51.マーレリアの傷跡
夜になれば亡霊型精霊が嬉々としてパーティでも始めそうな廃虚。
その朽ちかけた金属製の階段で、リィンは汚れるのも厭わずぐったりと溶けていた。
「…ぎ、ぎぼぢわ"る"ぃ…」
「グゥルル…」
「ピュルゥ…」
「ニュルニャ…」
そんな彼女と彼女を宥めるソキウス達を余所に、サイカスは地図の映し出された多機能型通信魔具を空に浮かべたまま首を傾げる。
「ぅーーーーーん??何でッスかね?」
あの後、軽い夕食を済ませてホテルに帰ったリィンは、オセアールの街歩き中でソキウス達と離れていた時間を埋めるように、わちゃわちゃと戯れ、買ったばかりのブラシで満足いくまでブラッシングをし、お団子状態で眠りに就いて…と幸せな時間を過ごした。
だが、そんな彼女を本日早朝、日の出前に叩き起こしたのがサイカスである。
この時ばかりはリィンにも殺意というものが湧いた。
ホテルの受付も窘めてくれていたが、"長引かせたらマズイって言ったのアンタッスよ"と正論で殴られ、泣く泣く支度をしたものである。
で、今に至るわけだ。
ベルセルから送られた地図を確認しながらサイカスが風乗板型魔具のボードを呼び出した瞬間から、リィンの悲劇は決まっていた。
「…よし!次はここに行ってみるッスよ!」
「サイカスさぁん…ちょっと…一回冷静に…考えましょう…」
「もー、根性が足りないッスねぇ…うわ至れり尽くせりじゃねッスか…」
ソキウスに甲斐甲斐しく抱っこされ、シャルの氷の魔法でおでこを冷やされ、ウィズのモフモフと香草の香りで心を落ち着かせていたリィンは口を尖らせる。
至れり尽くせりで何が悪い、我病人ぞの構えだ。いや、正しくは病人ではなくただの乗り物酔いだが。
「ぅぷ…あのですね、朝からノンストップにサイカスさんの勘が外れて、もうこれ六回目ですよ?」
「いやぁ、オレも不思議ッス…こんなに外すの初めてッスもん」
「だから、勘じゃなくてちゃんと考えましょう…」
そう、リィンがサイカスのとんでもない運転で連れ回されること六回。六ヶ所目。
もう出すものもない。
どこの廃虚から回ってみるかという話になった時、サイカスの勘を頼りにするという流れになったのは、これまでの魔法じみた直感を鑑みて自然なものであった。
だが、それが現在全て空振りに終わっているのだ。
これではただの廃虚巡りである。
「プワ?」
「グチョ」
「ベチャベチャ?」
「あ、ごめんね毒液型精霊。ここはキミ達の縄張り?」
「プワワ!」
「グゥル」
「ピュイピィ?」
「ニャパス!」
「プワプー?」
「ベチャ…」
「グチョグチョ」
「うーん…サイカスさん、この子達曰くこのあたりに変わった事はないそうです」
「ある意味オレより凄い特技を披露するのやめてもらえるッスか??」
リィンは何言ってんだこの人という目でサイカスを見ながら、プワゾンスライム達に迷惑料代わりのおやつを配った。
サイカスはヒクリと口の端を震わせ、次の運転はもっと大胆にしてやると決める。
「そーやって反抗的な目をしてると、悪いドラゴンに食べられちゃうッスよ」
「…?そう言えば、マーレリアに来てからちょくちょく聞きますけど…なんですかそれ?」
「30年前街を襲ったおっかないドラゴンになぞらえた脅し文句ッスね」
「街を襲ったって…」
「あの湾とかを作った張本人ッス」
ヒドゥントピアの老婆の言葉を思い出す。
確かに、オセアールの湾は魔獣や精霊の魔法に抉られて出来たと聞いてはいたが…改めて聞くと重石を飲み込んだような心地がした。
心なしかリュックも重い。
「…というか、えっ、30年前の話なんですか!?」
「そうッスよ。オレってば当時五歳で…家で頭抱えてガッタガタに震えてたッス」
だとすれば、30年であの大都市に至るまで復興させたのだろうか。
フィオーレ自治区やスチームンド自治区でも思っていた事だが、技術力があるからこそのリカバリーが凄まじい。
「それで、勘じゃなく考えるって…何か案はあるんスか?」
「えっと…それは…」
「無いならサクッと次の場所に…」
「待って待って待ってください!」
終わりの見えない乗り物酔いなど御免である。
リィンは目の前にあったウィズの羽毛に顔を埋め、スマホのバイブのような唸り声を上げた。
(ウィズ…香草小鳥型魔獣…あ、待って、そう言えば…!)
