第三幕
リルシーナの様子がおかしい。
頭を抑えて「うるさいうるさい」と続けている。
私はリルシーナの様子に不安を募らせた。
リルシーナは膝をつき、頭を両手で強く抱え込みながら、繰り返しつぶやいている。
「うるさい……うるさい……お願い……やめて……」
その声は震え、どこか自分を抑えきれない苦痛に満ちていた。
もうすぐそこまで魔物が来ているのに。
一人じゃ対処できないのに……。
「リルシーナ!立って!今、あなたが何に迷ってるか分からないけど、迷ってる暇なんてないよ!戦って!」
リルシーナの肩がびくりと震えた。
私の声が届いたのだろうか。
彼女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、悲しみと苦しみが混ざっていた。
「戦って意味があるの……?」
「……」
「どうして私達がここで苦しい思いをしてまで向こうの誰かを助けないといけないの?」
「……」
「私を求めなかったやつらのために戦わないといけないの?」
言葉に詰まった。
リルシーナの言葉はあまりに痛々しく、そして真っ直ぐだったから。
風が吹き抜け、瘴気がざわりと揺れた。
迫る魔物の気配は容赦なく二人に近づいている。
「……リルシーナ。あなたが感じてることが分かるとは言えない。あなたがどれだけ傷ついてきたか、私は知らない……」
「……」
「向こうでリルシーナは潔く生贄になったと言われていたけど、本当は違うんでしょう?」
リルシーナはある意味いい意味で後世に伝えられてはいた。
しかし、それは真実とは異なる作り話だ。
リルシーナは、まるで胸の奥を抉られたような表情で私を見つめた。
その目は、怒りも、憎しみも通り越して、ただ深い苦しみが宿っていた。
「……潔くなんて、なかった」
ぽつりと、リルシーナが呟いた。
「怖くて、逃げ出したくて、それでも誰も助けてくれなくて……。ナタリーを助ければ誰か私を愛してくれるんだって思ったの」
「リルシーナ……」
「お母様にもナタリーにも、婚約者にも代わりに生贄になれと言われた。何も考える気が起きなくて、私がナタリーの代わりに生贄になると言ったとき、誰もが喜んだ」
リルシーナの瞳から、大粒の涙がぽたりと落ちた。
なぜ、こんなにもか弱い少女を身代わりにできたのだろう。
こんなにも繊細で、か弱くて、それでも必死に立ち上がろうとするリルシーナを、なぜ見殺しにできたのだろう。
「ねえ、クラリス。あのとき、ナタリーがいなくならずに済んだから、みんなが喜んだんじゃないの」
「……え?」
「邪魔者な私が、堅苦しい私がいなくなってよかったって」
私は拳を握りしめた。
手のひらに爪が食い込むほどに。
信じられない。
「リルシーナ、それだけつらい思いをしていたのは分かった。でも、関係ない人まで殺すの?」
「……」
「私達の裁量で向こうの人達はいくらでも死ぬ。あなたの死を嘆いた人すらも」
リルシーナの目がかすかに揺れた。
彼女に私の言葉は確かに届いている。
だが、それでも彼女の心の奥にある絶望はすぐに消えない。
リルシーナはぽつりと途切れた声で呟いた。
「……私の死を嘆いた人なんていたのかな」
「後悔の言葉も、祈りの言葉も、どれもいなくなった本人には届かない。だけど、私がリルシーナに届けた。意味のなかった言葉が意味を持った。あなたを失ったことを悔いて、今も涙を流してる人はいる。過去に何もできなかった人たちが、それでもこれからを変えようとしてる。もし、リルシーナがここで魔物に背を向けたら、その人達が未来に繋げることができなくなる」
リルシーナの指先が僅かに震えた。
私はリルシーナの目をまっすぐに見ていった。
「あなたを苦しめた人たちの中には、償えない罪を背負っている人もいるかもしれない。でも、それでも……関係のない人が苦しむ未来なんて、あなたが望んだものじゃない」
リルシーナは驚いたような顔をして、よろよろと立ち上がった。
落とした聖剣を拾い上げて刃の先を見つめた。
「行こう」
リルシーナは力強い声と視線で私に言った。
その声はもう震えていなかった。
聖剣を握る手に、迷いはない。
