8.学者令嬢は生理的に無理なので騎士様との婚約を破棄したい
しばらくすると、メルが色々と食料を持って甲板へやって来た。レッドに分けてやり、二人は青空の下パンと柑橘類をむさぼる。
「そういやさっきさ、騎士に会ったぞ」
レッドの声にメルは「まあ」と驚く。
「先にこの船に乗っていらしたのね。私がこんなに早く火山島を引き揚げるとは思っていなかったのでしょう」
「そうみたいだな。ところでメル」
「はい」
「お前、騎士に何やらせたんだよ。お前の存在知って、あいつ顔面真っ青になってたぞ」
メルは空を見上げ、思い出している。
「海へ海藻を取りに泳いでもらって、取ったキノコを毒味してもらって、火口に宙吊り」
「オーケー充分に分かった。なぁ、俺があの騎士、探し出して来ようか?」
レッドの申し出に、メルは眉根を寄せて訝しんだ。
「なぜです?今の私の従者は、あなたですよ?」
「仲間は多い方がいいだろ」
メルはレッドの勢いに気圧されている。
「いいですけど……あの方が何と答えるか」
「俺が何とか説得して来るって。な!」
レッドの笑顔はいつになく輝いている。
食料庫の傍に座り、騎士は何事か呟きながらパンをむさぼっている。
「助けてくれ……助けてくれ」
ポンと肩を叩く音がする。
「騎士様」
騎士は恐怖に引きつった顔でこちらを振り返る。
レッドが立っていた。
「…………!」
声にならない声が聞こえ、レッドはニンマリと笑う。
「やっぱりあんたがメル・シェンブロ嬢から逃げた騎士だな?探したぜ」
騎士はガタガタと震え出す。
「なぁ騎士よ。女を守らずに逃げたまま、のこのこ国に帰るわけには行かないよなぁ?任務を全うしなきゃ。そうだろ?大人しく甲板まで付いて来いよ」
理詰めで追い込んで頷かせるつもりだったが、
「嫌だ」
簡潔に拒否されたのでレッドは呆気にとられた。
「そんなこと言ってていいのか?メルが国に帰って王国に報告したら、あんたの信用は地に落ちるぞ」
「そんなもの落ちたって構わん。命には代えられない」
もっともな言説ではあるが、騎士としては最低の回答であった。レッドはその切れ長の目で侮蔑の視線を送る。騎士はすっぱい柑橘類に当たったと見え、その実を腹いせの如く床に叩きつけた。
「メルさんはあの後お前を買ったようだから、もう人手は足りてるだろう。一言言っておくが、俺が死んだら一番困るのはメルさんの方だ」
レッドは彼の論理が分からず首をひねった。
「メルさんは俺の婚約者だからな」
「ヤダ、サイテー」
レッドは無表情で呟いた。何とでも言え、と騎士はうそぶく。
「こっちからすれば、未来の夫にあそこまでの仕打ちをする方がおかしい。お前の命などどうでもいいと言われているようなものだ」
一理あった。レッドは頭を掻き、考える。ふと閃いて、レッドは騎士に問うた。
「ルイス王子だったっけ?薬を必要としてるってのは……」
騎士はむぅと苦しげな声を出した。
「あんたがサボったせいで王子が死んでしまったら、あんたも命を狙われないかな?」
騎士は急に汗を掻く。レッドは「ここかぁ」と心の中で呟いた。
「王国が破綻したら、身分と命が吹き飛ぶな。行くも帰るも地獄なら、今は行きを選択しておくべきじゃね?」
くそっと騎士は歯ぎしりして呪詛をかみ殺す。
「ものは相談だ。俺も命が惜しい。この危険な任務を早く終えたいんだ。というわけで騎士様、ここは一肌脱いでいただけませんかね」
騎士は腕組みをした。
「……致し方ない。逃げ切れなかった己の不甲斐なさを恨もう」
逃げ切るつもりだったのかよ、とレッドは騎士に対して更に幻滅した。
そして少しだけ、メルを不憫にも思う。
騎士の名はトーイ・フィガレイアと言った。彼はメルの前に進み出るとひざまずき、その手の甲にキスをした。
メルは今まで見たこともないような、苦虫を噛み潰したような顔になる。
レッドは甲板に腰を下ろし、あくびがてら高貴な二人の見物を決め込んでいる。
「申し出はありがたいのですが、恐らくそれは前向きな理由からではありませんね?大方今頃になって王の手前怖気づいたのでしょう」
余りにもバッサリと言うのでレッドは内心驚いた。言い当てられたトーイは青くなり視線を上げられずにいる。
「まぁまぁメル様。なさぬ仲なんだから、許してあげましょうよ」
レッドが茶化し、トーイの睨みが刺さる。
メルはレッドを見て
「うーん、そうじゃないんだなぁ」
と困った顔になった。
「私この人、生理的に無理なんです」
レッドは片眉を上げる。
「直球だな。どこら辺が?俺はあの騎士様なかなかの男前だと思うけど」
「この人初めてウォーリスで私と二人きりになった時、もう結婚しているようなもんだから、一回どう?とか言って来て」
「マジかよ引くわ」
レッドは自らの行いを棚に上げて目をすがめた。
「彼は己の容姿の良さをかさに着て、自惚れているところが余計に恐ろしく……だからその時も銃を突き付けて難を逃れました。目が本気だったので、下手したら撃っていたかもしれません」
トーイはひざまずいたまま打ち震えていたが、急に開き直ると
「……証拠でもあるんですか?」
とメルに問うた。今度はレッドが震える番だった。
「は?こんな最低な奴初めて見たぞ」
「何とでも言うがいい。証拠などないのだからな」
レッドはここでようやく思い当たる。
メルはもしかしたら懲罰のつもりでトーイに無茶な要求をしていたのかもしれなかった。そう考えればメルが、レッドには任務レベルを妥協したことにも合点が行く。またはトーイに無茶を言うことで、彼女なりにその後の処遇を見極めようとしていたのかもしれなかった。
レッドはメルの怒りすらしない横顔を眺めた。彼女は手の甲をぞんざいに自らのブラウスで拭くと、植物達をすいと持ち上げた。
「騎士様の無事を確認して安心しました。行きましょう、レッド」
まだ話の途中……と言うレッドの声を無視し、メルは船室へ降りて行く。
甲板にはひざまずき動けずにいる騎士一名が残された。




