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第1話 嵐の前

入学式当日。 道中に咲き誇る、満開の桜の木に見惚れながら歩いていると、背後から聞き馴染んだ声が降ってきた。

「よう、志貴!」 「類! おはよう」

振り返ると、親友の七瀬類ななせ るいがいつものように親しげに肩を組んできた。

「やっとこの日が来たな」

「うん、やっと烏月風花さんに会うことができる」

「……そういえば、お前、今日は一人で来たんだな」

「うん? パパとママは後から来るって言ってたけど」

「いや、そうじゃなくてだな……」

類は何かを言いたげに、複雑な表情でため息をつく。

「??」

僕が首を傾げると、類は結局それ以上は何も言わず、「いや、なんでもねぇわ」と苦笑いして、そのまま僕を連れて会場に向かった。

入学式の会場は『日留ひとめホール』と呼ばれる大きな建物だった。普段は外部の講演会などでも使用されているらしい。 座る席は3000席以上もあり、前方の席にはすでに在校生らしき先輩たちが何人か座っていた。

新入生の席は特に指定されていないみたいだったので、類と僕は比較的後ろの方の席陣陣に腰を下ろした。

ここなら、後から入ってくる風花さんの姿を見つけやすいと思ったからだ。

式が始まるまで、あと30分。 僕と類がたわいもない雑談で時間を潰していると、不意に、僕のすぐ横の席に誰かが滑り込んできた。

――ふわりと漂う、柑橘系の懐かしい匂い。

おや、と思って思わず横を向くと、そこには見間違えるはずのない笑顔があった。

「久しぶり、志貴! 元気してた?」

「ひ、陽奈っ!? なんでここに……!? 千花高校に行くんじゃなかったの?」

彼女は熱海陽奈あたみ ひな。僕の幼馴染だ。

陽奈は元々、地元の千花高校に進学すると言っていた。そこには中学の時に陸上部でお世話になった大好きな先輩がいて、「あの先輩ともう一回一緒に走りたい」と、いつも熱く語っていたはずなのに。

「いいの! 先輩にはもうちゃんと言ってきたし。それに、志貴はアタシがいないとダメダメだからね!」

陽奈は胸を張って、自信満々にそう言い放つ。

「そんな理由で変えたの? っていうか、普段からダメダメなのは陽奈の方だと思うけど……」

「むー! なんでもいいの! これからもまたよろしくね、志貴!」

「う、うん……よろしく」

「あ、ついでにあんたもよろしく、類」

「俺は『ついで』かよ……ったく、誰が(勉強を)教えてやったと思ってんだか」

「もー、いちいち細かいこと言わないで!ねっ、志貴?」

陽奈はそう言うと、僕の腕をぎゅっと自分の方に引き寄せてきた。

腕に触れる柔らかい感触に、流石に僕はドキリとしてしまう。

それにしても、まさか中学の時の同級生が、類の他にもう一人もいるなんて本当に驚きだ。

まあでも、陽奈とは長い付き合いだし、こうして同じ高校にいられるのは、正直ちょっと嬉しいかもしれない。

陽奈たちと賑やかに話している途中で、僕はトイレに行きたくなった。 「ちょっとトイレに行ってくるね」

そして、近くにいた教員の人に場所を尋ね、用を済ませて会場に戻ろうとしていた、その時。

少し離れた通路で、綺麗なピンクの髪色をした女子生徒が、

きょろきょろと周囲を見回しながら困り果てていた。どうやら道に迷っているらしい。

「あの、どうかしたんですか?」

見かねて後ろから声をかけると、その子がハッと振り返った。 その顔を見て、僕は思わず声を上げた。

「え……志貴くん?」 「の、のどか!?」

そこにいたのは、櫻井のどか(さくらい のどか)だった。 よく見ると髪はロールになっている。

彼女は中学1年生の時に同じクラスで、お互いお弁当だったこともあって、昼休みに席をくっつけてよく一緒にご飯を食べていた女の子だ。2年生になってクラスは離れてしまったけれど、

