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紅の嵐姫 藍の淑妃  作者: 大雪
過去編
25/35

第二十話 貴族、平民

 自分は間違っていたのだろうか?


 治療してくれた医師の目を盗み、隠れた先でひたすらに紅藍は思う。


「こんな所にいたの?」


 心配の色を滲ませ、ここに居る筈の無い相手から声をかけられた。

 顔を上げれば、そこに王妃様の姿を認めた。


「王妃様……」


 どうして此処にーーと紅藍が疑問に思ったのも当然の事。

 紅藍が現在居るのは、後宮の外れにある小さな庭だった。

 訪れる者も少ないそこは、『忘れられた庭』と言うのが相応しい……少し寂しい雰囲気が漂っている。


 しかし、紅藍はこの場所が二番目に好きだった。

 心が、とても落ち着くのだ。


 だが、この場所は王妃様の宮からはかなり離れている。

 そんな場所まで、いくら後宮内とはいえ王妃様が一神で彷徨つけば、絶対に周りから良い顔なんてされない。

 下手すれば、王妃様が叱られてしまう。


「よいしょっ」


 そんなかけ声と共に、紅藍の隣に腰を下ろす王妃様。

 低いが、太い木の枝に腰をかけ、足をだらんと投げ出す。


「傷は痛む?」

「ーーいえ」


 ホッと横で安堵した様に息が吐かれる。


「そう……良かった」


 柔らかな声に、紅藍は思わず王妃様を見れば、そこに日溜まりの様な笑みを見付けた。


「王妃様……」

「怪我も治るって聞いたわ。その、少し時間はかかるかもしれないけれど、でも後宮には色んな薬もあるし、医師も薬師も腕が良いから」

「……ありがとうございます」


 自分の怪我を労ってくれる王妃様に、紅藍は心からそう言った。

 やはり王妃様は自分を心配して来てくれたのだ。

 こんな、自分の為に。


『あんたが余計な事をしたせいでーー』


「紅藍姫?」


 憎悪と共に吐かれた言葉が蘇り、紅藍は膝に顔を埋めた。

 そんな紅藍に再び声をかける王妃様に、聞いてみた。


「私、余計な事、しました?」

「え?」

「いえ、たぶん、ううん、凄く余計な事をしたのね」

「……あの店の娘さんの事ね」


 王妃様が察する様に口を開けば、出てきた言葉に紅藍はぎゅっと目を瞑った。


 向けられた憎悪。

 向けられた怒り。


 余計な事をしたから、自分達は更に酷い目に遭わされると叫んでいた。


 でもーー。

 紅藍はそんな事をするつもりはなかった。

 いや、そんな気は全くなかった。


 ただ、ただ……。


「思いが詰まった物だものね」


 王妃様が告げる。


 そうーー思いが詰まった物。


「思いが詰まった物。それだけの価値があるからこそ、その価値に相応しい金銭を払う。そう、学びましたよね」

「……」

「だから、その思いを無視して貶すだけ貶した挙げ句にその物を奪おうとした相手を許せなかった。強引に、それこそ盗神同然に盗むあの神達をそのままにはしておけなかった」

「……けれど、それは余計な」


「違います」


 断固とした王妃様の言葉に、紅藍は思わずを顔を上げた。

 言葉とは裏腹の優しい眼差しに、紅藍はどうして良いか分からなくなる。


「確かに、そう思う神も居るのは確か。そして、どんな事でもとらえ方は一つではないし、それぞれの価値観があるわ。でも、私はあれが当然だとは思わない。あれが正しいとは思わないです」

「王妃様……」


 けれど、それが傲慢だと罵られた。

 所詮、貴族の姫君のおままごとなのだと。


 あの娘は紅藍を貴族の姫とは知らなかったが、ただの平民の娘ではないとは分かったのだろう。

 金持ちの我が儘娘と言わんばかりの態度に、紅藍は気づいてしまった。


 ただ面白がって事態を引っかき回しているとしか、思われていない事を。


「あの店主は感謝していましたよ」

「でも、報復されるわ」


 あの二神の男達は、絶対に来ると言った。

 もしかしたら、今こうしている間にも何かされているかもしれない。


 なのに、紅藍はそれを放り出したまま此処に戻ってきてしまった。

 あの店主達が、どんな目に遭わされているかも知れないと言うのに。


 何もかも、中途半端。

 戯れに手を出してーーそう言われても、仕方が無い。


 ならすぐに戻れば良いが、あの店主の娘の視線を思い出せばそれもままならない。

 身体が拒否する。

 自分の引き起こした事だと言うのに、見たくないものから目を背けようとする。


 卑怯で、紅藍が一番嫌いなタイプ。

 これでは、あの奴隷を虐げていた貴族の男とも、店主を痛めつけて商品を略奪した男達ともなんら変わりない。


 卑小で卑怯な娘ーー。


「紅藍姫は卑小でも卑怯でもありません」


 ぐいっと肩を掴まれて王妃様の方を向かされた。

 どうやら口から出ていたらしい。

 強い眼差しが紅藍を射貫く。


「いつも一生懸命で頑張り屋で」

「やめて」

「どんな事にも臆さず取り組む」

「やめてっ!」


 紅藍が耳を両手で塞ぎ、叫ぶ。

 そんな事、聞きたくない。


 いつも一生懸命で頑張り屋?


 どんな事にも臆さず取り組む?


