死するか否か
結局、届けられた紙袋に押し込まれていた古本はほとんど読まなかった。最初に手に取ってしまったやたら分厚い子供向け推理小説の駄作感も加わってしまった結果か、もう自分と会うことはない旨を伝える紙切れだけが、ベッドの隣にぽつんと置かれたゴミ箱の中に投げ捨てられていた。
彼女が去ってしまった以上、本格的にこれからどうするかを考えなければならない。アルラも大敗を喫した直後に同じ相手へ向かうほど馬鹿ではない。まずは『神花之心』を余裕持って扱うための寿命集めか、そのためには魔獣退治にでも出かけようかと考えながらもにもにと薄緑の果実を頬張っていると、一日に三回は必ず開くスライド式の扉が動いた。
不機嫌そうな表情を浮かべるアルラの病室に踏み入ってきたのは彼の主治医、白髪交じりの壮年男性だ。手の上のボードにペンを走らせる彼の目がアルラに向くと、毎回のごとく大きく息を吐く。
一応ネームプレートに名前が書いてあるはずだが、アルラは興味すら持たない。
「お知らせだよ。君の体についてだ」
「なんでもいい。退院できるか、出来ないかで聞かせてほしい」
「君が毎日退院退院騒ぐからね、万全とは言えないが許可が下りた。望むなら明日にでもこの病室とはおさらばできるさ」
名残惜しいとは思わない。
むしろ遅すぎたくらいだろう。本来一か月もあれば、どれだけ寿命を集められていたことか。アルラにとって生き物を殺すということは寿命を奪い、『神花之心』の糧を得ることを意味する。得た寿命の量が『神花之心』の力に直接影響を及ぼす。
どんな時でも燃え続ける蝋燭を世界中の生き物が一人一本持っていて、アルラだけは他人の蝋燭を無理やりぶんどって継ぎ足しできる。それどころか、蝋燭の上で燃える炎の激しさすらも思いのままに。
「そういえば、ここの所あの女の子を見ないけど」
余計なことを言った医者に、チッと各隙もない舌打ちが飛んだ。それだけで何か察したように医者は話を切り替える。医者というのはなにも技術だけあればいいなんて職業じゃない。患者と寄り添うコミュニケーション能力ももちろん必要で、彼はプロなのでそんな基本はしっかりと抑えていた。可愛げの欠片もない患者だろうと見捨てるわけにはいかないのが医者という職業の辛いところだ。
「それと、これが君の体の詳細ね」
受け取った書類の中、数枚に挟まれた一枚の人体図にはところどころにマーカーでチェックが引かれていた。目を通していくうちに一か月前の自分の体がどれだけ酷かったかが伺える。例えばまだ傷ついたまま完治していない血管もあった。ヒビが入ったままの骨もある。いずれも自分の体の違和感を覚えるポイントと一致してる。
ところで入院中灰被りアルラには疑問があった。
ここ一か月はベッドか検査室かトイレかを行ったり来たり。お風呂やシャワーなんて当然なく、時折濡れタオルで体の汗を拭き取るくらい。食事は毎回どろっとした『食材全部スムージーにしても栄養価は変化ないだろ』的無味無臭謎飯だった。
そう、飯である。
(あのどろどろのボンドみたいな病院食って、実はほとんど栄養なんて入ってないんじゃねえのかこれ)
思っても口に出さない辺りはまだアルラも良心的だった。そして細かくチェック横の文字を眺めているうちに、一つの文章が目に映る。そのチェックは黄色の他とは違い、危険信号である赤を示すマーカーで描かれていた。
左手首付近、骨密度(骨硬度)の低下がみられる、と。
自分の左手付近に視線が移る。左手首と言えば一か月前。『強欲の魔王』と対峙した際に豆腐の様にあっけなく握りつぶされてしまったあの左手首だ。その後なんとか『神花之心』の再生力強化で左手首は生えてきたものの、入院してしばらくは理由も聞かされずにギプスを嵌められたりしていた。
「ん?ああそれね。私も医者として長いけど、そんな症状見たことも無いよ。君が秘匿してる『異能』と関係があるのかい?」
「まあ、そんなところだ」
「変だよねえ。左手の先はごく普通の骨硬度だというのに、手首の関節部分だけ小枝の様にぽっきりと折れやすくなってる。骨密度や血管に異常は見られないんだけれども、不思議なこともあるもんだ」
視線の先で開いたり閉じたりを繰り返す指に異常はない。だがどうやら今のアルラの左手首関節はまずいことになってるらしい。
「本来は君の入院中に回復術師を呼んで診てもらう予定だったが、君がどうしても退院というから今回は応急処置だ。どういうわけか薬を飲んでも全く変化がないから、外側から固定する」
