10.男奴隷には人生の目標がない
トーイは剣をしまい、顔面蒼白になったまま座り込むレッドを覗き込んだ。
「悪いことをしたな。しかし不安だ。先端が怖いということは、もしも何かあった時、君はメルを助けられないということになる」
レッドはトーイを睨んだ。
「うるせー。そんなこと言うくらいなら、あんたがメルに付いて行けばいいだろ」
「断る」
「……王国は馬鹿ばかりだな。頭が痛い」
トーイはふんと鼻を鳴らしてから、
「俺が言うのも何だが、その通りだと思う。王国は馬鹿ばかりでにっちもさっちも行かなくなっている。こと王子の奇病の治療については」
「ああ、そうだ。王子の奇病って何なんだよ?」
レッドが率直に問うと、トーイはため息混じりに答えた。
「平たく言うと、昏睡だ。動いていたと思ったら、急に眠り出す。そしてまた起き、寝る。食事も取らず一週間眠り続けることもあり、非常に危険な病だ」
聞いたこともない症状だ。レッドは様々な場所で奴隷になったが、そのような病は聞いたことがなかった。
「最悪なことには王も同じ症状で苦しんでいるし、ルイス王子の母君である王妃も、同じ症状の末、ついに起きて来なくなり死に至った。だからメルさんが勤める薬草園は日々薬の研究に余念がない。次期国王を失えば、我が国の根幹に関わる」
レッドはメルの泣き顔を思い出した。トーイは国の根幹を心配しているが、メルはルイス王子の命そのものを心配している。この二人がうまく行かないのは道理のようだ。
「だからメルさんの肩に王国の未来がかかっているのだ。というわけでレッド、剣術が無理なら体術はどうなんだ?殴る蹴るは、体の大きい方が有利だ。これを船旅の間に教えておこうではないか」
トーイは立ち上がると、武器をデッキに下ろして腕を鳴らした。レッドは刃物がないことに安心した顔で立ち上がる。
「さぁ、まずは実力のほどを見せてもらおう。まずはパンチからだ。拳で打って来い。受けて立つ」
レッドは拳を体に引き寄せ、前に打つかと思いきや急にしゃがんだ。トーイの目の前から姿を消した次の瞬間、レッドは体をねじってトーイの股と肩にその剛腕を通し、軽々と騎士の体を両肩にかけて持ち上げる。
「わっ、待て、何を……」
レッドは鼻歌を歌いながら体をねじり、自らの体ごとトーイを甲板に叩きつけた。鈍い音がし、レッドの肩越しに騎士は青空を見上げる。
「……お前、まさかわざと」
レッドは得意げに笑って立ち上がった。
「一時期、漁師町で酒場の用心棒やってる時期があったんだ。酔って手のつけられない輩を投げるのは得意だ。これが体術?」
トーイは起き上がり、痛む箇所を押さえながらにかりと笑った。
「ここまでやれるなら、お前にメルさんを任せて大丈夫そうだな。ところでレッド、折り入って伝えておきたいことがあるのだが」
「何だよ急に改まって」
「実は、メルさんの婚約者は俺で三人目だ」
レッドは首を傾げる。
「何が言いたい」
「メルさんは結婚を何度も拒否している。彼女の叔父が彼女を結婚させようと熱心でね。そのたびに彼女は研究室にこもったり、屋敷を出たりして叔父と婚約者を困らせて来た。俺のような女たらしの最低人間に、婚約話がやって来たのもそういう経緯があったわけだ。別にお互い好きでも何でもない」
「へー、最低の自覚はあったんだな」
「……話は最後まで聞け。いいか?メルさんはルイス王子に首ったけだ。王子を救うためには全て投げ出す覚悟なのだろう。結婚などしていられないというわけだ。ということは、彼女はきっとこのまま……」
トーイはそう言うと、レッドの肩をパンと叩いた。
「最悪このまま、奴隷の君と生きることになるであろう!レッド、覚悟してくれ!」
「えっ、俺は嫌だぞ」
レッドはあからさまに苦々しい顔をしたが、
「では君の人生の最終目標とは、どこなのだ?」
とトーイは真剣な眼差しを向けて来る。レッドは何か言おうとして、言い淀んだ。
「奴隷である君にこんなことを聞くのは酷であると思う。でも今メルさんから逃げて、どこへ行こうと言うのだ?君は様々な労働現場に売られて来たようだな。強制的に、誰かに動かされてここまで来たわけだ。逃げるが一番奴隷にとって楽な選択なのは分かる。しかしだ、もう少し先を見据えたまえ。例えば、これならどうだ。メルさんと共に王子の奇病を治し、名を上げて奴隷の身分を解いてもらうというのは」
「それ、メルにも言われた」
レッドが言うと、トーイはなぜか少し気恥ずかしそうに黙った。潮風に吹かれながら、レッドは青い空を見上げた。
「目標かぁ……」
レッドの脳裏に、ふと言葉が湧き上がる。
「俺、本当は自分がどこの何者だったのかが知りたい。本当は何歳で、親に最初に付けられた名前が何だったのか知りたいなぁ」
甲板に静けさが漂った。トーイが目をこすっている。レッドはそれを見てせせら笑う。
「馬鹿じゃね?何泣いてんだよ」
「いや……そうか、そんなことも知らずに働かされて生きて来たのかと思うと」
「急に最低野郎から人情野郎にキャラ変えてんじゃねーよ!」
「好きなだけ罵ってくれ。レッドには俺を罵る権利がある」
レッドはやりづらそうに歯噛みしている。トーイはポケットをまさぐると、
「少しでも足しにしてくれ」
と、アクセサリーの類をレッドに差し出した。
「迷惑料だ。メルさんを頼んだぞ」
レッドは受け取り、早速その中から指輪をはめた。奇妙なことに、サイズがぴったりだった。トーイはふむと呟くと
「ある程度の身分の者しか着けられない指輪だ。これをしておけば、少しは周囲からの扱いが良くなるはずだ」
レッドはそうかと応じてから、
「メルから逃げないよう、金銭で懐柔して来たって認識でオーケー?」
「おま……そこは素直にありがとうでいいだろ。ま、アレだ。なるべく早く王子を助けて欲しいという一国民からの餞別だ。君が思うほど複雑な理由などはない」
そう言うと、トーイはふらりと甲板を横切り、西館へ歩いて行く。
「俺は船室へ戻る」
そう呟いた騎士の後ろをつられるように歩いて行き、レッドも東館へと戻った。
船室にはまだ鍵がかかっていた。
「メル、開けて」
がさごそと音がして、鍵が開く。扉の向こうのメルは思いの外すっきりした顔をしていて、レッドはほっとする。
「騎士様から餞別を貰ったぞ。旅の足しにして欲しいそうだ」
レッドが扉を閉めると、メルはその手にある指輪を眺めた。
「その指輪……」
「おう、これも貰ったんだ」
「それ、私と旅立つに当たって、私の叔父からトーイ様に送られた餞別です」
「ほんと考えなしの最低野郎だな、あいつ」
船室に真南からの光が差している。