脳裏に光が弾け、リィンはすぐさま多機能型通信魔具を取り出す。
そして、マップを開いてサイカスを呼んだ。
「はいはいなんスか我が儘ちゃん」
「ベルセルさんにもらった地図だと、ここに何かありますか!?」
「へ?あ、あぁ…工場跡地があるッスけど…」
「ある、んですか?」
「自分で聞いといてその反応は謎ッスけど…どうしたんスかいきなり」
リィンの指が置かれた位置は、少し前…林からの去り際に電離鳶型魔獣がつついた場所である。
つまり、ここには行くなと彼が教えてくれた場所。
(蝕化魔力に汚染されたヘルバアウィス達と、刀傷だらけだった群れ…その原因がきっとここにある。だから警告してくれたんだろうけど…ここは、私達の目的と繋がっているかもしれない!)
「サイカスさん、ここに行ってみませんか」
「いきなりッスね…オッケーって言いたいんスけど…」
「えっと、何か問題が…?」
「確かここって、海蝕洞窟帯のどっかを抜けなきゃ辿り着かないんス。道を見つけるの、楽じゃないッスよ?だから後回しでも…」
「海蝕洞窟帯…シャル、何か知ってる?」
「ニュルニャ…」
「なら…お婆ちゃんが何か知ってるかも」
「おーい?」
酔いも何とか治まって来たところでリィンは立ち上がり、サイカスの緩い服をむんずと掴んだ。
「行きましょう!」
「どこに!?」
…
まさかこんな場所があるとは。
ヒドゥントピアを見たサイカスに浮かんだのは、シンプルな感嘆である。
またしてもグロッキーになりながら海蝕洞窟帯へ連れてこられたリィンは、貝殻拾いをして遊んでいた光蝶型精霊をこれ幸いと頼り、サイカスと共に再びヒドゥントピアに連れてきてもらったのだ。
正直リィンは、ちょっとあやふやな記憶と花の香りを辿ろうとしていたので、ルミエピヨンには感謝しかない。
「凄いッスねここ…魔獣や精霊がこんな近くにいる村なんて」
「ピュルッピィ?」
「グゥルルール?」
「サイカスさん、本当にここの事知らなかったんですね…」
「知らないッスよ!いくらギルドマスターでも、隠されてる村なんて知りようがないんスから」
直感も膜一枚隔てたように鈍い気がするというのだから、隠れ里というのも伊達じゃないらしい。
魔道具の結界…ではなく、精霊達が力を合わせて魔法を重ねがけしているのだろう。
当然ながら後者のほうが強力だ。
「それで?アンタはここで何がしたいんス?説明くらいして欲しいんスけど」
「えっと、ここの人に工場について聞いてみようかと…海蝕洞窟帯に住んでる方々ですから、何か知ってるかなって」
「ニャポ!」
「あー、成る程ッス」
「あらあら、聞き覚えのある声がすると思ったけれど…」
リィンは花籠をもってゆっくり歩いてくる老婆に、パッと表情を明るくして駆け寄った。
花畑に負けない純真な笑顔に、老婆の皺も優しく深まる。
「こんにちは、お婆ちゃん!すみません、またお騒がせしちゃって」
「うふふ、かまわないわ。ところで、そちらは?」
「オレはオセアールギルドのギルドマスター、サイカスッス」
「ギルドマスター…そう、あなたが」
老婆はまじまじとサイカスを見つめ、胸元のある一点を見て目を細めると、それを隠すように瞳を伏せた。
「それで、今日はどうしたのかしら?」
「実は聞きたいことがあって…お婆ちゃん、海蝕洞窟帯から廃工場に行く道を知りませんか?」
「工場…?私では分からないけれど…そうねぇ、詳しい人に心当たりがあるわ。村に居るはずだから聞いてあげるわね」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
「うっそ…本当ッスか?アンタ、とんでもなく引きが強いッスね」
サイカスの言葉に、リィンは曖昧なから笑いを返す。
確かに引きは強いかもしれない…良くも悪くも。
「でも、どうしてそんな事を?」
「実は今、海に変異藻型精霊って精霊がいて…その出どころを…」
