第16話 墓参り
ヤヤコとの遭遇の翌日、私はある場所に来ていた。
ダンジョンではない。ルーシーの墓だ。
昨日まで、あれほどダンジョンの空気に身を浸していたのに、ここは驚くほど静かだった。悲鳴も、金属音も、魔物の咆哮もない。
ただ、風が墓地を撫でる音と、遠くで鳥が鳴く声がするだけだ。
葬式での一件もあり、なんとなく気まずかった私は、これまでルーシーの墓参りを避けていた。
理由を言葉にするなら、「会うのが怖かった」のだと思う。墓石の前に立ってしまえば、彼女の死を、否応なく現実として受け入れなければならないから。
墓地の奥へ進むと、「沢尻家之墓」と刻まれた墓石を見つけた。ここだ。
ここに、ルーシーが眠っている。……正確には、ルーシーだけじゃない。彼女の先祖たちも眠っているはずだけど、今の私には、そこにルーシーしか見えなかった。
墓前には、すでに花が供えられていた。菊や百合、カーネーション。どれも手入れが行き届いていて、枯れかけてはいない。つい最近まで、誰かがここに来ていたのだろう。
――たぶん、母親だ。
葬式の時の、あの人の顔が脳裏をよぎる。怒りと悲しみと、どうしようもない感情が混ざり合った表情。あの人は間違いなく、ルーシーを愛していた。愛していたからこそ、私を許せなかったのだと思う。
でも、愛していることと、理解できることは、きっと別だ。
ルーシーは、生前からずっと理解されなかった。その自由さも、死生観も、きっと家族にさえ、正しく伝わってはいなかった。
私はリュックから、近所の公園で摘んできたタンポポを取り出した。花屋で花を買う気には、どうしてもなれなかった。
タンポポは、雑草だ。誰かに選ばれて植えられたわけでもなく、勝手に根付き、勝手に咲く。
私はそれを、既にある花束の横にそっと置いた。
ルーシーは、タンポポが好きだと言っていた。
その理由を、私は今でも覚えている。
――綿毛になって、どこに飛んでいくか分からないのがいい。
――誰にも縛られないでしょ。
ふと、タンポポの花言葉を思い出した。
「神託」と「別離」。
どうして、こんなことを知っていたのかは覚えていない。中学か高校の頃、図書館でたまたま借りた植物百科の本に書いてあっただけの、取るに足らない知識だ。
私は、花言葉なんて信じていない。
占いやジンクスの類も、基本的には馬鹿らしいと思っている。
それでも。
どうして今、その言葉が頭に浮かんでしまったのだろう。
ルーシーは、いつも神託みたいなことばかり言っていた。意味があるのかないのか分からない言葉を残して、私の心にだけ引っかかりを作っていく。
そして、最後に残したのは、完全な別離だった。
偶然だ。そう言い聞かせようとしても、胸の奥がざわつく。
まるで、最初から決まっていたみたいじゃないか。
私は墓石に手を伸ばし、指先でその冷たい表面をなぞった。
石は、ダンジョンの岩壁とは違って、きれいに磨かれている。ここが「安全な場所」だということを、無言で主張しているみたいだった。
ダンジョンの静けさは、次に起こる惨事の予兆のような沈黙だ。
でも、この場所の静けさは、すべてが終わった後の静けさだった。
ここに来ると、立ち止まってしまう。
立ち止まると、考えてしまう。
考えると、迷いが生まれる。
私は、もう迷うことを許されない。
高校二年生の春、学校の花壇で水やりをしていた日のことを思い出す。
私が初めてルーシーと出会った日のことだ。
私は当時、花に興味なんてなかった。ただ、「普通」で「優良」な学生を演じるために、水をやっていただけだ。
友達がいなかった私は、少しでも「普通ポイント」を稼いで、普通でいることが、生き残るための最善策だと思っていた。
そこに現れたのが、ルーシーだった。
「何してるの?」
水やりをしていると、急に後ろから話しかけられた。そこには、銀髪の女子が立っていた。
