【第十二話】飛航試験・五
バルベラの濃厚な肉体を貪った後、本来ならたっぷりとしたフルコースの朝飯を半量だけ貰った。飛航試験の日は食事を軽めにしている。デザートにバルベラと熱い口づけを交わして格納庫群へと移動する。朝日が格納庫の大きな影を作り出す時間帯は辺りに人影は疎らだ。親父さんは宿舎にいない。この時間なら格納庫内の事務室だ。見当をつけた部屋の扉を開くとソファーに寝転んでいた。
「親父さん、おはよう」
「ああ。今日からだな」
やはり寝ていたわけではないのだ。ロキシス流の一日の始め方というやつだろう。直ぐに起き上がった親父さんの隣へと腰掛ける。
「悪いがK八六は墜ちる」
「そういうことか」
淡々とした返事が返って来る。
「心配する必要はないぞ。兄貴の技術者達に押し付ければ、それで任務完了さ。俺達は後のことなど考える必要はないのだ」
「せいぜい皆で驚き慌てて派手に騒げばいいってやつか。丸っきり道化じゃねえか。相変わらず素敵な趣味だよなあ、ええ?」
ロキシスは民生用魔導器の技術者上がりだが、軍需用魔導器開発と飛航具の兵器化には計画の当初より関わっている。ベリヤノン家の人間達との付き合いも一番長い人物なのだ。兄貴や姉貴の手法は熟知していた。決してそれを非難することはないが、個人的な不快感を隠すこともしない。
「ディアはどうすんだよ……初の実務部隊で初の軍務だろうが……その結果は墜落だと? 飛航具の整備士にとって最大の屈辱じゃねえかよお……」
「すまん。我が家はそういう家だということは理解して欲しい」
親父さんは言葉を失ないうなだれてしまった。俺は事務室を後にする。ロキシスに現時点で話せることは計画通りに実行するという予告しかないのだ。
自室へと戻るとベルナウはもう来ていた。予定よりも早い時間。短髪に刈り込んだ髪の毛には寝癖など皆無だ。きちんと折り目のついた制服をかっちりと着こなしている様は、まだ実働部隊の洗礼を受けていない新兵らしさがある。パウルとは異なる生真面目さだ。
「ベルナウ。今日から飛航試験の実務に入る。日中はこの部屋には戻らないので日が傾く頃までの間は他の作業をしなさい。必要なら呼び出すので待つことはない」
「はい。了解しました」
ベルナウはきびきびとした動作で果実を搾ったジュースの用意を終えると、一礼して退出する。
パウルなら余計なひと言でも口にしそうだと考えつつ、ジュースを飲み干して飛航服を着替えた。
滑走路の端に引き出され梯子を横付けされたK八六の操縦席には、作業服を着たクロストフ兄貴が収まっている。俺は梯子を上がり操縦席の中を覗き込みながら説明を受けていた。
「ヴィンスに説明を受けたようだが今までとは異なる部分の説明をして行く。先ずこのレバーは黒いほうはSA魔導噴進器の起動レバーで、赤いほうは浮遊用魔導器の起動レバーだ」
右側にある二本のレバーを順に掴みながら説明を加える。今までは双発のE型噴進器を使っていたので二本とも魔導噴進器用の起動レバーだったのだ。
「この飛航具は浮遊用の魔導器を積極的に使用する。離陸する時は速度調節レバーを操作する前に、魔導器を起動させ安定させておく。発進レール内の浮遊用魔導器と同じ頃合いだ」
兄貴は体を捻ると座席の左側にあるレバーを掴んで見せる。
「今まではこれが浮遊用魔導器の起動レバーだったのだが、K八六では主翼の下げ翼を操作するためのレバーとなる。二段階で動くので見ていなさい」
そう言うとレバーの握りの頭に付いているボタンらしき物を親指で押し込む。するとボタンは赤く光る。それを確認してからレバーを引き上げた。今までよりも浅い角度だ。そこで止まるのを見せてから大きく引き上げる。
「これで全開の状態だ。さっきの状態で二分の一。独立した魔導器で稼働しているので、魔導噴進器の状態とは無関係に作動させられるようになっている。このボタンが魔導器の状態確認ランプ兼用の起動ボタンだ。発進前に押し込んで起動させておくのだ」
