56 ゆとり教育と野球4
学園での職務が終わると、金四郎はスポーツ用品店へ急いだ。
――あの子たちに健全なスポーツをさせてあげたい。
あの子たちは、頑張る楽しさを知らない。
あの子たちは、努力する喜びを知らない。
だから私が、それを教えてやらねばならない。
9対9で戦う競技、野球。
野球をすることにより、チームワークの大切さや勝利する喜びを感じ得ることが出来……、それだけではない。負けた悔しさも学べる。そしてそれを乗り越え、もっともっと練習して様々な障壁を乗り越え、徐々にうまくなっていき、それを友と共有し、共に泣くことができる。
野球とは楽しく、でも時に苦しく……、そんな辛さや苦しさを仲間と分かち合いながらライバルたちと切磋琢磨しながら腕を磨くことの出来るすばらしいスポーツ。
そしてこれこそ人生。
それを知ることで、深く重みのある人生を歩んでいける。
それを伝えることが、我が哲学。我が使命。我が生き様。
金四郎はそればかり考えていた。
店主の男が出てきた。
「旦那、何かお探しですか?」
「あ、バットとグローブ、あと、野球ボールを大量に欲しい。生徒たちに野球を教えたくてな」
金四郎は、彼の先祖、二宮金次郎の幼少期ばりに貧しい生活をしていた。
贅沢など、我が信念を揺らがす魔性の行為。
余分な金など寄付すればいい。
それが金四郎という男の生き方。
だから野球グッズを購入すれば、金欠になる。
されど彼は真っ直ぐとした目で、木製のバッドを手に取り子供たちと練習する姿を夢見ながら何とも言えない嬉しそうな笑みを漏らしていた。
その姿を見てか、スポーツ用品店のオーナーはニカリと笑う。
「ククク。さすが旦那、良い買いものをされますな」
店主は不気味に笑っていたが、金四郎は気にも留めず、品定めをしていた。
「ですが旦那、ご存知で? このゆとりが慢性する世界で野球なんて教えたら、親に刺されますぜ?」
「どうしてだ?」
「もし坊ちゃん達がお怪我をされたらどうするつもりなので?」
「私が責任を持って監督をする。安全には十分留意するつもりだ。だが、スポーツをするうえで少々の怪我はつきものだ。それを教えるのも教育の一環……」
「それをして良かったのは、もう過去の話ですぜ。ゆとりの親は激怒しますぜ? 坊ちゃんは嫌々野球をさせられたと親に泣きつき、苦しい練習から逃れようとしますぞ?」
「最初は苦しいかもしれんが、うまくなるにつれ、だんだんと、楽し……」
金四郎の言葉を遮るかのように、オーナーは捲し立ててくる。
「旦那の言いたいとは痛ぇ程良く分かります。ですが、ゆとりが心底身についたガキ共は我慢ができないから、うまくなるまでの道のりを乗り越えられず、圧倒的速さで挫折して辞めたがりますぞ」
「だからそこまで私が……」
「ダメです! 先生、あなたは、ゆとり世代のガキを舐めていますぞ。野球の練習が嫌ゆえに、あなたを抹殺しようとしてきますぜ?」
なんだと!?
野球の練習が嫌なだけで、教師を殺すというのか?
まさかそんなこと、考えるはずなどない。
「ククク。あなたはゆとりの恐ろしさをまだ知らないのです。先週、早弁を注意されたガキが担任の先生をどうしたと思います?」
「……どうしたんだ?」
「家に火をつけたのです」
「……お、おい! そんなことしたら重大な犯罪者になってしまうではないか! 新聞にはそのような記事は……」
「そりゃそうですよ。ガキは悪気なんてなかったのですから。ガキは自分でどうやれば早弁ができるかを考えて、その結果、先生を抹殺するという結論に至ったのですから。ガキの想像力を妨げることは、もはや国家権力を使ってもできないんです。それがゆとり教育なのですから」
「なんだと。もうそんなレベルまで達していたのか……」
金四郎は苦悩した。
まるでかつて昔あった悪法――生類憐れみの令のようだ。
生類憐みの令とは、お犬様やお猫様、お鳥様、果てには貝殻様まで大切にしたいと願う第5代アイゼンハード王ツナヨッシィーが、なんかその日の気分だけで思いついた迷惑な法律である。犬をいじめると死罪にすると発狂したかのように無茶苦茶言い出して、その結果、野良犬どもは調子に乗って市民を襲いだしたという、あの有名な事件である。
それにあまりにも酷似している。
おそるべき、ゆとり教育。
だが金四郎はここで負ける訳にいなかい。
子ども達の将来は、アイゼンハードの未来なのだから。
くそったれ!
