幕間11 期待
「嫁の期待がね、重いんですじゃ……」
と、赤ら顔で切り出したムギリの表情は虚ろかつ焦点の定まらない、酔っ払い特有の酔い方でありながらも、発言は酔いを感じさせない普段の調子と変わらないものであり。
「主人の期待が最初からないよりはマシだと思いますが……」
「旦那がどこに居るのかさっぱり分からないよりもマシですよ」
同じく顔を酔いに上気させつつ応じたのが、同室で魔術実験と称した怪しげな実用化の目処が全く立たない資金の浪費――、暇つぶしに興じるアゼリア王国の魔女と呼ばれる、アゼリア王国王権代理宰相ティースと、アゼリア王国魔道技術庁開発総責任者のクシナダである。
最初に愚痴の口火を切ったムギリ王の治めるドワーフ王国『鉄輪王国』とアゼリア王国は間にアゼリア王国自治領クーリ公国を挟んだ隣国同士であり、三者ともに世界を代表する魔道技術者の最高峰にある開発者で、<鉄道>、<銃棍>、<大砲>、<魔道騎>、<魔道二輪>、<魔道自販機>など、数限りない魔法具の開発と製造・普及を進めて来た実績があるのだった。
なお、この暇つぶしの時間は他称としては『魔女たちの集い』と呼ばれ、一般人は決して近寄らない王国魔道技術庁の地下深くで秘密裏に行われている。
……別に秘密にする必要も地下深くでやる理由もないのだが、クーリ公国大公の「やるなら絶対に一般人が近寄れなくて失敗しても被害が他所に及ばない場所でひっそりとやって下さい」というお願いにより、このような場所が選定された経緯があった。
「いや確かに、ティースさんとこのご主人は魔道が重力魔法以外を殆ど使えない、感覚で操っているので理論的に詳しくない、最初から理論を理解する気がなくて結果しか見ない、と三拍子揃っておるからして、何をやるにも成果を見せなければ納得せんのは見知っておるし」
ぐびり、と何度目かの並々と注がれた酒精とも異名を取るドワーフ族特製の強烈な後味を残す度数の強い酒を一息に飲み干し、音を立ててテーブルの上に空の杯を置く。――なお、テーブルの上に底を叩きつけると転送魔道式が起動し、一杯分の酒が酒樽から自動転送されるという無駄に豪華な酒飲み御用達の魔道具である。
「クシナダさんとこの旦那さんは……、今頃どこら辺に居るんじゃろうな? 神出鬼没すぎて全く見当がつかんのだが」
「あの宿六、娘二人の嫁ぐ相手を探しに出るとか人の世を見て回るだとかいろいろ理由付けて飛び出してったっきりですけど。どこに行っても迷惑掛けていないかで頭が痛いです。たまに娘たちから連絡があるとは言え、ねえ?」
「先日は女王親衛隊に納入したうちの新品の魔道騎を動作不能になるまで損傷させて下さっておったしな。……ああいや、頭は下げんで下され、関節回りのアタリや遊びなど、全開動作させねば分からぬ不具合が殆ど全て出ましてな? 以降の製品にも反映されますし、良い模擬戦を行って下さったと感謝しきりですのでのう」
エイネールの竜神のねぐらで女王親衛隊の装備する一般兵用二人乗り魔道騎は「謎の神剣持ち剣士と童女たちとの模擬戦」の結果、「自立装着不能」という状態まで完全に破壊され尽くしており。
そのような状態で製造元のドワーフ王国工房に送り返され、先日ようやく完全修理を終えてエイネールで戦闘訓練を受けている女王親衛隊の四人の元へ回送されたばかりである。
「確かに、うちの嫁御も魔道技術には全くの素人で、一度飛び出して行ったらなかなか国元へ戻らぬのもありますがのう……、この王に対する信用と信頼の度合いが、初めて会った頃より全く変化しておりませんでの? 何と言いますか、期待が重すぎましてのう」
「惚気ですか」
「のろけですわね?」
