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(16)真の魔女

「本地区の暴動鎮圧完了!」

 メイズラント陸軍歩兵小隊の副長が、隊長に向かって叫んだ。兵隊たちの後ろでは、両腕を縛られてなお自我を失ったまま、暴れようともがく市民たちの姿がある。

「いったい、何が起きてるんだ」

 小隊長は、およそどんな戦場でも体験した事がない事態に、戦慄と困惑を禁じ得なかった。件の修道女の幽霊も、兵士たちの周囲に現れている。危害を及ぼす様子はないが、中には怯えて直視できない者もいた。

 混乱のなかで小隊長はすぐに頭を切り替え、次の行動に移った。

「屋内にいる市民の安否確認と、保護を急げ!行方知れずの政治家どもは後回しでいい!」


 混乱する市街地をかい潜り、ブルー、ジリアン、ミランダの3人は、なんとか予定どおりリンドン大聖堂に到着した。重犯罪課と警官隊は、アーネットの指示に従って大聖堂周辺をガードするように展開し、ただの一人も邪魔をさせないという意気込みを見せていた。とはいえ、ブルー達が何を始めるのか、そもそも理解していない警官たちが大半である。


「アーネット、こっちは準備できてるよ」

 ブルーの連絡を受けたアーネットから、すぐに返事があった。

『こっちがまだだ。うちの歌姫たちが、讃美歌の歌詞を忘れてる。いま歌詞を用意して練習してるところだよ』

「大丈夫なの?」

『ナタリーとマーガレットに訊いてくれ。杖の魔力が減ってきてるんで、切るぞ』

 それきり、アーネットからの返事はなかった。

「大丈夫なのかな」

「焦らない、焦らない」

 いつもの調子でジリアンはブルーの背中を叩く。相変わらず何の根拠もないので、ブルーは溜息をついた。

「ジリアンたちは、讃美歌第3番歌えないの?」

 ブルーの問いに、ジリアンとミランダは揃って首を横に振った。

「そういうあなたはどうなんですか」

「そうだ、そうだ」

 ミランダにジリアンも同調して、ブルーを問い詰める。ブルーは降参して肩を落とした。

「冒頭のメロディーしか思い出せない」

「わかる」

「わかります」

 少年少女は自分たちの学のなさを慰め合ったところで、改めて作戦を確認する。

「ナタリーから僕に、讃美歌の歌声が届く。僕はそれを、この大聖堂の真上に展開する音響魔法フィールドに送る」

「あたし達はそれを増幅すればいいんだね」とジリアン。

「そう。ライトニング、お前の魔力も借りるぞ」

「ワン!」

 使い魔ライトニングは力強く吠えた。

「まだこの子、余力ありそうね」

「並大抵の使い魔ではありません。一体、本来の主は何者だったのでしょう」

 ジリアンとミランダに撫でられて、ライトニングはブンブンと尻尾を振り回す。やはり女性に構ってもらう時が一番楽しいようだった。

「さて、そろそろいいかな」

 ブルーは、魔法の杖を取り出してナタリーに魔法電話をかける。


『そろそろいいかな、歌姫さん』

「もうちょっと待って!」

 ナタリーはマーガレットと隣り合って、讃美歌第3番の歌詞を見ながら調子を合わせる。

『あのさ、別にコンクールに出場するわけじゃないから。単に二人の歌声がリンドン中に響き渡るだけだよ?』

 歌声を受け取るだけの魔法使いは気楽である。首都じゅうに自分たちの歌声が響くのがどれほどの緊張感を伴うのかは、本人にしかわからない。

「ナタリー、いいわ。いきましょう」

 マーガレットが意を決してナタリーの肩を叩く。ナタリーは観念したように、青ざめた顔で頷いた。

「歌ってる最中に笑う人がいたら、魔法で縛り上げてテレーズ川に叩き落とすからね」

 ナタリーの脅迫はそれなりに効果があったようで、情報局の面々は口を手で塞いだ。

「いいわよ、ブルー」

 ナタリーはブルーに話しかけた。しかし、返事がない。

「ブルー、聞こえてる?」

 しかし、杖から聞こえてくるのはガリガリという雑音だけである。