「キスティスですって!?」
「っ!?」
「へぇ…?」
キスティスの名前を出した途端、老婆の顔つきが変わった。
穏やかな顔が一瞬にして恐怖と怒りに塗り変わるさまに、リィンは思わず怯んで後ずさる。
逆にサイカスは目を剣呑に細めて前に出た。
「ご老人、アンタ何か知ってるんスか?」
「えぇ、それはもう。…家に入りましょうか。こんな話、外でするものではないわ」
狼狽した様子の老婆に連れられ、リィンは再び彼女の家に上がる。
相変わらず優しい暖炉型魔具の炎が揺れているが、家主の心持ちのせいかどこか不安定にも見えた。
「ソキウス、皆も、少し休んでいてね」
「グゥルル!」
「ニャパス」
「ピュルイ」
それはそれとして、ソキウス達は暖炉が気に入ったのか、リィンが声をかけると我先にと場所取りを始める。
可愛い相棒と友人達に癒され、リィンは老婆とサイカスの座るテーブルについた。
「単刀直入に聞くッスけど、アンタはキスティスの事を知ってるんスね?オレですらまともに知らなかったのに」
「えぇ…当然、知っているわ。忘れたくても忘れられないもの」
「あの、えっと…ごめんなさい。何があったのか聞いても、いいですか?」
「うふふ、優しい子ね。大丈夫よ。いえ、むしろ…」
老婆の白く濁った目がジッとサイカスを見る。そしてリィンと、何故か壁に寄せたリュックを順に見て、ゆっくりと頷いた。
「あなた達には知ってもらうべきなのでしょう」
「私達が知るべき…?」
「勿体振らないで話して欲しいんスけど」
「そうね、なら言うけれど…キスティスは30年前、港を破壊した張本人…最悪の精霊よ」
「え?でも、サイカスさんはさっき…」
「そんなはずないッス!だって、港を壊したのはおっかないドラゴンッスよね?あんな小さな精霊じゃ…」
「…それは、誰に聞いたのかしら?それとも、見た?」
「や、オレは当事者ではあるッスけど…あの日は押し入れに隠れてたんで…でも、街の皆が言ってたんスよ!?こんな大きなドラゴンが、みーんな壊していったんだって!だから…」
「違うわ…違うのよ、坊や」
老婆はあまりにも悲しい顔で首を振る。リィンは白衣をきゅっと縋るように握りながら、次の言葉を待った。
「聞いてちょうだい。そしてどうか、知ってちょうだい」
…
それは、マーレリアの業の話。
「そうねぇ、折角だから昔話から始めましょう。はるか昔、マーレリアの始まりはね、神話の御神木が根を下ろした海辺に集った人々の、小さな集落だったの」
「海辺…?木があったのは街の中ほどじゃ…」
「ああ、あの港って埋立地なんスよ」
サイカス曰く、昔のマーレリアの海岸線は今とはまるで違っていたらしい。
例えば、今ある湾と欠けた櫛のような部分は位置はそのまま直線的な半島であり、今の市場から工場地帯はリィンの見た御神木の跡地近くまで海が食い込んだ巨大な湾になっていたそうだ。
位置関係を整理し、リィンは改めて老婆の話に向き合った。
今の扱いはどうあれ、やはりこの自治区でも始まりは御神木…純白孔雀型大精霊の残した木であったのだと老婆は紡ぐ。
その昔、海辺にそびえる波に似た大木の麓に人々は集落を作り、暮らし始めた。
潮風が強すぎて作物は育ちにくかったが、その代わり海には溢れんばかりの恵みがあったという。
肉付きもよく良質な脂と魔力の詰まった魚に、ミネラルたっぷりの岩塩、野菜の代わりに海藻だってあった。
清らかな魔力と栄養豊富な食べ物は病を退け、人々は逞しくあったという。
「ただ、当時は道具も何もなかったから…塩と海藻は兎も角、魚を捕るのは簡単ではなかったみたいだけれどね」
「魔道具どころか、古典的な網や釣り竿もないッスからね。潜って掴み取りがせいぜいじゃないッスか?」
「それは…効率が悪いですね」
「えぇ。それでも、当時の人々は飢えを知らず、たくさんの魚を得ることが出来ていたの。どうしてかわかる?」