マジで誰が考えたんだよ、このゆとり教育なんて馬鹿げた教育方針なんてのを!!
金四郎は悩んだ。
苦悩した。
だが、このスポーツ用品店のオーナーの言う通りだ。
下手にゆとりを信じる使徒にスポーツなんて教えたら、親の反感を浴びるだけではなく、家を放火されてしまう。私の家などどうなっていい……と言いたいところだが、家には大切な家族がいる。
たかだか野球の練習が嫌というだけで、愛しの妻と愛娘を殺されてたまるか!
くそったれ、ゆとりめ!
スポーツ用品店のオーナーはニカリと笑う。
「先生、ご安心ください。アッシに脱ゆとりをするための妙案がございます」
「なんだと! 脱ゆとりができるのか!? それはどうやればいいのだ??」
「簡単です。アッシを先生の参謀にしてくださればいい。それだけです。クククク……」
スポーツ用品店のオーナーはそう言うと、「お代は結構です」と言い、野球道具を見繕って金四郎に渡した。
金四郎は「いや、そういう訳には……」と言うが、オーナーはあなたに惚れ込んだからいらないと金を突っぱねる。
金四郎は不思議そうな顔で、バットやグローブを見つめていた。
*
時を同じくして、アイゼンハード城の王の間では――
王は家臣を呼びつけた。
「そろそろゆとり教育は十分行きわたったと思うが、成果はでているか?」
「え、あ、はい! いろいろと変化は見られております」
「そうか、そうか」
王はにんまり笑った。
そろそろアイゼンハードに住む若者たちも、異世界チキューの住民たちのようにマシンガンや対迎撃用ミサイルパトリオット……いやいや、もしかして滑走路不要で浮上できる大型ヘリの、えーと、なんだっけか、あ、そうそうオスプレイだった。そんなカッコいい超絶兵器までも開発できるかもしれんな。――と、まぁ、そんな想像までしていた。
「馬を持て。これより視察へうかがう」
兵士は慌てて王を止めようとした。
「王様。えーと、あのですね……」
「どうした?」
「今日は行かない方がいいと思いますよ。またにしましょう。もっとちょっと待てば、良い結果がでるような気もしますし」
言葉を濁す兵士に、王は首を傾げた。
「おい! もうちょっと待てばとはどういうことだ? もしかして上手くいっていないのか?」
「あ、いえ、多分、このような結果になることは分かっていたので、これを成功と言えばそう言えますし、失敗と言えば……。あっ」
しまったと口を押える兵士に王は言及を続けるが、兵士は完全に口を閉ざしてしまった。これでは埒が明かない。
王は自ら馬を引き、城下町へと急いだ。
「王様、待ってください!」
兵士を振り切り、王は馬を飛ばした。
そこで王が目にしたものは……
なんともやる気のない死んだ目の若者達が制服を雑に着こなし、ヤンキー座りをしたまま学校の前にたむろしてとうもろこしを貪っている。
ガラも決して良いとはいえない。
歳にして12、3歳くらいか。
まさしくゆとり世代だ。
――なんなんだ。この頭の悪そうな子供たちは……
それが、王が彼らを見た時の第一印象だった。
「あ、王様、チース! チース!」
ヘラヘラ笑いながら、とうもろこしを道端にペッと吐き捨てた。
王は唖然とした。
彼らは神聖なる究極の教育――ゆとりを学んでいるはずだ。
ゆとりとは最強。
ゆとりとは絶対。
ゆとりとは完全無欠。
それを学ぶと自由自在な想像力を手に入れることが出来、その思考は大海よりも深く、その可能性は天空に散らばる無数の星々よりも数多。
それがゆとりだ!
