第三話 落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の男を殺すのだ 革命家 エルネスト・「チェ」・ゲバラ ③
そんな軽いノリだったにも関わらず、昨夜は緊張してあまり眠れなかった。こんなことであれば多少の免疫は付けておくべきだったのだ。この歳にして初めての異性との外出。
だって、しょうがないじゃない……。
高校までは厳格な両親の下、常に監視下に置かれ、航空学生になってからはただひたすらにファイターパイロットになることを目指してきた。デートの誘いは多かったが、ひと睨みすると大抵の男は離れていった。
だが、彼は違った。出会ってからひと月ちょっと、これだけあしらっているのにめげない男は初めてだ。もっともセクハラで訴えようとは思わない。
そう、満更でもない自分がいるのは認めざるを得なかった。上官としては指示も的確で文句なしの男。一度くらいなら彼のプライベートに触れておくのも悪くない、と思うのは言いわけじみているだろうか?
気がつけば無意識のうちにいつもより短めのスカートを履いてきてしまっている。相手はかつて航空自衛隊内にその名を轟かせた希代の女ったらし。
失敗したかな? などとあれこれ思いを巡らせていると、ポンと肩を叩かれた。
「よっ、おはよう」
「あ、お、おはよう……」
見慣れたパイロットスーツではなく、ファッション誌から抜け出してきたような洗練された出で立ち。これまでも彼の私服姿は目にしているが、彼が自分と会うために選んだ服装だと思うと急にドキドキしてくる。
「待ち合わせ十分前で俺より先に女の子がいるの、何か新鮮」
「十分前集合は当たり前でしょ?」
彼の言葉の意味が理解できず、首を傾げる。
「へへ、夕陽のそういうところが大好き」
「ちょっ、な、何をいきなり」
「ほい、行こうぜ」
すっと切符を差し出され、戸惑う。ツイカなら持っているのに。
「あ、ありがとう。払うよ」
「デートで女の子に金なんか出させるかよ。これ、門真家のポリシーね。覚えといて」
そういうとさりげなく手を取られ、夕陽は従うしかなかった。
土曜日の朝だが、横浜に向かう電車はそこそこ混んでいて、敏生は車両の端にスペースを見つけると、夕陽を他の乗客から庇うように位置取りした。手は繋いだまま、しかも近い。異性と手を繋いだことなんて小学校のキャンプファイヤー以来。真っ赤になった顔を悟られないよう俯く。
ねえねえ、あの人むちゃくちゃカッコよくない? 明らかに敏生に向けられた若い女性たちの話し声が聞こえてきて、少しムッとする。なぜだ? 分からない。
「えっと、今日の敏生、ずいぶんとお洒落だね……」
照れ隠しから、とって付けたような話題を振る。敏生は一瞬、キョトンとして夕陽を見たが、柔らかく微笑むとシャツの胸元を摘んだ。
「ん? これ、下はユニシロ、上はGUP。二尉の手取りなんて知れているから、その分着こなしでカバーだよ」
「そ、そうなの?」
「それより今日の夕陽、マジ可愛い」
「へ?」
「うん、いつにも増して」
彼の言葉に耳まで赤くなるのが自分でも分かる。いつもとの違いはナチュラルメイクを施していること。普段は飛行訓練で汗をびっしょりと掻くので化粧などしないが、基本的におしゃれ好きだ。
もっとも誰かのことを考えながら化粧をしたのは初めてのことで、違いをさらりと拾い上げて褒めてくれる彼に心が舞い上がる。
「しっかり掴まってないとあぶないよ」
彼の手がスッと背中に回り、軽い抱擁のような形になる。頭の中はもはや真っ白。あまりにも自然な彼の所作は撥ねつける隙すら与えてくれない。
そ、そうよ。混んでいるから、撥ねつけたら他のお客さんの迷惑になるし!
電車が揺れるたび、逞しい彼の胸が額に当たる。やがて背中にあった彼の手が頭に回ると、夕陽は促されるまま彼の胸に頭を預けた。頭の中で必死に言いわけを唱えながら。
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