老婆の目がリィンを見る。道具も何もなくたくさんの魚を得る方法…そんなの、リィンに思い付くのはただ一つだ。
「…魔法生物?」
「うふふ、その通りよ。昔のマーレリアはね、人と魔獣と精霊が仲良く海の恵みを分け合い、助け合っていたの」
穏やかで豊かな湾は生き物達にとっても過ごしやすかったのだろう。
小型の鯨型魔獣を始め、海亀型精霊や海豚型魔獣が集落付近に訪れては、魚を恵んでくれていたという。
「家賃とか、入場料みたいなものだったのかな…」
「言いたいことは分かるッスけど、言葉のチョイスがちょっと嫌ッスね…」
「うふふ、そうかもしれないし、ただの世話好きだったのかもしれないわ。どうであれ、当時の生活は友好的な魔法生物達に支えられていたの」
やがて人口が増え、一部の者が海と潮風から離れて作物を育てるようになってからは、陸の恵みである果物や野菜と海の恵みである魚を交換し合うようになっていったそうだ。
次第に輪は広がって、海の生き物達だけでなく陸や空の生き物達もこれに加わった。
そうして湾の付近で暮らす魔法生物達もまたどんどん増え、人々の生活を魔法生物が魔法で支え、魔法生物の生活を人々の知恵が支える…そんな、共存共栄を絵に描いた楽園がそこにはあったという。
「今のマーレリアから考えると信じられないッスね…」
「素敵な時代だったんですね」
「そうね。私もそう思うわ。舟ができるより前は、バラエーナやメルトルテに乗って海に出ていたそうよ?」
「うわ、それは憧れるッス!」
人と魔獣と精霊が恵みを分かち合い、同じ世界を生きる景色。契約など無くとも、正しく隣人として在った時代。
故郷であるラントリイと似たような、けれどきっとそれよりもっと純粋なものだっただろう世界を思い描いただけでリィンの胸は弾み、ときめいた。だって、きっと美しかったに違いない。
しかし、蜜月は長くは続かなかった。
「人が魔法生物を傷付けたのか、魔法生物が人を傷付けたのか…どちらが先だったのかは分からないわ。けれど、互いはいつしか傷付け合うようになったの」
それは人間が本格的に道具を扱うようになってから起こった変化だったという。
戯れに釣り竿の糸を引いた精霊が人を海に落としたとか。
人の仕掛けた網に魔獣が掛かって傷付いたとか。
人の持つ武器に驚いた幼獣や幼霊が襲いかかったとか。
「距離が近過ぎたが故の弊害って感じッスね」
「そんな…」
そんな事が積み重なって、両者の関係に軋みが出来始めた頃、別の問題が重なった。
「平和の代償、とは言いたくないけれど…増えすぎてしまったのよ。人も、魔獣も、精霊もね。いつしか土地も食糧も足りなくなっていたの」
「やっぱり…ここでもそれは問題になるんですね」
「仕方ないッスよ。増えるだけなら際限ないッスけど、土地と資源は有限ッスから」
増え過ぎた両者と、近過ぎる関係。
サイカスではないが、リィンの直感が嫌な予感を囁いた。
その予感を裏切らず、最初の亀裂が走る。
「人と生き物達は気付いてしまった。共存出来ていた相手は同時に、競争相手でもあることに。そして、互いが…糧になり得ることに」
「っ…!」
「うーわ…いや、そりゃオレだって料理として出されたら食うッスけど…生々しいッスね」
これを期に、人と魔法生物達の距離は離れていった。どころか、互いを敵視し始めるようになったという。
内陸では土地を広げたい人間と縄張りを守りたい生き物達が諍いを起こし、海では海産物を巡って取る取られるの奪い合い。
「根が深いってのは知ってたッスけど、こんな昔からだったんスね」
「一時は楽園とまで言われたのに…悲しいですね」
「やっぱ、適度な距離感って必要なんスよ。オレの周りにも結構いたッスよ?ベッタベタに仲良しでラブラブだったのに結婚した途端喧嘩ばっかになって別れたとか、警察沙汰になった奴ら」
「昼ドラの話ししてます??」