沢尻ルーシー。
校内でも有名な美少女で、名前と見た目だけなら私も知っていた。
「何って、花に水をやってるの。それ以外にどう見えるの?」
「心は水をあげてない」
「……? なに言ってるの?」
「花に興味なさそう」
本心を当てられた私は少し警戒した。
――心は水をあげてない
初対面で、そんなことを平然と言う変わった子。
でも、彼女の目は、私の内側を正確に見抜いていた。
「あなた、沢尻さんだよね、私に何か用なの?」
「あなたがすごく退屈そうだから、興味がわいたの」
「変なの……それで、私を見て面白い?」
「面白くなさそうなところが、面白い」
「あ、そう……」
ルーシーの言葉はフワフワとしていて、どうにも捉えどころがなかった。でも不思議と、嫌ではなかった。
その後も私が水やりをする様子を見つめるので、気まずくなった私はこちらから話しかけた。
「沢尻さんは、花、好きなの?」
「好きなのもあるよ」
「この中には?」
私は花壇を指さした。
「これ」
そう言ってルーシーが指さしたのは、花壇の隅っこに生えていたへなへなのタンポポだった。
誰かが植えたものではなく、自然と根付いたもので、雑草とあまり変わりはない。
「……それなんだ」
「うん、きれいだと思う」
「もうへなへなだよ」
「水をあげれば、元気になるでしょ?」
そう言って私の方を見つめてきた。ルーシーの眼差しには、相手に「ノー」と言わせないような不思議な魅力があった。
「はいはい……」
私はそう言いながら、タンポポに水をあげる。
「タンポポの何がいいの?」
「綿毛になって散っていくのが、儚くていいと思う」
「ふーん」
「たとえ花が死んでも、綿毛がどこかに根付いて、またいずれ花を咲かせるの」
「なんか、詩的だね」
「それにこのタンポポは、誰かに植えられたものじゃないでしょ。この花壇の中で、一番自由な花だよ。だから、なおさら綺麗だと思う」
「そういうものなんだ」
「私もこんなふうに、綺麗に死にたい」
「変なの……」
そう言って、私は水を止めた。これ以上、水をあげすぎるのもよくないだろう。
「ねえ、名前なんていうの」
「……巳継アリサ」
「友達になってもいい?」
「えっ……。まあ……いいけど」
急なお願いに、私は困惑した。でも、不思議と嫌じゃなかった。
なぜだか分からないけど、彼女と友達になったら、他では決して見られない光景を見ることができそうな気がした。
それに、彼女なら、「普通」でいようとする私に「普通じゃなくてもいい」と言ってくれそうな気がした。
「じゃあよろしくね、アリサ。私のことは、ルーシーでいいよ」
「えっと……よろしく、ルーシー」
私は少し恥ずかしくて、目を背けながら言った。
その日から、ルーシーと私は友達になった。
墓に供えたタンポポを見ていると、そんな思い出が蘇ってきた。
花壇の隅に咲く、へなへなのタンポポを指して、「この花が一番自由だよ」と言った彼女の顔を、私は忘れられない。
――私も、こんなふうに綺麗に死にたい。
あの時は、変な冗談だと思った。
でも今なら分かる。
ルーシーは、最初から最後まで、自分の言葉どおりに生きたのだ。
墓前に供えたタンポポを見ると、風に揺れて、綿毛が一つ、ふわりと飛び立った。
どこへ行くのかは分からない。
でも、飛ばなければ、次の花は咲かない。
ルーシー、私、あなたの言葉を証明してみせるよ。
探索者として、配信者として、もっと実力をつける。
私が天国のルーシーに会えるとは思えないけど、それでもルーシーのためなら頑張れる。
「ルーシー、もっとすごい配信……見せてあげるからね」
ひゅう、と冷たい風が吹いた。
彼女が返事をしたような気がして、私は一瞬だけ目を閉じた。
もうこの場所には来ないかもしれない。直感的にそう思った。




