(11)始まりの終わり
遺跡からようやく脱出したブルー達は、少し休んで落ち着くと、帰りのルートを探す事にした。空は晴れて星が見えるということは、少なくともスモッグに満ちたリンドン近郊ではない。時刻はおそらく8時は過ぎているだろう。
ブルーはとりあえずレイラインを確認したが、やはり先程の遺跡の上である以上、レイラインは通っていなかった。
「最初にライトニングが飛び込んだ遺跡と、おそらく繋がってたとは思うんだけど。魔法に関する遺跡が、レイラインを外れた土地にあるのは何故なんだろう」
空の星を見上げながらブルーは言った。
「地下で私達、そうとう歩いたわよ。そもそも、一体どれくらいの規模の遺跡なのか想像もつかないわ」
「いずれ、あの遺跡には調査隊が入る事になると思う。どう考えても異常な空間だよ。しかも、あんな危険なものが内部でうろついてるなんて」
ブルーの脳裏には、つい先刻死闘を繰り広げた謎の巨大な人形が思い起こされていた。地下何十メートル、あるいはもっと下なのかはわからないが、確かに実在するのだ。その証拠に、すぐ横にはさっきブルー達が魔法でぶち抜いた穴がある。
「目印を残しておこう」
ブルーは、特定のポイントをチェックしておける魔法を脱出口付近にかけた。追跡魔法の一種で、術を施した者だけが感知できる。
念のため、開けた穴は塞いでおく事にした。万が一、人や動物が迷い込んでしまうかも知れない。
「いま仮に夜8時として、翼馬星座がこっちに見えるから…東はあっちだね」
ジリアンは、丘陵がなだらかに下がっていく方向を指さした。月明かりのおかげで、ある程度の範囲であれば周囲の様子が見える。二人と一匹は、とりあえずそっちの方向に歩く事にした。
「ちょっと待って」
少し歩き出したところで、ジリアンははたと何か思いついたらしく、ライトニングの前にしゃがんでその耳を両手でつまんだ。
「ライトニング、あなたリンドン市内がどっちかわかる?」
「ワン!」
相変わらずライトニングの返事は力強い。
「最初からこの子に任せれば、星座を読まなくても良かったのね」
「万能犬だな、こいつ」
「よしライトニング、リンドン市内に向かう道路に案内して」
ジリアンの命令に、ライトニングは嬉しそうに尻尾をブンブン振り回して先導役を買って出た。
はたして、この使い魔ポジションに収まった魔狼犬ライトニングは一体何者なのだろう。やはり、自分が飼う事になるのだろうかとブルーは思った。今まで動物を飼った事はない。だが、どうやら人語を解しているらしい犬なので、あまり気負う必要はないかも知れない。
エサは何を食べるのか。犬のエサ代で困るような家ではないが、警察犬として魔法捜査課で雇う事はできないか。そんな事を考えているうちに、ブルーたちは見覚えのある細い街道に出たのだった。
「やっぱり、あの遺跡だったんだ。これで確定だね」
ブルーは得心がいったようだったが、ジリアンはもう一つの疑問を口にした。
「じゃあ、あの真っ白な遺跡は結局どこだったんだろう。地下なのかな」
それは、魔法で転移した先にあった謎の遺跡のことだった。
「アドニス君の顔立ちに似ていた、魔女の石像も謎だよね」
「うん…」
謎だらけだ、とブルーは思った。このたった一日のデートの間に、一体どれだけ目まぐるしく謎が畳みかけてきたのか。しかも、その大部分は全く解明されていないのだ。まるで、休日に宿題をドッと手渡された気分である。
街道をリンドン市内方向に歩いていると、例の「よくしゃべる古代の王の石像」がいた、ガラスと鉄骨の巨大な温室に出くわした。とっくに営業は終了しており、巨大な影が不気味である。
そういえば、この近くまでは汽車で来たのだと二人は思い出した。まだこの時間に汽車はあるだろうか。とりあえず、駅まで歩いてみる事にした。
他に誰もおらず、寂しい夜道だった。二人は無意識に手を繋いでいた。
そうしていると街道の向こうから、ガラガラという木の車輪の音がする。馬の足音がしないので何かと思ったが、それは手引きの荷車だった。
引いている人間は、体格の良さそうな男性らしい。野盗だとかの類ではなさそうだが、こんな夜中に荷車を引くというのは、どんな人間だろう。二人は何となく身構えた。しかし、
「おやっ」
荷車の主は、ガス燈に照らされたブルーの顔を見て声をかけた。
「お前はあの刑事の相方じゃなかったか」
その、野太く頼もしい声の主は、ブロクストン通りのコーヒー屋台の主人であり、本業は裏と表の境界線で情報屋をやっている、謎の黒人ジャマールであった。相変わらず「私はスパイです」と極太の書体で書かれたエプロンを下げている。店仕舞いをした帰路、といった雰囲気だった。
「あっ!ジャマールさん?」
「覚えててくれたか」
ジャマールはニカッと笑った。この間「仕事中」に会った時より、少しくだけた印象である。ジリアンは初対面らしく、誰だろうという顔をしている。
「ジリアン、この人はブロクストン通りで屋台やってるジャマールさん。アーネットの知り合いなんだ」
「へえ。はじめまして、ジリアンです」
ジャマールはジリアンに「初めまして」とだけにこやかに言った。
