緋色の紅葉 4
車は、帝都とはまた違う賑わいをみせる街を通り過ぎていく。
秋桜畑から離れ、定食屋で遅めの昼食を済ませた二人を乗せた車は、今日最後の目的地に向かっていた。
「蒼弥さん、どこに行くのですか?」
行き先を伝えてないせいか、隣に座る和花は不安気な表情をしていた。
「辿り着けばすぐに分かりますよ」
「そろそろ教えて下さい!」
「ふふ、もう少しお待ち下さい」
「むぅ……」
頬を膨らませる和花もやはり可愛いらしい。
最近は和花のどんな表情を見ても、愛おしいと思ってしまうのだから、重症だと自覚があった。
半年前の自分からは想像もできないほど、今の自分は穏やかな顔をしているだろう。
仕事に追われ、仕事のことしか考えていなかった脳内は、いつからか和花のことでいっぱいになっていた。それほど自分の中で、彼女の存在が大きいのだろう。
行き先を曖昧にはぐらかしながら、車内からの眺望を楽しんだ。
午後の日差しが降り注ぐ。温かい光に瞼が落ちかけた。温かい、静かな、心が和らぐ時間。
すると突然、右肩が重くなった。
すぐ近くで、すうすうと音が聞こえる。
音の方に顔を動かすと、蒼弥の肩に寄り掛かって眠る和花がいた。可愛い寝息が響く。
(久しぶりの外出で疲れてしまったんですね)
愛おしい寝顔にふっ、と笑いが込み上げた。
肩の重みが心地良く、温かい。
久しぶりに会った今朝の和花はどこかぎこちなく、どうなることやらと思った旅行も、時間が解決してくれ、彼女に少しずつ笑みが戻り始めていた。
だが、まだ肝心な彼女の核心には未だ迫れていない。何が彼女を苦しめているのか、本人の口から聞かないと意味がない。さっきも秋桜畑で蒼弥の考えを伝えてはみたが、上辺だけの言葉を並べているとつくづく自分でも思う。
(焦っても仕方がない。まだ旅は長いのだから。焦らずゆっくりと……)
電車の中やさっきの秋桜畑、和花の本心を聞く機会は作ろうと思えば作れたはずだ。和花の不安を早く取り除いた方が互いにとっても良いことは理解している。むしろ、蒼弥としては早く解決したかった。
でも、簡単な、軽い悩みじゃないからこそ、ずかずかと土足で上がり込んではいけないと自分を律して堪えた。
だから、焦らず、時間をかけて互いの心の内を明かし合い、理解し合いたい。
愛おしい、手放したくない、大切な存在。
救わなくては。守らなくては。改めて自分に言い聞かせた。
(喜んでくれると良いのですが……)
蒼弥は、この後に起こる出来事に思いを馳せながら、さらりと和花の目にかかる前髪に触れた。
街を過ぎ、緩やかな山を登っていく。山を登って四半時後、やっと目的地に到着した。あれから和花はずっと寝たままだった。きっと寝不足が続いていたのだろう。少しの揺れでは、起きる気配がなかった。
「和花、着きましたよ。和花?」
せっかく気持ち良さそうに寝ている和花を起こすのは申し訳ない気もしたが、起こさない訳にもいけない。
肩を叩きながら声をかけると、「……ん」と小さな声が漏れた。
「目的地に着いたので起きてください」
ゆっくりと開かれた目と目が合う。
「おはようございます、和花」
寝起きで状況が分かっていない和花に微笑んで挨拶をすると、彼女は目をニ、三回瞬かせた後、目を見開いて飛び起きた。
「え、あ、お、おはよう……ございます……」
ぽっ、と顔全体が赤くなる姿がとても可愛らしい。可愛らしいが故に、からかいたくなってしまう。
「ぐっすり眠れましたか?……まぁ、寝言を言っていたということは深く寝ていたのでしょうね」
「ね、寝言……?え……?」
蒼弥が告げた一言に、信じられない、と言わんばかりに慌てふためく和花。赤い頬を両手で覆う姿に思わず吹き出した。
「ふふっ、嘘ですよ、嘘。寝言なんて言ってません」
「ちょっと蒼弥さん……!ひ、ひどいです……!」
「すみません。和花があまりにも可愛くて」
「可愛くない……です!」
「まあまあ、落ち着いて。さぁ、おりましょう」
顔を赤くしながら怒られても、全く怖くない。蒼弥はぶつぶつ呟く和花の手を取り、車から降ろした。
自然豊かな、田舎のようなこの土地には似合わない大きな屋敷。
洋風な白い建物は二階建てで、大きな窓がいくつも付いてた。
