表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はじまりの画帳  作者: うえのきくの
PR
13/15

13

 


『さっぱりした』

『よかった』


 美味しい、痛い、すっきり、欲しい、可愛いなど、日常よく使いそうな言葉は動画サイトなどを利用して覚えた。勉強するのに金を使わないと言うのも卑怯な気がして、本を買ったのだがいまいちよくわからなかったのだ。

 合わせて使って覚えたいくつかのサインでスケッチブックにたどり着くまでの会話を保たせる。


 夏希が言った『お風呂屋さん』は駅前のホテルに併設されていたスーパー銭湯的な施設で、二人は十時間座り続けた体を温泉ですっかり伸ばすことができた。適材適所。

 その上二十四時間営業のレストランや休憩所まで完備されていたので、本来の目的も七割忘れてゆったりと過ごした。


 ビュッフェスタイルの朝食でお腹を満たすと、早速これからの行動を確認する。

 とにかく一度、賢一郎の実家、田所医院に行こうと出発前にも話していた。そして賢一郎に会う。まずはそれからだ。

 直接もめたのは泉だから、透や夏希と話ができないということはないだろう。彼に会って帰れない理由を聞かなければ。


 二人はタブレットを頼りに田所の実家へとたどり着いた。想像よりも遥かに立派な施設で、彼はこんな大きい病院を率いる立場になるはずだったのかと動転した。

 白い三階建ての建物はどうやら自宅兼ではないようだ。看板には内科、消化器科、外科、整形外科などと書いてあり今は父親が一人で仕切っている様だった。

 病院の裏手に回ってみると、少し趣の違う戸建てがあった。こちらはおそらく彼らの自宅なのだろう。玄関を見つけて『田所』の表札を確認した。


『押します』

『はい』


 インターフォンを押す指は、心なしか冷たいような気がする。スピーカーから女性の声がする。


「どちら様でしょうか?」

「酒井と申します。賢一郎くんはご在宅ですか? 友人なのですが……」

「……少々お待ちください」


 五分かそこらして出てきた人は、賢一郎の母親にしては若い印象の女だった。彼女は少し眉をひそめると透と夏希を上からしたまで眺めてきた。少し、感じが悪い。 


「いらっしゃいませ……賢一郎さんの高校のお友だちですか?」

「いいえ、今お住まいの東京の方で。私は仕事柄知り合いまして、彼女は学校で同級生です」

「……そうでしたか。今、賢一郎さんは出掛けていますが、よろしかったら中でお待ちになりますか?」


 透は夏希を見た。彼女は少し迷ったようだが頷いた。

 通してもらった応接間は、掃除が行き届いた落ち着いた部屋だった。先程の女はお手伝いさんのようで、お茶を運ぶと出ていこうとした。


「あの、賢一郎くんはどちらにお出掛けですか? 最近お会いしていなかったので元気にしているんでしょうか?」


 女は少しこわばった顔をした。彼の東京の友人は、あまりいい印象を持たれていないようだ。


「ちょっと、そこまで……すぐ戻ると思うんですけれど……」


 そう言うと部屋の外に出ていってしまった。


『なんか、変な感じ』

『うーん。タドケンに会えるかなー?』


 十五分ほど待たされて、廊下の方から足音が聞こえてきた。賢一郎が帰ってきただけという数ではない。三人……四人くらいが急ぐようにこちらに向かってくる。

 ノックの音がして、透と、少し遅れて夏希が立ち上がった。


「はい」


 ドアを開けてなだれ込んできたのは、白衣の父親ではなく、ましてや賢一郎でもなかった。


「……え……っと」

 スーツの男が三人、こちらを鋭く見つめている。


「警察のものです。おたくさんたち、どちらさん? こちらのお坊っちゃんは自宅まで遊びに来るようなお友だちはいない、どう考えても怪しいからって通報があったんだけど?」

「え」


 隣の夏希は、何事が起こっているのか把握することはできず、口をポカンと開けている。

 透としては彼女にまず説明を、と思うのだがスケッチブックは鞄のなかだ。取り出そうと動いたらそれこそ拘束されてしまうかもしれない。そんなところを夏希に見られたら彼女はパニックを起こしてしまうかも知れない。

 廊下に繋がるドアの隙間から先程の女と別の女、これは賢一郎の母親かもしれない。そして白衣の男が顔を覗かせていた。もう診察時間だろ、患者のところにいってやれ、と怒鳴ってやりたい気分だ。


「今ねー、いろんな詐欺が流行ってるんだよねー。ちょっとお話を聞かせてもらえるかな?」

「えーっとですね」


 透はズボンのポケットから名刺入れを取りだし、一枚差し出す。全く面識のない人間に会いに行くのだからと一応持ってきてよかった。

 冷静に見える態度を取り繕っていたが、背中は一面滝のような汗だ。


「これ、とりあえず名刺です。誓って怪しいものではありません。お疑いでしたら……そうですね、あと十分くらいで会社がオープンしますので、渋谷の相模屋本店で番号調べて問い合わせてもらえますか? あ、名刺も本物ですけどそんなのはいくらでも作れますから」


