31、感謝
「どうか……家内をよろしくお願いします」
六回目? 七回目? にもなるとそろそろ聞き飽きてきた懇願の声に、私は「ああ」とだけ返した。これは、初日の反省を活かしてのことだ。あの時は私が事実を口にしたからなにやらこじれて面倒なことになった。だから、私はもう口を開かないことになっている。家族との会話は全てエルや医師といった付き添いにさせることにしたのだ。平和である。もちろん人が死んだらぴーぴー騒がれることもあるが、全て無視すればいいので寛大な心でうるささを無視している。平和である。
しかし今日の付き添いにエルはいない。私は、隣に立つ大きな男をチラリと見る。ジェイドだ。それから、後ろにいつもの女性医師はいる。
ジェイドはいつものエルのようになにやら挨拶を並べたりはしなかった。ただ、今日の患者の夫だという壮年の男の目を見て大きく頷いた。そこになんだかよくわからないが強い意志が込められているような気がして、私は首をかしげる。それだけでいいのか?
拍子抜けするほどあっさりと、患者の元へ通される。いやほんと、いいんだろうな? いつもはもう少し前置きが長かったが。あとから騒ぐなよ。なんせ、今日もこれから死人が出る可能性が高……ん?
今日の患者を見て、私は目を眇めた。性別は女、砂色の髪で、歳は……私にはよくわからないが、若くもないしばあさんでもない。だが重要なのはそこじゃない。私はこの女の夫とジェイドを振り返った。医師は少し離れて廊下にいる。夫は小さく会釈を返し、ジェイドはこれ以上ないほど真剣な様子で見つめ返してきた。なるほど、何かの間違いではなく、確かに今日の患者はこれでいいようだ。
……今日は、いけるかもしれない。この女は、魔熱に倒れてから、恐らくそんなに日数が経っていない。今まで試してきた奴らの誰よりも、まだ生命力を残している。
私はゆっくりと息を吸って、吐いた。気持ちを落ち着かせて、女の額にそっと手を乗せる。
落ち着け、集中しろ。今日のこの女を逃したら、また搾りかす以下の生命力相手に成功率の低い治療をすることになる。そうこうしているうちに魔熱患者がいなくなってしまえば、私は魔熱治療に最後まで失敗したままだ。
微量ずつ、慎重に、繊細に。戦闘時に勝るとも劣らないほど集中して、ゆっくりと魔力を女に馴染ませていく。必要なのは、体内に魔力がある状態を作ること。広域かつ無差別に影響を及ぼす代わりに弱い呪術である魔熱は、たったそれだけで効力を発揮できなくなる。呪いがダメになるまで魔力がある状態をキープして、この女が死ななければ私の勝ちだ。
微弱な魔力を流し続けるというのは、案外難しい。あたり一面焼き払うような魔法の方がずっと楽だ。いつもなら患者が死んで強制終了なのだが、今日の女は私の魔力を流し込まれてもなんとか持ちこたえている。長期戦になり疲れてきたが、辞めるわけにもいかないので仕方なく続けた。女の額に置いていない方の手で、垂れてきた汗を乱暴に拭った。
「う……」
「……! お、おい、わかるか!?」
そしてついに小さく呻いた女に、男が駆け寄る。
「おい、起きろ! おい!」
「うぅ……あ、あれ、アタシは……?」
「う、あぁ……よ、よかった……」
男は泣いていた。まだぼんやりした顔の女は、長い付き合いであろう男の涙に不思議そうにして、次に自らの額に手を当てている私を見た。
「……」
私はそっと手を持ち上げ、まじまじと見つめた。いかつい見た目に反して泣きじゃくる男と、だんだん意識がはっきりしてきて周りを見回し始めた女も順に見る。
ようやく実感が湧き始めた。成功したのだ。私は、成功した! 笑顔を浮かべて後ろのジェイドを振り返った私は、ギョッとして固まった。ジェイドも、男と同じように泣いていたのだ。こちらは無言で、静かに。
「あんた、ジェイドも……どうしたんだい、そんなに……」
女は男だけではなくジェイドにも話しかける。
「倒れたんだよ。魔熱だ」
答えたのはジェイドだった。違和感に私は目を瞬かせる。あれ、よくよく考えてみたら、この女とジェイドはどちらも同じような砂色の髪をしている、ような?