「ちょっと、何これ?」

 ナタリーの顔に、歌う事とは違う緊張の色が浮かんだ。


 通話魔法が機能していないのである。



「もしもし、ナタリー!?」

 ブルーが呼びかけるものの、声が一向に通じない。

「だめよ、アドニス君。魔法による通信が、何かの影響で阻害されているみたい」

 ジリアンも杖でナタリーに繫いでみたが、同じ結果だった。杖は明滅を繰り返し、安定した接続が保てなくなっていた。

「レイラインの波長に、悪質な波長が混入しています。これはおそらく、あの修道女たちの幽霊の存在が強くなってきているのが原因です」

 ミランダは、霊能力の専門家として意見を述べた。

「幽霊がレイラインに影響するなんて事、あるの?」

「そもそも魔力と霊力は同じものです。現れ方が違うだけです」

「じゃあ、この状況を改善するにはどうすればいい?」

「修道女の幽霊を全て除霊すれば済むかも知れませんが、それをやるには時間がなさすぎます」

「なんてこった」

 ブルーは唇を噛んで空を睨んだ。そもそも、その修道女の幽霊を浄化するための作戦を立てているのだ。

「ナタリー達をここに直接連れてくるべきだった。僕の作戦ミスだ」

「こんな事態、誰も想定してないわ。誰のせいでもないわよ」

 ジリアンはそう言ったが、何の慰めにもなっていない事は自分でわかっていた。仮に今からナタリー達を呼びに行ったとしても、増加した暴徒の間を通過しなくてはならない。

「一体、誰が何のためにこんな事してるんだ?こんな、街中を混乱に陥れて」

 ブルーの声には怒気がこもっていた。それはジリアンが初めて見る、ブルーの心の底からの怒りだったかも知れない。マイペースなように見えて、実のところ誰よりも正義感が強い少年なのではないか、とジリアンは思った。

「アドニス君、落ち着いて。必ず、何かあるはずよ」

「何かって―――」

 そう言いかけた時、ブルーは何かを思い付いたらしかった。

「そうだ、できるかも知れない」

「え?」

「僕らの足元には、強い味方がいる」

 ブルーが足元を見るのに合わせて、他の二人も足元を見た。



 アーネットもまた、通信ができない状況に気付いていた。しかし、できる事は何もない。

「くそ、こんな時に」

 落ち着け、何かあるはずだとアーネットは自分に問いかけた。だが、今回ばかりはどうにかできる自信がなかった。

「一体、何のためにこんな動乱を…」

 そこまで言って、アーネットは突然大変な事を思い出した。

「…まずい」

 アーネットの様子がおかしい事に、オフィスに残ったデイモン警部と2名の若い刑事が気付いた。

「何がだ」

 警部は訊ねた。

「警部、ヘヴィーゲート監獄は今どうなってるんです」

 アーネットが唐突にその名を出したため、警部たちは面食らったようである。

「ヘヴィーゲート監獄だと?」

 警部は、通信係の刑事を向いてたずねた。

「ヘヴィーゲート監獄は現在、完全閉鎖されています。一部の警官は、暴動鎮圧のために駆り出されたとも聞きました」

「だそうだ。どうかしたのか、レッドフィールド君」

 デイモン警部に、アーネットはガタンと椅子を立って言った。

「収監中のドロテオ・バンデラの安否は確認できてますか!?」

「なに?」

「この暴動は、ドロテオ・バンデラを殺害する時間稼ぎのための陽動でもあったんです!」

 アーネットの推測は、突風のようにデイモン警部たちを戦慄させた。

「口封じのためにか。それはあり得るが、しかしこれほどまでの規模の陽動があるのか」

「それはわかりません。何らかの、別の目的を兼ねている事もあり得ます。ですが、自分達の後ろ暗い過去の取引を全部知っているドロテオを、黒幕の政治家たちが生かしておくはずがありません!ドロテオを殺人犯として排除させ、誰かがその後釜に座る。排除されたドロテオは、口封じのために殺される。全てが、仕組まれたシナリオだったんです」

