八咫烏の存在を明かす
障子の隙間から忍び入る秋の気配だけが、夜の深さを刻んでいた。
灯は一つ。墨色の衣をまとった四季景信は、長い無言ののちに口を開いた。
「斗真。座れ。今宵語ることは、お前が次代を担うにあたり
最初に聞いておかねばならぬことである」
四季斗真は父の前に静かに座った。
問いは発さぬ。それがこの家の作法である。
「お前は、八咫烏と聞いて何を思い浮かべる?」
「三本の足を持つ烏ですね。神武天皇の大和入りを導いた、伝承の鳥でしょう?」
「うむ。では、その導きは、消えたと思うか?」
斗真は答えず、ただ父の眼を見返した。
景信はゆっくりと首を縦に振った。
「消えておらぬ。あの導きは力であり、力は形を変えて受け継がれている。
神武天皇を大和へ導いたのは、伝承のとおり一羽の烏だ。
だがその導きは、神話の時代から脈々と受け継がれ、今日まで一筋に続いてきた。
それが我ら、八咫烏である。鳥の名を組織の名として拝借したのではない。
導きの役そのものが、八咫烏だ。」
灯の芯が軽く鳴った。
景信はそこで言葉を切り、斗真がそれを受け止めるのを待ってから続けた。
「表の史書に、我らの名は一行も残らぬ。残してはならぬからだ。
だが国の節目には、必ず影があった。
白村江、壬申、承久、応仁、本能寺、関ヶ原、黒船、戊辰、二・二六、そして聖断。
時代が揺れる場所には、必ず我らが添っていた。
史書が留めるのは輪郭だけだ。その内側で誰が、何のために線を引いたか。
それを知る者は、この国では陛下と、我らだけである」
「陛下は、我らの存在を……」
「代々の陛下はご存じだ。見ておられる、と言うのが正しい。
我ら、八咫烏は陛下の兵ではない。兵は命じて動かすものだが、我らは違う。
陛下と国の道を誤らせぬためにある、導きの者である。
道が平穏ならば姿を見せぬ。
道が見失いかけた時にだけ、差し出される灯火だ。
鳴かず、飛ばず、ただ在って、導く。
それが八咫烏の本来のありようである」
景信は膝を少し正し、声を一段沈めた。
灯の影が、障子に大きく揺れた。
「我も当代として長い道を歩んできた。なればこそ言える。
この国は今、まさに揺れておる。
経済が傾き、海を渡って影が伸び、外の圧力が内の裂け目を広げておる。
八咫烏の存在は、かつてないほど求められておる。この重責を背負うのが、次代の役目である」
「父上」
斗真は初めて自ら声を出したが、続きは言わなかった。
言うべき言葉が、まだ自分のうちにないことを、景信は見て取った。
「長子が継ぐのが四季の掟だ。お前が継ぐことに変わりはない。
だが掟だけでこの重責を担わせるつもりはない。
お前がこの重荷に耐える器かどうか、この眼で見極めてから渡したい。
そのために、今宵より過去を語る。
史書の余白にしか残らぬ物語を、端から順に。
すべてを聞き終えるまで、お前の答えは決めぬことだ」
「すべては白村江の戦いより始まる」
景信は、灯の火を少しだけ高くした。そして語り始めた。
――これより語られるのは、史書の余白にだけ記されてきた物語である。
天皇と国の道を誤らせぬため、名を残さず導いてきた者たちの、神話より続く、千余年の記録である。
敗戦に始まり、いまなお終わらぬ敗戦に至る、長き導きの記録である。