こんっ、こーん! と二杯の魔道カップがテーブルに叩きつけられ、それぞれが自動的に魔女たちの手の中にあるカップの底からじわじわと酒が湧出し、さほど時間を置かずしてカップに並々とした仄かに白い光を放つ酒が現れる。こちらはドワーフ酒ではなく、神々が飲酒するためのみに作られた神力酒、神酒を常飲している。
「「仲がよろしくて結構ですわねー? どうですか800歳以上も年下のヒト族の美少女を嫁にした気分というのは?」」
「――いや、なんかワシが若い娘騙したみたいな言い方するのやめてくれんかの? ワシ、二年以上も求婚断ってたんじゃからね?」
「あんな純真無垢な可愛い奥さんを捕まえるなんてなかなかにムギリ王も手管が巧みでいらっしゃいますわねえ」
「王位継承権放棄したとは言ってもムーンディア王国第一王女で国民の人気絶大なお姫様でしたものね」
「うん、確かに婚約披露式典であちこちでテロ仕掛けられたり弱み握ったとか言われまくったから解っとるよ? 解っとるけどワシどっちかといえば被害者じゃからね? プロポーズあっちからじゃからね? ていうか経緯全部知っとるよねお二人さん??」
なぜか必死に言い訳を始めたムギリ王を冷ややかに見て、再度、こんっ、こーん、とカップの音が響く。
「まあ、婚姻まできっちり仕組みましたから、それはもうムギリ王が知らない裏側まで全て」
「あんなに可愛らしい美少女に恋愛相談される機会ってそうそうないですから、ついつい全力で支援してしまいましたわねえ」
「やっぱりアンタら魔女じゃよ! 正真正銘間違いなく魔女じゃよ!!」
「「……若いぴっちぴちの奥さんといろいろお楽しみだそうですね?」」
「ごめんワシが悪かったから言わんといてくれるかな。一応奥さん一筋なんじゃよ? ほんとに」
二人の魔女に見据えられて即座に居住まいを正すムギリ王。世界最強の魔女たちに逆らっても何の得もないことは世界の常識である。
「しかしのう……、嫁の期待が重すぎるんじゃよー……」
「何かおねだりでもされましたか?」
「いや、おねだりというか、あの子物欲無さ過ぎというか、神剣と宝剣と蒼銀鎧だけで完全に満足らしくての? 何も欲しがらなさすぎるのが逆に困るというか。……何贈っても喜ばないというか普通の反応なんよね」
「閨事に新しい道具でも採用するとか?」
「ワシそっち方面ノーマルじゃからね? というかあの子滅多に国元に戻らないから、君らが考えるほど回数多くないからね? というか、ワシもあの子もそっちの欲は全然淡白じゃからね??」
唾を飛ばして反論するムギリ王の剣幕をさり気なく空間結界で躱して、もう何度目かの盃の音が仲良く二回、ついでのようにムギリ王の手元からも一回。
「で、何の期待が?」
「いやね、そろそろワシとあの子の……、ミリアムの結婚記念日じゃろ? 珍しく結婚記念日に国元に帰るっつーから何か欲しい物あるか聞いてみたらね? 『主人が贈って下さる物品ならばきっと私にとって最高の逸品となりましょうな』なんて言われちゃってね?
……珍しいおねだりじゃから応えてやりたいんだけどのう、期待が重すぎるというか、何というか何を贈ったものか、のう?
――ちょっと待たんかい、何故しれっと作業に戻っておるのじゃ? 少しくらい話聞いてくれて相談してもいいんじゃないかの? 素っ気なさすぎやせんかの?」
やれやれ、といった風情で軽く首を振りつつ魔法陣錬成と魔力注入作業に戻り始めた魔女ふたりを交互に指差して非難したムギリ王には、しらーっとした呆れの二対の目線が向けられたのみだった。
「「亭主が長期出張中で長いこと日照っている魔女ふたりにその相談は、喧嘩を売っているものと判断しますが??」」
「ごめんなさいワシが悪かったですごめんなさいごめんなさい」
――結局のところ、何も思いつかずにドワーフ王国特産の蒼銀製のネックレスを贈ったところ、予想外に喜ばれ以後常時着用し決して外さないようになった、とのムギリ王からの報告を魔女たちが受け取るのは数ヶ月後となるのだった。