 アーネットの推理は、的も射ていれば筋も通ったものだった。しかし、それが事実であるかどうかは、実際にヘヴィーゲート監獄の状況を確認しない限りわからない。

「監獄に連絡を取れ!ドロテオの安否を確認するんだ!」

「はい!」

 若い刑事はすぐさま、監獄に電信を送る。

 しかし、いくら待っても向こうからの返信はなかった。

「警部、これは…」

「やられた。レッドフィールド君の読みが当たったようだ。回線が何者かに切断されたのだ」

「なんですって?じゃあ…」

 警部は首を横に振った。

「おそらく、ドロテオはすでに殺害されていると見ていいだろう。そんな事に気付かなんだとはな。わしの責任だ」

 デイモン警部は無念そうに、がくりと肩を落とした。しかし、アーネットはまだ諦めてはいないようだった。

「警部、まだ可能性はあるかも知れません。心当たりがあります」

 そう言ってアーネットは、胸元から一枚の名刺を取り出すと電信機の前に座り、どこかへ向けて電信を打ち始めた。



 ここは、ヘヴィーゲート監獄の外縁部。高い塀と獄舎に囲まれた芝生の通路を歩く、ひとつの影があった。

 女性用の黒いビジネススーツ風のジャケットとスカートをまとい、黒い帽子の下にはブラウンの長髪がなびいていた。それは、魔女アズーラ・エウスターチオであった。


 アズーラは、獄舎のある場所で立ち止まると、魔法の杖を取り出して、自らの目に何かの魔法をかけた。そして、獄舎の壁を見ながら横方法に移動していくと、ある箇所でぴたりと足を止め、笑みを浮かべた。

「悪党の最後は、利用された後に口封じされて終わりか。切ないものね」

 そう呟いて、アズーラは杖を壁に向ける。

「さようなら、ドロテオ・バンデラ」

 アズーラの杖の先端に、禍々しい赤黒いオーラが集中し、今にも壁に向けて放たれようとした、その瞬間だった。

「あうっ!」

 アズーラの杖が、突如横から飛来した雷光のようなエネルギーに弾かれて、宙を舞い芝生に落ちた。

「誰!?」

「わたくしが誰か知らぬようでは、魔女など名乗る資格はありません」

 その、柔らかくも威圧的な響きを伴う声の主は、魔女カミーユ・モリゾその人であった。インバネスコートの下から伸ばした美しい指には、銀で出来た杖が握られていた。

「カミーユ・モリゾ…!魔女のお前がどうして!」

「制約がある我々魔女が、介入する筈はない。そう踏んでおいででしょうが、あまりにも度を超えた状況に対しては特例もある、とだけ申し上げておきましょう」

「ふん」

 アズーラは懐から別な杖を取り出すと、カミーユに向けて突き出した。

「掟などという、目に見えぬ因習に縛られた、古臭い魔女ごときに邪魔はさせないわ」

「弱い犬ほどよく吠える」

 カミーユは、冷徹な眼光を向け言い放つ。

「退け。命が惜しいのなら」

「それはこっちのセリフだ!」

 アズーラの杖から、さきほどの赤黒いオーラの塊が放たれて、カミーユの全身を直撃する。それは巨大なオーラの渦となって巻き起こり、芝生をえぐって、背後の塀に巨大な穴を開けてしまった。オーラが消えたあとに、カミーユの姿はなかった。

