62.カラバル島へ
一体何時間眠りこけてしまったのだろう。
レッドが目を覚ました時、既に日は高く上がり、ナスキー村には春らしく生暖かい空気が流れていた。レッドはベッドから飛び起き自室を出ると、恐る恐るナローの部屋をノックする。
返事がない。
ドアノブを引くと、扉はすぐに開いた。机の上にはメルが持ち込んだ地図がそのままになっている。
十人ほどいたはずの兵士がいない。背中が凍るような奇妙さを覚え、レッドは宿を飛び出す。
うららかなナスキー村では、住人が普段通りの生活をしていた。レッドは村の男性を捕まえ、声をかけた。
「なあ、ここら辺で兵士を見なかったか?」
男は「ああ」と軽く言ってから、
「あいつらなら、朝一番に船で村を出て行ったよ」
レッドは目を白黒させた。わけがわからない。レッドは嫌な予感がし、まだ重い頭にじわりと汗をかく。
「その船はどこへ行った?」
「そこまでは分からねぇ……って、あれ?あんたは」
村人は熱心にレッドの顔を覗き込んだ。
「レッドじゃないか!ツーは元気か?地図作りの時には世話になったなぁ」
「ああ、おっさんは測量の手伝いの……その、人を探してるんだ。栗色の長い髪で……少し背の高い女を見なかったか?」
「女?あ、そういや」
「何か知ってるのか!?」
「兵士が寝ている女をおぶっていたよ。栗色の髪だった。男装をしとったな」
レッドは固まった。まさか兵士達によって眠らされ、どこかに運ばれたとでもいうのだろうか。ナローが連れて来たのだから、信頼のおける国の兵士達のはずなのだが、余りに奇怪な行動である。
「……早く追いかけないとまずい」
「そうなのか?なら村長に話を持って行ったらどうかね。あの後、トダリヤの地図は大変役に立っているし、あんたを無碍には出来ないだろう」
「なるほど……ありがとう」
「また何かあったら言ってくれよ!」
レッドはその足で村長の家に向かった。村長はあいにく不在だったが、町の外れにある倉庫にいると使用人に言われたので、そちらにがむしゃらに走る。
村長は積荷から何やら取り出しているところだった。勢い良く扉の開く音に振り返った村長は、レッドを認めると懐かしそうに笑った。
「おお、あんたは……久しぶりだな」
「……村長に聞きたいことがある。今朝ウォーリスの兵士達が船に乗って出て行ったらしいが、どこへ行ったんだ?」
すると村長は急に押し黙ってしまう。レッドはその顔色の変化にすぐに気づいて、かまをかけた。
「俺も乗るはずだったんだが、時間に遅れて置いてかれちまったんだよ。今からでも追いかけないと、間に合わない」
すると村長はほっとした表情になって、周囲を気にするそぶりを見せた。村長が自らの口に手をあてがったので、レッドはすぐに内緒話だと分かり、耳を近づける。
「彼らなら、カラバル島の修道院へ行ったよ」
レッドはその名前にどきりとし、こわごわ村長の顔を見下ろす。村長は納得するように、レッドの顔を見て頷いている。
「あんたは熱心な求道者だね。赤い瞳の連中には、あそこが聖地だと聞いている。実に素晴らしい心がけだ。あんたみたいな信心深い者がおらんかったから、トリニット村は滅びたんだ」
何を言っているのかさっぱり分からないが、レッドは村長の気分を損ねないように黙って佇む。カラバルに修道院などという洒落たものなどなかったはずだ。聖地というのも、意味が全く分からない。そんな時、レッドの中に、ナローの言葉がよみがえった。
ーーウォーリス正教会
レッドは目を閉じる。何となく、村長の言葉に文脈らしきものが見えて来た。
「カラバル島まで船を出してくれるか?金ならある」
レッドはナローの懐を当てにして嘘をつく。村長はふむと呟き、
「他ならぬあんたのためだ。出してやろう」
などと言う。どうやら自分は功労者扱いされていると見え、レッドはほっとした。
その時だった。
