表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/148

第五十話







 ライネリカはその出自や、育ってきた環境のせいで、やや自己評価が低い自覚はあった。また、王族である割に社交界での経験も少ないことが、今回の作戦のネックにもなっている。

 エイロス国は小国ながらも豊かな国であるが、商談による来賓が多く、あまり大々的な舞踏会や、晩餐会というのを開催しないのだ。ライネリカはそれが普通だと思っていたが、第一王子の話によると、シスボイリーへの属国が決まってから顕著になったのだという。

 一国があまり華やかな社交場を設けると、大国の威厳に関わるという理由らしい。

 小国にそんなつもりがなくとも、目立った行動は慎むことが、属国同士の暗黙の了解なのだそうだ。特に属国の中には、大国への上納金や、移動にかかる交通手段等が祟り、資金難で社交界どころではない国もある。余計な火花を散らさないため、開催を控えるのが常なのであった。

 

「君に不慣れな社交場で、背伸びしてジャダルに近づけとは絶対に言わない。むしろ、手篭めにされて汚されかねない。そんな事になったら僕は嫌だし、君の姉君には絞められるし、アスタロイズとリュグザに殺されるし、良い事が一つもない」

「…………みなさま、過保護なんですわ」

「そうだな。でも、君がそういう犠牲になる必要はないんだ、ということは分かったか?」


 神妙に頷くと、彼は片手の平を上にしつつ、そっと差し出した。その手に自身の手を重ねれば、優しく握り込まれて目を瞬かせる。


「いいか、レディ・ライネリカ。自分の気高さを貶めるな。君は僕の婚約者で、十分に高嶺の花だ。今、向かっている祝賀会の会期中、最も注目されるべき女と言っていい。僕の隣で自信に満ち溢れ、堂々としているだけでいい。それが必ず、ジャダルの目に留まる」


 血色の薄い唇が、手の甲に触れた。真っ直ぐにライネリカを見つめる瞳に、以前あった蔑みや、憐れみ、愛玩動物に対するような情は感じない。

 彼はただ、ライネリカを見ていた。

 フィーガスの誠意と未来への展望に、ライネリカは向き合う義務がある。

 それが彼女には途方もなく、──嬉しかった。


「……分かりましたわ。閣下との勝利のために、わたくしもお力になりましてよ」


 ふふ、と柔らかく笑えば、フィーガスは少し目を見張る。そして相貌を崩し、再度手の甲に口付けてから、ゆっくりと片手を離した。


「それではまず、形から入ろう」

「形、とは?」

「仲の良さを表す、一番手取り早い方法は呼び方だ。……僕もネリカと呼んでもいいか?」

「まぁ」


 なるほど、と頷いて、快く了承しかけて思い留まる。

 数拍ほど思案した後、おずおずと口を開いた。


「……では、ここぞと言うときだけ、()()()()とお呼びくださいまし」

「エイリス?」


 言葉にされると僅かに気恥ずかしさが先行し、ライネリカは肩をすくめて苦笑する。


「わたくしの、……()()()()()()()()が、ひっそりと授けて下さった名前ですわ」


 “エイリス”は、ライネリカにとって特別な名前だ。

 親子として振る舞えなくても、想い合う心は繋がっている。リンドウとバラが授けた、愛ある下に生まれた娘を示す、彼女の名前である。

 子供の出来ない夫婦が若い頃、もし二人の間に子供ができたらという夢物語を語り合い、考え抜いた名前だと聞いている。もちろん、一度も呼ばれたことはない。そしてこの先、呼ばれる場面が訪れる事はないだろう。

 だからこそライネリカは、自らの名前として大切に慈しんできた“エイリス”を、フィーガスとの親密さを表す指標にしようと思ったのだ。

 フィーガスの表情が僅かに曇る。寂しさを共有してくれているのだろうか。ライネリカが見つめ返すと、彼はゆっくりと頷いて、座席についていた彼女の片手に、自らの手を重ねた。


「……分かった。では、僕のことはフィーと」

「フィーさま?」

「さま、も、いらないんじゃないか?」

「えっ、いや、それは……申し訳ございません、それは流石に段階を飛ばし過ぎですわ」

「飛ばしてないし、むしろ先に三段飛ばしで駆け上がったのは君だと思うが」


 仰け反って抗議するも、今度はフィーガスが苦笑して首を傾ける。柔和に細められた双眸は、黒目がちで明らかに人体と違うのに、見惚れてしまうような美しい光彩を宿していた。

 宝石にも似た美しい瞳に、ライネリカは少し惚けた後。三分近く時間をかけて思案し、逸らされない顔に観念して目線を伏せた。


「……ふ……、……ふい……、……フィー…………さま。……ダメですわ! わたくし、流石に不敬が加速してしまいますもの、ご容赦くださいませッ」


 羞恥よりも恐れ慄いて両手で顔を覆う。本人が許可しているとはいえ、やはり気が気ではない。

 赤い顔から一変し青くなったライネリカに、フィーガスもそれ以上の問答は避けて、馬車の座席にも垂れかかった。


「では、もう一つ。これは今じゃなくていいんだが……、いずれ僕の前では、気負わない話し方をしてくれるといい」

「気負わない……ですか?」

「ああ、君のその話し方は、姉君を真似しているんじゃないか?」


 指摘に押し黙ってしまうと、彼の片手が優しく頬に触れる。沈黙は雄弁だ。ライネリカは眉を下げて視線を返し、少し冷えた、筋張った指先に肌を押し当てる。

 フィーガスの言う通り、ライネリカの話し方はラジレイシアを模している。

 そうすることで、強く壮麗な姉姫の鎧を纏えるような、自身も強さを得られたような、そんな感覚になるからだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