しかし、そんな中でも歩み寄ろうとする努力が無かったわけじゃなかった。
「ある時、争いが激化する前にと…穏健派の人間達が精霊達に和平の交渉を申し出たの」
「へぇ…大した度胸ッスね」
「なんで私を見たんですか??」
「んで?和平ってのは成功したんスか?いや…今のマーレリアが答えみたいなもんッスけど」
「そうね…和平は、上手くいかなかったわ」
まず、和平の為に精霊は気に入ったとある人間の娘を欲したという。
けれどその娘には婚約者がいた。
しかし何とか争いを止めたかった人々はその条件を飲み、娘もまたこれで平和が訪れるならと泣く泣く婚約者と別れて精霊の元へ向かったのだ。
要は人身御供である。
「でもそれって…和平が成立してるんじゃ…」
「大方その後に婚約者が攻め込んだんじゃないッスか?」
「…真実はもっと残酷よ」
娘が精霊の元へ行って数カ月が過ぎた頃。娘の両親は精霊に娘との面会を望んだ。
しかし…その娘はガリガリな上に魔力に内臓を破壊された無残な死体になって帰ってきたのである。
「ひっ…!」
「うっわ…最悪ッス…」
「ただね、精霊は悲しげな様子だったと誰かが記録に残していたわ」
「…精霊は、望んで死をもたらす存在じゃ、ありませんから」
リィンは震える唇を引き結ぶ。実を言えば、ラントリイでも精霊に攫われた人間が"そう"なって発見される事件はままあった。だからこそ分かる。知っている。
きっと、その精霊は知らなかったのだ。
人間が自分達のように魔力だけでは生きられないことを。
精霊は知らなかった。
人間に過ぎた魔力は毒であると。
だからこそ、飢餓で弱った娘に魔力を分けようとして…トドメを刺してしまったのだろう。
「事実がどうであれ…その娘の婚約者と父親は怒り狂ったわ。そしてその精霊を無残に殺してしまったの」
「いやそれは、仕方ないッスよね…」
こうして和平の動きは完全に消え、争いは激化の一途を辿っていった。
やがて魔法生物からすっかり離れた人々は、その穴を埋めるように魔道具の発展にのめり込むようになったのだ。
船舶の開発を中心に、よりたくさんの水産資源を、作物を、魔法生物の魔法を頼るのではなく自分達の力で得られるような、そんな技術を。
「でも、それって…」
「まあ当然、溝は深まる一方ッスよね」
「ええ。多くの発展が魔法生物と衝突したと聞くわ」
例えば船型の魔道具。推進力の為に魔力で動くスクリューが取り付けられたのだが、そのスクリューに巻き込まれて酷い怪我を負う魔獣が後を絶たず、その仕返しか船をわざと転覆させる魔獣達も増えたという。
また、それの動力源たる魔力に引き寄せられた精霊も同じくズタズタにされる事が頻発し、腹いせに魔法で船を沖まで連れ去った挙げ句魔力を強奪して置き去りにする事案も多かったという。
当然、乗っていた人々は餓死か溺死か魔獣の餌だ。
強力な仕掛け網型の魔道具に絡め取られる精霊もいれば、目についた魔道具を尽く壊してまわる魔獣もいた。
収穫した作物から魔力を奪う精霊もいれば、人間がわざと作物に仕込んだ魔法薬で動けなくなる魔獣もいた。
「どうして…」
リィンはすっかり破れ消えた楽園の幻想に胸を痛める。
お互い生きるために必死だったのは分かる。
分かるが、それでもと思ってしまうのは…恵まれた今を生きる彼女の傲慢なのだろう。
そうして溝を深めながら発展が続いたある時、海の魔力が一気に弱まり、それに伴って水産資源の量が急激に減少する。
「急にって、潮の流れでも変わったッスか?」
「いいえ。発展に伴って増えたあるもののせいよ。…分かるかしら?」
リィンは顎に拳をあてて虚空に視線を投げた。発展と言われてもピンと来ないが、彼女には良い思考サンプルがある。
ちょっと失礼だが、ラントリイとカタルシアを比べてみればいいのだ。
(ラントリイに比べてカタルシアに多いものと言えば…人口、背の高い建物、凄い魔法工学技術、魔道具、工場…あ)
