緋色の紅葉 5
庭にある長椅子に並んで座り、楽しそうに話す親子の背を見ながら、蒼弥は屋敷を後にした。
(本当に良かった……それにしても)
藤崎親子はよく似ている。目鼻立ちが、というよりかは優しい雰囲気がよく似ていた。ふわっと咲きたての花のように微笑む親子の姿は、優雅でずっと見ていたくなる。
だが、母、奈津子の前ではころころと変わる和花の表情に、蒼弥は安堵と少しばかりの嫉みが渦巻いた。
(和花の実の母親に対して、こんな思いを抱くなんて……自分自身に呆れてしまいますね)
慌てて、煩わしい思いをもみ消す。
素直に感情を見せられるのは、相手を信頼している証拠。自分の母親だから当たり前なのかも知れないが、和花の全てを知っている奈津子に対し、羨ましい気持ちがどうしても出てきてしまう。
和花は、喜怒哀楽の喜や楽の感情はたくさん見せてくれるようになった。ぎこちなかった笑顔も無くなり、自然に、楽しかったら声を出して笑い、嬉しい時はやんわりと笑むことができるようになった。
だが、怒や哀の負の感情の時はどうだろうか。
きっとまだ蒼弥には出さないように遠慮しているのだろう。和花的には隠しているつもりだろうが、隠せていない。バレバレである。
だから、今回のようなことになってしまった。負の感情の捌け口がなく、溜め込んで心が疲れてしまう。
蒼弥の前でなら声を荒げて激怒しても良いし、嗚咽を漏らして泣いても良い。
どんな和花でも受け止める自信しかない。だから、本心を和花の言葉で教えて欲しい――
(早く私も、和花の負の感情を受け止められる人になれたら良いのですが……)
本音を心の中でぼやきながら、蒼弥はある所に向かった。
森の中にある古い書庫。
無人な書庫は、誰でも立ち入ることができる場所だが、古すぎるために人ひとりとして来た形跡がない。
ただ、一昔前この土地は、帝都の次に発展していた地であるから、古書や歴史書などが多く置かれている為、調べ物をしたい時にはもってこいな場所だった。
あの日、加納屋で和花の手のことを聞いてから、蒼弥は独自にひっそりと調べていた。
和花の「彩色の手」のことを。
もちろん、蒼弥も幼い時にその話は伝承話として聞いていたから知ってはいた。
しかし、御伽話のようなものだと認識していた為、実在すること、和花がその力を持つと知った時は正直とても驚いた。
だが、和花が描いた着物を目にした時の幸福感や彼女の絵の能力、レースの手袋を付けて手を隠していること、全てを繋ぎ合わせたら、特段驚くことでもなかった。
不思議な力を宿していると聞いても、すんなり受け入れられるほど、和花の仕立てる着物は、描く絵は魅力的だったのだ。
和花と暮らすようになってから、彼女は絵を描くことをしなくなった。爪の色が黒くなって描けなくなったと話していたが、それが戻る予兆もない。
和花もそのことが気になっているようで、手を見つめてはため息をついている姿を、幾度となく見ている。
悄然としたような、鬱々としたような真っ暗い色の表情で。
蒼弥も和花の描く絵が好きだったし、和花が望むならまた描いて欲しいと願ってもいる。
彼女の手から生み出される鮮やかな色が、見れなくなる未来は想像できない。
それに、和花が自分の持つ才能を諦めて欲しくないし、描けないことで苦しんでいる彼女を救いたかった。
これは、蒼弥の身勝手な思い。和花とこの手について腹を割って話したことはない。だからひっそりと調べていた。
何か有力な情報を手に入れ、彼女を救えるように。
(彩色の手についての書物……)
古びた室内は、カビのような古臭い匂いがこもっている。木の棚や床は所々壊れているところもあった。
足を進める度に、ギシギシと歪み、不協和音が鳴る床を注意しながら、そろりと進んでいく。
(そう簡単に見つかるはずがありませんね……)
目を皿のようにして、隅々を見るが、それに関する書物は見当たらず、蒼弥は渋々と引き返すのだった。
◇◇◇
再会した親子は、会えていなかった時を埋めるように、二人で話をしていた。
とは言っても、和花が一方的に話し、奈津子はにこやかに聞いているだけだが。