 そんなもの、言い換えれば、ただ周囲を顧みず自分のしたい事だけをする考え無しの猪突猛進娘ではないかーー。


 そこで紅藍は気づいた。


 そう言われるのは、今が始まった事ではない。

 誰も彼もが言っていたではないか。

 王妃様もそう。

 後宮の皆もそう。


 そしてそれを面と言われた事だって何度もあった。

 でも、本当の意味で紅藍はそれを理解していなかった。


 だから、今、ここまで衝撃を受けているのだ。


 本当なら、もっと前に、その衝撃を感じていなければならなかったのに。

 理解していなかったから、『図星を指されて怒るだけ』、『図星を指されて苦しい』ぐらいにしか感じられなかった。

 そこから、何も学んでいなかった。

 自分の行動を振り返ろうともしなかった。


 このどこが、『学んだ』、『知った』、『変わった』のだろう?


 王妃様はそう言ってくれた。

 あの、食堂で。


 でも、本当は何も変わってなんかいない、知ってなんかいない、学んでなんかいないーー。


 紅藍は、今も『バカな貴族の我が儘娘』だ。


 平民が諦観する、最も嫌で恥ずかしい貴族の一神として。


 結果として、頑張って生活をしている民に迷惑をかけてしまっている。


 ボロボロと涙が零れる。

 また、泣いてしまう。

 もう何度目だろう?こうやって泣くのは。


 一流の貴婦神は神前で感情を見せないと言われた。

 にっこりと笑い、優雅な立ち振る舞いで社交界の華となるのが貴族の姫君の勤め。


 姉姫達は皆、美しい社交界の華として咲き誇った。

 そうして多くの男達を虜にし、美しい花嫁として嫁いでいった。


 反対に、紅藍は婚約者に逃げられ今もこうして周囲に迷惑ばかりかけている。


 こんなんだから、逃げられるのだ。

 誰も彼もが、紅藍から去って行くのだ。


 そんな事、初めから分かりきっていた筈なのに。

 認められず、認めたくなくて、結局また沢山の者達に迷惑をかけて。


「私は……何にも変わってない」


 ポツリと言った。


 結局、今も何も変わらない、ただのバカな娘なのだ。


「戯れにちょっかいかけて、ひっかきまわして、それがその神にとってどういう影響を与えるかまで全然考えが及ばなくて」


 相手の立場とか、状況とか、何にも分からない。

 こうしてお忍びで少しは見てきたのに、紅藍は何も見ていなかったのだ。


「どうして、見てなかったの?」

「……」

「もっと、きちんと見れていれば」


 知っていれば。


「私は何にも出来ないし知らない」


 がっくりと項垂れ、紅藍は膝に顔を埋めた。

 そのまま、しばらく無言が続く。


 紅藍は何も言えず、王妃様もまた何も言わない。

 そんな時がどれだけ続いただろう?


「……最初から全て分かっていて、全て知っていたら苦労なんてないですよ」


 ポツリと、王妃様の溜め息交じりの声が聞こえた。

 思わず顔をあげた紅藍に、王妃様が苦笑している。


「それも、今変わりだした紅藍姫が全部知っていたら、私なんてどうするんですか? 私は『元平民』で、知っている常識は『平民』としての『ごく一部』。逆に言えば、『貴族』や『王族』の常識なんて殆ど知らなかった」

「でも、王宮に勤めて」

「確かに勤めていました。でも、私はただの下働き。凪国王妃様と親しくさせて頂いていたとはいえ、それもいわば『特別扱い』。普通の一般常識から考えると、私は『とても常識外の非常識』な事をしていたんですよ。そもそも、下働きが王妃様と個神的に親しくーーーなんて普通はあり得ません。ましてや、これといった功績を挙げているわけでもありませんから」


 流れる様に告げ、そして溜め息を一つ零す。


「だから、この国に嫁いで来た時には本当に困りました。いくら、凪国で勉強させられたとはいえ、所詮は付け焼き刃。私もまた、本当の意味で『色んな事』を知らなかった。『元平民』だから、平民の気持ちを知りつつ『平民と貴族の架け橋になる』ーーそう言われてもいたようですが、とんでもない」


 先程よりも大きな溜め息が吐かれる。


「いくら自らこの国にくる事を望んで、勉強したとはいえ、大幅に違う常識、考え方全てを理解し受け入れる事は難しいし、今でも納得出来ない部分もあります。それは、私が私なりの『価値観』を今まで築き上げてきたから。そして、どちらかと言うと、『平民より』の思考をしているから。でも、王妃となれば、どちらか一方、どれか一つに偏る事は赦されない」

「……」

「だから、私もまだまだ知らない事ばかり。出来ない事ばかり。でも、ね」


 王妃様が茶目っ気たっぷりの笑みを見せた。


「それを選んだのは私。負けるのも逃げるのも嫌。だから、王妃でいる限りは頑張るつもりよ。それに、今は無理でもいつかは理解出来る時もあるでしょうし、何よりも幾つかの価値観が混ざり合って、新しい皆が納得出来る様な価値観が生まれるかもしれないし」


 そう言うと、楽しそうに笑う王妃様に紅藍は口を開いた。


「王妃様は」

「はい?」

「怖くなかったんですか?」


 王妃となる事を。

 今までの自分とは違う存在になる事を。

 今までの『価値観』ばかりが通じない、それも他国に嫁ぐ事を。


 たった一神で。


 住んでいた故郷から、遠いこの地に来た事を。


 後悔する事はなかったのだろうか?


「もちろん、怖かったですよ」


 王妃様はあっさりと言った。

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