「またギプス?」
「いや?どっちかというと甲殻類の外骨格に近いかな。いつぽっくり折れても稼働できるように外付けの関節を取り付ける。当然君本来の関節じゃないから違和感も残るだろうが、嫌ならもうしばらくこの部屋での生活が続くよ」
ならいい。と小さく呟いて、今度は黄色く細長いバナナみたいなのを頬張りながら窓の外に目を向けた。いつかのように、向かい側の公演を走り回る子供たちの姿はない。本日はなんと火曜日。日本の現代人たちが月曜日の次に嫌がる魔の曜日だった。
だからだろうか。
今日はいつもより体が重たい。
結局、アルラは入院生活最後の日も彼女が残した本の束を手に取ることはなかった。翌朝ついに解放されたアルラがまず向かったのは宿だ。本当は二人で二部屋取っておいたはずなのに、アルラの急な入院でラミルが一部屋だけ借りることになった街の宿。とりあえず一週間分部屋を借りておく。
「あら?ラミルちゃんのお友達?」
寄ってみたのは彼女がここ一か月間、アルラの入院費を稼ぐためにアルバイトをしていたというパン屋だった。恰幅の良い『昭和のおふくろ』といった風貌の女性店主は残念そうに表情を暗くして。
「急に辞めるって言われちゃってねえ...彼女のおかげでガタガタだったうちの店の経営も立て直せたのよ。ほんと、彼女が来るまでは一日に十個も売れればいいって思ってたのに、今では焼いたパンが直ぐになくなっちゃって!」
確かに、狭い店内の棚のパンが数少ない。
「彼女、明るくて接客上手だったから。ラミルちゃん目当てなお客さんもたくさん定着してくれたのよ」
ラミル・オー・メイゲルの容姿はとても整っている。世界全体に数少ない『妖魔族』特有の白銀髪。
幼いながらも人形のように整った目鼻立ち。宝石の如く輝く青い瞳...
今思えば、結構すごいのと旅してたんだな。
はっきり言えば二人は他人。
一時的な協力関係を築いていただけに過ぎない。だから彼女かアルラの一方が離れて時点で関係は消滅して、それぞれがそれぞれの道を歩むことはごく自然なことだ。
灰被りのアルラ・ラーファは『強欲の魔王城』で彼女にその関係を提案した。彼女もそれに賛成して、無事とは言えないが二人で脱出してこの街に行き着いた。
だけど、どうしても。
どうしても。
彼女が、白銀髪の少女が最後に見せた表情が、薄っぺらい偽物の感情をかぶせただけの偽りにしか見えなかった。
心から望んだ本心だと思えなかった。
「そうそう、お友達ならラミルちゃんと会う機会もあるでしょう。これ渡しておいてもらえる?」
そう言って半ば無理やり店主の女性が押しあててきたものは薄い封筒。中では紙切れがかさかさと擦れる音を立てて、光に透かさなくとも中に何が入っているかなんて直ぐに理解できた。
「最後のお給料、あの子受け取らずに行っちゃったから」
押し付けられた封筒には黒のサインペンで、ラミル・オー・メイゲルと名前が書かれていた。
それは彼女の一か月間を象徴するように輝いて見えた。
なれない集団での生活にさぞ苦労しただろう。それもたかが俺みたいなやつのために。【憎悪】の咎人なんかのために、必死に働いて稼いでくれた金だった。決して高い金額ではなくても、それだけで十分すぎるほどに価値がある。
せっかくだから、評判の味を買って口で確かめつつも。
「やりたいことってなんだろうなあ」
次は自分の番だ。
白銀髪の少女の様に、アルラも本来の目的を。『強欲の魔王』攻略の手立てを探さねばならない。時間も寿命も無限じゃない。まずはこの街を離れて、もっと大きい街で情報を集めるべきだろうか。それとも同じ志を胸に持つ仲間を募集するべきか。
どちらにせよ、だ。
どちらにせよ必要なものは、アルラの手元にそろってない。
例えば金。
煉瓦と水の街ニミセトの件で思い知ったように、情報にはそれ相応の対価が必要だし、仲間を募るにも報酬金なんかを用意したほうがいい結果につながりやすいだろう。
一瞬、内臓でも売って『神花之心』の再生を繰り返すとかいう恐ろしい発想が浮かんでしまう自分が情けない。そうだ。『神花之心』を使うにも、エネルギーになる寿命は『強欲の魔王』戦で使い果たしてしまった。
ガソリンが入ってない車は走らない。
やはりまずは己の力を蓄えるのが先決か。
口に含んだパンの味は、脳に伝達する前に外の思いに揉み消される。もにもにと動かす口の中の感触は、まるで味覚丸ごと消失したように薄い気がする。
