第12話 美食の夜と、消えない後悔
「もう少し火を落とせ」
新しい王城の厨房は
夜でも明るかった。
焼ける肉の脂が弾ける。
香草の香りが立ちのぼる。
白い湯気が天井に溶けていく。
ノーボディーは
鍋をのぞき込む。
「塩は?」
「ここです!」
妹カヤが元気よく差し出す。
「お兄ちゃん、最近うるさいよ。王様なのに料理ばっかりして」
「王様だからだ」
「どういう理屈?」
「腹が減ってる国は長持ちしない」
「それは正しいけどさー!」
背後から
低い声が飛ぶ。
「……私の分は?」
振り返る。
そこには
椅子に腰掛けたレイがいる。
腹は大きく。
でも目は強く。
頬は柔らかく緩んでいる。
「まだ早い」
「ずっとそう言う」
「医者の指示だ」
「医者はおまえじゃない」
「王命だ」
「ずるい」
レイがむっとする。
その様子に
カヤがくすくす笑う。
「はいはい、お姉ちゃんは座ってて。できない間は私が代わりに??」
ごつん。
見事な拳骨。
「いたっ!」
「調子に乗るな」
「冗談だってば!」
カヤは頭を押さえながら
ノーボディーの背に隠れる。
「王様ー! 暴力反対ー!」
「巻き込むな」
「ひどい!」
厨房に笑い声が広がる。
窓の外では
王都の夜が穏やかに光っている。
灯りが増えた。
店が増えた。
人の声が増えた。
新しい国は
もう呼吸を始めている。
「……いい匂いだな」
レイが小さく呟く。
「腹が減る」
「もうすぐだ」
ノーボディーは
皿に肉を盛る。
とろりと溶ける脂。
黒胡椒の刺激。
焼けた皮の香ばしさ。
パンは柔らかい。
指で押すと
ふわりと沈む。
それを見て
レイが微笑む。
「……幸せだな」
「そうだな」
ノーボディーは
素直に答える。
もう
否定する理由がない。
腹の中で
新しい命が動く。
未来が形を持ちはじめている。
それは
何より確かな重さだった。
――遠く。
片田舎の小さな村。
風が畑を揺らす。
古びた小屋の前で
女騎士ピューリは木剣を握っていた。
「もっと踏み込め」
子供が震えながら構える。
「こ、こう?」
「違う」
彼女は無表情のまま
構えを直す。
手は優しい。
だが目は死んでいる。
「剣はな」
ぽつりと言う。
「生きるために振るうものだ」
子供は頷く。
意味は分からないまま。
遠くで夕日が沈む。
顔の傷が
赤く浮かぶ。
ピューリは
一度だけ空を見上げた。
何も言わない。
別の町。
教会の裏庭。
聖女ペイシェンは
静かに花を植えている。
土の匂い。
湿った指先。
風の冷たさ。
遠くで鐘が鳴る。
新王の治世を讃える鐘。
彼女は手を止める。
胸の奥で
何かが疼く。
焼け落ちる城。
伸ばされた手。
あの瞬間の躊躇。
「……助けられたかもしれない」
小さく呟く。
「でも、見捨てた」
それがすべてだった。
彼女は
生きている。
救われた命で
新しい平和を眺めている。
そのこと自体が
鎖になる。
逃げ場のない
心の牢獄。
聖女は
静かに花を植え続ける。
赦しを求めるように。
赦されないと知りながら。
さらに遠く。
薄暗い路地。
雨が降っている。
賢者デリィジェは
壁にもたれて笑っていた。
「わたしは……大賢者……デリィジェ様だぞ……」
誰も聞いていない。
物取りが
彼の外套を引き剥がす。
短剣が光る。
「やめろ……作戦は……完璧なんだ……」
言葉は空虚だ。
腹に刃が沈む。
冷たい。
痛みより先に
虚しさが広がる。
泥の味。
遠ざかる視界。
最後に見たのは
濁った水たまりの中の自分だった。
価値のない
影。
夜。
王城の食卓。
灯りが柔らかく揺れる。
銀の皿。
温かなスープ。
焼きたてのパン。
レイが
ゆっくり口に運ぶ。
「……うまい」
「だろ」
ノーボディーが笑う。
カヤが
嬉しそうに頷く。
「ほらね、幸せ税の成果!」
「意味が違う」
「細かい!」
外では
新しい国の風が吹く。
穏やかで。
温かくて。
そして決して
過去を振り返らない風。
ノーボディーは
ふと窓の外を見る。
遠くに広がる灯り。
そのどこかに
かつての仲間たちがいるのかもしれない。
だが。
もう探さない。
もう戻らない。
彼は
皿の肉を切る。
脂が滲む。
ナイフが静かに音を立てる。
それが今の現実だった。
「……食え」
彼は言う。
「冷めるぞ」
レイが笑う。
カヤも笑う。
新しい命が
静かに鼓動する。
美食の夜は続く。
そして消えない後悔は
遠い遠い闇の中で
誰にも見られず、ただ生き続けていく。
脚後までお読みいただきありがとうございました。