俺は兄貴の指示で梯子を下りて主翼後端部の下げ翼のところへと移動した。
「これが二分の一の状態だ。発進離陸するときに使用する」
操縦席から怒鳴る声とともに、後端部分がぱくりと開いて下側が垂れ下がる。さほど大きくは開いていないが、正面から受けた大気を下向きへと偏向する効果はあるだろう。面白い仕掛けだった。
「次は全開の状態だ。着陸のときに使用する」
怒鳴り声とともに驚くべき変化が起こる。主翼の中から支持棒が伸びて下げ翼全体が後方へと迫り出し、角度を増して垂れ下がった。下げ翼と主翼の間に隙間が生まれて独立した翼のような状態へと変化する。効果は不明だが大気の流れは大きく変化するだろう。
「とても意欲的な仕掛けだな」
梯子の上に戻って声を掛ける。
「このての装置はヴィンスが嬉々として何種類も試作しているよ。全てを検証し切れていないのだ。余裕がないのは残念なことだ」
兄貴は無念さを滲ませた表情を見せている。やはり技術者であることには変わりないのだ。
「K八六は速度を落とすと不安定さを増す。墜ちやすくなるのだ。高速で飛ばすための設計だということを頭に入れておきなさい」
その言葉で離着陸の厄介な特性は伝わった。だが操縦席の速度調節レバーの溝は、三分の二くらいの位置に止め具が嵌め込まれている。SA魔導噴進器は全開出力を封印されているのだ。この状態は明らかに矛盾している。
「高速飛航具なのにSAの全開は禁止なのか?」
「別の問題が起こるのだ。激しい振動が起こる。原因は降着装置のソリによる抵抗だ。実際に飛ばしてみれば直ぐに理解できるさ」
兄貴は笑ってみせるが本心では残念なのだろう。技術者としては見通しをつけておきたかったはずだ。今後に繋がる飛航具だから。
「SAは最初の段から強力な推進力を発揮する設計をさせてある。今までとは異なる設定なので充分注意して速度調節レバーを動かしなさい。魔導器の制御方式はEC同様、各段の魔導器は一斉に稼働する方式だ。衝撃も大きいぞ」
「要撃部隊の飛航士には当たり前のことじゃないか」
クロストフ兄貴に笑顔を返すと説明を受ける作業は終了である。
K八六の操縦席へ収まると頭の中で新しい手順を組み立てながら操作して行く。先ずSA魔導噴進器の起動レバーを引く。そして下げ翼の魔導器の起動ボタンを押し込む。安定するのを待つ間に辺りを見回すと、ディアやヴィンス達が遠巻きに見守っているのが見えた。不安そうな表情を見せているディアに向かって手を振ってやる。SAが爆発でもしない限り何も問題は起きないだろう。
座席の左側のレバーを軽く引き上げて下げ翼を出しておく。さてここからが未知の体験だ。浮遊用魔導器の赤い起動レバーを引いて魔導器を動かす。操縦席に微かな音が鳴っているだけで何か感じるわけではない。操縦桿は中央に。左手を速度調節レバーにそっと載せる。操縦席全体が水滴のように縦長の透明な天蓋で完全に覆われているので、飛航士ひとり切りの隔離された空間だった。
左手をゆっくり押し込んで行くと直ぐに一段目が稼働する。体を座席に押し付けつつK八六は滑走路の上をみるみる加速して行く。呆れるほどの推進力だった。まだ一段目だというのに。そしてこのふわふわとした乗り心地は気持ち悪かった。がたがたと揺さぶられるのは慣れているが、水に浮かぶようにゆらりゆらりと揺れているのはとても居心地が悪い。魔導器の浮力は思いの外強力だった。
直ぐに滑走路の半ばを越えそうになったので慌てて左手を戻す。そのまま惰性で端まで滑って行く。これでは着陸するのは大変だ。
今日は地上滑走で飛航具の特性に慣れるだけなので整備士が輸送車で滑走路の両端に待機している。牽引してK八六の向きを変えてくれるのだ。俺は手を挙げて礼をすると再び左手を押し込む。今度は直ぐに二段目まで入れてみるが急加速に直ぐ戻す結果となった。
