【第十六話】異常事態・二
「隊長っ、無事かっ」
「隊長ぉっ」
辺りの喧噪の正体は整備士達が騒ぐ声だった。輸送車を飛ばして追って来たのだろう。直ぐに胴体横のハッチが開かれる音がして、昇降梯子を伝って操縦席へと昇って来たロキシスが顔を覗かせる。怪我はないことを身振りで伝えると操縦席の中で立ち上がった。
「滑走路から此処までの間に散らばってるK八六の破片を全て回収しろっ。K八六は技術者達に任せておけばいい。とにかく破片の回収だ。お客さんに盗まれるなっ」
操縦席の縁に掴まりふらつく体を支えると、取り囲んだ整備士達へと指示を出す。
「へーい」
「了解」
気の抜けたような返事が辺りに木霊する。
「操縦席の中にある物には、いっさい手を触れるなっ。墜ちたときの状態のままで、技術者達へ引き渡すんだ。いいなっ?」
再び指示を出しつつ痛みを堪えて昇降梯子を伝わり、親父さんに抱きかかえられるようにして地面へと降り立つ。たちまち荷物のように仰向けにかかえ上げられて、そのまま輸送車の荷台へと運ばれてしまった。
「何故脱出しなかった」
厳しい声の主はクロストフ兄貴だった。荷台の上へ載せられようとしている俺の顔を険しい表情で見つめている。
「SAが爆発した。原因の究明が必要だから、SAを壊すわけには行かないのでね。これは俺の仕事だ」
俺は手短に説明した。結果的に兄貴の思惑通りになったのだから、それで満足して貰いたいのだが……不満そうな表情だった。
ロキシスも周りに居る整備士達も俺の言葉を聞いている。K八六に何が起きたのか確実に理解しただろう。クロストフ兄貴との間に漂う不穏な空気も、この距離では隠しようもない。兄貴も気づいたのか、表情を和らげると無言で立ち去った。それを合図に俺を載せた輸送車は走り出す。荷台の揺れは打撲を受けた体に響くが、それ以上にロキシスの苦虫を噛みつぶしたような表情が応えた。
「最悪の結果になっちまったなあ……」
親父さんの歎きに対して、返す言葉もなかった。
医療棟の診察室に朗々たる魔術の詠唱が響く。
「清き光よ――暗き闇を照らす光よ――いざ慈愛の灯火をともさん――」
治療に使われる魔術が属すのは光の術だけだ。この光の術と闇の術の二つの属性は、他の自然現象を起こす属性と異なり呪文詠唱の省略は一切許されない。どれほど簡単で基本的な術であろうとも、無詠唱で手印のみの発動は有り得ない。むしろ詠唱を正確に行なうことで、効果を引き出しているといえる特殊な属性の魔術だ。その理由は太古の呪術や祈りに由来している属性だからという話だ。
飛航服を肌脱ぎして上半身裸となった俺の、安全ベルトの痕が青い痣になっている場所を、軍医の先生の手の平がなぞって行く。痛みや痺れが中和されて楽になって行く。痛覚をごまかす一種の麻痺の術なので、最前線では使用できない治療方法だった。もちろん俺も唱えられるのだが、医療棟では軍医の先生の指示に絶対服従するという、破ってはならない規則がある。
「よし。これで痛みは凌げるだろう。しかし隊長は相変わらず頑丈な体をしているな。あちらこちら、かなり打ち付けているのに、骨にヒビのひとつも入っていない。本当に墜落しても無傷なんじゃないかと思ってしまうよ」
「いや、さすがに飛航具と一緒に墜落すれば、私も無傷というわけには。今回は墜落ではなく無理に降ろしただけですので」
俺は苦笑しながら軍医の先生の軽口に付き合う。今日の当番は若い先生のほうだったので助かった。大酒飲みのヤブ医者の老人なら面倒なやり取りが必要だった。
若いといってもクロストフ兄貴と変わらぬ年齢だ。魔術学院卒業後、各地の医術学校で研鑽を積み重ね、先の北方戦役の折に志願して軍医となった筋金入りである。あの最前線の悲惨な現場を体験している人物なので、診断に文句をつけるつもりはない。