刃先に映るのは過去でも憎しみでもなく、これからの未来のために立ち上がる姿だった。
さっきまで地に崩れ落ちていた少女が、まるで全てを越えた戦士のように立っていたから。
「ありがとう、クラリス」
リルシーナが言った。
その瞳には涙が浮かんでいたけれど、もはや絶望の色はなかった。
「私は……ずっと誰かに否定されることしか知らなかった。でも、あなたは私を肯定してくれた。私を人として見てくれた。ありがとう」
「当然のことだよ。あなたはリルシーナで……かけがえのない人間なんだから」
魔物の咆哮が近づいていた。
だが、私達の心はもう揺るがなかった。
「私、自分のために戦う」
リルシーナが一歩、また一歩と前へ踏み出す。
「あなたの言葉を信じる。私の死を悔いてくれた人がいたのなら、その人達が進める未来を、私が守る」
「うん……!」
私も剣を抜いた。
私達はもう一人じゃない。
◇◆◇
「……終わった?」
肩で息をしながら私は剣を地に突いた。
リルシーナも膝をつき、深く息を吐いていた。
だがその顔は、穏やかだった。
「ありがとう、クラリス」
「……ううん。私のほうこそ、ありがとう。あなたが戦ってくれたから、今がある」
リルシーナは空を見上げた。
あの空をもう牢獄とは呼ばないだろう。
「あれっ?」
私達はふと人間界の入口を見た。
そこには瀕死の魔物がいた。
「ねぇ」
リルシーナが震えた声で言った。
彼女が言わんとしていることはすぐに分かった。
もしかしたら、人間界に戻れるかもしれない。
魔物は人間化への結界を食い破って魔界から出る。
人が一人通れるくらいの穴を開ける。
私達は穴に近づいて手を入れた。
「出れる……!出れるよ!リルシーナ」
リルシーナは嬉しそうな顔をした。
「先に行って。私はあとから行くから」
なぜ私を先に行かせるのだろうと思いながらも私は進んだ。
眩しい光が私の目に飛び込む。
人間界だ……!
「リルシーナ!出れたよ!人間界だよ!早く来なよ!」
私は向こうにいるリルシーナに言った。
リルシーナは何も言わない。
「どうしたの?」
不安になって訊いた。
「ねぇ、クラリス。私の記憶を見たでしょう?」
――俺はナタリーを愛している。
花に触れてみた記憶の話だろうか。
記憶というか、記憶の断片。
「見たけど、それがどうかしたの?」
「あの花の成り立ちを覚えてる?」
「確か、先代の生贄達の砂が花を育てる……だっけ?だから花に記憶が宿る」
「私の記憶が花に宿った理由がわかる?」
「……」
「私の体の一部は砂になってるの」
「……っ!」
私は息を呑んだ。
リルシーナの言葉の意味をすぐには受け止めきれなかった。
「どういう……こと……?」
声がかすれる。
「私の体の一部は瘴気に当てられて砂になった。だけど、そこ以外は原型を留めている。多分瘴気のお陰で。私の体はもう普通の人間のものじゃない。見た目だけ。だからクラリスは私が砂にならずに生きていると思ったんだよね?……きっとそっちに行けば、瘴気の少なさで体が崩壊する。だから私はもうそっちに戻れない」
私は魔界に戻ろうと入口に触れた。
けど、また謎の壁に拒まれて行けない。
行かなきゃいけないのに。
戻らなきゃ、またあの人が一人になってしまうのに。
私は歯を食いしばった。
悔しくて悔しくてたまらなかった。
目の前にいるのに。
一緒に戦ってくれたのに。
それなのに――
「どうして……!」
「…………私ね、生贄制度をなくす方法を考えついたの」
「リルシーナ!!」
「この時空の歪みを壊してしまえばいいって」
「ねぇ!聞いてよ!!」
「人間界側では壊せなかったと記録にあったけど、内側からはどうかな?」
「リルシーナ!!」
リルシーナは私の呼びかけなんか聞かずに淡々と話した。
私がどれだけ透明な壁を叩いても反応しない。
「ふざけないで」と叫びたかった。
こんな結末を私は望んでなんかいない。
「自分のために戦った。あなたに見てもらえた。誰かを守りたいと思えた。そして……自分を少しだけ愛せた。ありがとうクラリス。本当にありがとう」
そんな言葉はいらない。
何でリルシーナはそんな自分一人が魔界に残ることを、当然と受け入れるの?