「あああああああああっ!!これからどうすっかなああああ!!!」
ゴドッ!!!と。
ジョッキの中の黄色いあわあわが飛沫を散らす。とても夏の夜とは思えない喧騒の中で、未成年野郎アルラ・ラーファはビールジョッキ片手に騒ぎまくっていた。頭の中を埋め尽くすもやを無理やりにでも引き剥がすために、また退院祝いを兼ねて暴食の限りを尽くすために。
ちなみに理由の一つには糞まずい病院食の味を忘れたいというのもあった。
ほとんどやけ食いなのだが、アルラは止まらない。ごくごくとビール会社のコマーシャルに出てくるような音を喉から発して、空になったジョッキをカウンター奥で焼き鳥を焼いていた親父に突き出した。
ここには取り締まるお巡りさんも法律もない。
「おい親父!もう一杯!!」
「......」
何も喧騒の主はアルラ・ラーファただ一人ではない。彼が座るカウンター席の周りに設置されたテーブル席。その座席の数だけ、禿げ頭の中年オヤジだったり筋骨隆々なワイルドイケメンだったりが大騒ぎしていた。もちろんみんなアルコールを持って。
......一人だけ、灰を頭からかぶったような青年はジョッキに注いだだけのリンゴジュースだが。
「......ここは酒場だぜ」
「うるせえェ!!」
寡黙な親父が呆れたような声を出していたが知ったことか。焼き鳥、枝豆、その他もろもろを注文すれば気分は日本の酔っぱらい。嫌なことなんて数秒で忘れられる素晴らしい魔法の出来上がりだ。 もっとも、ただのリンゴジュースにアルコールなんて含まれてないし、こっちの法律的に飲酒は可能だが中身は日本人のアルラ・ラーファ。どうしても、あっちの法律が頭の中から離れない。
法律云々は他所に、元から酒は苦手だったが。
「兄ちゃん、いい飲みっぷりだねえ!どうだいこっちで一緒に飲まねえか!?」
「ああんおっちゃん。奢ってくれるのかい!?」
「まっさかぁ!」
下品極まりない笑い声でバカ騒ぎされても聞いても眉一つ動かさないのはさすが店主。だてに毎日酔っぱらいたちの相手をしていない。
「あっははははは、はは、は...」
結局どれだけバカ騒ぎしたところで、ノリに任せて気分を変えようと試みたって。
原因もわからないもやもやなんて晴れるわけもない。言うならばこれは水たまりの血液だ。薄っぺらく広がる水たまりに血を垂らして赤く着色しようとする行為。たとえ色が赤に変わろうとも本質的に構成する物質に水たまりが含まれていることに変わりはない。水たまりを水たまり以外の何かにしたいなら、すっきり蒸発させるか化学反応でも発生させるしかない。
つまり、意味がない。
こんな気晴らしはまやかしで、そもそも本質を分かってないアルラにどうこうできる問題ではない。本人だって、いや、本人が一番よく知ってるはずだ。
「あー...」
これが俗にいう『死んだ魚の目』というやつだろう。アルラの目はもはや死んだ魚というか、全身が死んだ魚を表現しているようにすら思える。例えば焼き鳥を焼き終えた親父が焼き始めた魚の様な。
左手首をサポートする目的で巻かれた腕輪型のコルセットを片手で弄っていて、ふと耳に男どもの会話が入った。女房が腰を痛めただとか土木作業は金が入らないだとか、そんなどうでもいい他人の日常の一ページ。
安易に開けない禁書というのは、どこにでも息を潜める。
そこで聞いてしまった。屈強な酒豪たちの会話の中から、アルラも関係するかもしれない一文を。
決して聞き逃せない。
「知ってるか?『白の使い』が遂に手に入れたらしいぞ」
「手に入れたって、何をだよ」
男の一人は楽しそうに、酒で赤めた頬を釣り上げて言った。
「『遺体』だよ『遺体』!連中が年がら年中世界あちこち走り回って探してただろ?妖魔族の遺体をさあ!」
思考が、白ペンキで塗りつぶされたように染まった。手に持ったジョッキの中身が細かく震えていることに気付くのにすら時間がかかる。
遺体?
なんだそれは
妖魔族?
どういうことだ
自分が呑気に病院で寝ている間、彼女に。ラミル・オー・メイゲルに何があった。
気が付くと。
ガタンッッ!!とテーブルを揺らして。乱雑に、話の内容なんて数秒後には忘れてしまうような男たちの間に割って入っていた。
男たちはアルラの表情を目撃するとともに恐怖を覚える。まるで怒りと憎しみと悲しみをミキサーでかき混ぜたようなその表情は、ただの村人ごときを黙らせるには恐ろし過ぎる。
「詳しく聞かせてくれ...!」