「工場、ですか?」
「あー、成る程。汚水による海洋汚染と魔力エネルギーの使いすぎによる黒属性過多ッスか」
老婆は静かに頷いた。
当時は気付いてすらいなかったが、際限なく垂れ流される汚水は豊かだった海から恵みを奪った。
また、エネルギーとして使われ過ぎた魔力は循環が間に合わない程に黒属性に染まり、恵みを助ける緑属性も海やそこに生きる全てに必要不可欠な青属性も減ってしまったのである。
それは、酸素の無い海に等しく、プランクトンのいない海に等しい。
そうして減少した資源は人々と魔法生物達…否、全ての生き物の生活を圧迫する。
特に、どんどん人口を増やしていた人間にとっては深刻だった。
この頃になると、海の幸は自分達の食糧のみならず収入源でもあったからだ。
最悪食糧は貿易をするようになったおかげで他所から手に入るだろうが、収入が無ければ貿易品だって買えやしない。
結果、人と魔法生物との資源争いは激化していく。
毎日のように互いの武器を向け、魔法を放ち、海に血を落としていたという。
その間にも環境を顧みない発展は続き、ついに海はかつての輝きを失ったのである。
「この辺りは聞いたことあるッス。海に廃棄さた魔法薬とか魔道具工場からの汚水とかが混ざり合った…所謂魔法性廃棄物のせいで船の腐蝕が凄くて、貿易船を出すことも迎える事もままならない状態だったみたいッスよ」
「じゃあ、魚とか、水産物は…」
「海がその状態ッスから…絶望的な量だったはずッス」
「それだけじゃないわ。海に生きる魔獣や精霊にとっては、食べ物のみならず住処すら奪われたようなものだったはずよ」
当然、生き物達は怒り狂ったことだろう。
そうして溜まり続けた感情は、ついに一つのきっかけで爆発することとなる。
「今から30年前、マーレリアすべてを覆い尽くすような黒雲から…"カタルシアの涙"が振り注いだの」
「ラクリモサ…また…?」
「…覚えてるッス。嫌な予感で頭痛くなった日の、あの雨の音。あの魔力。真っ暗な中聞こえた悲鳴と、この世の終わりみたいな揺れも…」
フィオーレでも、スチームンドでも悲劇の隣に在った黒属性の雨。
それがマーレリアでも降ったという。
(ラクリモサって、何なんだろう…?)
「その雨が汚染された海に触れた時、見たことの無い精霊が生まれ、またたく間に海を覆い尽くすほど大量発生したの…これがキスティスよ」
「"魔藻類が突然変異"…そういう事だったんだ」
「感心してる場合ッスか?ラクリモサから生まれた精霊とか、ゾッとするんスけど…」
キスティス達はすぐに暴れ出し、港を襲い始めた。それに便乗するように、海の魔法生物達もまた怒りを爆発させる。
海は嵐もかくやと大荒れし、陸地は魔法で抉れていき、多くの人々が犠牲となった。
リィンは思わず口を抑える。悲鳴どころか、胃からせり上がったものが出てきそうだ。
魔法生物達の怒りは当たり前だろう。
誰だって住処を壊されたら…許せるはずがない。それでも、この結末は悲しすぎる。
「特にキスティス…それが集合して出来た巨大な怪物がとにかく凶暴だったらしいわ。今ある湾を作ったのはその怪物よ。あれは、精霊とすら呼びたくないわ…」
「キスティスの集合体…どんな姿だったんですか?」
「そうね…あくまでも集合体だから決まった形があるわけでは無いみたいだったけれど、でも皆が言うには…海から上半身を出した人型の怪物のようだったみたい。…人を模すだなんて、皮肉よね」
「ドラゴンじゃ、ない…?」
「ええ。確かに顔つきはそれに似た恐ろしさがあったけれど…あれはドラゴンじゃないわ。あれが誇り高い竜種なもんですか」
サイカスの話では街を壊したのは恐ろしいドラゴンの姿をした精霊だったはずだ。
サイカスだけではない。マーレリアの人々は皆、"ドラゴンに食べられるぞ"と子供に言い聞かせるくらいにその姿を恐れている。
しかし、老婆の話ではどうだ?