魔界から聖剣を振り上げる音が聞こえた。
「待って!嫌だ……!私、まだリルシーナと――」
「クラリス……最後にお願い。もし、またあの花に出会えたら……どうか、笑って触れてあげて」
「……っ……リルシーナ……!」
その瞬間、魔界の入口は光の粉になって空へと登っていった。
私は絶望のあまり地に膝をついた。
風が舞い、その粉を天へと舞い上げる。
涙が止まらなかった。
魔界の入口は、跡形もなく消え去っていた。
手を伸ばしても届かない。
「リルシーナ……」
呟いた名前は、風にさらわれていく。
返事はない。
声も、気配も、何も残っていない。
だけど確かにそこにいた。
「……どうして、どうして……っ」
拳を地面に叩きつけた。
悔しさが胸を締めつける。
言葉にならない叫びが喉の奥で燃えていた。
◇◆◇
「クラリス・ネヴィル!?なぜ貴様がここに!?」
私は王宮に行き、前国王に謁見を願い出た。
衛兵は私を見て驚いていたが、陛下に謁見はさせてくれた。
陛下も私を見て目を見開いた。
「陛下、生贄制度を廃止してください」
「生贄制度の廃止?いきなり来て何を言い出すのだ。今までの生贄達は自らを犠牲にして世界を救ったのだ。誇り高い話では?」
「それは作り話です!」
私は声を張った。
生贄制度の廃止など考えなさそうな国王に詳細を細かく話した。
衛兵は真実に涙し、国王すらも切なそうな顔をした。
「今のままでは。またリルシーナのような犠牲が生まれます。彼女は誰にも望まれずに生贄にされた。誰からも愛されずに。愛を知らずに!このような世の中は変えるべきです!」
「…………神官を捕らえて処刑せよ、現国王も玉座から引きずり下ろせ。アイズルク公爵家も取り潰しせよ」
◇◆◇
翌日、生贄制度の廃止が正式に発表された。
まだ完全ではない。
でも、一歩ずつ。
それでも確かに変わり始めていた。
私は魔界の入口があったところに言った。
そこには膝をついて祈りを捧げるおばさんの姿があった。
おばさんは私に気がつくと「こんにちは」と言った。
「ここで何をしているんですか?」
「昔……ここで私の主人が生贄に捧げられたのですよ。心優しい方でしたが、愛に飢えて壊れてしまったのです。お止めしたのですが拒絶されてしまって……。私は最後まであの方を救うことができなかった。その方を敬うために毎年、捧げられた日に祈りを捧げているんですよ」
そうか、今日はリルシーナが魔界に捧げられた日なのか。
私は話を聞きながらおばさんに近づいた。
きっとリルシーナの話をしているんだろう。
おばさんの前には見覚えのある深紅の花が咲いていた。
「この花は、あなたが……?」
「いいえ。ここに生えていましたよ」
何でこの花がこんなところに……?
そんな疑問が浮かんだ。
私は膝をついて花に触れた。
――私は完璧な淑女にならないとお母様達から褒めてもらえないのかしら。
――これじゃあ、私が生贄じゃない。
――もう嘘の愛してるなんて聞きたくない!!
――クソ王太子も!クソ妹も!クソ両親も!クソ貴族も!全員許さない!!何も知らないくせに!ただ……愛してほしかった私の気持ちもわからないくせに……!!
――……生きてみたい?本当に?
――これ以上私を惨めにしないで!
――ねぇ、本当に私と一緒にいてくれるの?
――優しさは、いつも私を苦しめた。
流れてきたのはリルシーナの記憶。
他の生贄の記憶はない。
正真正銘、リルシーナの体の砂だけで育った花。
「ねぇ、リルシーナ。聞こえる?」
返事はない。
けれど、私は構わず続ける。
「あなたが言ってたとおり、また花に出会えたよ」
本当は泣きそうだったけど、それでも私は笑った。
涙は出てるけど、口角を上げて無理に笑う。
だって言ってたもんね。
――もし、またあの花に出会えたら……どうか、笑って触れてあげて。
「リルシーナ様……」
隣のおばさんも泣きそうになっていた。
なんだ、ちゃんとあなたを人としてみてくれた人はいたんじゃん。
おばさんと立ち上がった。
花に背を向けると、さっきまで私達の顔に向かって吹いていた風は、逆向きに変わった。
それはまるで私達の背中を押しているようだった。
――誰かに愛されたかった。
彼女の言葉が、今でも胸に残っている。
リルシーナ。
今、少しずつだけど変わっているよ。
あなたが私に託した未来は実現できているよ。
風は柔らかく吹き抜け、花びらを運んでいく。
私はその一枚を手のひらで受け止めた。
「リルシーナ。ありがとう」
その言葉は、空に溶けていく。
でもきっと届いている。
きっと、どこかで微笑んでくれている。
みなさんこんにちは春咲菜花です!第三幕で最終回です!作者も泣けました!もう、リルシーナが辛すぎる!いや、設定考えたの私なんですけどね?でも悲しかった。そして私の作品を読んできてくださったみなさんならもう察しているはずです。ネタ切れだと。違うんですよ!「転落事故で入れ替わり!」はギャグな上に現世ものですよ!?ネタ切れにもなりますって!頑張るので応援のグッド、レビュー、感想、リアクションください……。何ならネタ提供も待ってます!




