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(12)二人は眠れない

 夜10時すぎ、ジリアンが「もと占い館・カミーユ」のドアを開けると、黒いルームドレスを着た年齢不詳の魔女・カミーユが出迎えた。

「おかえりなさい」

 まるで帰宅する時間がわかっていたかのようである。

「ただいま、カミーユ」

「こんばんは」

 ジリアンに続いて、ブルーが挨拶した。足元にはライトニングが控えている。

「ここまでジリアンを送ってくれたんですね。ありがとう、ブルー」

 何とも言えない、独特の雰囲気を湛えた女性だなとブルーは思った。物腰は柔らかく丁寧なのだが、何となく蛇と向かい合っているような緊張感がある。ライトニングに興味を持つかと思ったが、ちらりと見て微笑んだだけでスルーした。

「素敵なスーツが汚れているわ」

 そう言うとカミーユは、人差し指をブルーとジリアンの手前で、トンボでも捕まえるようにくるりと回した。二人が気付くか気付かないかのうちにボロボロの二人の服は、いま仕立て屋から出てきました、と言っても誰も疑わないような真新しい生地に生まれ変わったのだった。


 ブルーは正直、その何気ない一瞬のカミーユの魔法に慄然とした。

「あ…ありがとうございます」

 その感嘆と恐怖を伴ったブルーの感謝に、カミーユはただ微笑んでいる。ブルーは、呪文の詠唱がなかった事に驚愕を覚えていた。これほど高度な魔法を詠唱なしに発動するというのは、例えば500mの狙撃を片手で、紅茶でも飲みながらやってのけるようなものだ。間違いなく、ブルーの師と同等の実力の持ち主だと彼は理解した。

「楽しかったわ」

「そう」

 カミーユはジリアンの頬に手を添えて優雅に微笑む。同じ魔女でも、自分の先生とはだいぶイメージが違う。この人がアーネットのどこを気に入って交際していたのだろう。そして、今はどう思っているのだろうか。

 話したい事は山ほどあるのだが、今は疲労と背中のダメージが心配なので、今日はもう帰る事にしたブルーだった。

「それじゃ、僕はこれで失礼します」

 ブルーがドアを閉じて帰ろうとした時、カミーユは指で「待て」と合図した。

「明日はお仕事をお休みした方がいいでしょう。背中の筋肉を、お医者様に診てもらいなさい」

「え!?」

 ブルーと、そしてジリアンも驚いた。なぜ、ブルーが背中を痛めた事を知っているのだろう。そう二人が思っていると、再びカミーユは言った。

「私が全てを知っているとは思わないことです。しかし、あなたの目を見てわかる事もあります」

「目を…」

 それは、占いなのだろうか。それとも魔法なのだろうか。とにかく、底知れぬ実力を秘めた人間である事はよくわかった。

「ジリアンをここまで送ってくださったお礼に、ご自宅までお送りいたします」

「え?でも、送るって…」

「また、いらしてください」

 そう言って、今度は小さな金属製の杖を取り出すと、ごく短い呪文をカミーユは詠唱した。ブルーとライトニングの足元に、羅針盤のような模様が白く浮かび上がる。

「アドニス君、今日はありがとう。私、忘れないわ。また一緒にお出かけしましょう」

 ジリアンが、向日葵のような笑顔を向けた、その時だった。

 ブルーの視界が一瞬明るくなったかと思うと、次の瞬間にブルーは、よく知っている道に立っていた。


 そこは、森の中にある小路だった。道の奥には、やはりよく知っているデザインの古い門扉が見える。

「僕の家だ…」

 ブルーはまたしても驚愕を禁じ得なかった。カミーユとジリアンの自宅があるスウォード通りから、ブルーの自宅までは2~3km近くあるはずだ。ブルーはその距離を、カミーユの魔法で一瞬で転移させられたのだ。

 今の自分では、ここまでの魔法はとうてい使えない。恐るべき実力の持ち主だ、とブルーは背筋が寒くなるのを感じた。もし、地下で遭遇したあの巨大な人形と対峙したとしても、カミーユなら一瞬で片付けたのではないだろうか。デートの締めくくりは、デート相手の師匠の巨大さを思い知らされるという謎のイベントであった。


