学院
そよそよとそよぐ風は初夏の匂いがして気持ちいい。いつものハーフアップにした髪の毛を抑え馬車亭から校門までの距離を歩いた。
「ご機嫌よう。アイリーン様。」
「アイリーン様、おはようございます。」
声をかけてきたのはエレーナ・レーヴェ侯爵令嬢とソフィア・シトロフ伯爵令嬢だ。
「おはようございます。エレーナ様、ソフィア様。」
「昨日は…災難でしたわね。あの方って何も分かっていらっしゃらないのですね。」
「まあ、平民の方ですもの。仕方がないとは言え、特別科に来るのはどうかと思いますけど…。」
2人は昨日のピンク頭突撃事件のことを思い浮かべて言っているのだろう。
「そうですわね。それについては私も思い悩んでいたところです。ですが、これ以上押しかけられては皆様にもご迷惑がかかるというもの。早急に対策致しますわ。」
「アイリーン様は本当に頼もしいですわ!お美しい上に聡明でいらっしゃる。これほど殿下にふさわしい方はいないというのに、あの方の発言は私を含めアイリーン様をお慕いしている方は全員不快に思っておりますもの。」
エレーナの発言にギョッとした。私を慕う…?何だそれ。初耳だ。
「またアイリーン様のファンが増えますね!」
ソフィアの発言にもこれまた驚愕した。ファン…だと…?
学院に入学してまだ2ヶ月。2人ともこの学院に入学してから知り合った。というか殆どの生徒が初めましてだ。15歳でデビュタントして以降、夜会や茶会は行っているもののなぜか私は友達と呼べるものは家の侍女くらいしかいなかった。
それ以外で初めて出来た友達はこの2人だ。
他の生徒とはそんなに親しく話した覚えもなかった。
「え、ええ。皆様の学院生活を守るためにも適切な処置を致しますわ。」
さっきの2人の発言は些か謎だったがスルーして会話を続けた。
◇
放課後になり、生徒会室に向かう。
その途中、見知った後ろ姿を視界に捉えた。真っ赤な髪の毛を後ろに結んだ人物は私に気付くとこちらに近づいてきた。
「やあ。アイリーン嬢。これから生徒会室に行くのかな?」
「ご機嫌よう。カミル殿下。ええ、そうですわ。カミル殿下はどちらに?」
「僕も生徒会室に行こうと思ってたんだ。兄上に用事があるからね。」
カミル・ゾンネ・リントヴルム殿下。彼は私の婚約者、ユージーン殿下の弟君だ。王家特有の赤髪をしている。
「それにしても、彼女には困ったことだね。僕も何度か話しかけられたことがあるんだけど…。」
彼女、とはピンク頭のことだろう。カミル殿下は乙女ゲーム『星の瞬き』の攻略対象者、しかもメインヒーローだったのだから。彼女が接触してくることも肯ける。
「兄上のことばかり聞いてくるんだ。」
彼はいよいよ困った顔をしていた。ヒロインは攻略対象者ではなく本気でユージーンを墜としたいのだろう。気持ちは、わからなくもない。私もゲームプレイしてた時はなんでユージーン攻略出来ないんだって嘆いたもんな。赤髪赤目とか私のモロタイプの外見。チラッとしか出てこないのにめちゃくちゃ好きな声優さんだった。
今なら攻略できなかった理由が嫌でも分かる。
ゲームでは分からなかった真実が私の左手に刻まれているからだ。
「まあ。それは、災難でしたね。」
「君もね。この間、絡まれてるところ見てたよ。彼女は何故あのような行動が出来るんだろうね。」
見てたんなら助けろよ。心の中で悪態を吐くがこの男には無理だろう。未だ婚約者の居ないカミル殿下はいつもニコニコして優しく、その茶色の瞳は柔らかな雰囲気がある。それが女子に人気なのだが、表立って厄介ごとには突っ込まないところは腹黒さが見える。
「彼女はこちら側の事情など知りもしないでしょうから。厚顔無恥とは恐ろしいことですわ。」
「まあ、ね。彼女は平民だから兄上と君の婚約がどういうものか知らないんだろうな。だからと言って僕に突撃してくるのも勘弁して欲しいけど。」
