(15)歌姫
修道女の幽霊が目撃され始めたのと前後して、再び暴徒は増加した。しかも、それまで以上にあり得ない事態が起きる。
「デイモン警部!」
重犯罪課オフィスで指揮を執っていたデイモン警部のもとに、一人の連絡役の刑事が慌ただしく駆け込んできた。
「どうした」
「大変です。武装警官の一部人員が暴走を始めました」
「なんだと!?」
「拳銃や剣、警棒で他の警官を攻撃しています。一様に意識が異常をきたしているようです」
デイモン警部はダンとデスクを叩いた。
「一体、何が起きておるのだ!」
警部はしばし、オフィス内をうろうろ歩いて思案した。しかしやがて、刑事の方を向いて言った。
「重犯罪課は本件に関し、魔法犯罪特別捜査課の指揮下に入る」
「ええっ!?」
「現場にいるアーネット・レッドフィールド巡査部長に、今すぐ連絡を取れ!一人でも多くの人を救いたいなら、ここに来て指揮を執るようにと!」
「はっ…はい!」
刑事は敬礼すると、すぐさまオフィスを後にし、大慌てで本庁庁舎を飛び出した。
混乱の度合いを増した現場でアーネットは、デイモン警部からの連絡を受け取った。
「冗談じゃない、俺にここを離れろってのか!一人でも…」
「警部は、一人でも多くの人を救うため、あなたに指揮を執れと言ってるんです!」
その言葉にアーネットはハッとした。
「しかし、ここを…」
その時だった。背後から、聞き覚えのある凛とした声が響いた。
「おじさん、困ってるみたいだね!」
アーネットが振り返ると、そこにはいつもの帽子とニッカポッカにブーツを履いた、魔女探偵ジリアン・アームストロングの姿があった。そういえばこいつがいたな、という気持と、今まで何してたんだ、という気持と、よく来てくれた、という気持が同時にアーネットに湧き上がった。
「やっとこっちの仕事が終わってさ。戻ってきたら何?大変な事になってるじゃん」
「ジリアン、ここは危険だ!今すぐ―――」
アーネットが制止する間もなく、ジリアンは杖をひと振るいした。すると、幾筋もの閃光が扇状に走り、暴徒と化した武装警官隊を貫いた。
ジリアンの魔法を受けた警官隊は、その場に糸が緩んだ人形のように崩れ落ちたのだった。
「どこが危険ですって?」
「お、おう」
「おじさんでなきゃ、出来ない事があるんでしょ!早く行きなさいよ!ここは私に任せなさい!」
そう胸を張るジリアンに、アーネットは力強く頷いた。なんと頼もしい十代女子だろうか。
「ジリアン!今度会ったときおじさん呼ばわりしたら、テレーズ川に叩き込むからな!」
「望むところだ!」
「望むのかよ!」
いつもの『おじさんと姪っ子』の儀式を済ませ、アーネットは伝令役の刑事とともに、重犯罪課オフィスに急いで戻る事にしたのだった。
「こいつはキリがない」
ブルーは、橋を渡りかけたところで予想外に大軍勢の暴徒に囲まれてしまい、ライトニングとともに対処に困難を極めていた。気絶させるのはいいが、後から後から自我を失った暴徒が湧いてくる。もはや、市内の人間ほとんどが暴徒化しているのではないか。
「仕方ない、やりたくなかったけど、やるか」
ブルーは、橋に大半が集まったのを確認すると、魔法の杖を下に向けた。
「ライトニング、ちょっと魔力を貸してくれ」
「ワン!」
ブルーの杖に、ライトニングから立ち上ったオーラ状の魔力が集中し、水色に輝き始めた。ブルーは、少し長めの呪文を詠唱すると、杖の先端に意識を集中して叫んだ。
「行け!」
ブルーの掛け声で、杖から一筋の光が放たれ、橋の舗装を直撃した。するとそこを起点として橋の舗装と床板が、ぽっかりと丸く歪んで穴が貫通してしまった。
当然、その上に居た暴徒たちは足場を失い、茶色く濁ったテレーズ川に、揃って叩き込まれる事になったのだった。
「おあああー!!」
「ぎゃあああ!!!」