治療に関しても魔術は万能ではない。悪寒や発熱、痛みを取り除く精神系の治療、毒物を中和させ排出させる治療、痺れなどの麻痺状態を回復させる治療には強い。しかし傷を治すという点では可能なことは少ないのだ。傷の切り口を塞いだり、火傷を負った皮膚を保護することくらいしかできない。魔術で元通りにはならないし、切り落とされた腕が生えてくるわけでもなかった。
本質的に止血や保護程度のことしか魔術には頼れないので、各国とも医術の研究と医療技術者の育成には力を入れている。新たな治療方法は遠く他国より伝わるのが普通なのだ。先生の腕を知れば、他国の医術学校へと留学することが推奨されたのも頷ける。
「頭を強く打ち付けているようだから、規則通り五日間の安静経過観察に従って貰う。今は誰も入院していないし個室を用意させたので、のんびりして行きなさい」
先生は診察記録を書き留める手を休めず、そう言って診察の終了を告げた。
魅力的な看護兵に案内され病室へと移動する。医療棟には十人部屋の大部屋と四人部屋の女性用、そして個室が二部屋ある。個室は中隊長以上の職能で長期入院者が利用できた。ひと晩泊まる程度のことなら俺でも大部屋へ放り込まれる。医療棟が格納庫群の一角にあるのは、整備士達の便宜を一番に考えてのことだった。日常的に利用するのは飛航士や本部の人間ではなく整備士達なのだ。
軍医の先生と看護兵達は組織上は独立した王国軍医療大隊に所属している。そこから各基地や部隊へ派遣される形で勤務していた。当基地での彼らは基地司令の指揮下にあるので、俺の大隊に所属しているわけではない。軍医の先生二人と女性の看護兵が四人派遣され、交替で終日勤務に就いている。看護兵は整備士達に人気があるのだが、仮病を遣うと苦い薬草を煎じた薬湯を飲まされるらしい。
「こちらの病室をお使い下さい」
「ありがとう」
「中で御婦人がお待ちですよ」
ヴィオリア姉貴と同じくらいの年輩の看護兵は予想外なひと言を添えると、意味ありげな微笑みを残して診察室へと戻って行った。
こんな非常時に俺を待っている女性とは誰だろう?
個室の扉を開けて中へ入ると、ベッドの横の椅子に腰掛けていた軍服姿の女性が立ち上がり礼を正す。先任の報道官だった。
「治療は終わりましたか? 五日間の経過観察の間、私が身の回りのお世話をさせて頂きます」
そう言って微笑む。どうやら軍の監視を受けなければならないようで、俺の悪評はそこまで酷いのかと眩暈がしそうになった。
彼女の名前はアリアネラ・デラーノという。階級は王国軍大尉。お父上は俺と同じ男爵位を叙爵されている貴族だ。ついでにアリアネラはヴィオリア姉貴の同級生という間柄だった。姉貴は魔術学院を一年早く卒業したので、アリアネラは士官学校では姉貴の後輩となった。そういう縁があったこともあり、話し易く楽な相手なのだ。ヴィオリアよりも常識的で穏和な人物なので尚さらだった。
アリアネラの正式な所属は王国軍司令部の中の王国軍情報部だ。俺のように戦闘兵団を渡り歩いてきたわけではなく、司令部勤務が長いということは優秀なのだろう。情報部について詳しくは分からないのだが、入る情報と公表する情報を一手に管理する部署という話だった。王国外で活動している諜報機関は情報部に所属しているという話もある。クロストフ兄貴が出入りしている部署なのだ。
面倒なことは考えても仕方ないので、俺は飛航服を脱いで下着姿になるとベッドへ潜り込んだ。
「失礼します」
アリアネラと雑談しながら横になっていると、ノックの音に続いて開かれた扉の陰からバルベラが顔を覗かせた。
「ああ、いいところへ来てくれた。バルベラ、食事を――」
「用意してきました」
バルベラは大きなバスケットを手に提げて病室へと入ってきた。前掛けをしたままなので士官食堂から直接来たのだろう。
バスケットの中には様々な料理をパンで挟み込み食べやすくした物と、ポットに入れられたスープにカップとナプキンがあった。
「これは最高だ……」