そしてゆとりを極めると新型化学兵器だって思うがままに作れるようになる。
なのに、どうしてこんなバカそうな顔をしているのだ?
いや、まて、外見だけ判断してはダメだ。
確か特別プロジェクト参謀の北村よしおも鼻くそばかりほじっているが、異世界チキューから来た転生者だ。
とにかく聞くんだ。そして現状把握をしよう。
王は少年たちに問い続けた。
「君たち。もう授業は終わったのか?」
「けっ、ダリーわ」と、唾と一緒に乱暴な言葉を吐き捨てた。
そんな少年たちは、なんだかうれしそうに顔をあげた。
「ねーねー、ダリーから、先公狩りにいこうぜ!」
先公狩り、だと……
「お、おい、君たち。なんだ、その奇妙奇天烈なキーフレーズは?」
「は、王様ってバカ? 言葉の通りだよ。先公を狩るのさ。先公はわりと経験値をいっぱい持っているから、倒したら超レベルがあがるじゃん。俺が考えたんだぞ。超スゲーアイデアだろ? 俺はゆとり教育で想像力が上がりまくっているから、こんなこと思いつくなんて朝飯前だぜ!」
「アー君、天才だもんね。先公たちは俺達に逆らえないから、絶対に負けることないしね」
「あ、俺、もっといいことを考え付いたぜ」
「え、アー君、何よ?」
「王様狩り」
そう言って少年たちは王様を見上げた。
「うひゃひゃ。そりゃ楽しそうだぜ」
そう言いながら、懐からナイフを取り出し、ぺろぺろ舐め始めた。
王は真っ青になった。
「……や、やめんか?」
「あんたがやれって言ったんだぜ? このゆとり教育をな。ケケケ」
その時だった。
キャーという叫び声が上がった。
若い女性の周りに別のゆとり軍団が集まり、ナイフを彼女の足に突き刺し、押し倒して、服をビリビリに破いている。
王は少年たちに向かって「な、何をしている……。やめんか!」と注意する。
しかしゆとり軍団のリーダーは、まったくやめる様子などまったくなく、不気味な笑みを浮かべ王を見上げる。
「ヒャヒャヒャ! このゲーム、俺が考えたんだぞ! 俺の超想像力はスゲーだろ! アーちゃんよりスゲーだろ! ギャハハハ」
周りも見渡すと、暴徒と化した少年たちは、家に火をつけたり、強盗したり、鉄パイプで老人を殴ったり……好き勝手している……
王は一歩、また一歩と後ずさりをした。
――なんてことだ。
まさかこのような暴挙が起きていたなんて……
どうしてこうなったのだ!?
と、とにかくだ。
一刻も早く、脱ゆとりをしなくては、アイゼンハードが滅んでしまう。
少年たちはナイフをペロペロ舐めながら、王へ近づいてくる。
「や、やめるんだ! 君たちは自分が何をしているのか分かっているのか!?」
「分かってるよ。ゆとりをしているのさ。あんたが大好きな、ゆ、と、り、をな。ケケケケ」
ゆとりショック。
のちにこの代名詞で呼ばれるこの出来事は、今、国中に慢性していた。
王は後ずさりをするが、遂には袋小路に追い込まれてしまった。
目の前にはニヤニヤ笑う少年たち。
遠くからは「ヒャッハー、ゆとり万歳」と叫ぶ、少年たちの声が聞こえる。
民家から猛烈に炎が上がるのを見て、王はうなだれた。
終わった……
この国は滅んだ……
そう思ったその時だった。
「やめるんだ!」
その声はユニホームを着た金四郎だった。
その後ろにはスポーツ用品店のオーナーの姿があった。
金四郎は右手に掴んでいる野球ボールを見せて、熱く燃ゆる眼光で話を始めた。
「アツシよ! 私がこれからお前たちに野球を教えてやる。楽しいぞ」
アツシと呼ばれた少年は、そっぽを向く。
「ざけんな。スポーツなんてダリーわ。それに分かっているのか? 無理やり練習なんてさせると、ゆとり教育に反するんだぞ。そんなことしやがったら、お前の家に火をつけてやるからな。俺たちはゆとりによって守られているから、何をやっても咎められないんだぞ。バカか。これはこの世界の常識なんだぞ!」