ディアはよくこんな特殊な飛航具を飛ばすことが出来たものだ。そう思った後で気がついた。彼女は今までの戦闘用飛航具を殆ど飛ばしていないのだ。これが普通の状態なのだと思って操作すれば、すんなり適応することが可能なのかも知れない。俺は今までの飛航具を飛ばし過ぎている。体が感覚を覚えてしまったのだと納得。
そのまま昼飯の時間になるまで何度も滑走を繰り返し、速度調節レバーの操作感を確認する。SA魔導噴進器は化け物じみた噴進器と言える出来だった。
昼飯はクロストフ兄貴とヴィオリア姉貴には遠慮して貰いディアと二人切りで士官食堂へ行く。
ディアはくりくりとつぶらな瞳を動かしながら物問いたげな様子で俺のことを見ている。
「何か気になるのか?」
「ううん、違う……違います」
慌てて否定するが、直ぐに手が止まってしまう。
「当てようか?」
「えっ、ええっ?」
彼女は眉尻を下げて泣きそうな顔をする。それほど気になることなら話題にすればいいのだ。
「SAの感触だろう」
「何で分かるんですか?」
顔を赤くして問うのだけれど、顔に書いてあるとしか言いようがなかった。
「別に食事中に魔導噴進器の話題を出してはいけないという決まりはない。そわそわするくらいなら話題にしてしまえばいいんだ」
ディアは俺の言葉に口を尖らせて拗ねたような表情をしている。遠慮しているということは簡単に想像がついた。
「試験中なのだから話題になるのは自然なことだ。気を遣う必要はないんだよ。ディアのしたい話をしてくれ。俺達は夫婦なんだ」
彼女は再び顔を赤くして俯いてしまうが許してやらない。
「何でも語り合える二人でいたいんだ。そうしてしっかり手を繋ぎながらディアに支えて貰いたい。俺を支える存在になってほしい」
ディアはますます赤くなるが、しばらくして無言のまま頷いた。
「……ヴォルはずるいひとです。わたくしが困ってしまうことなどご存知でしょうに。困らせて楽しんでいるのでしょう?」
泣きそうな表情で口を尖らせて上目遣いに俺を見ている。
「可愛い妻を困らせて楽しむ夫はいけないのか。ディアの困り顔も可愛らしくて好きなんだけどな。少し残念な決め事だと思うぞ?」
ディアは盛大なしかめっつらでそれに応えた。
あまり虐め続けるのも可哀相なので話を本題へと戻してやる。
「SAの出足の加速は驚くほどの大きさだな。単発で賄うという理由だけではないんだろうね。魔導器の数を変えてあるんだろう?」
「はい。今までは段数が進むほど魔導器の数も多くしていたのですけど、SAは最初から動かす数が多いのです。要求されている出力が桁違いなので大変なのです」
SAの話をしている彼女の表情は生き生きとして楽しそうだ。やはり技術者としてのディアは欠くべからざる個性なのだろう。
熱心な説明を聞いていると親父さんの言葉が思い出される。ただ段数を増やしても噴進器の出力の効率は悪くなるばかりだという。おまけに今までのD型やE型での段数で魔導器の数を変える工夫も変更されている。ヴィオリア姉貴の意図が判らないことには高速域の試験はできそうにない。今回は高速域を捨てた試験なので考えても仕方ないが、将来の魔導噴進器にはどんな工夫をするのだろう。
今の俺はディアが生き生きとした様子なのを嬉しく感じている。いつもそうであってほしい。俺のそばで元気そうに笑っていてほしいと願っていた。支えて貰いたいというのは嘘偽りない本音だ。
「きちんと聞いていますか?」
「ああ。聞いてるとも」
彼女は再び口を尖らせて不満を表明してみせる。そんな仕草すら試験が順調な証拠のように感じてしまう。K八六の飛航試験は上々の滑り出しと言えよう。その先にどれほど困難な状況が待ち構えていようとも、ディアと二人で乗り越えるのだ。きっと大丈夫。必ず上手く行く。たとえ彼女の目の前で墜落しなければならない定めであっても、俺は死なずにやり遂げることが出来ると信じている。