私の視線に気付いたジェイドが、ぽつりと呟くように告げる。
「お袋だ」
「は?」
「ツヴァ……嬢ちゃんが今助けたのは俺のお袋だ」
「……ほう?」
お袋。お袋というのはつまり、母だったと。
「……ということは」
「悪い、ちょっと居間に場所変えるから来てくれ。親父、あと任せた」
「……」
なんか遮られた。ぶぅ。まあ男がひっくひっく泣きじゃくっている横というのもうるさいか。
廊下にいた女医師が私たちと入れ替わりで部屋に入っていき、何やら話をしているようだった。
飾り気のない居間の椅子に座ると、ジュースと砂糖菓子が出てきた。どちらも甘いな、と思っていると同じことを思ったらしい脳筋は干し肉も出してきた。ジェイドお前少し見直したぞ。
「むぐむぐ。じゃあ、つまり……末期でもないあの女の治療の話が私に回ってきたのは、お前の選択か?」
「そうだ」
「ごくごく。では、昨日やけに真剣に私が治療するところを見ていたのは、母を任せていいかの見極めか」
「そうだ」
私は干し肉を齧る。少し硬いな、アンジェなら火で炙ってくれそうだ。肉に歯を立てながら、私は質問を続ける。
「なぜだ?」
「え?」
キョトンとした顔をするジェイドに、私は小さくため息をついた。
「何故私にそのことを隠していた」
不自然だ。だっていつもの『家族』や『友人』どもは、聞いてもいないのに患者が自分にとってどれだけ大事な存在かを私に訴えていた。内容は覚えてないが。
「うーん。言ったところで大きく結果が変わるわけでもないだろ」
「まあ……そうかもしれないが」
今回に限ってはな。もともとモチベーションは高めだったわけだし。
「なら、別に……成功してから伝えればそれで充分だろ」
「失敗していたら?」
「……」
「失敗していたらどうするつもりだった」
ジェイドはバツが悪そうに頭を掻いた。
「もしそうなってたら……わざわざ伝える必要もねえだろ」
「それでは、私は……お前の母親をこの手で殺したことを知らぬまま、この先お前に接することになっていたぞ」
「ああ」
「いや『ああ』ではなく。馬鹿か? 馬鹿なのか?」
全力の呆れを視線に込めてやると、ジェイドは困ったような顔をした。
「なんつーかな。嬢ちゃん自身がどう考えるかはわからんが、母親が死んだという事実は、俺に対する負い目になりうる。でもそれは……あー……上手く言えねえんだが、違うだろ」
「お前の説明はいつもわかりにくいな。この間もそうだった。やり直し」
「だああ、だからだな。俺は昨日嬢ちゃんが実際に治療をするところを見て、希望を感じたから親父を説得して嬢ちゃんに頼んだわけだ。つまりこれは俺の判断だ。魔熱治療は俺には、俺達にはできないから、俺がお袋の息子として、嬢ちゃんに託した。てめえでできねえから託したもんなのに、失敗したらどうってのは……おかしいだろ」
「お前は……」
ジェイドの言っていることは、被害者面の奴らに対して私が漠然と感じていたことに似ている。けれどこうして、人の口から聞いてみると。
「……今までの奴らは、失敗した私に、泣いて反省して詫びさせたい、というか……そう、私を傷つけたい、私に傷ついてほしいと考えていた……と、思う」
さすがに面と向かっておもいきり罵られたのは初日だけだが。
「お前は逆のことを言うんだな。やはりあれらは生ゴミだったということか」
「ぶっ。い、いや生ゴミはちょっと勘弁してやってくれねーか」
「さすがに焼却はしないぞ」
「だろうな!」
いやおそらくお前が思っているよりは焼却もあり得ない道ではないのだが。
「……俺も、」
ジェイドが何やら難しい顔で口を開く。
「ん?」
「俺もこうは言っちゃいるが、実際嬢ちゃんはお袋を救ってくれた。駄目だったときにどうしてたかなんて、その立場になってみないとわかるもんじゃあねえよ。俺だって、もしかしたら……ってな」
「ふむ」
そうは言われても、こいつが理不尽に私を責め立てるビジョンが浮かばないが。
砂糖菓子を頬張りながらのんびりとそんなことを考えていると、正面の椅子に座るジェイドがふいに腰を浮かせた。なんだ。ああそういえばこいつ、私に出しただけで自分はなんにも食べてないな。分けてやるのもやぶさかではない。砂糖菓子いるか?
しかし予想に反し、椅子から降りて私の側に来たジェイドは音もなく跪き、頭を下げた。私は目を瞠る。
「おい?」
「改めて、嬢ちゃん……いや、ミコト。助けてくれたこと、心から感謝する。本当に助かった。ありがとう」
一言一言を大事にするかのような、ゆっくりとした口調だった。顔を上げ、見えた瞳が澄んでいるような気がして、合わせられた視線を思わず逸らした。
「別、に……そんなに改まって言われるほどの、ことじゃない」
「ことなんだよ。俺にとってはな」
「失敗しても責めないつもりだったんだろう。なら、成功した時にそこまで感謝するのもおかしいんじゃないか?」
「いや、んなわけないだろ」
でも、私がしていたのは魔力操作のゲームだ。そう言っても、ジェイドは同じ態度でいるだろうか。
私は残りのジュースを一気に飲み干した。
「ジェイド」
「ん?」
「お前の母親だが、魔熱による衰弱と魔力を流し込まれたことによる気分の悪さでなかなかの体調不良だと思う、が、私はそちらは専門外なのでできることはない。お前も看病とかその他諸々忙しいだろう。と、いうわけで、私は帰る。またな」
「えっ」
流れるように立ち上がって部屋を後にすると、一瞬呆けたジェイドは慌てて追ってきた。
「お、おい、俺なんか怒らせるようなこと言ったか!?」
「いや。せっかく助かった母親のために時間を使わせてやろうと思っただけでそれ以上でも以下でもない。ここでいい、見送りはいらん」
「お、おう。そうか、ありがとう」
「ああ」
背後で頭を下げる気配がしたが、私は振り向かなかった。そのまっすぐな目を見たくない気分だった。