「ただいま戻りました」

 あまりに遅いので門が締まっているのではと危惧したブルーだったが、鍵はかかっていなかった。

「おかえりなさい、アドニス様」

 だいぶ遅いというのに、20代のメイドが何事もなかったように出迎える。もっとも、事件の捜査が押して帰宅が深夜になる事も無いわけではないため、使用人たちも慣れたものだった。

「お楽しみになれました?」

 ブルーの上着を受け取りながらメイドは訊ねた。

「うん。…母さんはもうお休みかな」

「さきほど寝室に行かれました」

「そう」

 自室に行こうとしたブルーだったが、振り向いてメイドに訊ねた。

「今日、先生は来てた?」

「いいえ。明日いらっしゃる予定だったかと」

「そうか」

 その時、メイドは見慣れない影がブルーの足元にあるのに気が付いた。ブルーと一緒にやって来た、狼犬ライトニングである。

「アドニス様、その犬は!?」

 若干引き気味にメイドは訊ねる。

「ああ、ちょっとね…ははは」

「確か、お友達とお出かけと伺っておりましたけど」

「明日説明するから、とりあえず今日は黙っててくれる?」

 それだけ言うと、ブルーは「おやすみ」と言って自分の部屋に向かった。ライトニングも、さも当然のようにブルーについて階段を上がる。メイドは、呆気に取られたようにそれを見送った。しかし、魔女が当たり前のように出入りする家でもあり、ちょっとやそっとの事で動じるようでは、使用人など務まらないのも事実だった。


 今日起きた事を、誰にどこまで話すべきか。とりあえず、自分の先生には話しておくべきかとブルーは考える。母親も一応魔女なので、話してもいいだろう。魔法捜査課の二人にも、隠し事はしたくない。が、あまりにも見たものが異常だったので、他の警察関係者に話していいものかどうか、考えるとモヤモヤする。

 ブルーは、とりあえず今日はもう寝ることにした。



 窓からの月明かりが眩しい。

 ブルーは、ジリアンとの一日を思い出すと胸がドキドキして、眠れなくなっていた。使い魔ライトニングは、主人を無視してすでに床で眠りこけている。もうこの家に馴染んでいるのか、とブルーは思った。

「……」

 異常な出来事もあったが、デートらしい時間もそれなりにあった。一緒に汽車に揺られ、観光客の人混みを歩いた。バラの隣で微笑むジリアンはきれいだった。街道を歩きながら、自生する花や木々の名前を教えてくれるジリアンは可愛かった。

 ジリアンが自分に近付いてきたのは、カミーユの指示によるものだったらしい。けれどそれをあっさり明かした後も、その指示とは関係なくジリアンは関係を深めようとする。こんなに押しの強い女の子は初めて見た。それなのに、なぜか違和感がない。そこにジリアンがいるのが自然な事であるようにも思える。


 なぜだろう。


 いまのブルーにとって最大の謎はジリアンだ。


 それはそれとして早く眠りたい、と思っていた時だった。サイドテーブルに置いてある魔法の杖が、ピンク色に点滅を始めた。

「!」

 ブルーは杖を取り、それが文字転送魔法である事を確認した。通話魔法の一種で、文字列を特定の相手に送れるのだ。

 杖を、寝たまま天井に向ける。すると、天井に光の文字で短い文章が投影された。


『ジリアン:起きてる?』


 相手はジリアンだった。何か話したい事があるらしい。夜中に通話魔法を使うと、同居しているカミーユに聞かれるから文字転送にしたのだろう。ブルーは返信した。


『ブルー:起きてるよ。眠れない』


 空間に打ち込んだ文字に杖を振るうと、文字は風のようにヒュンと消え、レイラインを伝ってジリアンのもとへ届いた。ほどなくして、ジリアンからも返信があった。


『ジリアン:あたしも。目が冴えちゃってる』


 同じだな、とブルーは思ってクスリと笑った。杖が光るのを待ち構えるのは面倒なので、ブルーは天井に文字転送魔法の『ウィンドウ』を開く。これを使うと、掲示板のように互いの送った文字が流れて行くのだ。


