城の中庭。たんぽぽの綿毛。
*
ソルシエールの興奮はすぐに落ち着いたらしい。
赤ずきんの希望で、二人は城の庭に抜け出した。中庭の空にぽっかりと青空が浮かんでいる。二人して、草の上に座り込んだ。
「ねえ、この記憶が出てくるの、止められないの?」
「体の反応しているってことは、それは君の一部の望みなんだ。それを封じ込めようとすると、どんな副作用があるか分からない。意識の部分の君は、止めたい?」
「……」
「止めたいなら、なんでもするよ」
肩を落としている。
ソルシエールが言うのなら、そうなのだろう。
ここでうん、と頷いたら、その身を滅ぼすような方法でも取りかねない。やめておいた方が無難だろう。
代わりに、尋ねることにした。
「ねえ、師匠。事件の全体像を教えて」
ソルシエールは口を結んで、浮かない顔をした。
「でも、……家でもできるよ。ケノンがいるけど」
ここに来て、なにを弱気になっているのだろう。
「だいじょうぶ」
めずらしく心元なさそうな眼差しで、ソルシエールが赤ずきんを見た。
赤ずきんは笑いかける。
「だいじょうぶだよ、師匠」
ソルシエールがいるのなら、どこでやっても大して変わりはないのだ。
「……」
「おれは、強いんでしょ?」
「うん。そうだよ」
それでも、あんまりにソルシエールの気が進まない様子だったので赤ずきんは別の角度から質問することにした。
「結局、その殺人事件の犯人ってだれだったの?」
「あの地域では、二つの事件が同時進行していた」
ソルシエールはあっさりと答えた。
議事録でも読むような調子だった。
「一つは、七つ目の怪物の目撃談がまつわる連続殺人事件。被害者に共通点はないのが特徴だった。それから、私たちがいた売春宿。あそこで働いていた人は騙されたり、誘拐されたりした被害者だった。管理している人間が二人いたの覚えている?」
「うん。支配人と管理人」
彼らはどうなったんだろう。
薄ぼんやりとした影のようになっていて、もう顔も思い出せない。
「あれは、姉弟だったんだ。彼らは宿内部にヒエラルキーを作りあげた。上位のものが下のものをコントロールする仕組みだったんだ。金を稼ぐものは上位、そうでないものは下位。それによって待遇も変わる。上位のものは監視も兼ねる。簡単な仕組みだね。だから、逃げ出すのも簡単じゃない」
赤ずきんは理解する。
だから、ガブリエルはあんなにみんなから称賛されていたのか。
特別扱いはそういう仕様だったのだ。
どこか退屈そうな無表情で、ソルシエールは続ける。
「問題は、下の人間の扱いが相当悪いってことだった。杜撰な管理だったから、人がどんどん死んだんだ。上の方に行っても、死ぬなんてザラにあったみたいだ。だから、宿の方で起きていたのは、連続殺人というより、傷害致死の方が多分近い」
ぷつん、と生えていたたんぽぽを摘んだ。
すでに綿毛になっているそれ。
「たまたま潜入して分かった事件だった。あそこの行政って本当に対応が遅くてさ、児童から窮状を訴えられた中央が、散々上から圧力かけてようやく動いて、彼らが逮捕された時は、宿にいたのはいく人かの女性で、ほとんど子供は残っていなかった」
じっと、それを眺めていたかと思うと、そっと息を吹きかける。
風に乗って綿毛がいっせいに流れていった。
いくつかは城の壁より高く舞い、見えない向こう側へとんでいく。
ソルシエールの目はじっと流れていく綿毛を見つめて、それから、残った茎を地面においた。
「摘発寸前、連続殺人の方に勝手に地域で殺人を犯されたせいで、売春宿の方は体制に目をつけられたらどうしてくれる、って怒り心頭だ。で、どうも売春宿となん人かの贔屓の客で、その殺人鬼と殺人鬼を操作した人間を始末しようとしたらしい。どうも、目撃者から当たりをつけたようだね。なんにんか無関係な人間を殺した後に、君の能力に目をつけた」
赤ずきんの胸がほんの少し、どきりとする。
ソルシエールの目がこちらを向いた。
当時の赤ずきんでもできたこと。
当時の赤ずきんが持っていたもの。
「君なら、匂いからコンダクターを見つけられると踏んだんだ。だから君は始末に送り込まれた」
そこで、すこん、と表情が抜けた。
「つまんない話だよね。結局、ただの抗争なんだ。そんなもののために君は利用された」
冷たい声だった。
怒っている。
「化け物って、なんだったの?」
ソルシエールが目を伏せる。
「大したものじゃなかかった。化け物はね、人から見られることに耐えられない生き物だったんだよ」
*
赤ずきんの一番古い記憶にある母親は痣だらけだった。
赤ずきんがなんとか慰めたくて駆け寄ると、泣きながら抱きしめて言うのだ。
『ずっと一緒にいてね』
実の父親の顔は覚えていない。
物心がつく前に出て行った。
それなのに、母親の泣き顔を覚えているのは不思議なことだった。
もしかしたら母親を殴っていたのは、本当の父親ですらなかったのかもしれない。
赤ずきんは母親と一緒に居られて、幸せだった。
だけど、新しい男ができて、その生活は変わった。『生まれなければよかったのに』といっそ言われた方がマシだったかもしれない。そんな言葉すらなかった。
