後
次の日、私はお父様の部屋に呼び出されていた。恐らく昨日、レオンに言ったことだろう。
お父様の部屋の扉をノックする。
「お父様、アメリです。入ってもよろしいですか?」
「あぁ。入っておいで」
扉を開いて部屋に入る。執務机とは違う大きな机と、それに合わせて配置されているソファーに座っているお父様が、正面のソファーを指すので大人しくそこに座る。
「お父様、お話とは何でしょう?」
「昨日、レオンが言ってきたよ。アメリは結婚相手も私の指示に従うと言っている、と苦しそうにね。」
「えぇ、確かにそう申しました。ですがそれは当然のことでしょう?」
「アメリ、私はね、可愛い娘には幸せになってもらいたいと思っているんだ。貴族としての当たり前なんてどうでもいい。アメリの幸せを何よりも優先する。
幸いウチはアメリの婚姻関係に頼らなくてはならないほど困っているわけでもないし、私もアレンもそう頭は悪くないからこの先困る予定もない。
だからアメリ、アメリは自分の幸せを何より優先していい。誰と結ばれたって文句は言わないし言わせないさ」
お父様の言葉を受けてニコリと微笑む。その言葉だけで、これほどまでに愛されていると知ることが出来ただけで、私は充分幸せだ。
「ありがとうお父様、そのお言葉だけで充分ですわ」
「アメリ、私は父親だよ? 可愛い娘が誰を見ているのか、誰を想っているのかぐらい分かるさ。」
その言葉に目を見開く。隠せていたと思っていたのに、まさか、知られていたなんて。
そっと立ち上がったお父様が近づいてきて、抱き寄せられてポンポンと優しく背中を撫でられる。
「だから今迄の言葉はそれを踏まえた上で受け取って欲しい。
私はアメリが誰と結ばれたって文句は言わない、言わせもしない。アメリが幸せになればそれでいいんだ」
口を開いてまた閉じて、何か言いたいのに言葉にならなくて、お父様の背中に腕を回す。
お父様が良いと言ったからといって、必ずしも私がレオンと結ばれるわけではないけど、それでも隠さなくて良いんだと、悪いことではないんだと言われた気がした。
「ありがとう。お父様、ありがとう」
「可愛い娘のためならなんてことないさ。
大丈夫、アメリは私の可愛い娘だからね。きっと上手くいくさ」
「それは、お父様の娘だから?」
「いいや、アメリがとっても可愛くて魅力的だから」
「ふふふ、ありがとうお父様」
優しく頭を撫でられる感覚に目を閉じて、お父様の背中に回した腕に力を込めた。
お父様の部屋を出てすぐ、お父様に用事があるのか向かい側からお兄様が歩いてきていた。普段通りすれ違おうとしたけど、お兄様とすれ違いざま、呼び止められて頭を撫でられる。
「お兄様?」
「スッキリした顔をしてる」
「そう、ですか?」
「あぁ。そんな顔をしているということは、ちゃんと話をされたんだね」
「お兄様も気づいていらしたんですか?」
「可愛い妹のことだからね。それどころか家族はみんな知ってるよ」
「えっ!?」
「あいつは気づいていなかったみたいだけど、アメリはわかりやすいから。
アメリ、みんなアメリの幸せを願ってる。頑張っておいで」
「ありがとうお兄様。私、お兄様の妹で良かった」
お兄様にぎゅっと抱き着いて、抱きしめ返されて少し。そっと離れてお兄様とお別れしてまた歩き出す。
何を言えばいいのか、なんて言ったらいいのか、全然わかってないけど、なぜか大丈夫だと思える。
外に出て右に曲がる。広い庭を進んでいった隅。思い浮かべていたものと同じ胡桃色の頭が見えた。
「レオン」
呼びかければびくりと肩を跳ねさせ、それから恐る恐るといった風にこちらを振り向く。
「アメリ様……」
「ここにいると思ったわ。レオンは嬉しいことがあっても悲しいことがあっても、何があってもここに来るんだもの」
「そう、でしょうか……。いえ、そうですね。そしていつもアメリ様が見つけてくださいました。
……アメリ様、何か良いことがあったんですか?」
「わかるかしら」
「えぇ。アメリ様のことでしたら」
レオンの隣に立って、庭の隅に植えてある小さな花に触れる。
レオンは昔からここが好きだった。この花が好きだった。
だから私も好きになった。ここの穏やかな空気も、小さく可愛らしいこの花も。
「レオン、私は私の好きにしていいみたい」
「? どういう意味ですか?」
「好きな人と幸せになりなさいと言われたわ。お父様たちは私が誰を想っているのか知っていたみたい。知っていて、それでもいいと許してくれたわ」
「そう、ですか……。それは良かったですね」
「レオンはそれを喜んでくれる?」
「私の望みはアメリ様が幸せになることですから。アメリ様が嬉しいのなら、幸せなら、それ以上の幸せはありません」
ならなんでそんな顔をするの?