九条家での豊かな生活のこと、由紀とカナとのこと、蒼弥とのこと……
奈津子の相槌が心地良く、ついつい話し過ぎてしまう。
陽光が二人を照らす午後。
秋の庭には、鮮やかな青色のりんどう、ふわりと良い匂いを広げる黄色の金木犀、豪華で迫力のある天竺牡丹。色鮮やかな花々が、咲き乱れていた。
「お母さまから、昔教えていただいた大福も作って食べて頂いたの。皆さんとても喜んで下さって、私とても嬉しかったわ」
「そう、良かったわね」
「誰かのためにお料理するって、とても嬉しいことなのね」
蒼弥を思い浮かべる和花の顔は、うっとりしている。
恋する乙女のような娘の顔に、奈津子は顔を緩めた。
「和花は本当に九条さんのことが好きなのね」
「……」
(うっ……ど、どうして……)
奈津子の的確な物言いに、和花は狼狽えた。そんなに分かりやすく顔に出ていただろうか?蒼弥のことを思い浮かべただけで頬が緩み、だらしなく笑う自分を想像しただけで、顔どころか全身が赤らんだ。
それを隠すように両手で頬を押さえてみたが、あまり効果はないだろう。
やはり、母に隠しごとは通用しない。心の中で、一人彷徨う和花を見て、奈津子はおかしそうに笑った。
「恥ずかしがることないわ。人を愛するって素敵なことよ」
「あ、あ……あい……」
愛とか好きとか、そんな素敵な言葉を恥ずかし気なく平然と言う母に頭が下がる。
和花だって、人に対してそのような気持ちを持ち合わせてはいるが、恥ずかしさが勝り、口に出せたものじゃない。
「ふふ。その様子じゃまだまだお子様ね」
「お、お母さま〜」
少女のようにおどけて笑う奈津子に対し、いじいじと口を尖らせてみたが、その行動は、奈津子の笑いを加速させるに過ぎなかった。
「ふふふっ」
しかし、和花のとんがっていた口元は、すぐに笑みに変わった。
久しぶりの奈津子との冗談混じりなやりとりに心が和んでいく。
二人はしばらく、くすくすと笑い合った。
「ふふ、ごめんね。和花が幸せそうで、つい嬉しくて……これからもっともっと幸せになるのよ。蒼弥さんと」
奈津子の言葉に、和花の動きがぴたりと止まった。
「……幸せ……そうね……なれるといいな」
晴々とした顔から一変、霧がかった困惑した顔になった和花は、目を伏せた。
「和花?」
これまで流暢に話していた和花が俯いたことに気付いた奈津子は、彼女の顔を覗き込んだ。
「何かあったの?」
膝の上に置かれた両手に力が入った。
こんなこと、母が聞いたらどう思うだろうか?
今まで誰にも言えなかった不安が勢いよく込み上げてきた。和花は躊躇いながら口を開く。
「私は、蒼弥さんの……隣に立てる人ではないのよ……だから、幸せには……なれない」
「どうしてそう思うの?」
元々穏やかな奈津子の口調が、泣いている子どもに問いかけるようにさらに柔くなった。
「だって、彼は高い位を持ち、学もある。優しいし周りからの信頼もある、とても素敵な人よ。……だから、彼にはもっと見合う人がいるのではと思ってしまうの。私は優れた才もないし、周囲の人と話すこともそこまで得意ではないし……」
「……」
母は何も答えない。沈黙が続く。
「……蒼弥さんの仕事場の宮廷に一度だけ行ったことがあってね。そこで、生きる世界が違うと気づいてしまったの。あの時の周りの目が……とても怖かった……あなたは場違いだと嘲笑われているようで、身が凍るような思いだったわ」
さくらの冷たい目、ひそひそ話す男性陣の声を思い出しただけでも身震いする。
「だから、離れることも考えたわ……でも、でもね、そばにいたいと思ってしまう自分がいるの。――なのに、どうしても、自分に自信が持てない。彼の隣に立ちたいのに、怖くて踏み出せない自分が――悔しくて、情けないの」
ぎゅっと目を瞑る。身体は強張り、固くなる。
自分の気持ちを改めて言葉にして並べてみると、色々な感情が溢れ出し、和花を飲み込んでいった。
恐怖、悲しさ、苦しさ、蒼弥に対しての愛おしさ、そしてほんの少しの悔しさ――
溢れ出して止まらない気持ちは、混ざり合い、心の中に水溜りを作っていった。