子どもの頃は家族で年一回はここに来ていたが、仕事を始めるとそうもいかなくて、訪れるのは本当に久しぶりだった。
以前来たときよりも、心なしか綺麗になっている気がした。
雑草が伸び切っていた庭は、綺麗に手入れされ、花が植えられている。
(やはり、あの方にここをお任せして正解だった)
一人感心する横で、和花が戸惑う。
「ここはどこでしょうか?」
「ここは……九条家の別荘にあたるところです」
「べっそう……?」
和花はぽかんとした。
「九条家が持つ二つ目の家といったところでしょうか?ここは帝都よりも夏の日中の気温が低いので、暑さを凌ぐために訪れる所なんです。幼い頃は、夏になるとこちらに移動し、ここで過ごしていました」
「まぁ……!すごい……!別荘だなんて、初めて聞きました」
「避暑地としては好都合な場所なんです」
「とても素敵な所ですね。あら?ここってどなたかが住んでいらっしゃるのですか?」
和花は上を見上げ、二階のバルコニーを指差した。バルコニーには洗濯物が干され、風に揺らいでいる。
「あぁ、今はですね――」
「和花?」
背後から聞こえてきた、落ち着きのある女性の声。
声が聞こえた途端、和花は手に持っていた巾着を地面に落とした。いや、落としたというよりかは、力が抜けた手から滑り落ちた。
「……え?」
信じられないとでも言いたげな表情。目は大きく見開き、微動だにしない。まるで、息が詰まってしまっているようだった。
「和花?」
再度呼び掛けられると、壊れかけた機械のようにぎこちなく身体を反転させた。
今日はこの方に会うためにここに来たのだ。最初からこれが目的で。
彼女の気持ちが少しでも良いように変わりますように。そう願いながら、蒼弥も声の主に身体を反転させた。
周りの音が聞こえない。
周りが見えない。
ただ一点に五感が集中する。
聞き馴染みのある高い柔らかな声。風にのって鼻に届く花のような甘い香り。美しい、上品な佇まい。
どうしてここにいるのだろう……
ずっと会いたくて、会いたくてたまらなかった人。
直接会って話したいこと、聞きたいことがたくさんあった人。
その人が今目の前にいる。
――やっと会えた。
「和花」
そう自分の名前を呼んで、優しく微笑む姿は少し前のことを思い出させた。
最後に会ったのは病室のベット上。まだ少し顔色が悪かった彼女はもうどこにもいない。
昔よく着ていた柚葉色の松竹梅の着物を身に纏った姿はやはり美しい。
和花が幼かった時の、父が亡くなる前の華やかな笑顔がそこにはあった。
徐々に視界がぼやけていく。身体に力が入らず、言葉を話そうにも口が動かない。
ただただ涙が頬を伝っていく。
「和花、おかえりなさい」
その声を聞いた途端、和花は無意識に駆け出していた。
「おかあさまっ……」
子どものように母の胸に飛び込む。母は優しく受け止めてくれた。細い腕が、しっかりと和花を包む。
変わらない安心する匂いとぬくもりに触れた和花は泣きじゃくった。
「おかあさまっ……おかあさまっ……」
伝えたいことはたくさんあったはずなのに、いざ、母を目の前にすると何も出てこなかった。
「和花、会えてよかった……」
耳元から聞こえてくる母の声も潤んでいた。後頭部に手が回り、やんわりと撫でられる。
「和花、色々ごめんなさいね……会えて本当に嬉しいわ……」
「謝らないでお母さま……!わたしも会えて嬉しいです……!」
(あぁ、本当に……お母様だわ)
加納忠信から危害を加えられそうになっていた母は蒼弥に助けられ、地方で暮らしていると耳にしていたが、まさかこの地で、今日再会できるとは夢にも思わなかった。
電話や葉書で近況報告を行い、連絡を取り合っていたが、正直、直接会うまでは、不安に思っていたことも事実。
和花が加納家からの婚約を破棄をされ、自由の身になった為か、地方の空気が母の身体に合った為かは分からないが、体調はすこぶる良さそうだ。その安心感も、和花の心の中で複雑に絡み合っていた糸が解ける理由には十分すぎた。
二人はしばらく抱き合い、お互いの体温を確かめ合った。
親子の久々の再会を、蒼弥は穏やかに見守っていた。
和花と母の笑顔や涙が混ざり、美しい、確かな色がそこには浮かび上がっていた。