(街を壊したのはキスティスを中心とした海の魔獣や精霊達…でも、人々に伝わった話では、街を壊したのは恐ろしいドラゴン…そもそも、"ドラゴン"はどこから来たの?)
と、眉を寄せるリィンに老婆は悲しそうに微笑んだ。
はっと俯きがちだった顔を上げると、彼女はまだ話は終わっていないのだとカサカサの唇を震わせる。
「魔道具を使おうが魔法薬を使おうが、人間の技術程度じゃ怒り狂った生き物達を退けることは出来なかった。万策尽きた人々に出来たのは…祈ることだけだったの」
「…神頼みッスか。こういう時だけ調子が良いッス」
「ええ、本当に。だけれどね、神は願いを聞いてくれたのよ」
「あの、その神ってまさか…プルガティウスですか?」
「きっと、ね」
人々は、魔法生物と仲違いしてからほとんど見向きをしなくなっていた御神木に助けを求めた。
すると、その木の根元から一体の精霊が現れる。原初の頃より木を守っていた愛らしい妖精の姿をした精霊だ。
その精霊は初めて木を離れ、港の生き物達と対峙した。その瞬間…
「可愛いらしい妖精の姿をしていた精霊は、恐ろしいドラゴンの姿へと形を変えたの」
「姿が変わる…!?す、凄い…!そんなの、真似模倣型精霊とか悪夢獏型魔獣とかが持つ…かなり特殊な性質ですよね!?しかも、妖精とドラゴンの姿だなんて…はわわわ…見てみたい…!」
「…ぇ?」
目を輝かせたリィンとは裏腹に、サイカスの顔色が真っ青になった。それに気付きつつ、老婆は続ける。
その精霊は凄まじい力でもってキスティスを止め、海の生き物達の怒りも受け止めて鎮めたそうだ。
そうして、港は守られたのである。
「けれどね、人々はすっかり人以外の存在を恐れてしまったのでしょう」
老婆の静かな声は、残酷な結末を告げた。
「恩ある精霊を悪者に仕立て上げ、無抵抗なその精霊を痛めつけ、追い出してしまうくらいに」
「…は?」
思わずベルセルのような低音がリィンの口から出る。
理解できなかった、というより、したくなかった。
一連の騒動で魔獣や精霊を畏れるのは仕方ないにせよ、それで恩を仇で返すのは違うだろう。
腹にグツリとマグマに似た怒りが溜まる。今なら火炎の魔法くらい撃てるかもしれない。
そんな冗談で平静を保とうとする彼女に、老婆は静かな目を向けた。懺悔する罪人のような目を。
「人は、強くないのよ。そうでもしないと…誰一人、立てなかったの…」
争いの末、凄まじい犠牲の跡地で人々が得たのは…勝利の喜びや安堵ではなかった。
喜ぶには犠牲が多過ぎる。
そもそも、結局自分達は…人間は、何も出来なかったのだ。
本気を出した魔法生物に手も足も出ないまま、無様に大精霊に乞い願い、事が解決したのは精霊の力があったから。
犠牲による喪失感と、突きつけられた無力感と、力を入れてきた技術が通用しない虚無感に支配された人々には、立ち上がるための理由が必要だった。
その理由こそが…でっち上げた悪者の討伐。
それを自分達が成したという…仮初の優越だ。
そうしないと明日を生きられなかった人間を、果たしてリィンは悪と呼べただろうか。そんな権利が、あるだろうか。
言葉なく白衣を縋るように握る彼女の隣で、サイカスは喘ぐように言葉を紡ぐ。
「…っ、ぁ…そ、んな…それ、が…そんな…ものが、オレらが教えられてきた…ドラゴン、なんスか…?」
「そう。これはマーレリアの人々が自らの業から目を背けるためにでっち上げた…醜い御伽噺なのよ」
御伽噺と聞いて、リィンは思わず本棚の方へ目を向ける。
前に読んだ"英雄と魔王"そのままではないか。
思い返せば老婆の語った30年前の争いは、あの物語そのままとも取れる。
