18話 風神之鐘
「勘弁してくれよ、マジで。……なんでオレがこんな貧乏くじを」
「言うな、疾風の。貧乏くじは妾も同じじゃ。あの暗黒神も、だんだんと要請が無遠慮になりおる。――まあ、妾を奉じる国を護る程度は許容範囲じゃがの」
ムーンディア王国首都、月都セレスティアの南方、アルトリウス王国とファーラン王国との国境を接する国境線沿い。
そこで、前方、河川と湖の河口を差し挟み、六王神騎の四、『疾風騎』疾風の武王リュカとアゼリア王国およびムーンディア王国の守護神『月神』ツクヨミと、アルトリウス王国直属近衛兵団が対峙していた。
その、アルトリウス王国軍の最前列の白馬に乗る仮面の騎士は、間違いなく大陸最強の戦士にして最高練度の指揮官能力を有する『鷹眼王』フープ・アヴァロン・アルトリウスであり。
神々を相手取ってすら勝利を掴み、アルトリウス王国建国を成し遂げたアルトリウス王は半ば伝説の存在であり、かつてリュカ、ティース、タクミらと共に冒険した冒険者仲間であり。
――リュカの夫、クーリ公国大公タクミの兄、でもあるのだ。お互い国を代表する戦力であるとはいえ、やりにくさも倍増、というものである。
「しかも、っすね。アレ、『本物かどうか判別不能』なんすよ」
「……ほほう? 影武者の可能性が?」
リュカの怪しげな敬語の言葉に、口元を扇で隠したツクヨミが声を潜めて応じた。
――リュカが敬語になるのは、生者の神イザナギと死の女神イザナミの子の生まれた順を厳密に辿ると、タクミはヒルコの化身であり、ヒルコ(タクミ)、アハシマ、アマテラス(クシナダ)、ツクヨミ、スサノオ、以下眷属神となり、タクミ(ヒルコ)の妻であるリュカ(眷属外、ヒルコ以前から存在する古神タヂカラオの神器)は親族上、神格上どちらでもツクヨミの義姉となる。
が、ややこしいことながら、ツクヨミの弟である暴虐神スサノオ(末弟)をタクミ(長兄)が「精神的な兄貴!」と慕っているため、リュカもいろいろと面倒になり「神器(神の使徒)だから!」とぶん投げた結果の適当無条件敬語である。
なお、ツクヨミの方は細かく注意せず全スルーするタイプなので言葉遣いや態度を注意するような性格をしていない。
「策士で鳴らした指揮官っすからねえ?」
「影武者であるとして、何が目的かの?」
「んー、やっぱ、オレらをここに釘付け、とかっすかね?」
「……それはまたはた迷惑な方策じゃのう? 妾、早いとこ終わらせておやつを楽しみたいのじゃが」
「――ああ。クレティシュバンツ商会が月都セレスティアに新装開店してたっすねそういや」
……シンディが会長を務めるクレティシュバンツ商会はアゼリア王国内、クーリ公国内にチェーン展開する甘味処を商業展開しており、この戦争が始まる直前に月都セレスティアにも展開終了したばかりなのだった。
なぜか『神々でも食べられる清廉性を保った神の食物!』がキャッチコピーで、普段人界の穢れを嫌って殆ど飲食しない神々が胃袋を鷲づかみされる事例が後を絶たない。
「……のう。リュカや? あれはもしかして」
「野営準備中、っすね……。長期戦前提っすねアレ」
雑談中ながら、ずらりと数列に並んだ騎馬集団の遥か数キロ後ろでテントを立て始めた歩兵集団を目に止め、リュカとツクヨミが同時にため息を漏らす。
ムーンディア王国は小国で兵員に余裕がないため、この方面を守護するのは同盟国であるクーリ公国のリュカと、月神の神殿経由で信徒の嘆願を聞き入れたアゼリア王国内月神本殿から出張ってきたツクヨミ、の二神のみで兵員は居ない。
戦力差で言えば古神タヂカラオの神器であるリュカと、暴虐神スサノオの姉、光神アマテラスの妹である月神ツクヨミだけで数十万の兵団を滅ぼせるだけの戦力を保持しており、まともにぶつかればオーバーキル必至、なのだが。
『いつでも攻め込める状態を維持したまま、決して国境線は超えない』となると、リュカたちも手出しは出来ず、また攻め込める戦力がある以上そこから離脱することも不能で。
「敵に回すとマジめんどくせえな『鷹の目』フープ……」
アルトリウス王の過去のあだ名を呟きつつ、思い切り顔をしかめたリュカは前髪をかき上げながら、憮然とその場に神騎姿のままあぐらをかいて座り込んだ。
――――☆
『クルルー、フープ兄の方、どうなってる?』
