第三話 落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の男を殺すのだ 革命家 エルネスト・「チェ」・ゲバラ ④
「わ~! すっご~い! 海きれ~い!」
やって来たのは八景島マリンパラダイス。爽やかな海風が心地よい。
「この間、初航海終えたばかりじゃん。それに夕陽、下関出身だろ?」
「こういうときに見る海はまた違うよ~」
「そんなもんかね」
優しく微笑む彼に思わずドキッとして、目を逸らす。
「敏生はよく来るの? ここ。その、海老名で一緒にいた子とか、おととい横浜で一緒にいた子とか……」
軽口を叩いたつもりなのに、胸がズキンと痛む。
「ん? あいつらとは来たことないよ。ただの割り切った友達って言ったじゃん? ここに来たのは高校生のときに当時の彼女と以来、かな」
彼女……それはそうだろう。平静を装い、彼を見上げる。
「……その彼女さんとはどうなったの?」
「振られたよ」
「え?」
「他に男ができたって。俺といると辛かったんだってさ、やっかみとか。なんだよ、それ? って感じだよな。それ以来ぶっちゃけ、女の子に深入りするのが怖くてさ」
敏生の予想外の返答内容に思わず動揺する。その時の失恋体験が手当たり次第、女性に手を出すことになった理由であろうことは想像に難くない。
あたし、もしかして地雷踏んだ? でも……
「だから俺、恋は本当に久しぶり。一目惚れなんて初めてだし」
一瞬曇った彼の顔が、またすぐにいつもの能天気な表情を取り戻す。その様子に一旦はホッと息をつくも、夕陽は繋いだ手に視線を落した。
「……ね。割り切りって、あたしやっぱり良く分からない。どんな子にも気持ちはあるんだから、敏生のやっていることは良くないと思う」
多分、どんなに敏生が予防線を張ったところで、彼女たちはきっと割り切りなんて思ってない。あの目を見れば分かる。
「ごめんね、何も知らないのに偉そうなこと言って。もちろん裏切られた敏生の気持ちも分かるけど、それと同じこと、敏生がやっちゃダメだよ」
驚いた表情で自分のことを見つめてくる敏生。
怒ったかな? でも気づいて欲しい。だってあのとき、パイロットとして目指すべきところを熱く語ってくれた彼こそが、本当の姿だと思うから。
「……ん、そうだね」
彼の顔が和らぐ。
「やっぱり俺、間違ってなかった。夕陽のこと好きになって」
心底嬉しそうな彼。〝好き〟という言葉に思わず胸が鳴る。そうだ、確かめなきゃ。
「……ねぇ」
「ん?」
「何であたしのこと好きになったの? よく知りもしないのに一目惚れとか」
前から聞いてみたかった疑問。選り取り見取りの彼が、よりによって何故、つっけんどんで魔女と揶揄される自分なのだろう?
「ああ、やっぱ見た目?」
「……あたし帰る」
怒って踵を返した夕陽の手首を、彼が咄嗟につかんだ。
「おっと、勘違いすんなよ。確かに夕陽は滅茶苦茶可愛いけど、こっちはモデル並みの美女なんて腐るほど相手にしてきたんだ」
馬鹿にされたと思いきや、いたって真面目な顔つきの彼と目が合う。確かにそうだ。容姿で落ちるような経験値の男ではない。
「夕陽、背は低いし見た目華奢だろ。そんな子がファイターパイロットで、しかも千歳のベストガイ。男の俺ですら大変な世界なのに、それこそ血の滲むような想いをしてきたんだろうな、って」
掴んだ夕陽の手首を見つめながら、愛おし気に話す彼。
「初対面で女の子に睨みつけられたのも初めてだったし、常に肩肘張って生きてきたんだろうなって。そう思うと無性に守ってやりたくなったというか」
出会って一瞬でそこまで思い至ったというのか? もっとも、彼のその言葉に取って付けたような様子は微塵も感じられない。おそらく、一瞬一瞬の状況判断を求められる戦闘機パイロットゆえの直感だったのかもしれない。
でも、あたしは……
「あたしは男の人に守って欲しいとは思わない。これまでも道は自分で切り開いてきたわ」
声を抑えて出来る限り冷たく言い放つ。
「それでいいんじゃない? 夕陽を守りたいのは俺の勝手だし。好きな子を守りたいと思うのは男なら当たり前の感情だよ。深く考える必要はない」
流されそうな夕陽としては精一杯の抵抗のつもりだったが、彼の方が何枚も上手だった。
「何も一足飛びに恋人関係なんて求めちゃいないさ。まずはエレメントを組む仲間として親交を深めようぜ」
そう言われてしまうと、これ以上抗う理由はない。
「……うん」
こくん、と小さく頷く。完全なる敗北。だが、悪い気はしない。再び胸がトクンと鳴る。
「ってことでまずはジンベエザメ! こっちこっち!」
少年のような笑顔を浮かべて夕陽の手を引く敏生。プライベートで続くか不安だった会話も途切れることなく、終始彼がリードしてくれる。彼と一緒にいると、自然と女の子になれる自分がいて、それもまた驚きだった。
うん、これが女ったらしのテクニックってやつよね、あぶないあぶない。
ハッと我に返っては一人、注意喚起を繰り返す。恋愛慣れしていない夕陽にとって、裏表のなさそうな彼の笑顔をどこまで信じてよいのかさっぱり分からなかったが、彼に近接相までパーソナルスペースを割られることへの不快感は全くなかった。
八景島で遊んだあとは少し足を延ばして、みなとみらいの夜景が見えるフレンチレストランで食事を共にし、戻って来たさがみ野の駅前では、名残惜しくなった夕陽から「お礼」を言い訳に軽く居酒屋へ誘った。彼はとても喜んでくれたのだが、ここでも彼がお会計を全額持とうとしたので、そこは全力で阻止したのだった。
それが今日の出来事。腕の中に抱き締めているのは、彼に買ってもらった大きな白イルカのぬいぐるみ。ベッドに座りながら、彼とのやり取りを一つ一つ丁寧になぞる。
一緒にいてとても楽しかったのは事実。結局、最後まで彼と繋ぎっぱなしだった右手をそっと撫でる。アパートの前まで送ってくれた彼におやすみなさい、と言うのは何だが少し淋しくて。でもそれがまた悔しくて。
「敏生のバーカ!」
夕陽はそう叫ぶと、白イルカのぬいぐるみを抱き締めたままゴロンとベッドに横たわり、余韻に浸るようにそっと目を瞑った。
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