「もちろん知っているさ。だが私は、君たちをすばらしい大人にしてやりたいんだ。さぁ、野球をやろう。野球は楽しいぞ」
金四郎は爽やかに笑い、左手にはめたグローブにパチンとボールを叩きこんで見せた。
アツシは嫌な顔をしているが、仲間たちは顔を見合わせている。
金四郎が熱心に誘ってくる野球というゲームに、ちょっぴり興味があるといった表情だ。
「お、俺、野球、ちょっとならやってやってもいいぞ」
「あ、僕も」
「私も」
「おい、お前。やってやるから、楽しくなかったら許さんぞ」
金四郎は白い歯を見せて「あぁ、私が保障する。野球は楽しいぞ」と力強く言った。
金四郎にしてみれば、野球という土俵に乗せてしまえば勝ちだった。頑張る楽しさを知り尽くしたこの男からしてみれば、自分のフィールドに取り込めさえすれば、なんとでもなる。そう思っていた。だから自信満々に笑った。
ゆとりという惰性な日々を送っていた子供たちは、ここまで清々しい大人の笑顔を見たことがなかった。まるで自分の知らないとても面白い事を知っているような笑顔だった。この大人は別格な気がする。この世界を変える力を持っているような気すらする。なんだかんだと言っても、子供は好奇心の塊だ。
金四郎の突き抜けるくらい爽快な笑顔を見ると、思わずムズムズしてしまうのだ。この大人から学びたい。口では暴言を吐いているが、本能がそう言う。だから一人、また一人と金四郎に近づいていく。
アツシは頑なに拒んでいたが、友達がゾロゾロと金四郎についていくのを見て、しぶしぶだが「くそったれ! ちょっとだけなら付き合ってやってもいいぞ。喜べ。もしクソのような遊びだったら、お前の家に火をつけて、お前の奥さんと娘は俺の奴隷にするからな」と言い、金四郎の後へ続いた。
正直を言うと、金四郎はアツシの発したこの言葉で自我を失いかけていた。
例え聖職者を貫く強い心を持った金四郎といえど、彼は教育者である以前に一人の人間である。
このような傍若無人を許せるわけなどない。
もし娘が殺されたら……
妻が殺されたら……
殺した奴を徹底的に追い詰め、裁き、四肢をバラバラに切り裂き、地獄に叩きこんで……それでも我が心は安息を得ることなどないだろう。
アツシ、てめぇ、もし貴様が私の大切な者を壊したら……
荒くなる呼吸。
ブチギレそうになる感情。
それでも自分の胸に手を当てて、呼吸を整えると、――アツシは分からないだけだ。命の尊さが……。だから私が教えてやらねばならないのだ。そう小さく呟く。そしていつもの気持ちの良い笑顔に戻り、アツシに真正面から向くと「大丈夫だ。私についてこい! 絶対に超楽しいからな」と言った。
「ケ。ゴミ教師が!」
アツシはそう吐き捨てると、金四郎についていった。
金四郎の心は、今も変わらない。
この子たちに健全なスポーツをさせてあげたい。
この子たちは、頑張る楽しさを知らない。
辛いことや苦しいことを乗り越える大切さを知らない。
ゆとりがすべて奪った。
頑張る気持ち、高い障壁に向かう勇気、それをゆとりがすべて奪った。
悪いのはこの子たちではない。
ゆとりだ。
いや、ゆとりを認めたこの世界の大人たちだ。
だから私が、それを正してやらねばならない。
罪は大人たちにある。
だから私は戦い続ける。
ただ、それだけだ。
その様子を、王はガクガク震えながら見つめていた。震える声で「ゆとり教育は間違っていた……。脱ゆとり……、脱ゆとりを……」と繰り返している。
スポーツ用品店のオーナーはそっと王の横に立つと、小さく、だが自信に満ち溢れた表情でこう言った。
「王様。これからご覧いれましょう。そこでじっくりと見ていてください。私が提唱する究極のタクティクス。脱・ゆとりを……ククク、あはははは」




