悪女セラフィナ
――。
――――。
――――……。
俺の体は、華奢な体に抱きしめられていた。顔に生温かい水滴がいくつも落ちてきていた。
「……ル! アーヴェル! 目を覚まして! お願い……お願い、わたしを、ひとりにしないで……」
泣き虫のセラフィナが、また泣いてる声がした。目を開けると想像通り、ぐちゃぐちゃに泣いてる彼女がいる。
涙を拭ってやろうと手を伸ばそうとして、体がぴくりとも動かないことに気がついた。
周囲の状況を確認すると、護衛たちが死んでいた。ギャラリーも、シリウスも、皆が皆、血を流して死んでいた。生きているのは俺とセラフィナだけだった。
だが俺の体も血塗れだ。自分の流した血で汚れている。戦場でいつも嗅いでいた匂いだ。
空を飛ぶ大鴉を見つけ、あれはきっと、ショウに違いないと、ぼんやりと思った。
意識を失う前の光景が思い出された。セラフィナが見たこともないほど強烈な魔法を放ち、俺以外の奴らを全員殺してしまった。
長い間セラフィナは無魔法で無能だと思われていた。だが、その才能は奥深くに眠っていただけだったのかもしれない。いつから魔法が使えるようになったんだろうか。魔法使いは貴重だ。その人生は、国に捧げられることがほとんど義務付けられているようなものだ。だから秘密にしていたのだろうか。自分の人生を守るために俺にさえ黙っていたとは、とんだ悪女だな。
「大丈夫よアーヴェル。今、血を止めているから。治しているから、助かるわ……!」
セラフィナの手が俺の体に添えられて、魔法が体に流し込まれる。だが無駄だということは、俺が一番分かっていた。俺は死にかけていて、命は一方通行だ。
セラフィナのドレスも、俺の血で汚れていた。だけどそれは、彼女の美しさに少しも影響していなかった。
綺麗だ。本当に、お前は綺麗だ。
そう言おうとして、声さえ出ないことにやっと気がついた。
なあセラフィナ。お前を前にして、何度言いたいことを飲み込んだだろう。
妹なんて、思ったことは一度もないんだ。
そういや、結局言ったことがなかったな。
お前が好きだ。
お前を愛してる。
ようやく俺の罪が分かったよ。お前を、少しも分かろうとしなかったこと。お前を好きにならなかったこと。お前を愛さなかったことが俺の罪だったんだろう。セラフィナが言った罪が本当にそうだったかは知らないが、少なくとも俺にとってはそうだった。
だけど今は違う。何もかも、違うんだ。
愛してる。そう言おうとして俺の口から出たのは、声の代わりの大量の血だけだった。
セラフィナは、その美しい顔に絶望を浮かべた。
「夢じゃなかったんでしょう……?」
そう言うと、セラフィナはその手に、黒い光を集めはじめた。見覚えがある。俺を殺しに来た悪女セラフィナが放った魔法だった。
「この魔法は、自分には効果がなくて。だからきっと、過去のわたしもそうしたんだわ」
また前と同じようにセラフィナに殺されるんだろうか。ならそれでもいい。以前と異なるのは、憎悪ではなく愛の中で逝けるということだ。お前になら殺されてやってもいい。だがセラフィナは、違うことを言っているようだった。
「わたし、やり直したかった。人を陥れて快楽に浸る悪女じゃなくて、真っ当な人間として生きたかったの。だけど望みが叶った今でもまだ、少しも満足なんてできてない。だってあなたが死んだら意味ないの。
ねえ、また、やり直すのよ。そうしてまたあなたと出会って、何度だって、恋を、するんだわ。あなたは、今度こそわたしと一緒に幸せになるのよ」
悲痛の中でも愛情に満ちたセラフィナの声がした直後――俺の意識は彼方へと飛んだ。
◇◆◇
「アーヴェル。どうしたというのだ? 大人しく座っていることさえできないのか」
椅子から転げ落ちた俺を、軽蔑したように見るショウがいた。
親族連中が奇行を働いた俺を、訝しげに見つめている。
今まさに兄貴がセラフィナとの婚約を告げる場面に、俺はまた、戻ってきていた。
そうして、ようやく俺は理解した。
セラフィナが放った魔法は以前もさっきも、俺を殺した訳ではなかったことに。
俺のように並の魔法使いでは、使えるはずがない魔法。強力な魔力が必要で、机上の空論でしかない、その魔法を、セラフィナが使ったのだ。
人を、過去に戻す魔法を――。
周囲に死体の山はない。俺の体に傷もない。
幼いセラフィナが、今にも泣きそうな表情で俺を見ていた。
俺は確かに恋愛となると、からきし鈍感になるらしい。
床に座り込んだまま、俺は笑みを浮かべた。笑える。これは本当に笑える喜劇だ。
なあセラフィナ。何度これを繰り返すんだ?
おそらくは、お前が納得する未来になるまで続けるんだろう。やっぱり、お前はとんだ悪女だよ。全てはお前の手のひらの上で、お前が満足するまで俺をいたぶり続けるのか?
お前は人生が最良な形になるまでリセットし続けるつもりなのか? この俺を生贄にして。
してやられたよ、完敗だ。呆れ返るほど見事にしてやられたよ。
だけど別にいいさ。俺も退屈してたんだ。
「とことんお前に、付き合ってやるよ」
今のところは二戦二敗だ。だが次も、こうなるとは思うなよ。今度の勝者は絶対に俺だ。
じっと俺を見つめていた何も知らないセラフィナが、やがてぎこちなく微笑んだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
このお話で一区切りです。次から三回目のお話が始まります。
気に入っていただけた方がいたら、ブクマ、感想、評価などいただけると嬉しいです! とても励みになります。