「そして精霊は去り、それと同時に元々弱っていた木は砕けるように枯れたそうよ。後に残ったのは変わらず汚れた海と、壊れた街と、壊れた人と魔法生物の絆だけ」
その後街の復興に伴い、長く争いの原因になっていた湾は埋め立てられた。
そして、年月をかけて今のオセアールになったのだ。
パチッと暖炉型魔具の火が弾ける。
あまりにも後味が悪くて、口を開けない。
リィンはチラリとサイカスを見る。
「キスティス…そうだ…そう、だった…あれは父さん達が…ぁ、ぁぁ、なら…これは…っ」
いつも余裕そうだった顔は、迷子の子供のように雨の一歩手前で…いや、それだけじゃない。
何かに深く、絶望していた。
思わず彼女はサイカスの筋っぽい指を握る。そうしないと、深海の底に沈んでしまいそうに見えたから。
「…っ」
「サイカスさん、大丈夫ですか」
「ぁ…はは、いや…情けないッスね…目を背けてばっかりだったんだ、オレ…」
「そもそも頼もしいと思ってないので気にしないでください」
「手厳しいッスね…」
「私に頼もしいって思ってほしければ、ベルセルさんくらいになって出直してくださいよ」
サイカスは己を繋ぎ止めた暖かい手をジッと見つめる。小さいくて、苦労も知らない、柔らかくて甘っちょろい子供の手。
でも、だからこそ聞いてみたくなった。
「アンタさ、例えばッスけど…家族が悪い事してたらどうするッス?」
「通報します」
「え"っ…よ、容赦ないッスね…」
「でも、その前に…うん。真正面から文句を言いますね!何馬鹿な事やってるの!って。で、間違ってるって叱ってやって、えいやっと叩きます!」
ソキウスを真似てシャドーボクシングの動きをするリィンに、叩くどころか殴ってるじゃんとサイカスは小さく吹き出す。
「私が思うに、それができるのが家族ですからね。特に、お父さんに文句を言うのは私の特権です!毎回毎回仕事ばっかりで、本当に酷いんですよ!?旅行をドタキャンされた時なんて、全力で暴れてやりましたね!僕の小さな魔獣ちゃん…ってからかってくるあっちのご要望通りに!ふんす!」
「それ、怖くないんスか?嫌われたらどうしよう、家族の仲に亀裂が入ったらどうしようって」
「そりゃ、怖いですけど…でも信じてますから」
「信じてる…?」
リィンはいっとう大切な宝物を自慢する顔で、その薄墨の中に満天の星空を煌めかせながらニンマリ笑って胸を張る。
「私が、お父さんを大好きだから怒ってるんだってことを…わかってくれると信じてますから!」
サイカスはこぼれ落ちそうな程目を見開き、チカチカと爆ぜる火花を幻視する。尊敬する先輩が、わざわざ彼女も連れて行くようにと念を押した理由が分かった気がした。
馬鹿ほど真っ直ぐで、これほど裏表のない純真で殴られたら…現実から逃げようとした己があまりにも恥ずかしく、惨めに見えるじゃないか。
「…そうッスか。そうッスね」
「そうですよ!」
ソキウス達はウトウトと暖炉で微睡み、老婆は二人を見て肩の荷を下ろすように深く安堵の息を吐く。
「お二人さん。もう遅いから泊まっていくといいわ。その…工場?へは明日案内をつけてあげる」
「え、わ、真っ暗!?いつの間に…!」
「なんか、申し訳ないッスね…」
「うふふ、かまわないわ。招いたのはこのオババですもの。それに、オババはこういう時間を楽しんでいるの」
「じゃあ、あの、お言葉に甘えて」
嵐の前の穏やかな夜が訪れようとしている。
「さて、今を生きるあの子達は向き合ったわ。貴方達は、どうするのかしらね」
老婆は扉越しに、家の外に投げかける。
聞こえた男女の微かな啜り泣きはきっと、幻聴ではない。
そして、リィンのリュックの外ポケットからもまた…泣くような魔力の揺らぎが波立っていた。




