るその瞳に、少女は確信した。
ステージ上に現れたのは、今のナインと同じくらいの背丈をした男の子。前世では考えられない薄紫の髪を緩い三つ編みで纏め、濃い紫色のクリッとした大きな垂れ目を揺らす子だ。
彼の髪に合わせられた衣装は、素人目にも高級な生地が使われていると分かるもの。
ややのんびりとした動きで、彼はステージに設置されたピアノの元へと辿り着く。そしてペコリ、かわいらしくお辞儀をすると、静かに、優雅に席についた。
それから、何が起こったのか。
聞いた事の無い曲。
それでいて、聞き覚えのある音。
もう聴く事が叶わないはずのそれは、優しく、ナインを包み込む。
それだけでもう、彼の正体が分かっていた。しかしながら、あちらは更に見せ付けてくれるらしい。今度はナインと、彼だけが知る曲を奏でた。
それは未だ歌詞の付いていない、旋律だけの未完成な曲。
本当にピアノだけで奏でているのかと疑いたくなるような、複雑なメロディー。それは本来ならば、2人や3人で合わせて弾くべき楽曲なのだ。
それは紛れも無く、魔法。
純粋にピアノを弾くだけに留まらず、魔法によりピアノ以外の旋律を奏でる、この世界の、ひいてはどの世界においても髪を超越するに等しい技巧。
それが個別で弾かれているのならば、会場はざわめいたりしなかっただろう。
しかし、
それは、
―― 1人
「す、ごい」
自然と口角が持ち上がる。
1人で、同時に、幾つもの楽器を。
音は形を形成し、本来そこには無いはずの光の楽器を生み出した。果てには音符も具現化し、会場中へと飛び回り、音も無く消えていく。
幻想的、かつ圧倒的な光景である。
ピアノだけでも、少なくとも2人分の音が聞こえてくる。
それは普通ならば、1人では出来ない魔法だ。誰しもがそれぞれの手で別の仕事が出来ないのと同じで。そんなのを、ただの人間が3つも4つもこなせないというのと同じで。
手と足を全部使っても4つ。
しかしながら彼の奏でる旋律は、ピアノだけで2つ、フルートのような楽器が1つ、バイオリンやらビオラやらが纏めて3つ。
こんな芸当が出来るのは。
彼等がその思考に辿り着き、全ての楽器の音が出揃った辺りで、男の子は2階席の、ナインただ1人へと視線を移した。
『おいで』
呼ばれた、気がしたのだ。
「――……うん」
だから少女は、小さく頷く。
ああ、やはり。
この曲は、未だに完成していない。
ならば。
「今、よろしいですか、オウレンディアス様」
「ええ。きっとこうなるかと、予想はしていましたから」
音も無く立ち上がった少女の隣で、オウレンディアスはふっと笑う。それはたしかに、予測されていた事だったから。
どうやら準備は無駄にならないらしい、と。オウレンディアスは胸を撫で下ろした。
何せ、今回これの可能性を示唆してきたのは、息子の友人であり現在進行形で楽器を演奏している男の子であるエーヴェなのだ。
愛しい息子自身も珍しくお願いをしてきたため、準備だけはしてあった。
本当に『こう』なるとは、思っていなかったが。
「この楽曲の歌詞を、私は知っています。―― 歌わせてください」
ナインは自信たっぷりに、堂々と、それでいて静かに願う。
その目は力強く、頼もしく、美しい。
オウレンディアスは苦笑を浮かべながら、さりげなく、手をある場所目掛けて振った。すると彼の臣下に一瞬の動揺が走り、しかし静かに、迅速に事態が加速し始めた。
そしてエーヴェの演奏が終わった瞬間、拍手喝采が巻き起こる。
だがそれを遮り、アナウンスが鳴り響いた。
『……続きまして。事前にお渡ししておりましたプログラムの変更をお伝えいたします』
ざわり、会場に動揺が走る。当然だ、実はエーヴェのピアノ演奏は、まだあと南極か続く予定だったのである。それをわざわざ変更とは、と。
ナイン達は知らないが、その人気は世界規模になりつつあるエーヴェの演奏である。
マニアからファンから、苦情が飛び交うのは当然であった。
『サプライズゲストをご紹介いたします。また、こちらの伴奏は、引き続きエーヴェ・メリディ=サントロがいたします』
そのアナウンスに、更に会場は騒然となった。
これまで――10歳なのである意味当然だが――歌詞の無いクラシック専門だったはずのエーヴェが、いきなりピアノ以外の楽器を。それも複数同時演奏という、神でも出来るかどうか怪しい超絶技巧を見せ付けたのだ。
しかも、その演奏は会場中を虜にするほどの完成度を誇っている。
そんな彼の伴奏に合わせられる者がいるのか?
答えは――
「久しぶりだねぇ、ナイン」
「うん」
「ね、約束、覚えてるぅ?」
「……うん」
控え室で交わされた彼等の会話は、ユウトでさえも分からない内容のものだった。
何故ならそれは、正真正銘彼等だけが知るものなのだから。
「じゃあ、いつものようにねぇ?」
「そう、だね」
ナインは嬉しそうに頬を染めつつ。エーヴェは終始楽しそうに。
それぞれ、口を開いた。
「あの約束を」
「もう一度」
「「―― また、一緒に奏でよう」」
その日、歴史書に新たな『アステラーザ』の文字が刻まれる。




