緋色の紅葉 3
「ここから少し歩きますよ」
電車から降り立ったのは、のどかな所だった。
高い建物は遠くにしか見当たらず、駅周辺には、野原のような所が広がり、小さな喫茶店や土産屋がこじんまりとあるだけだった。
改札を出ると、二人はのどかな田舎道を歩く。
人の往来もなく、風に吹かれて揺れる木の葉の音が大きく聞こえるほど静かな場所。
(空気が、とっても綺麗)
自然豊かなここはとても空気が澄んでいた。
和花は深呼吸を繰り返し、新鮮な空気をたくさん吸い込む。喉の奥に、胸に入ってくる空気はとても美味しい。心なしか、心も軽くなった。
しばらく歩くと、道は細くなり、木々が生い茂る薄暗い所に出た。
蒼弥に手を引かれながら、ひたすら着いていく。
「あの……一体どこへ……?」
段々と暗く,細くなる道に不安を覚える。
道端には、大きめの石がごろごろと落ちていたり、大樹の根っこが盛り上がっていたりし、なかなか足場が悪い。
「もう着きますよ。もう少しだけ頑張ってください」
蒼弥に限って、変な所には連れて行くことはないと思うが、あまりにも不安定な道に、心配が膨らんでいく。
蒼弥は、躓きそうになる和花を庇いながら、どんどんどんどん進んでいった。
不安という名の風船が、破裂しそうなまで膨らみ、爆発しそうになった時、蒼弥の足がぴたりと止まった。
「到着です。ここを見せたかったのです」
「……え?」
息を整え、背の高い蒼弥の背後から顔を覗かせた。
暗い木々の道の先に見えた、開けた明るい世界。
和花は目の前の景色に息をのんだ。目を見開き、口元に手を当てる。
「わぁ……!」
蒼弥に連れられて辿り着いた先には、秋風に揺れる秋桜畑が広がっていた。
どこまでもどこまで続く、終わりが見えない花畑。
辺り一面に咲いているのは、白や淡い紫、桃色の秋桜。
空の青、葉の緑、花々の鮮やかな色が程よく混ざり合い、見ている人の心を癒していく。
風が吹くたびに柔らかに揺れる花たちは、まるでここへ来た和花たちを歓迎しているようだった。
「とても……綺麗……」
思わず口に出すと、蒼弥は隣で頷いた。
「この辺りは自然が豊かで、こうやって四季折々の花がたくさん見られるんです。今の時期は秋桜ですね」
「素敵なところ……ですね」
どこまでも続く花畑に和花の目と心は奪われていた。自然と口角が上がる。
「ここの美しい景色を、和花に見せたかったのです」
「私に……?」
会話を続けながらも、二人の視線は秋桜に向いたままだった。
「……今の、文官長という立場になりたての頃、私はよくここに来ていました」
初めて聞く蒼弥の過去の話。和花は秋桜を見たまま、耳をしっかり傾けた。
「そうだったんですね……」
「直接的に言われた訳ではありませんが、信頼の厚かった父からその立場を譲り受け、若い息子に何ができるのだと、周りからの重圧に押し潰されそうになりました。その時の人々の目は冷たく、背筋が凍りそうだったことを今でも思い出します。その時にこの自然豊かな場所を見つけたのです」
遠い目をした蒼弥はしゃがみ込み、目の前の秋桜にそっと触れた。白い大きな手に淡い紫色が映える。
和花はその横顔をじっと見つめることしかできなかった。なんて言葉を返したら良いのか分からない。
今でさえ、大変な仕事に苦労している姿を見ているから、文官長になりたての頃の大変さは比にならないだろう。
大変でしたね、頑張ったんですね、口先だけの慰めはいくらでも言える。しかし、頑張っている人に軽く同調できなかった。
言葉はとても難しい。何気ない放った言葉で、簡単に他人を傷つけられるのだから。和花はそれをよく知っている。
「……」
「広大な自然の中に身を置くと、不思議と不安が吸い取られていくようでした。美しいものに触れていると、自分にとっての美しい物、美しい考え、美しい思いとはどんなものか考えさせられます」
「……蒼弥さんも、不安に思ったり、周りの目が怖くなったりすることがあるのですね」
気が付けば、少し開いた口からはそんな言葉が落ちていた。そんな和花の声を聞き、蒼弥はふっ、と小さく笑った。
「人の目や言葉ほど怖いものはないですからね」
意外だった。
地位も知識も美貌も何もかも持ち合わせている蒼弥は、いつも凛として落ち着いている蒼弥は、周りの目を気にすることなどないと思っていた。
昔から心が強く、誰にも屈しない人だとばかり思っていた。
――でも、本当は違ったんだ。
彼も人知れず、傷付くことがあったんだ。
それでも、不安な気持ちを隠し、いつまでも落胆せずに自分の気持ちを切り替えて、また前を向いていた。
それなのに、それなのに……自分が恥ずかしい。
不安にずっと浸かり、誰かの言葉や力でしか前に進めない自分が。
今日、ここに来られたのも蒼弥とカナと由紀がいたからこそ。誰もいなかったらきっと今も部屋に閉じこもったままだったはず。
「……すぐに答えが出るわけじゃないですけど。でも、こういう場所で、自分の気持ちをいったん手放せると、少しだけ、心が楽になります。そしたらまた、前を向くことができるはずです」
秋風が二人の間を通り抜け、和花の髪を揺らす。
秋桜を愛でる蒼弥はとても美しかった。
(私も強くならなくては。自分で気持ちを変えられるように)
二人はしばらく、何も言わずに風景を眺めていた。
ここに咲く秋桜は、強風にも折れず、豪雨にも負けず、夏の暑さにも耐えたからこそ、今ここで華麗に咲き誇っている。ずっと穏やかな気候のまま育ってきたのではない。
苦難を乗り越えたからこそ、人の心を打つ花になれたのではないか――
それならば自分も。今目の前にある大きな壁を乗り越えれば、美しく咲くことができるかもしれない。
握られた手に力が入る。
(私も秋桜のように、しゃんと胸を張って生きたい……できるなら蒼弥さんの隣で……)
問題が解決したわけではないし、答えが出たわけでもない。不安が頭をちらつくが、それを振り払って目の前の景色を味わった。
柔らかな陽の光と癒しの秋桜が、和花の考えを少しずつ明るくするのだった。