濁流に悲鳴を上げる暴徒たちを尻目に、ブルーは膝や肩のホコリを叩いた。
「大げさだなあ。その辺はそんなに水深ないはずだよ。行こう、ライトニング」
「アオン!!」
哀れな暴徒たちの悲鳴と怒号を無視して、ブルーは市内へと急ぐのだった。
一方、情報局では政府に対する不満が渦巻いていた。
「この一大事に、あの政治家どもは何をしているんだ!」
ジェフリーが叫ぶ。入ってきている情報では、政府要人の多くがどこかに隠れてしまっており、軍への出動要請が遅れているのだという。
「ちょっと待ってください、キャプテン。いま入った情報ですが…」
電報を手に、一人の局員が読み上げる。
「ヘイウッド子爵グレン・ヘンフリー卿の独断で、陸軍歩兵師団に出動命令が下ったようです。市内の暴動鎮圧にすでに動いていると。子爵自身も最前線に出ようとして、引き留められてしぶしぶ後ろに引っ込んだらしいです」
「ヘイウッド子爵が!?」
それに驚いたのは、横で聞いていたナタリーだった。あの高慢ちきな子爵もやる時はやるのね、と思いながら、自分は暴動鎮圧の方法について何かないか、思考をめぐらせる。各ポイントに出現している修道女の霊には何かがある、おそらく状況からみて、暴動と密接な関係があるはずだとナタリーは考えた。
そのとき、ナタリーの魔法の杖が赤く光った。
「!」
慌ててナタリーは杖を耳に当てがい、魔法の電話に出る。
「アーネット!?」
『ナタリー、無事か』
「あなたは!?」
『無事さ。今、重犯罪課オフィスにいる』
それを聞いて、ナタリーは胸をなで下ろした。
「良かった」
『ナタリー、聞いてくれ。重犯罪課は一時的に、俺たち魔法捜査課の指揮下に入った』
「なんですって?」
『要するに、今俺が一番偉いということだ』
こんな状況で、冗談でみんなを落ち着かせるアーネットは頼もしかった。余裕などないのだが、アーネットはいつも、どんな時でも冗談を言う。それは、ちょっとした魔法のように作用した。
「魔法捜査課であなたが一番偉いなんて知らなかったわ」
『覚えといてくれ。ところで、そっちはどういう状況だ』
「アーネット、あちこちで修道女の幽霊が出たっていう話は聞いてる?」
『なに?』
少し間を置いて、アーネットから返事があった。
『俺は知らんが、確かにそういう報告が殺到してたらしいな。どうなってんだ?』
「聞いてちょうだい」
ナタリーは、ルイン・ローズガーデンにあったかつての修道院で起きた悲劇を、アーネットに伝えた。
『何か関係あると思う?今回の件に』
魔法電話の向こうでナタリーが訊ねた。
「ある、と考える他あるまい。この異常な状況で、関係ないと思う方がおかしい」
『そう思う?』
「突拍子もない話は俺たちにとって日常茶飯事だ。つまり俺たちにとっては普通の話ということだ。そして、俺たちの指揮下に入っている重犯罪課の連中は、俺の言う事を聞くしかない」
周囲に聞こえるように言いながら、アーネットは重犯罪課の刑事たちを見渡す。刑事たちは、わざとらしくウンザリしてみせた。奇しくも、アーネットもナタリーも、それぞれが古巣に戻って動いている事に、その時二人は互いに気付いたのだった。
「つまり、その修道女の幽霊っていうのは、ルイン・ローズガーデンからなぜかここリンドン市内にやって来た、と考えるより他にない。つまり、君の調べた、三百年前の悲劇の修道女たち、ということだ」
『そうなのかしら』
通話の向こうでナタリーが首を傾げるのが、アーネットには容易に想像できた。
「そうだと仮定する。いや、断定する」
『お任せするわ、もう。なんでも断定してちょうだい』
その反応に、周りで聞き耳を立てていた情報局や重犯罪課の面々は、つい吹き出した。
「ナタリー、サリタ・バンデラの自我を失った幽霊は、親友に出会った事で記憶を取り戻して浄化された。これは覚えてるな」
『ええ、もちろん』
「なら、似たような方法が通じると思わないか」
