55 ゆとり教育と野球3
アイゼンハード全土の教育機関でゆとり教育が始まり、早くも3年の歳月が経過しようとしていた。
王は書斎にこもり、込み上げてくるうれしさをグッと我慢していた。
これで我が国の学生たちにも豊かな想像力が身に付き、異世界チキューの住人のようにロケットランチャーやステルス性の高機能戦闘機が開発できるはずだ。そう思うとわくわくしてくる。
王や大臣をはじめ、上層部の偉い人たちは誰も皆、ゆとり教育を疑わなかった。
ゆとりは、競争してはならぬ。
運動会では、みんな1位になれる。
テストも名前さえ書けば、みんな100点。
中間テストや期末テストは排除。
入試テストも排除。授業料さえキチンと払えば、誰でも入学できる。
なんてすばらしいんだ!
それは3年間続いた。
その結果……
ここはアイゼンハード屈指の名門。
真龍我流学園。
和風古武術をはじめ、スポーツ、格闘技、魔法教育といった多岐の分野に渡り定評があり、何人もの有名な冒険者を輩出している。
そんな学園の低学年のクラスでは――
「ダリー」
子供たちはやる気のない顔で机に寝そべっている。中には、ヘラヘラ笑いながら先生に向かって消しゴムを投げつけている者もいる。
教師は黙々と黒板に火炎魔法の解説を書いているが、誰も読もうとしていない。どうせテストをしてもみんな100点取れるのだから。勉強なんて誰がするか。子どもたちは早く帰ってゲームがやりたいのだ。
「ダリーわ。弁当食おうぜ!」
教師はそれを見ても止めようとしない。
いや……、本音を言うと止められないのだ。
止めたら物凄い形相で母親がやってくるからだ。
「なんでうちのアー君が、自分で思いついて早弁をしているのに、どうして止めるんですか! それでも先生ですか!」
そう言われるのがオチだ。
ゆとりとは、すなわち子供の自主性を認めなければならない教育である。
アー君は、自らの頭で一生懸命考え、早弁をしようと決断したのだ。
これを注意するなんて言語道断。ゆとり教育を真っ向から反対することになる。
ゆとり教育の結果、子供達は自由にやりだした。
親は子供の主体性を、温かい目で見守っている。
そう、王へは報告書が上がっている。
現場の声とはいささか違うが、間違ってはいない。
王はその報告書に目を通しながら、これからの進展を期待している。
実際は、単にいうことの聞かない我儘な子ども達とモンスターペアレンツが量産され、教師の心はバキボキにへし折られているだけなのである。
まぁ現場を視察しない王に、一番の問題があるのだが。
教師の離職率は過去最多を超えた。
退職理由を問うと、大抵こう言う。
「ゆとり教育は難しい。ゆとり教育に心がやられた」と――
だが王は「困難に打ち勝ってこそ、真の教育があるのだ」と教師の給与を上げるなど対策を打ち出し、ゆとり教育の徹底を加速させていった。
再びここは真龍我流学園、低学年の教室。
「ダリー。お昼まで、まだあと1時間もあるよ」
「お前の授業はダリーんだよ」
教師の頭に消しゴムのカスが投げつけられてきた。
先生に暴言を吐き、消しゴムを投げつける――それは自らの頭で考えて行動したのだから、ゆとり教育の教えに従ってこれは問題ない行動である。子供たちは、先生の授業が面白くないと自らの頭で思いつき、意見を言っているだけなのだから。如何なる理由があろうとも、子供達の豊かな想像力を妨げるなど許されないのだ! そのことは、アイゼンハードゆとり教育マニュアル第29条にも謳われている。そしてそれを監修したのは、ゆとりの本場である異世界チキューで本格的なゆとり教育を体験した現役ゆとり世代――北村よしおなのだ。北村よしおはいつも鼻くそをほじっているが、王の一方的な推薦によりゆとりプロジェクト参謀長にして国家機密エージェントの最高責任者に就任している。これを覆すことなどできるはずなどない!
だが教師の握るチョークは、バキッと折れた。
「おい、怒ったのか! お前、怒ったのか!? 先生は叱ってはダメなんだぞ。僕たちはみんな100点なんだぞ!」
子供たちはそう叫ぶ。
この講師。
名は二宮金四郎。
彼の先祖には学問の神と謡われた、二宮金次郎がいる。
金四郎は怒っているわけではなかった。
この世界の教育を嘆いていたのだ。
我がご先祖様は、こうおっしゃった。
――悪いことをした、やれまちがったと気づいても、改めなければしかたがない。世の中のことは、実行によらなければ事は成就しない。
人は時に、間違えた行動をすることもあるだろう。
だが、そのままで終わってはいけない。
それを諭すことこそ、教育者の使命だ。
されどこの世界の将来は如何に!?
このままいくと、この子たちは我慢のできない我儘な大人になるだろう。それは不幸な生き方だ。人は努力なくして幸福を勝ち取れない。わが偉大なるご先祖様は、まきを拾う道中でも読書に励まれたと聞く。そうやって誰にも負けない素晴らしい英知を身に着けたのだ。なのに、この世界の子供たちは、まったく努力しなくてもみんな自動的に100点になる。そんなのダメだ! ちくしょー。誰がゆとりなんて馬鹿なことを考えやがったのだ!!
……いや、もはや導入され、周知徹底までされているのだから、そのようなことを嘆いていても仕方がない。私に今、何ができる? どうしたら、平気で教師の頭に物を投げてくるこの子たちに、正しい道を諭してやれるのだ!?
金四郎は悩んだ。
生徒たちは、早弁をしたり、スマート水晶玉フォンで友達に先生の悪口をツイートしたり、勝手に運動場に出て遊びだしたり、「ダリー」と言いながら先生の頭に鉛筆やノートを投げつけている。
金四郎は頭を抱えた。
――どうしたらいいんだ!?
彼らを健全な大人にするには、どうすれば……
「そ、そうだ!?」
金四郎は叫んだ!
さっきまで苦悩に満ちていた彼の表情は、まるで心地のよい春のように明るかった。
見つけたのだ。
子供達にすばらしい生き方を教える方法を。
子供たちは気怠い表情で金四郎を見上げている。
「おい、ハゲ。なにがソーダだ。ソーダなんていらんわ! 金くれよ!」
そう言って消しゴムを投げてくる。
だが金四郎はそれでも笑っていた。嬉しさが込み上げてきた。うれしくてうれしくて仕方なかった。
こんな子たちに幸福になれる方法を諭してあげることができるのだから。
だからその方法を口ずさんだ。
「野球……。そう、野球だ! 彼らに正しい人の生き方を教えることができるのは野球しかない!!」