『影武者立ててムーンディア王国南方に陣取ってるよっ。本隊は山越えで南からファーラン王国に侵攻ちゅっ』
『あー。それはほっといていいや。毎度毎度の周回ごとに全然違う矛先向けるからめっちゃきっついんだけど、今回は当たりかな』
『そうだねっ、今回はこっちの情勢に全然関係ないから集中できるねっ』
エイネールの郊外に陣取った六王神騎の一、『黒神騎』タクミと『白神騎』クルルの二神が、見た目の上では並んで微動だにしない状態ながら、お互いに念話で忙しく会話を続けている。
既に聖神軍団の主力は敵国ディルオーネ王国の都ロウズの東主戦場に移動しており、ここに全軍指揮官のタクミとクルルが取り残された状態だが。
タクミとクルルはそれぞれ『神工衛星』である静止軌道上を周回する静止衛星『神の眼』のアクセス権があるため、どこに居ても状況を把握可能、かつタクミの有り余る莫大な量の神力を用いた全軍念話ネットワークで全域通信可能、そもそもタクミらは世界全土どこでも瞬間移動可能、とあって物理的に離れた位置に居ることで何も不利益がないのだった。
『……そろそろ空から鐘の音が鳴る頃合い?』
『んー、言われてみればそうかもっ? ……あ、鳴ったね』
雲一つない晴天の上空を見上げれば、小さいながら細く真っ白な線が空を一直線に横断しようとしており、そちらの方角から、遠雷とも聞こえそうな重みのある爆発の如き音が地上に響き渡った。
『世界初の音速突破だなあ。あいつら、チャック・イェーガーになった自覚あんのかな』
『ないんじゃないかなあ? とりあえず、これでカグツチには気づかれたね』
チャック・イェーガーは地球で史上初の水平飛行中に音速を突破したアメリカ合衆国空軍所属の軍人である。
この世界では、恐らく高度記録も速度記録も、今まさに成層圏を飛行中のネルララフンとアメノイワフネの二機が独占更新中であろう。
『せっかくミツハくんが存在隠してくれてたのになあ? ……あれ、ミツハくん今どこだ?』
『なんでかニアちゃんに懐いちゃっていまファーラン王国に行ってる』
『……は? そんなこと今までの周回にあったっけ?』
『ないよ? 何のファクターが働いたのかは解んないけど、リターンポイントが分からないうちはやり直し出来ないから慎重に行きたいかなっ』
クルルの説明に、うげえ、と顔をしかめて舌を出したタクミは、顔全体を覆う兜の面を下げて軽く腕と肩を揺するように動かすと、神騎装備状態のままくるりと後方に振り返ってエイネールの街に戻る進路をゆっくり進み始めた。
『神殿のクラさんに説明して来る。いつまでもミツハくんが戻らないから心配してるかもだし。……あと、ついでに親方に挨拶』
『はーい。グロールさんの連絡待つ?』
『――うん、ぎりぎりまで待って。それ必要フラグ。あと、ネルララフンにハッキングかけて内部情報ログに記録しといて』
『らじゃっ、情報戦レクチャーしてないからたぶん情報ダダ漏れだと思うー。じゃ、後は予定通りねっ? それじゃ、行ってらっしゃーい』
エイネールはタクミと聖神軍団にとって大恩ある、聖神軍団の母体となった『暗く重き渦』傭兵団の先代団長が眠る墓があり、そのほか、前回の大戦で犠牲となった年少の子どもたちの墓地もクラオカミの神殿に合わせて葬られており。
ここは今回の大戦後はディルオーネ王国から割譲し水の守護神を祀る聖地として絶対中立区域にすることがタクミの中では決定しているのだった。
――――☆
「お退き下され、ミリアムさま!」
「……何故だ? 私は、私の母国にこうして里帰りした上で、誰にも邪魔にならぬ場所で剣の修練をしているだけなのだが」
「とぼけるのもいい加減にして貰いましょう、六王神騎の五、『双神騎』ミリアムさま! ドワーフ王国后として、母国ムーンディア王国を助太刀なさるのか!?」
国境に定められたディルオーネ王国中部都市のひとつ、フレンの南にあるフレン湖から流れ出る川に懸かる橋の中央部で、全身を蒼銀に包んだ神器装着状態のミリアムは、ディルオーネ王国のフレン駐留軍の指揮官に向かってゆったりとした動作でムーンディア王国に伝わる剣舞を繰り返しながら告げた。
「――とぼけているのは貴君らの方であろう? こちらは未だムーンディア王国領土である。私は母国ムーンディア王国より正式に神騎かつ神器として自由通行許可を受けている身、私がこの場で剣の修練をしていることは法に照らして何の違法性もないが。……だが」