アーネットの推測に、ナタリーは少しの間無言で考えた。
『修道女の親友の霊でも見つけてくるの?』
「バーカ」
『バカとは何よ!!』
『ちょっとナタリー、落ち着いて』
通話の向こうで聞こえたのは、元恋人マーガレットの声である。アーネットは咳払いした。
「俺は霊能力なんてないからな、過去にやってみて通じた方法を機械的に参考にする。つまりだよ。サリタ・バンデラの魂は、親友という想い入れの強い存在が作用して、自我を取り戻した。そうであるなら、修道女の共通する何かがあるはずだ」
『共通する何か…?』
「俺はそんな信心深くないからな、それが何なのかはわからん。だけど、修道女ってことは、みんな信心深い人達だったんだろ?きっと」
ナタリーは、アーネットの問い掛けに怪訝そうな顔をして答えた。
「なに?神様の仮装でもして話しかけろっていうの?」
『方向性としては、そういう事だ』
「そんな大雑把な…」
言いながらナタリーは、手元のリンゼー修道院の資料に目を通す。
「…リンゼー修道院では讃美歌の合唱に、どこよりも力を入れていた…特に好んで歌ったのは讃美歌第3番である…代々の修道女たちは、時には専門の指導員まで招いて合唱の練習に励んだ、ですって」
『なるほど。使えるかも知れんな』
「どうやって?何をどうするの?」
ナタリーの疑問は、周りで聞いている全員の疑問でもあった。
「まさか、警官隊に讃美歌を合唱させながら鎮圧させるなんて言い出すんじゃないでしょうね。東洋の国に大昔、そういう軍隊が本当にいたらしいけど」
『ナタリー、君の発想力もなかなか良くなってきた』
「おかげさまで」
ナタリーは溜息をつく。しかし、アーネットが大事なポイントで冗談を言う事はないので、話は真剣に聞くことにした。
『いや、冗談で言ってるんじゃない。本当にいい発想だと思う』
「讃美歌第3番を歌える人を探してみる?」
ナタリーは周囲を見渡した。情報局員はあまり信心深くないのか、歌に自信がないのか、マーガレット以外は誰も手を上げない。
「…仕方ない」
ナタリーはそう呟くと、自らも挙手した。
「私とマーガレットが、歌える」
『本当に!?嘘だろ』
「失礼ね!じゃあ歌ってあげるわよ!」
そう言って、ナタリーは「しまった」という顔で周りを見た。
「…今のは冗談」
『いやいや、言ったからには歌ってもらわにゃあならん』
「ちょっと、あのね」
ナタリーが逃げ回っている所へ、一人の局員がまた電報を手に走ってきた。
「各地の駐在所からです。修道女の幽霊が、本格的に現れ始めたと。もう、生身の人間と区別がつかないくらいハッキリした姿だそうです」
ブルーは、暴徒たちがいなくなった所に、また修道女の幽霊が現れたのを確認した。どこを見るでもなく、ただ、そこにいる。
「ねえ、君、そこで何してるの?」
ブルーは声をかける。しかし、何の反応もない。視線すら向けようとはしなかった。
「君が、暴徒を呼び寄せてるの?」
繰り返し問い掛けるも、返事はない。
「ひょっとして、誰かに操られてるの?」
「その通り」
後ろから、聞き覚えのある声がした。ブルーが振り向くと、そこにいたのはグリーンの服が印象的な、モリゾ探偵社のミランダ・スカリー嬢であった。
「ミランダ!」
「さすが刑事さん、人の名前の記憶力は良いですね」
「あのね」
冗談言ってる場合か、とブルーはミランダを見た。
「ミランダ、君はこの修道女の幽霊が何なのか知ってるの?」
「もちろん知っています」
「じゃあ、協力してよ。この人達が悪さしてるんでしょ、君の得意だっていう、霊能力でパパッとお祓いすれば済むんじゃないの?」
ブルーは一気にまくし立てた。しかし、ミランダの返答はやや期待外れのものだった。
「申し訳ありません。私達魔女は、まだ介入できないのです」
「またそれかよ!掟、掟って!目の前で街が大変な事になってるのに、魔女は何にもしないのかよ!」