そんな、切ないような、悲しいような、悔しいような、そんな顔をするの?
ねぇレオン、私は期待してもいいのかしら。そんな顔をするほどに私は貴方に好かれていると自惚れてもいいのかしら。
「レオン、好きよ」
「、は……」
「私は貴方が好き。貴方のそばにいたいの。貴方は? 私のことを、少しでも好きでいてくれているのかしら」
「私は、そんな、そんなことを思える立場では、」
「立場も建前もいらない、本音で答えて。お父様がいいと言ったの。身分も立場も関係ないわ。貴方が私を好きかどうか、それだけでいいの。
私のことを好きじゃないならそう言って。嘘はつかないで。偽りならいらないから。例え貴方が私を好きじゃなくても、なんの罰も咎めもないから、だからお願い。本当の気持ちだけ知り、」
言葉は最後まで紡げなかった。気づけば目の前は真っ暗で、拘束するように回された腕が熱い。
「レオン?」
「私が、どれだけ耐えていたと思って……!」
「レオン、」
「貴女に好きな人ができたと聞いたとき、いっそ消えてしまいたいと思った。貴女の隣に並ぶ男を想像してはいつか来るその日が出来る限り遠くであるように願った。どれだけ貴女の事を想っていても、何も出来ない自分が恨めしくて仕方がなかった。
貴女のことは私が誰より知っているのに、私が誰より想っているのに、貴女が懸想し涙を流している俺ではないその男を殺してしまいたいと思った。
本当に、いいんですか……? 俺は、貴女が好きだと、言っていいんですか? 貴女の隣に並びたいと望んでもいいんですか?
貴女の幸せを願っていると言いながら、俺ではない誰かと結ばれるくらいなら、いっそ不幸になってくれればいいと、結ばれることなく終わってしまえと思う、こんなどうしようもない男が、貴女を幸せにしたいと、そう思ってもいいんですか」
「他でもない私がそれを望んでいるの。言って、望んで、思って。貴方の言葉で私を縛り付けて」
ぐっと抱きしめる力が強くなった。震えている体に手を回して、そっと背中を撫でる。貴方のその痛いほどの愛が何よりも嬉しいと言ったら、貴方は笑ってくれるのかしら。
「好きです。貴女が、アメリ様が、世界中の誰よりも、何よりも好きです。
ずっと貴女だけを想っていました。貴女だけを愛しています。私に、貴女の隣を歩く権利を、貴女を幸せにする権利をください」
「私もレオンだけが好きよ、貴方だけを愛してる。私にあげられるものなら全てあげる。だから、私に貴方をちょうだい?」
「アメリ様の望むままに」
隙間がなくなるほどキツく抱きしめられていた体が少し離れて、レオンの唇が降ってくる。
その日零れた宝石は、見たことがないほど明るく優しい色をしていた。