 差し出された名刺が偽物であるなどという仮説は、プロなのだから恐らく立てているだろう。透は時計を見ながら、今ならもう早番出勤の誰かはいるだろうと算段をつけた。そしてどうか調子の良さだけが取り柄の小澤が電話口に出ないようにと心から祈った。


「相模屋?」


 廊下の外から声がする。あ、とかちょっと、とか咎めるような別の声もした。

 ひょい、と賢一郎が顔を覗かせて、こちらも夏希のようなポカンとした表情でこちらを見た。


「え、二人とも、なにやってんの? こんなとこで」



「友達の家に遊びに来ただけで、事情聴取されるってどんだけよ」

「すみません……ほんとこっちに友達いなくって、話だけ聞いたら僕でも通報してるかも。なっちゃんもビックリさせてごめんね?」


 夏希には賢一郎が来てくれてすぐ、事情を話した。もう小さいスケッチブックは殴り書きの嵐だ。すると驚いた彼女は、真っ青になって座り込んでしまった。

 その一部始終を見ていた賢一郎の父親が大慌てで処置をしてくれたから、少し気分が悪くなったくらいですんだのだが。


「本当に申し訳なかった。母が生きていた頃もおかしな電話がよくかかってきてたもので、今回もそんなものかと……いや、本当に申し訳ない」

「いえ、わかっていただけたのなら、もう」


 賢一郎が帰ってきてくれて新手の詐欺グループの疑いは晴れたが、一応警察と話だけはした。自分の身分、ここに来た理由、これからの予定など。それを、透たちの後ろに陣取って賢一郎の家族はずっと聞いていた。


 父親は午前を休診にしたといって、二人に、特に夏希にあれこれと世話を焼いている。来る前に想像していたような怖そうな人ではなかった。なんとなく息子の進路を反対する冷酷な父を想像していたので、さっきからにこやかに夏希にジュースやお菓子をすすめる彼は気の良さそうな親父だ。


「賢一郎を迎えに来てくれたって言いましたね」


 父親の方が切り出した。透は居住まいをただし、父親と向き合った。

 父親の隣に夏希が座っていたので、たどたどしい手話も交えて話し出す。

「迎えに、来たということでは、ありません。それは、賢一郎くんが、決めることだと、わかっています……でも」

「でも?」

「応援、したかったんです」


 彼らの夢を聞くたびに、透は感じたことがあった。

 雑貨の作家に、ゲームデザイナーに、学芸員に。進む方向は違うけれどみんな、最初はデッサンや水彩を基礎として勉強するところから始まる。

 みんながみんな、思い通りの道に進めるなんて思っていない。だけどどこに飛んでいったってスタートは小さなスケッチブックだ。コンテや鉛筆だ。

 透の仕事は、実家に帰ってするべき仕事は、その場所から巣立っていった誰かを見守ることなのかもしれない。

「私は、みんなが、夢を見る、応援が、したい。賢一郎くんが、医者になるなら、それもいい。だったら、それを、教えて欲しい。その話が、したかった。それだけです」


 彼の話をなにも聞いていない。このままさよならになってしまうことだけは絶対に嫌だった。

 新しい道に進むのならそれでも、ここで応援していると伝えたかったのだ。

 夏希が手を動かし始めた。透にもわかるようにゆっくりだ。


「えーっと、タドケンが、帰っても、ずっと友達……だから、イズミ、仲直り、お願い……えっと、こっちに来る前に賢一郎くんは友達と仲たがいをしてしまいまして、もし、家に帰ってしまうようなことがあってもずっと友達なんだから仲直りをして欲しい、と彼女が」

 父親は見惚れるように夏希の手話を見ていたが、ふ、と息をつくと賢一郎に言った。


「お前、喧嘩するような友達ができたんだな」

「……うん。こんなとこまで来てくれるような、いい友達」


 先程のお手伝いさんが今度はお菓子をつけてお茶を入れ直してくれた。彼女にもずいぶん怖い思いをさせてしまったと思う。申し訳なかった。

 熱いお茶を一口飲んで、父親は言った。


「母が亡くなって、本当にこの子を呼び戻そうとしていたんです。でも、息子は絶対に帰らない、向こうでがんばるといいまして。この子は弟がいますからそれに継がせようと考えてはいるんです。考えてはいるんですけど、やっぱりね……寂しくて」


 父親は力なく笑った。夏希は横から彼の顔をじっと見ているから、きっと聞き取ろうとしているのだろう。


「そうしたら、母の遺言が出てきてね。この間、初七日の日に開けました。そうしたら、子供たちにはやりたいことをやらせなさいって、書いてありました。私にまで、今からでも遅くない。やりたいこと、いきたい場所があるなら思う通りにしなさいって」


 彼の母、賢一郎の祖母はやはり医者の家系に生まれた。しかし女だからと医者の道は反対されたそうなのだ。女の子は勉強などしないできれいにして結婚して子供を産むのが一番幸せなのだからと、当時でもかなり旧式の教育を受けていたようだ。