ただ、母親と新しい男の間に子供が生まれ、赤ずきんは徐々に居場所を失くして行った。ある日、いつものように街でゴミ漁りをして家に帰ってみたら、中はもぬけの殻だった。赤ずきんは一人取り残されたのだった。
赤ずきんは気がついた。
なにかがおかしいような。
母親は、それでも赤ずきんに愛しているって言っていたような。たしかに愛された感覚があるのに。
それともその記憶は幸せだった頃のものなのかもしれない。
分からない。
なにかが、噛み合っていない。
当時、ソルシエールはどこかに抜け出して、夜明け前に帰ってくるという生活を繰り返していた。あの頃、ちっとも気が付かなかったし、変だとも思わなかったけども、仕事自体をしていなかったのじゃないだろうか。
それなのに、支配人に、なにも言われていなかった。
魔法でなにかしていたのかもしれない。
それにあそこにいた女性も、子供たちも、いつの間にか、ほとんど数を減らしていなくなっていた。本当のところはよく分からない。あそこにいた人たちとプエルはうっすら隔絶されていた。
ソルシエールは、話しかけても、手を繋いでも、嫌がらなかった。それにそばにいると、外の空気の匂いがした。だから、赤ずきんはソルシエールに話しかけた。
場所は、どこだろう。
眠っていた部屋だったかもしれないし、どうしてだろう、地下室の記憶もある。あそこで、二人はなにしていたのだったか。酒瓶の洗浄でも二人でしていたのかもしれない。
光のほとんど差さない、薄暗い場所だった。
ただ会話だけはよく思い出せる。
『ねえ、お姉さんの親ってどんな人?』
なんでそんな事を聞いたのかは分からない。
ソルシエールは首を傾げた。
『不器用な人たち』
『ええ?』
『父さんは料理をしない人だった。でも、ある日、思い立ったのか、焼き麺を作ってくれた』
『焼き麺?』
『麺をソテーする。出身地の料理なんだ。いや、ちがうのかな? 分からない。で、おいしいだろう、って何回も自慢げに聞いてきたけど、正直、焦げていた。不器用だね。でも、なんかおいしかったな』
いいなあ。
プエルはそう思った。
『…………君は?』
ソルシエールが聞いた。
『母さんはお酒が好きで、僕はあんまり、いい子じゃなかったんだ』
なんとなく。
もしかしたら。
自分の話を聞いて欲しかったのかもしれない。
そう気がついた時には、言葉が滑り出していた。
『でも優しい人だった。ほんとは、僕のことが少しは、好きだったかもしれない。それに、誕生日ケーキの飾りつけにいつも一生懸命だった。妹とか弟とかがすごく喜んでいた。僕はケーキがあんまり好きじゃないから、食べなかったけど』
あまり見ないふりをしながら、見ていた。
チョコレートケーキの上の粉砂糖。
中に入った香ばしいナッツ。
プエルの母親が作る定番のケーキだった。あんなに貧しかったのに。部屋中、チョコレートの匂いで満ちていた。
『へえ。ケーキのデコレーションは結構、むずかしい』
『うん、そうだよね。食べないで、悪いことしちゃったな。ケーキ、好きじゃないから。ほんとうだよ』
少しの間、ソルシエールが考え込む。
『君が保護されることに同意したら、死ぬほどおいしいケーキ、食べさせてあげるよ。きっと大好きになって、ほっぺたが落ちる』
『またそれ?』
プエルはくすくす笑う。
『そうだった。甘いもので釣るのはやめたんだった』
ソルシエールがしまった、という顔をした。それから困りきったように言った。
『でも、君がうん、って言うだけで、私は随分動きやすくなる』
『はいはい』
『今はちょっと動きにくい。制約に拘束されている』
『そうなんだ』
『聞いてる?』
『聞いてるよ』
『聞き流してない?』
『してない』
『ひどい。真剣なのに』
応えることはできなかった。
でも、こんな軽いやり取りができることが嬉しかった。
『みんな、どっかに行っちゃったけど、その前の日、お母さんが頭を撫でてくれたんだ。だから、やっぱり僕のことが好きだったんだよ』
空っぽの家。
弟が忘れていった犬のぬいぐるみ。床に落ちていた。
それを拾って、プエルは自分のものにした。抱きしめて顔を埋めると、ふわふわの毛がプエルの顔をくすぐって、ほんのすこし家族の匂いがした。
『……ふうん。ねえ、私は魔法使いなんだ』
『前にも聞いたよ』
ソルシエールは変な大人だった。魔法使いがなにか、プエルはよく知らなかったけど、本人がこれはマジックじゃない、魔法だ、と胸を張るので覚えていた。
伺うようにソルシエールが言った。
『魔法使いは記憶のコレクションができる。その記憶、ちょうだい?』
おかしな冗談に思わず笑った。
『ごめんね、でも母さんが俺にくれたものだから。あげる事はできないんだ』
ソルシエールがもごもごと口を曲げる。
『そっか。君にとって大切なものなんだね。じゃあいいや』
『そうなのかなあ。ていうか、記憶なんて取り外せないでしょ』
それに対する返事は、実に軽いものだった。軽く肩をすくめる。
『そうかもね?』




