第28話 映画の瞬き
第五層からの帰り道は、やけに長く感じた。
上り用の通路は細く、足場も悪い。
壁に埋まった魔石の光が、一定の間隔で瞬いている。
一定。
規則的。
まるで、コマ送りだ。
配信は切っている。
コメントも、通知音もない。
静かすぎるダンジョンの中で聞こえるのは、自分の足音と呼吸だけだ。
さっきまで何万人もの視線に晒されていたとは思えない。
私は、ふと歩調を落とす。
岩肌に揺れる影が、前に流れていく。
魔石の明滅に合わせて、影が少しずつ形を変える。
チカチカと、何か合図でも送りあっているみたいだった。
そうして歩いていると、ダンジョンの入り口に戻った。
外はもう、朝になっていた。
朝焼けが目にまぶしい。
日の光が、荒廃した新宿のビル群をまばゆく照らしはじめている。
ダンジョンの外が、まるで異世界のように感じられた。
電車で家に帰る途中、車内に映画の広告が貼ってあった。
最近公開された恋愛もののようだ。
ポスターには、夕焼けを背にした男女が並んで立っていた。
指先だけが、触れるか触れないかの距離で重なっている。
キャッチコピーは、「――それでも、明日は続いていく」
誰も欠けていない。
誰も、途中で消えていない。
そういう世界の顔をしていた。
――映画。
その言葉が、頭の中で繰り返される。
電車の揺れに身を任せながら、ぼんやりと窓の外を見る。
ガラスに映る自分の顔は、どこか輪郭が曖昧だ。
考えているはずなのに、何を考えているのか分からない。
そんな半透明な自分を見つめていると、ひとつの夜の記憶が、ゆっくり浮かび上がってきた。
◆◆◆
それは、映画館を出た直後だった。
夜の空気は少し冷たくて、
床に落ちたポップコーンが靴底で潰れる音がした。
「ねえアリサ、この映画どうだった?」
ルーシーは、飲み終わったカップを振りながら聞いてきた。
「……正直、微妙だったかな」
「えー、私は結構好きだったけど」
彼女は、いつも通り軽い調子だった。
「人、死にすぎじゃない?」
「そこがいいんじゃん」
「なんか、雑に死んでる感じがして」
「雑っていうかさ」
ルーシーは少し考えてから言った。
「整理されてる、じゃない?」
「整理?」
「うん。現実より、ちゃんと順番になってる」
私は首を傾げた。
「現実だとさ、死ぬ瞬間って見逃すでしょ」
「……」
「でも映画だと、ちゃんと『見える』ようになってる」
ルーシーは、急に立ち止まった。
「アリサ、映画って何FPSか知ってる?」
「FPS……フレームレート?」
「そうそう」
私は思い出す。
「確か……24?」
「正解」
ルーシーは、少し得意そうに笑った。
「1秒間に24枚の静止画」
「結構中途半端な数字だよね」
「でしょ?」
彼女は空を見上げながら言った。
「でもね、これ、人間が『生きてるって錯覚できる』最低ラインなんだって」
「錯覚?」
「うん。24枚を下回ると、カクカクして見える」
彼女は、指を一本ずつ折りながら続ける。
「でも24枚あれば、脳が勝手に『連続してる』って思い込む」
「……」
「つまりさ」
ルーシーは、こちらを見て言った。
「映画って、『ギリギリ嘘』なんだよ」
「嘘?」
「現実じゃないけど、現実っぽい嘘」
私は、少しだけ背筋が寒くなった。
「じゃあ、なんで24なの?」
「そこが好きなんだよね」
ルーシーは笑った。
「完璧じゃないから」
「完璧じゃない?」
「もっと滑らかにもできるし、もっとリアルにもできる」
でも、と彼女は言う。
「わざと、あの荒さで止めてる」
「……」
「全部見せないために」
ルーシーは、ポップコーンの空箱をゴミ箱に投げ入れた。
「人が死ぬ瞬間とかさ」
「……」
「本当は、細かすぎて見えないほうがいいでしょ」
私は言葉に詰まる。
「24FPSって、ちょうどいいんだよ」
「ちょうどいい?」
「ちゃんと死んでるのは分かるけど、全部は分からない」
ルーシーは、少しだけ声を落とした。
「優しい嘘」
私は、その時はよく理解できなかった。
「でも、あの映画」
「うん?」
「最後のシーンは、綺麗だったでしょ」
主人公が歩いていくシーン。
その背景に、これまで死んだ人たちの痕跡が溶け込んでいた。
「死んだ人、完全に背景になってた」
「そうそう」
「風景の一部みたいで……」
ルーシーは頷いた。
「だから映画は好き」
「どうして?」
「だってさ」
彼女は、何でもないことのように言った。
「現実より、ちゃんと『見ていい形』にしてくれるから」
◆◆◆
私は、今日の配信を思い返した。
二人の探索者。
魔石の光。
寄り添う身体。
私は、あの光景を――
24FPSの嘘に近づけた。
現実のままでは、見られない。
事故現場のままでは、誰も直視しない。
だから整えた。
構図を作った。
「見ていい形」にした。
ルーシーが言っていたことと、
驚くほど重なる。
「ねえアリサ」
「なに?」
「もし私が死んだらさ」
あの日、ルーシーは笑いながら言った。
「ちゃんと撮ってね」
「縁起でもない」
「だって」
彼女は、悪戯っぽく笑った。
「撮られない死って、ちょっと寂しくない?」
私は、答えられなかった。
いや待てよ――本当に、そう言ったんだっけ?
今になって思えば、言い方は、もう少し曖昧だった気もする。
「残してくれたらいいな」そんなニュアンスだったかもしれない。
それでも。
今の私にとって必要なのは、「本当のルーシー」じゃない。
死を美しいと思ってくれる、あの瞬間の彼女だけだった。
今の私には、あの言葉は、はっきりとした形で残っている。
都合よく、必要な形に、整えられて。
彼女は、死を軽く扱っていたわけじゃない。
見えなくなることを、怖がっていただけだ。
私は、電車を降りて、人ごみの中に紛れ込む。
すれ違う人たちは、誰も私を見ていない。
スマートフォンを見て、前だけを見て、通り過ぎていく。
それなのに、どこかで、視線を探している自分がいた。
カメラはない。レンズも、フレームも、今は存在しない。
それでも私は、無意識に「映る位置」を選んで歩いていた。
ルーシーもうはいない。
でも、彼女のフレームレートは、私の中に残っている。
だから私は、撮る。
――次の配信も、きっと盛り上がる。
そう思いながら、私は雑踏の中を歩き続けた。