ぴたり、と左手に持った王国に1,000年伝わるミスリルの宝剣、シャープエッジの剣先を指揮官に向け、ミリアムは兜面を上げたままで鋭く呟く。
「貴君らが協定を破り国境を超える、となれば、同盟協定に基づき私はここで貴君らを制止させなければならない。――ここは月神の信徒の国であり、この大陸で最も古き神国である。お忘れか?」
「では、その背後に居るアゼリア王国の魔道騎は何とする!? その新兵器を我ら相手に実験する腹積もりでそこに引き連れているのではないか?!」
激高した指揮官に問われ、ふう、とため息をついて、ミリアムは指揮官を指し示す宝剣とは逆の手に握られた、剣聖の神天羽々斬の神器の証、神剣アメノハバキリを、六メートル近い長大な長柄銃槍を持って直立不動で立ち尽くす二機の女王親衛隊の魔道騎へ向ける。
「この子たちは私の弟子で、剣舞を通して剣術を勉強させているところだ。……と言っても信じぬだろうな?」
「……!!!!」
言葉もなく思い切り片足を地面に踏みつけた指揮官の態度に、まあ私も信じて貰えるとは思っていなかった、などと続けたことで、指揮官の顔色がみるみる赤黒く染まるのを見やりつつ。
「――しかし、私も暇を持て余してここに来ているのではない。それを証明するために、ひとつだけ『人の身たる貴君に、剣神の名を賭けて約束』しよう。
……もし、アゼリア王国所属騎士団であるこの子たちが、『永世中立国』の国際法を破棄し要請なく貴国国境を犯した場合、剣神の使徒、剣聖ミリアムが阻止することを約束しよう」
「――侵略の意志なし、と約束出来ますかな!? 現に、ムーンディア王国はクーリ公国が領土内を通過することを許可し、結果、エイネールは失陥、ここより東の都市ロウズは防衛戦の最中でありますぞ!?」
「それは『人の世の政』に起因するものである。神たるこの身が口出しすべきものではない。
……しかし、我が父たる現ムーンディア王の名誉のために言うが、鉄道の敷設と建設は近隣全国家に性質を説明した上で、我が夫、ドワーフ王ムギリの名の元に行われた公正なものである。
ムギリを責めるのであれば、剣聖の名に賭けて貴君と一騎打ちを行って汚名を雪ごうと思うが?」
半ば脅しとも取れるミリアムの言葉に、そしてそのミスリルの鎧の全身から放たれる清廉な神気に気圧され、指揮官は我知らず後ずさった。
後ろに完全武装で控える駐留軍騎士たちの間からも、どよめきが沸き起こる。
――元々、鉄道は中立性を維持した単なる高速移動手段であり、鉄道線路敷設の打診はドワーフ王国から近在全国家に向けて行われたものであるが、その重要性を理解して許諾を出したのはアゼリア王国、クーリ公国、アルトリウス王国、ムーンディア王国と、ディルオーネ王国から実質的に独立し自治領状態にあったエイネールだけだったのだった。
既に大陸全土に1,000年前から存在する大陸公路という石畳の道路線があり、馬より遥かに高速かつ不眠不休で移動可能な新しい交通手段、という新技術に理解が及ばなかった国家が手出ししなかったための、軍事輸送速度の格差である。
「――私がここに在るのは、上位神の要請に依るものであるが、それを人の身の君たちに述べても理解出来まいな。……いや、あの『鐘の音』が聞こえただろう?」
言われて、その場の全員が空を振り仰げば、遥かな高みを絡み合うように真っ白な雲――地球で言うところの飛行機雲――が空を切り裂き、そちらから、まるで大きな鐘を叩いたかのような、またはどこかで雷が落ちたかのような爆音が鳴り響くのが聞こえた。
「――風神の鐘が鳴らされた。これより六王神騎全機が戦闘態勢に入る。人の子たる貴君らに告げる、神たる我らに敵対するならば、貴君らは神々の真の力を知ることになろう。
……個人的な忠告だが、君らの使命は人を護ることであろう?
であれば、このようなところで遊んでいる場合ではない。疾く、街に戻り人民を救うが良い。頼りにしている」
何事を言われたのか見当もつかなかったものの、兜の面を下げ顔を隠し、全身から強い薄青光を放ち周辺を蒼に染め始めた『双神騎』ミリアムの様子に怯えるように下がった指揮官は、部下の一人に命令を下し街の様子を確かめるように告げた。