俺はベッドから出て立ち上がるとバルベラの体を抱き寄せ、耳に口づけを贈る。彼女は笑いながら腕の中に収まっていた。
「お前に頼みがある」
「何でしょう?」
「ディアとアグネタを頼む。俺は五日間、監視付きで閉じ込められるんだ」
バルベラはアリアネラのほうへちらりと視線を向けると、無言で頷いてくれた。俺はアリアネラを紹介しておく。
「こちらは王国軍の報道官を務めるアリアネラ・デラーノ大尉だ。彼女が五日間世話をしてくれる。彼女と俺の二人分の食事を届けてくれるよう手配してくれ」
アリアネラが軽く会釈してバルベラもそれに応えると、心配そうな表情で確認してくる。
「療養食でなくて宜しいんですか? 先生に叱られるんじゃないかなあ……」
「それくらい大目にみて貰うさ。今の俺は体を回復させるのが一番重要な仕事なんだ。俺に必要なのは美味い食事とたっぷりの愛情」
わざとらしくそう言いながら、バルベラの体を抱きしめてやる。彼女は笑いつつ俺の腕を振り解くと、アリアネラのほうを見ながら軽口を返す。
「愛情はもう充分足りてるんじゃないですか?」
そう言うと笑顔で手をひらひらとさせて病室を出て行く。アリアネラの呆気に取られた表情が見れたのは収穫だった。
ベッドの横の小テーブルを移動すると、その上にバスケットの中の物を広げて行く。アリアネラの食べる分も充分足りる量だった。
俺はベッドの端に腰掛けパンを手に取り、彼女は椅子に腰掛けて食事に付き合う。
「部下に愛されている隊長というわけですね……」
カップに注いだスープを掬って食べながら、アリアネラは静かに呟いた。
「噂通り、女たらしで部下の女性兵に見境なく手をつける悪い上官だと理解して貰って構わないよ。情報部は警戒の要あり、かな?」
「別に、大袈裟に振る舞って頂く必要はございません。英雄が色を好むことは必ずしも国民の印象を悪くは致しません。ただ、記者達の前では慎重な言動をお願い致します。彼らは勝手に誇張するだけでなく……妙な深読みを致しますのであちらこちらに被害が……」
アリアネラはすっかり報道官の顔になっている。
「取材はまだ続くんですか?」
「明日の午前中、この病室で代表取材を受けて頂きます。我が王国の英雄は不死身だ……というような論調になるかと思われます」
「それで目的は達成?」
彼女は質問には答えず、満面の笑みを返してきた。これ以上何を問うても無駄ということだろう。
「それにしても……まるで奥様のように自然な振る舞いで、グドルフ様のお考えをきちんと理解していらっしゃる……羨ましい……」
「羨ましいですか? 俺は兄貴と違って単純だから。バルベラとは付き合いが長いし、よく気の利く人物なんです」
「それだけではありませんよね」
アリアネラは俺を軽く睨むような表情を作ってみせるが、バルベラはああいう女だからとしか説明しようがない。
「ベッドを共にすれば誰でも息が合うというわけではないからね。やはり個性のようなものでは?」
「そういうものでしょうか……」
「試してみるのは構わないが……ヴィオリアに知られたときの覚悟ができているなら、ね?」
「……うーん……確かに面倒だなということは理解できます」
彼女もヴィオリアの思考方法については理解しているようだ。
俺が平民階層の女性と遊ぼうが娼館へと足を向けようが、ヴィオリアは一向に気にしない。ただし相手が貴族階層の女性なら黙って見過ごすことはしない。あれこれ問い詰められた挙げ句、長い説教を聞かされることになる。原因は魔術学院時代の一年間の放蕩生活にあるので、身から出た錆だからどうすることもできない。あの頃は家の事など考えていなかった。自由が嬉しかったのだ。
アリアネラも貴族の家の息女だという、生まれついての制約に縛られていることに変わりはない。自分自身の意志と希望の通り生きては行けないのだ。沢山の野菜と乾肉を刻んで煮込む南部のスープを二人で食べながら、漠然と互いに通じるものを感じていた。




