第33話 コメントを読むことについて
今日も、いつも通りの深層配信が終わった。
魔物の群れに襲われたであろう探索者がいたので、十分な撮れ高になった。
配信を切ったあと、私はしばらく動かなかった。
ドローンを回収する気にもならず、壁にもたれたまま、スマホの画面だけを見ている。
コメント欄。
止まらない。
速すぎて、一つ一つを追えないように見える。
でも、私はちゃんと読んでいる。
<コメント>
・正直キツい
・なんであんな冷静なの
・人の心ないの?
・でも言ってることは間違ってない
・かわいそう
・でも撮影は自由だよな
・この人、何考えてるの
・怖い
・目が離せない
・また見に来てしまった
肯定も、否定も、感情も、全部が同じ速さで流れていく。
私は、それを「評価」だとは思っていない。
これは、反応だ。
見たものに対して、人が勝手に出力しているノイズ。
意味は、後から誰かが無理やりつける。
コメントを拾わない理由を、よく聞かれる。
無視しているわけじゃない。
興味がないわけでもない。
全部、読んでいる。
その上で、拾わない。
拾った瞬間、それはもう配信じゃなくなるからだ。
全部のコメントを拾ったら、もはや、誰かの感情に付き合う仕事になってしまう。
怒りを拾えば、議論になる。
同情を拾えば、物語になる。
擁護を拾えば、立場ができる。
そうなると、私はもう「撮っている人」じゃなくなる。
説明する人になる。
弁明する人になる。
感情を整える役になる。
それは、私の仕事じゃない。
私の仕事は、起きていることを映すことだ。
その場に立って、カメラを向けることだ。
納得させることじゃない。
安心させることでもない。
理解される必要もない。
<コメント>
・説明しろ
・逃げてるだけ
・正論言ってるつもり?
・何も言わないのが一番怖い
・メンタルどうなってんの
・こいつ絶対どっかで死ぬ
・でも最後まで見たい
「最後まで見たい」
その言葉だけが、少しだけ残る。
理由は分からない。
見たい理由なんて、誰も説明していない。
でも、それでいい。
理由が言語化された瞬間、それはもう「正しい見方」になってしまう。
私は、正しい見方を与えたくない。
正義も、悪も、覚悟も、後悔も、全部、画面の向こうに置いていく。
見る側が、勝手に持ち帰ればいい。
スマホを伏せる。
通知は、まだ鳴り続けている。
たぶん、この先も止まらない。
炎上も、称賛も、全部続く。
でも、それはもう、私の手を離れている。
撮った瞬間から、映像は私のものじゃない。
私は、ただ次を撮るだけだ。
次に、何が起きるのか。
それを、私は一番近くで見たいだけなのだから。