「カミーユ・モリゾ。噂ほどもなかったわね」

 アズーラはにやりと笑う。

 しかし。

「私は優しい。だから、あと二度までは見逃してやる。もう一度言う、命が惜しければ手を引け」

 その声は、アズーラの背後から聞こえた。アズーラの背筋に、それまで体験した事がない悪寒が走る。

「おのれ!」

 振り向いたアズーラの喉を、カミーユの細く美しい指がガッシリと掴んだ。カミーユはそのまま、アズーラの体を持ち上げる。

「あ…かはっ」

「諦める気になったか」

 カミーユはそのまま、アズーラを投げ飛ばした。アズーラの体は宙を舞い、監獄の塀に叩きつけられ、背中に激痛が走った。

「ぐああっ!!」

「お前ごとき、百人束になろうと私には傷ひとつ負わす事はできない。たとえ、魔女の制約の範囲内で戦ったとしてもな」

「ぐ…がはっ」

 アズーラは、よろよろと立ち上がってカミーユを睨む。

「望外の企みは身を亡ぼすだけだ。お前は今回の動乱で、無辜の民を幾人も死に追いやった。それはいずれ、お前に返って来る。それがそのままお前への罰だ」

「知った風な事を…」

「三度目の警告だ」

 カミーユは、アズーラに杖を向けて一筋の青い閃光を放った。アズーラの顔をかすめ、美しいブラウンの長髪を切断すると、それは背後の塀に到達した。

 次の瞬間、南側の塀のほとんどが、まるで薄紙が燃えて灰になるかのごとく、塵になって消え去ってしまったのだった。それでいて、地面や芝生には一切の傷がついていない。

「私がその気ならお前の肉体は今、この世になかった」

 アズーラは、その場に尻もちをついて震えあがった。カミーユ・モリゾという魔女は、自分達の理解をはるかに超えている。戦って勝てるなどと思うのは、そもそも間違いだったのだ。

「ふ…ははは」

 しかし、アズーラは笑った。

「いいわよ、ここは退いてあげる…私だって、命は惜しい」

 立ち上がるアズーラの膝は、恐怖でガクガクと震えていた。しかし、それでもプライドのなせる業か、まだ不気味な笑みを浮かべていた。

「あんなゲスな政治家どもの過去が暴かれようが、私には関係ない。ドロテオのような小悪党、生きていようが死んでいようが知った事ですか」

 アズーラは、痛む背筋を庇うように腕を後ろに回し、もう一本の手で杖を構えた。

「けれど、私の実験はすでに完了しつつある…止めてごらんなさい!いかに力があろうと、すでに起きたものはどうにもなるまい!あははははは」

 アズーラの杖から紫色の旋風が起こり、彼女の全身を包んで消え去った。そこにはもう、アズーラの姿はなかった。

「痴れ者め」

 カミーユは、どこか哀れむようにそう吐き捨てると、再び杖を軽く振るった。すると、先ほど塵になった塀は、アズーラが開けた穴やえぐり取った芝生も含めて、一瞬で全てが元通りに修復されたのだった。

「アーネット。私を頼ってくれて、嬉しかった」

 カミーユは空を仰ぎ、そう呟いて微笑んだ。



 一方、大聖堂では十代の少年少女魔法使いチームが、事態打開のために作戦を発動しようとしていた。

「いいな、ライトニング。お前の力を貸してくれ」

「ワォン!!」

 いつになく力強く、ライトニングは雄たけびを上げた。

「ようし、やるぞ!」

 ブルーは、杖を高く掲げ、だいぶ長い呪文を詠唱した。それに合わせ、ライトニングからブルーに魔力が供給される。

「もっとだ!今晩はご馳走を食わせてやる!」

 ブルーがそう言うと、がぜんライトニングは張り切って魔力を増大させた。

「これだけあれば、できるか?」

 そう言うと、ブルーの杖の先端から真っ直ぐに、光の筋が水平方向に伸びて行った。



 情報局では、突然どこからか光の筋がオフィス内に飛び込んできたために、混乱をきたしていた。

「なんだ!今度は!」

「ナタリー、これは何なんだ!?」

 ジェフリー達が慌てふためく。

「こっ、これはまさか…」

 ナタリーが驚いていると、魔法の杖が青く光り始めた。

『ナタリー、聞こえる!?』

 杖から、ブルーの声がする。ナタリーは慌てて耳にあてがった。

「ブルー、聞こえるわ!通話が回復したの!?」

『レイラインを人工的に作り出して、そっちに繫いだんだ!ライトニングに頑張ってもらってるけど、どれだけ持つかわからない!』

 そう聞いて、ナタリーは呆れかえった。魔力を直接消費してレイラインを無理やり作ってしまうなど、聞いたことがない。

「信じられない事するわね」

『ナタリー、今しかチャンスはない!歌って!』

「わかった」

 ナタリーは、マーガレットに目で合図をした。マーガレットは、少し緊張の色を浮かべながら、ナタリーとともに杖を握って、すっと息を吸いこむ。


 大聖堂上空には、ブルーたち3人が作り上げた、音響魔法のエネルギーが皿のような形状で浮かんでいた。3人は杖を天高く掲げ、ナタリー達の歌声が届くのを待っている。


 やがて、ナタリーとマーガレットの澄んだ歌声が、リンドン中に響き渡った。


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