 だから、自分の子供には思い通りに生きて欲しいと思っていた。しかし息子はなにも疑うことも迷うこともなく医者の道へ進んだ。真面目に仕事をして、町の人にも頼られている。無理をしているわけではないようだ。

 しかし彼の息子、つまり孫が芸大に進みたい、学芸員になりたいと言ってきた。当然、父親も母親も反対したが、祖母は決めていたのだ。絶対に応援するのだと。


「母は『いくつになっても遅いということはない。子供がどうしても駄目で助けを求めたならば、その時は絶対に梯子を外しちゃいけない。医者じゃなくても病院の仕事はたくさんある。家族みんなで働けばいい』と書き残していました。本当のことを言えば、私はまだ大賛成とは思えません。でも、気のすむまで、やればいいと、今は思っています。まあ、院まであと四年か? 学費だけは心配しなくていい。おばあちゃんが残してくれたからな」

「それじゃあ……」

「これからも賢一郎をよろしくお願いします。本当にはるばる来てくださって……ありがとうございます」



『じゃあ、もしかしなくても、このままなにもしなくても東京に帰ってきたわけだよね?』

『まあそういうことに……』

『連絡しようよー! 報連相大事だよぉー』

『反省してます……』


 確かに帰ってきた頃には父親はこのまま残って地元の医大に入れ直そうと考えていたようだ。しかし、ほんの二、三日前、見つかった遺言を開けたところ先程のメッセージが見つかった。それは他のものと違って弁護士に預けてはおらず、彼女の部屋の目立つところにおいてあった。最近書かれたものなのだろう。

 賢一郎の父はそれを読み、少し考え直したのだと言っていた。


 報連相はとても大事なので透たちもすぐに泉にことの顛末を報告した。泉は立て込んでいるようだ、返事はなかった。


 透たちは賢一郎の案内で彼の通っていた美術館に来ていた。白く美しい建物は周囲の林や芝生に映え、まるで自然にそこに生まれたようなたたずまいだった。

 この土地を愛した現代作家たちの作品が数多く並んでおり圧巻だ。ただ、庭園の巨大な犬のオブジェは、夏希には刺激が強かったようで(彼女は巨象恐怖症──大きいものが怖い──の気があるらしい。早く言って欲しかった)相当血圧が下がったような顔色になっていた。

 一回りして併設するカフェでスケッチブックを囲んで一休みだ。夏希には甘いものでも食べて少し落ち着いて欲しい。


『いつ頃帰ってくるの?』

『どっちにしてもあと二、三日で帰ろうと思ってたんだ。学費と少し生活費も助けてくれるって言われて、ホッとした。父さん、お婆ちゃんが亡くなったのかなりショックだったみたいで。それもちょっと心配だったから……』


 透の両親は殺しても死なないほどに元気だ。だからいまいちピンと来ないが、誰にでもその時は来るし、来なかった場合はかなりの親不孝をすることになるのだろう。

 彼の祖母の最後の願いは叶えられたのかもしれない。これからの答えは賢一郎だけが握っているのだけれど。


『よかったね、お父さんたちわかってくれて』

『はい。まだ勉強続けられると思ったら、嬉しくて……もしも卒業して資格とっても学芸員になれなかったら、医療事務の資格とか取って実家に帰るって生き方もあるなって、父さんが許してくれたから、思えるようになった。期待されても困るから、まだ言ってないけど』

『あ、そう言えば俺の会社の人が、医者になるのが学芸員への近道だって言ってた!』


 小澤が言ったことを聞かせてみた。医者になってある程度大きな金を貯めたら、自分で美術品を集めて田所コレクションとして公開するって、例の奴だ。

 既存の場所に入れないなら、自分で作ってやるっていうのは悪くない。あのときはまたおかしなことを、と半分あきれたが、よく考えるととてもいい。

 テレビとかでもよく見るよな、そういう人。

 ぬいぐるみとか、プラモデルとか趣味でたくさん集めて公開している人。財力さえあれば立派な展示物や豪華な箱も夢ではない。例えば医者とか。


『すごいこと考えますね、その人』

『あー、気分だけで生きてた人だから。今は少し反省したみたいだけど』

『でも、いい考え』

『本当。それに、父さんが許してくれて、僕ずっと院に行って初めて最低ラインだと思ってたんですけど、留学して向こうのキュレーターに触れるのもいいな、と思って』

『おお』

『向こうで働くっていうのはまだ考えてないけど、いろんな美術品に触れてそれを展示している人たちの仕事を見たい。イギリスでもアメリカでもどこでも。だからここで出来る自分の足元をしっかり固める勉強を、もっとたくさんしようと思ったんだ』

『いい、すごくいい! 頑張ろうね、タドケン』


 学生たちが三人とも明確な将来を描き始めた。来年になればみな、就職のことを考えなくてはいけないだろうし。


『どんどん追い越されちゃうなー。俺も頑張んなきゃ!』

『そう言えば、酒井さんもなにか挑戦するって言ってたよね? あれは?』

『それはねーーー』





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