その後もほぼ毎日、屋上に場所を変え、一緒に昼食を食べていた。

「よ、よかったぁ〜、志貴くんに会えて……。実は私、お手洗いに行った後、迷子になっちゃって……」

「そ、そうだったんだ。いや、正直めちゃくちゃびっくりしたよ……のどかの進路、全然聞いてなかったから」

「そ、そうだよね……私、言ってなかったし……。実はね、私もこの高校に進学しようって、ずっと決めてたんだ」

「へ~、なんでここにしたの?」

僕が純粋な疑問を口にすると、のどかは頬をぽっと赤く染め、恥ずかしそうに視線を泳がせた。

「そ、それはね……そ、そう! ここ、料理科っていう専門のコースがあるでしょ? そこに行ってみたいな〜って思って!」

「へえ、それは知らなかったな。日留高校ってそんな科もあるんだ」

「うん……。私、もっと料理が上手くなりたいから……」

「のどかの料理、中学の時にもらったお裾分けでも普通に美味しかったと思うけどな。……そうか、じゃあ、僕がのどかの試食係に立候補してもいいかな?」

僕が笑ってそう言うと、のどかの表情がパァッと一瞬で明るくなり、何度も強く頷いた。

「えへへ、嬉しい……。あ、でも、お弁当の時間とかだけになっちゃうけど……」

「全然いいよ」

「えっ? そ、そうだよね!? ……うん、もっといっぱい食べて欲しかったな〜なんて……あ、そろそろ行こう?」

のどかは照れ隠しのように話を切り上げる。時計を見ると、式開始まであと10分ほどだった。

「確かに、そろそろ戻らないとまずいね」 僕は焦るあまり、無自覚にのどかの小さな手を引き、急ぎ足で会場へと向かった。

ホールに戻ると、陽奈と類が何やら真剣な表情でコソコソと話しているところだった。

「ただいま〜」 僕が声をかけると、陽奈がビクッと肩を揺らし、最後に何かを類に言い捨ててからこちらを振り向いた。

「おかえり、遅かったじゃん……」 不機嫌そうに呟いた陽奈の視線が、僕の隣へと向く。その瞬間、彼女の目が険しく細められた。

「……のどか。あんた、志貴と二人で何してたの?」

「ち、違うの陽奈ちゃん! たまたまそこで、偶然会って……!」

「そうだよ。のどか、道に迷っちゃってたみたいでさ。でも本当にびっくりしたよ、のどかもここに来るなんて!」

僕が明るく説明すると、「確かにな」と類が何とも言えない冷めた声で相槌を打った。

「もしかして、類は知ってたの?」 「いや〜? 別に〜?」 露骨にそっぽを向く親友の態度に、僕は詰め寄る。

「ちょっと、こっち見てよ類。知ってたんでしょ!」

「し、知らねぇって、離せ志貴、顔を掴むな!」

二人でわちゃわちゃとじゃれ合っていると、突然、頭上から鋭く凛とした声が突き刺さった。

「そこ! 騒ぐな、静かにしろ!」

――うわ、入学前から怒られるなんて、ちょっと恥ずかしいな。

「すいません……」 縮こまりながら声のする方へ向いて謝ると、注意してきた相手が大きく目を見開いた。

「な!? ……し、志貴っ!?」

「え、委員長!?」

「声がでかい! 高校に入ったんだから普通に名前で呼べ!」

そう怒鳴りながら僕の方へツカツカと近づいてきたのは、紅ヶ崎杏こうがさき あんずだった。 綺麗な黒髪をいつも高い位置でポニーテールにまとめている彼女は、中学時代の元・風紀委員長だ。立場上いつも厳しい表情をしているけれど、たまに見せる笑顔がとんでもなく綺麗な女子で、中学2年の修学旅行で同じ班になって以来、よく話すようになった。

「ご、ごめんなさい……!」 つい条件反射で目を瞑ってしまった僕に、杏はふっと表情を和らげた。

「ふっ……もういい。久しぶりだな、志貴」

「うん、杏も。……でも、なんでここに?」

僕が尋ねると、杏は急に顔を真っ赤にして、視線をあちこちに彷徨わせ始めた。

「ば、べ、別に、お前のためにこの高校に来たわけじゃないからな! 私は、お前の周りの風紀を守るためにきたんだ!」

「コイツ、自分で矛盾してることに気づいてないみたいだな……」 類が横から呆れたように呟く。

「お前の周りはいつも風紀が乱れてばかりだろう!? 私がいないと、どうにもならないと思ったからだ!」

「そうだね。確かに杏がいてくれたら百人力だよ。僕もすごく嬉しいな。今後もよろしく!」

僕が笑顔でそう言うと、杏は今度は首筋まで真っ赤に染めてしまった。

「そうじゃない!……だが、まあ、よろしく」 杏はそうぶっきらぼうに呟き、少し緊張で震える右手を出して、ギュッと僕の手を握りしめてきた。

それにしても、今日はみんなよく顔が赤くなる。そんなに気温が高いかな? 確かにいつもよりこれだけ人が集まっているし、少し熱気が籠もっていて暑いのかもしれない……。

そんな呑気なことを考えながら式の開始を待っていると、突如、周囲の生徒たちがガタガタと騒ぎ始めた。

「……おい志貴。とうとうメインの登場だぜ」

類が、楽しそうにニヤリと笑いながら後ろを指差す。 釣られて僕が振り返った瞬間――。

あの、浅草のラーメン屋の時と同じように、僕の心臓がうるさいほどの鼓動を刻み始めた。

日留ホールの重厚な扉をくぐり、満開の桜の光を背に受けて。

僕の一目惚れの相手――烏月風花さんが、会場に足を踏み入れた。

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