「その言葉には、こうお返しします。人類社会がかつて、魔女に対して何を行ったか、ご存知で言っておいでですか」
予想外のミランダの返答に、ブルーは戸惑った。
「ま…魔女狩りの事を言ってるの?」
「それ以上の事です。が、今それについて話している余裕はありません。違いますか」
ブルーは、憮然とした表情でミランダを見る。
「わかったよ。歴史学の講義は今度でいい。それより、今僕らが何をできるか、そのアドバイスくらいはしてくれるだろ」
「もちろんです。しかし、ひょっとしたらその必要はないかも知れません」
「え?」
その時だった。ブルーの杖が、赤色に点滅を始めた。
「アーネットからだ…もしもし?」
『ブルーか』
「今どういう状況?」
『ブルー、話してる余裕はない。魔法について訊きたい』
アーネットの言葉に、ブルーは何か作戦があるな、とすぐに勘付いた。
「いいよ、どうぞ」
『音を広範囲に響かせる方法はあるか』
「どういうこと?」
『言ったとおりだ。広範囲、たとえば街全体に音を響かせる魔法はあるか』
「街全体までは、僕一人だと無理だな。リンドン中心地なら、僕レベルの魔法使いが3人いれば何とかなる」
そこまで言って、ブルーははたと気がついた。
「ちょっと待って、アーネット。ミランダ、君は音響魔法、使える?」
ブルーはミランダを振り向いて訊ねる。ミランダは無表情で答えた。
「誰に聞いているのでしょう」
「言い方!」
咳払いして、ブルーはアーネットに答える。
「僕と、ここにいるミランダの力を合わせれば、中心地の70%くらいはカバーできる」
『ちょっと待った浮気者!ここにもう一人いるよ!』
唐突に通話に割り込んで来たのは、他に誰あろうジリアンである。
「ジリアン!!いたの?」
『恋人に向かって、いたのはないでしょ?今、暴徒たちを全滅させたところよ』
「なんで殺した!?」
『殺してないわよ! ……たぶん』
なんで曖昧なんだよ、と突っ込む余裕はブルーにはなかった。
「3人いるから、何とかなるよアーネット」
『そうか。じゃあ、ナタリーから飛んでくる声を、リンドン中に響かせてくれ』
「ナタリー?」
『そうだ。魔法捜査課と情報局の、即席の歌姫だよ』
アーネットの言っている意味はだいぶ理解不能だったが、ブルーは言われた通りの行動に集中することにした。
「ジリアン、今どこ?」
『宮殿公園』
「微妙なとこだな。こっちは時計塔の近くだ。そうだな…大聖堂まで移動できる?」
『あたしの方が先に着くかもよ』
「おっと、言ってくれるね。じゃあ、大聖堂に集まって、そこで音響魔法をかける。いいね」
『了解!』
ジリアンお得意の肉体強化魔法で、一気に駆け抜けるつもりなのだろうとブルーは考えた。ブルーが大聖堂を集合地点に決めたのは、リンドン市の中心地だからである。音を響かせるなら、ここしかないと踏んだのだった。
「よし、こっちのお膳立ては整った。あとはお前らに頼みがある」
アーネットは、古巣の重犯罪課の面々を見据えて言った。若干知らない顔もいる。
「いま、頼もしい若者たちが、大聖堂で事態打開の作戦を実行してくれる。みんなは、彼らが滞りなくそれを行えるよう、援護してほしい。動ける警官隊も動員しろ」
「おっと、俺も混ぜろよ相棒」
息を切らせて戻ってきたのは、カッターであった。
「生きてたか」
「俺は殺されても死なねえんだよ」
ニヤリと笑うカッターに、アーネットも笑みを返す。
「俺も行きたいが、ここで指揮を任されてるもんでな」
「水臭い事言ってんじゃねえ。俺がお前の代わりに現場に行ってやるよ、大将」
カッターは、アーネットの胸をドンと拳で押した。
「ようし、現場の班長はカッター巡査部長に任せる。出動!」
「了解!」
カッターを先頭に、刑事達は敬礼して、一斉にオフィスを出て行った。