この男もまた、私に彼女をどうにかしてほしいのだ。直接的には言わないが、言葉の端々から感じ取れる。
胃がキリキリする。今すぐ帰ってサンドバッグ殴り倒したい。
コンコンとノックして入った部屋は生徒会室だ。
中にはクソ眼鏡と表情筋の死んだ婚約者がいた。彼らは生徒会長と副会長だ。他にも生徒会員はいるが今日は会合日ではないので部屋には2人しか居なかった。
「ん?アイリーン嬢と…カミル殿下ですか…。」
「ああ、僕は兄上に話がありまして。ここにくる途中で彼女に会ったので一緒に来たのです。」
眼鏡をクイっとあげたクソ眼鏡ことエルンストは私とカミル殿下が一緒に入ってきたことを訝しげに見ていた。仕草一つ一つがクソムカつく。
こんな奴が何故モテるのか疑問に思う。顔は良いけど、性格は最悪だ。私なら全力でご遠慮願いたい。
ゲームでも人気キャラだったが私は好きになれなかった。全クリする為に一回クリアしただけでしかもシナリオは殆どスキップした。
「兄上、普通科のスピカ・ラーゼン嬢が僕に兄上の事を聞いてきましたよ。彼女、何か裏があるのかもしれません。少し周りを警戒した方が良いかと思います。」
「……お前のところにも来たのか。」
表情筋が死んでる彼は相変わらず無表情だ。声は困惑気味な雰囲気があったが表情が伴ってない。
「それについては、殿下。私に考えがあります。彼女は私に一任させて頂けないでしょうか。」
「ほお。アイリーン嬢は何か妙案があるのでしょうか?だったら是非とも教えていただきたい。」
エルンストの眼鏡がキラッと光った。キモイ。
私は殿下に話しかけたのであってクソ眼鏡には話しかけてはいない。
「…いや、彼女は何か企んでいるのかもしれん。アイリーンに危険に晒される可能性がある。」
「ユージーン殿下。心配してくださるのはとても嬉しく思います。ですが、私の強さはご存知でしょう?少しの危険など、そこらへんの塵のように振り払えます。」
「彼女もこう言っていますし、一度一任されては如何でしょう。まあ、私も彼女に任せるのが最善かと思います。」
何度も言うが、クソ眼鏡には話しかけていない。さりげに私が対処することが当然みたいなニュアンスをぶっ込んできた。
「……む。わかった。だが、ムリはするな。」
ユージーン優しいな。無表情で表情死んでるけど。
ああ、でも好みの顔に声!これで表情も活きいきしてたらなあ…とぼんやり思ってしまった。
「はい。分かっております。」
ユージーンの私好みの顔を眺めて小首を傾げニッコリ微笑んだ。
ん?殿下の視線が泳いでる?しかもちょっと顔が赤い。熱でもあるのか?無表情で顔赤いとかちょっとホラーだ。
「それで、な「ああ、内容はすぐに知れると思いますので、此処では申し上げません。ただ、皇宮に連れて行く、とだけ申し上げておきます。陛下と皇妃殿下には既に了承を得ておりますのでご心配には及びません。」……」
クソ眼鏡が内容を聞こうとしてきたのでかぶせてやった。不快に思ったんだろうか、眉間にシワが寄っている。
「私の用事は以上ですので、これで失礼致します。」
言うこと言ったのでクソ眼鏡がいるところに長居はしたくない。
別れの挨拶をし、生徒会室を出ようとした。
「アイリーン嬢、僕も帰るから校門まで送るよ。」
そう言ってカミル殿下が私の鞄をさり気なく奪った。紳士らしく鞄を持ってくれるということなのだろう。
「……っ!???」
何やらよろけている。そんなに私の鞄は重いだろうか?
「…アイリーン嬢の鞄には何が入っているんだい?」
「教科書と筆記用具ですが…?」
「……そう。」
入っているのは本当に教科書と筆記用具だ。だが鞄の素材には負荷が掛かるように50キロ程鉄板を仕込んでいる。私はそんなの片手で持てて当たり前なのでカミル殿下の質問の意図が分からなかった。
引きつった表情のカミル殿下と生徒会室を後にした。