『ブルー:今日は楽しかった。ありがとう』

『ジリアン:あたしも。またお出かけしようね』

『ブルー:検討しておきます』

『ジリアン:何よそれ。政治家の答弁じゃあるまいし』


 ブルーは吹き出した。


『ブルー:もうちょっと普通のお出かけならいいよ』


 これに対するジリアンの返信に間があったのは、レイラインの向こうで笑いを堪えていたせいではないかとブルーは思った。少しして、また文字が返ってきた。


『ジリアン:次はカミーユに変な事が起こらないデートコースを占ってもらう事にする』

『ブルー:絶対起こらないコースでお願いします』

『ジリアン:カミーユの性格だと、笑いながら何か起こるコースを提示してきそう』


 冗談ではないが、あの人なら何食わぬ顔でそういう事をしそうだ、ともブルーは思った。その時、ふと思った事をブルーはジリアンに訊ねるべきか迷っていた。せっかくデートの話で盛り上がっている空気を壊してしまうかと思ったのだ。

 それを読んだかのように、ジリアンからのメッセージが届いた。


『ジリアン:何か話したい事あるんでしょ?言ってみていいよ』


 ジリアンは、いつもこんな風にブルーの気持ちを先読みしてくる。何となくカミーユに通じるものがあるとブルーは思った。モヤモヤを抱えたままなのも気持ち悪いので、ブルーは思ったままを返信した。


『ブルー:あの遺跡のこと、カミーユに話した?』


 また少し間を置いて、ジリアンが返す。


『ジリアン:ううん、まだ話してない。カミーユ、あのあとすぐ寝ちゃったから』

『ブルー:そうか』

『ジリアン:悩んでる?』

『ブルー:うん。誰に、どこまであの出来事を話すべきだろうって思って』


 また、間を置いてジリアンからの意見が返ってきた。


『ジリアン:とりあえず、ブルーの先生に全部話したら?あたしもカミーユに全部話すつもりよ』

『ブルー:全部?』

『ジリアン:そう、全部。魔法に関する事なら、魔法のエキスパートにまず相談するべきよ。脅迫状が届いたら、まず警察に相談するでしょ』


 何やら物騒な例え話を出してくるのは、お互い職業病みたいなものだろうかとブルーは思ったが、ジリアンの意見には筋が通っている。魔法に理解のない人間に話しても仕方がない。


『ブルー:アーネットとナタリーにはどうしよう』

『ジリアン:それも先生に訊けばいいじゃない』


 先生に全振りか。しかし、とりあえずそれが無難かなともブルーは思う。


『ジリアン:アドニス君、悩みすぎる事ないと思うよ。みんなで考えればいいじゃない、難しい事は』

『ブルー:みんなで?』

『ジリアン:そう。あたし達みんな、きっといいチームになれると思う。魔法捜査課のみんなと、うちの探偵社と』


 いきなりそんな話を振られて、ブルーは面食らった。まだ、ジリアンの所属するモリゾ探偵社と、魔法捜査課の面々の全員が一堂に会した事はない。ジリアンがひとつの事件に関わっただけだ。魔法の知識を持つ面々が全員関わる事態というのは、どういう事態だろうとも思う。


『ブルー:一度みんなでアフタヌーンティーでもする?』


 その何気ないブルーの冗談に、即座に返信があった。


『ジリアン:あはは、いいね。でも、実現しそうな気もする。だいぶ先かも知れないけどね』

『ブルー:それ、ジリアンのカン?』

『ジリアン:そう。あたしのカンは当たる』


 いつもの、自身ありげなジリアンの笑顔がブルーの脳裏に浮かぶ。


 思えば、奇妙な人間たちに囲まれているなとブルーは自分でも思う。いや、自分自身が魔法使いという、第一級の奇妙な人間と言われればその通りである。人間どころか、ついに魔法を使う犬までが加わった。

 ジリアンの話によれば、モリゾ探偵社にはまだ会っていない魔女が一人いるはずだ。その人もいずれ、事件か何かで関わる事になるのだろうか。奇しくも、魔法捜査課とモリゾ探偵社、どちらも3人である。


 そんな事を思っていると、ようやく睡魔らしきものがやってきた。ブルーが欠伸をしたところで、ジリアンからのメッセージが届く。


『ジリアン:やっと眠くなってきたわ。そろそろ眠る事にする』

『ブルー:僕もだ。おやすみ。今日は楽しかった』

『ジリアン:あたしも。おやすみ』


 やり取りの最後は呆気ない。杖をテーブルに置くと、本格的に眠くなってきた。果たして明日きちんと起きられるだろうかと思いながら、ブルーは眠りについた。二人がその夜、楽しい夢を見られたかどうかは、誰にもわからない。


 ようやく、初めてのデートの一日が過ぎようとしていた。が、まだちょっとした後日談が彼らには控えているのだった。

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