第23話 ある一家の侍女
明日はイルンちゃんと一緒にお出かけです。
ああ、もうイルンお嬢様とお呼びしなければならないのでした。
私も12歳の時にこちらへご奉公に来てから3年経ち大分お仕事になれてきました。
最近は奥様の侍女というよりイルンお嬢様の侍女です。
普通でしたらもともといきなりこのようなお屋敷の奥様付きの侍女にはなれなかったのですが、幸い実家がそれなりに大きい家だったので、ある程度教育を受けていたのと、奥様が貴族ではなく代官の方の奥方でしたので、短い教育期間の後、侍女に取り立てて頂きました。
さて、お出かけの前に毛先を揃えておきましょうか。
以前はぼさぼさだった髪も今ではすっかり艶々です。
髪を結うのは嫌がって許してくれませんが、お嬢様の髪を切るのは私の特権なのです。刃先や尖ったものを見ると怯えてしまう為、奥様にもレベッカ先生にも出来ない事なのです。
ふふ。
私には実家から持ってきた秘密道具、筒の形のおもちゃで刃先を隠したものがあるのです。
床の敷き布にぺたっと座ったイルンお嬢様が、ちょきんちょきんと軽快な音を立てるおもちゃに自分の髪が吸い込まれ一房ずつはらりはらりと落ちていくのを様子を、不思議そうな顔で見、そしてきょとんとした顔で見上げてきます。
ああ、可愛い、連れ去ってしまいたい。
人さらいの気持ちがわかります・・・いいえ、わかりません。
奥様から少しだけ話を聞きましたが、お嬢様には思い出させたくはないので詳しくは聞けません。
あの怪我の様子をみれば十分です。
あんなに酷いありさまだったのに、いまはもうこんなにも、すべすべのお肌です。
はあ、たまりません。
あら、いけない。お嬢様がむずがっていらっしゃいます。
もう少し頬ずりしていたかったですが、嫌われては元も子もありません。
「はい、ばんざーいしてください」
私がご奉公を始める前に幼くして亡くなったエミリアお嬢様の服なので幼児向けに上から下まで一気に脱ぎ着できるようになった簡素な服です。
素直に手を上げてくださったので、服を脱いでいただくとやはり線の細さが際立ちます。
成長すべき時に十分な食事を与えれず、お屋敷で保護されてからここ1年半も食が細かったせいでしょう。なるべく栄養価の高いものをと旦那様が手配してくださっているのが救いです。レベッカ先生がおっしゃるには食が細くても栄養は足りているので肌艶は良いが、骨格の貧弱さはこの先も改善するかどうかはわからないそうです。
ああ、可哀想に・・・・・・。
私が涙を流しているとお嬢様はハンカチで拭おうと手を伸ばしてくださり、懸命です。
ああ、なんてお優しいのでしょう!
はっ、いけない。お嬢様がうー、と不満の声を漏らしています。
もう少しすりすりさせて頂きたかったのですが、残念です。
翌日、私は日が少し昇る前に薄暗い中厨房へ向かいます。
料理長と厨房女中達が慌ただしく働いているのを確認し、軽食を頂いてから馬車の準備が出来ているか確認します。
そちらも馬丁達が準備中です、出発の時刻までには間に合うでしょう。
ご一家の準備も昨日のうちに終わり、実家への手紙も書きましたし、やることもやって朝からすっきりした気分です。
万事つつがなく進行していることを確認し、奥様のもう一人の侍女であるリリヤさんの所へ行き厨房で頂いて来た朝食を渡して報告し二人で朝食をとります。
「最初はどうかと思ったけど、あのイルンちゃんが奥様の娘になるなんてねえ」
リリヤさんは奥様の子供の頃からお仕えして、亡くなったエミリアお嬢様の事もよくご存じでしたので、複雑な気分だったそうです。
「イルンお嬢様のお陰で塞いでいたヨハンナ様もお元気になられたし、今ではこれでよかったと思えるわ」
ついでにいうと旦那様の事も最初はよく思っていなかったそうです。
奥様のお父様くらい年齢が離れていますから、年を取った商人が余生を若い女を囲って過ごそうとしているのかと誤解したそうで。
「実際には奥様に一目ぼれした旦那様が、結婚を許してもらうために、ご自身の店を他人に委ねて定住しようと市長の秘書やここのような代官の補佐を務めとうとう領主の代官にまで登りつめたのよ」
リリヤさんご自身も、奥様もどこにでもいる平民階級ですから成功した富豪の旦那様に生活を合わせるのは随分ご苦労されたようです。奥様はそこそこ成功した服飾職人の娘だったそうで、旦那様は仕事の付き合いで紹介されて出会い、それから猛烈な求婚が始まったそうです。あの旦那様がそんなに情熱的だったとは意外ですね。今度の事も奥様の喜ぶ顔がみたかったのでしょう。
そんな話をしていると、日が昇り始めました。
私はイルンお嬢様を起こしに向かいます。
何度も朝早くから起きて勉強していたり、夜遅くまで蝋燭に灯りをつけて勉強しているものですから私たちはイルンお嬢様から本を取り上げて、必要な時だけ旦那様の書斎やアンナマリーさんに借りる事にしました。
取り上げる時は断腸の思いだったのです。
私はあたまの悪いいけない子だからたくさんお勉強しなくちゃいけないの!と嫌がるお嬢様に良い子はたくさん寝るものです、とアンナマリーさんが説得してくださったようです。
ところで、彼女はいつも立派な神官服を着ていますが、あれって祭礼用の衣装で普段着にするような衣装とは違う気がします。結構実家は裕福だったりするのでしょうか。
ちゃんと眠る習慣が出来たお嬢様はまだ眠そうにしていらっしゃいますが、着替えさせて頂き、食堂へお連れして、抱き上げて子供用の椅子に座らせると後は給仕たちの仕事です。
私はお嬢様の手荷物を馬車へ運び、一家の大きな荷物は下男たちに運ばせます。
準備が整うと屋敷に残る家令のコンラートさんに引継ぎを行い留守中の屋敷の世話をお任せします。普段は私やリリヤさんがお手伝いしている奥様の菜園や女中たちの監督を本館の家政婦長を交えてお話します。
さあ準備が整いました、ギィエッヒンゲンへ出発です。




