第2話 ガーディナーベイ(1)
「航行禁止宙域なんぞ、役人どものただの机上の空論だ。いちいち付き合っていられるか」
大型貨物船『ガーディナーベイ』のブリッジで、船長は古びた電子パイプを咥えながら、不機嫌につぶやいた。
中央の迂回指示通りにお行儀よく遠回りしてたら、エネルギー代をドブに捨てるようなものだ。
最短ルートを突っ走ってコストを浮かせれば、会社が要求する利益率を簡単にクリアできる。
近道を選んで稼ぎを上乗せする方が、よっぽど賢い。
怪物だの宇宙毛玉だのという三流の怪談に怯え、中央省庁の無意味な規制に大人しく従う最近の船乗りたちの軟弱さには呆れる。
この辺境の境界線付近まで来れば、協会の巡視船の目もありはしない。
航路を直線的に修正し、禁止区域の一部をちょっと突っ切るだけで、大幅にコストを低減できる。
「静かなもんだ。怯えるほどのものは、何ひとつ転がっちゃいねぇよ」
[異常検知:計測不能の「磁気嵐」]
そう確信した瞬間、コンソールの長距離センサーが、見たこともない乱高下を始めた。
観測ログ(ガーディナーベイ):
◯ 磁気センサー: スケールアウト(測定限界突破)
◯ 重力変動: 局所的な重力傾斜が「真下」へ急激に発生。
◯ 空間密度: 船体の周囲の空間が、まるで液体のように「粘り気」を持ち始める。
「前方に強力な磁気嵐、あるいは未知の重力断層です! 回避が間に合いません!」
「慌てるな! 動力は生きている、出力最大を維持して突き抜けろ!」
船長は操艦コンソールに向き直った。
エンジンは健在だ。いかに巨大な宇宙海流が荒れ狂おうとも、300万トン級の重量を誇る『ガーディナーベイ』の頑強な船殻を押し流すことなどできまい――そう、高を括っていた。
[空間ごとの「お払い箱」]
だが、彼らが遭遇したものは、船の動力を奪うような物理的な攻撃でも、船体を破壊する重力波でもなかった。
それは、船が航行している「空間そのもの」を、根こそぎ物理宇宙の彼方へ弾き飛ばす、圧倒的な質量による「一払い」だった。
発生した事象の解析
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現象〔猛烈な宇宙海流〕
├船員の体感: 船体が全く制御不能のまま、数千宇宙海里を数秒で流される感覚
└実際の状況: 巨大な「白い前足」が、空間ごと船を払いのけた
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現象〔重力慣性の崩壊〕
├船員の体感:船体自体に目立った損傷はないが、全計器のキャリブレーションが狂い、異常検知によりリセット
└実際の状況: 「邪魔な羽虫」を追い払うような、無造作な一撃
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通常海域への「放り出し」
ブリッジの全員が、空間そのものが引っくり返るような猛烈な三次元酔いに襲われ、床へ叩きつけられた。エンジンは轟音を上げて稼働し続けているにもかかわらず、船の慣性制御は完全に狂い、宇宙の闇をスライドしていく。
そして次の瞬間、ガクン、と世界が激しく揺れ、再起動した計器類が正常な数値を刻み始めた。
「……現在地、測定完了。通常航路、第4セクター。……バカな、一瞬で2日前に通過した航路位置まで吹っ飛ばされたというのか!?」
航海士の震え声が響く。
航宙海図に映し出された現在位置は、彼らが先日に通過したはずの、安全な通常領域だった。
船体は奇跡的に無傷だった。動力も喪失していない。
だが、操艦コンソールに置いた船長の手は、小刻みに震えていた。
彼は、空間ごと自分たちを弾き飛ばした「海流」の正体を、バックカメラの最後の1フレームに見てしまっていた。
それは、彼らが命からがら放り出された禁止宙域の奥底で、眩い星々を背景に、退屈そうに「あくび」をするように大きく開かれた、底なしの暗黒の顎だった。
「……船長、その、航海日誌の記載はどうしますか? 規制を破って近道をした件ですが……」
部下の問いに、船長は震える手で電子パイプを卓上に置き、掠れた声で応じた。
「……突発の宇宙海流に巻き込まれ、不可抗力で流されたと記録しろ。二度と、あの宙域は通らん。……二度とだ」
ガーディナーベイは、ただの羽虫のように追い払われた事実を噛み締めながら、命があった幸運に感謝しつつ、すごすごと標準航路へと戻っていった。