「おい、もう出て来ていいぞ、お前達」
村長の一言で、レッドの入ってきた入り口ではなく、反対の扉から、兵士達がどやどやと現れた。レッドは言葉を失った。村長が端に退くと、兵士達は一斉に飛びかかってレッドの両脇を固める。レッドは慌てて身じろいだが、相手も訓練を積んだ兵士だ。全く動けない。
「レッド。お前は貴重な奴隷なので残しておけとの命令だ」
村長が言う。
「……メルとナローはどうした?」
レッドが睨みながら問うと、
「もうそろそろ死んでいるはずだ」
と、にべもなく返された。レッドは歯ぎしりする。
そのまま兵士らによって倉庫の外に担ぎ出されたレッドは、騒ぎを聞きつけた村人達に囲まれた。彼らの目に、抵抗しながら連れ去られるレッドはどう映っただろうか。どこへ連れて行かれるのか不思議に思っていると、行き先は船着き場であった。レッドは兵士に尋ねた。
「おい、どこへ行く気だ」
兵士達は答えず、無言でレッドを船へ引きずると、船室で操縦士と何やら話し込み始めた。どうやらこのままどこか別の場所に連れて行かれるらしい。レッドは兵士に背中を小突かれ、その場に膝を付くよう促された。
その時だった。
がつんと大きな音がして、レッドの横に兵士がばったりと転がった。驚いてレッドが振り返ると、そこには角材を手に手に、漁師らが立っていた。レッドが戸惑いながらも立ち上がると、
「ほらよ」
とその手に角材を渡される。レッドはにやりと笑うと、腰を入れて角材を振り回した。
慌てて避けようと兵士らは動いたが、レッドの振り回した角材をまともに横から受け、甲板に次々吹っ飛んで行く。レッドも角材の遠心力で吹き飛びそうになるが、踏みとどまった。他の漁師も甲板の隅に兵士を追い詰め、ひとりが喉輪、もうひとりが兵士を抱え込んで連携プレーで海に投げ落として行く。
その間、船は操縦士の運転で、どんどん沖へと進んで行った。船上は戦場となったが、内陸国の兵士よりも海上で戦い慣れた漁師達の方に明らかな分があった。ご丁寧に重々しい甲冑を着ていた兵士達は皆、海へと沈んで行く。
全員を海へ投げ落としたことを確認すると、レッドは荒く息をつきながら角材を投げ出し、へなへなと甲板に崩れ落ちた。
「し……死ぬかと思った」
それを聞いて漁師達は笑った。レッドは顔を赤くして皆を左から順に睨みながら、
「何がおかしい」
と問う。漁師達は顔を見合わせると、笑顔でこう言った。
「あんたはな、俺達の命の恩人なんだよ」
レッドは彼らの言わんとすることが分からず首をひねる。
「分かんねーのか?地図だよ。あんたらが描いた地図のお陰で、山も海も、明らかに事故が減ったんだ。村の奴はみんなあんたに感謝してる。今みたいなことなら朝飯前さぁ」
レッドはじんわりと胸が暖かくなる。久しぶりの感覚だった。と同時に、メルのことを思い出す。
「どこへ行く?このまま、レッドの言う所へ船を出してやろう」
レッドは立ち上がると、
「カラバル島を知っているか?」
と問う。漁師達は笑顔で頷いた。
「樹が沢山生い茂ってる、森みたいな島だな?断崖絶壁のある、山みたいな……」
レッドの記憶に、確かにそのような島がある。
「兵士達はカラバル島へ向かおうとしてたんだな?」
レッドが続けて問うと、漁師の中のひとりが答えた。
「俺の仲間が今朝兵士からカラバル島へ船を出してくれと言われ、送ったと言ってたよ。彼らをまた乗せて帰って来たんだが、そいつらがレッドを襲ったというわけだ。まぁ先程、海の藻屑と消えたが……」
レッドは海を眺め、ふとあの日のことを思い出した。トリニット村から連れ出され、泣きながらカラバル島に運ばれた日のことを。
「……じゃあ、カラバル島まで船を出してくれ」
船は淡く春めいた海をゆっくりと進んで行く。レッドの頬は春の潮風を受けても、全く緩むことはなかった。
一方その頃、メルはーー