「お前、こんな夜中にどうしてこんな所を歩いてる?子供のデートコースにしちゃ危険だぞ。それに、そのナリはどうしたんだ。どっかの遺跡でも発掘してきたのか」
ジャマールは、ジリアンとブルーのズタボロになった服を交互に見て訊ねた。子供の身の安全を心配してくれるあたり、基本的には良い人のようである。二人に付き従う大きな犬ライトニングにもチラっと視線を向けた。ライトニングは全く警戒する様子を見せない。
「まあ、いろいろあってさ。別に事件に遭ったわけじゃない」
「そうか」
ジャマールはそれだけ言うと、それ以上詮索はしなかった。情報屋は余計な詮索はしないものらしい。ブルーも、なぜジャマールはこんな所を歩いているのか訊こうと思ったが、やめておく事にした。
「夕食はとったのか」
荷車に車止めをはめると、ジャマールは荷車の屋台のケースをまさぐり始めた。
「ううん、まだなんだ。そんなこと考える余裕もなかったもんで」
「そのナリじゃ労働者向けの店も入れてくれんだろう」
ジャマールは手早く屋台に残っていたパンとチキンをはさんで、紙に包んで二人に渡した。だいぶ大き目で、ひとつ食べればお腹いっぱいになりそうだ。
「ほら、やるよ。サービスだ」
「わ、悪いよ。ちゃんと払う」
そう言って胸ポケットに手を入れたブルーを、ジャマールは止めた。
「こんな夜道に財布を出すのは危ないってもんだ」
「いいの?」
「そうだな。タダでもらうのが気が引けるなら、余った食材とコーヒーの処分を引き受けてくれ。こっちは処分する手間と、天の恵みの食材を無駄にする罪悪感から解放される。それでチャラだ」
ジャマールは、紙コップにポットに残っていたコーヒーを注ぐと二人に渡した。コーヒーはとっくに冷めている。そう言われては断るのも失礼なので、ブルーとジリアンはありがたく頂戴することにした。ジリアンは受け取ると、
「ありがとう。おじさん、いい人ね」
と笑って言った。
「よく言われる」
ジャマールがそう答えると、ジリアンはプッと笑った。話してみると、何となく貧民街や労働者階級の人間の匂いがする、ともジリアンは思った。この白人社会の国では、肌の色の差別が根強い。飄々としているが、過去に辛い思いをしてきたのではないだろうか、とも。
「ほら、お前にもだ」
ジャマールは余ったチキンをライトニングにも差し伸べた。ライトニングは、尻尾を盛大に振って何の遠慮もなくがっついた。
「ライトニング、感謝しろよ」
ブルーが言うと、ジャマールはライトニングの頭を撫でる。
「お前はライトニングというのか。いい名前だ」
「ワン!」
「ははは」
そう笑うと、ジャマールは出した紙や道具を片付け、荷車の車止めを外した。
「お前たち、市内に帰るなら15分くらい後に市内行きの汽車が出る。たぶん最終だから、逃すなよ」
ジャマールは手を振って「またな」と言うと、夜の闇にカラカラと荷車を引いて消えて言った。明らかに郊外の方向なのだが、どこに行くつもりなのだろう。
「いい人だけど、なんか裏の社会の匂いがするわね」
ジリアンは駅のベンチで、もらったチキンサンドをかじりながら言った。ブルーはギクリとして背筋を伸ばす。
「当たりでしょ?アドニス君」
「いや、あのね」
ブルーは焦った。ジャマールが情報屋だという事実は、できれば伏せておいた方がいい。アーネットによれば、「社会の表と裏の境界線にいるような男」との事である。
「ふふ、聞かないであげる。いや、カミーユなら顔見知りかも知れないな。あの人もそういう人達に顔きくからなあ」
カミーユこそどういう人なんだ、とブルーは思う。アーネットに魔法を教えた魔女であり、占い師でもあり、今は探偵社を経営している。会った限りの印象では、ナタリーよりは年上に見えるが、年齢不詳といったイメージもある。
ようやく汽車が出発する準備を始めた。明日から色々と面倒な事になりそうだ、と客席に座るブルーは思った。あの遺跡で起きた事を、魔法捜査課としてどう扱うべきだろうか。まず、帰宅してから先生に連絡を取って意見を聞くのが最善であろうと思われるが、もし絶対に口外するな、と言われたらどうすればいいのか。
ジリアンは当然、カミーユに話すだろう。カミーユも魔女だ。あの遺跡の事を知ったらどう反応するだろう。
そこで、ブルーはひとつの疑問に行き着いた。
ブルーの先生も、おそらくはカミーユも第一級の魔女である。そんな人たちが、あの遺跡の存在を知らない事があるだろうか。13歳と15歳の少年少女が移動できる範囲内にある程度の距離である。
それに例えば例の魔法の万年筆を作って流通させている、謎の組織はどうだろう。彼らの中にも、間違いなく一級の魔術師がいるはずだ。そんな人間が、リンドン付近の魔法に関係する遺跡について、知らないという事があるだろうか。
さらに言うなら、教会や王室はどうか。彼らは表向きには魔法について消極的な態度を見せているが、実際は魔女の家系をバックアップしているケースもある。ブルーも知らされた事はないが、自分である程度調査した今では、自分の家もそうなのではないかと薄々思っていた。
知らないのは、自分達だけではないのか。
だが、あの遺跡には長らく人が立ち入った形跡がない。
様々な謎がブルーの頭の中で渦巻き、それが軽いストレスになりかけた、その時である。
「何考えてるの?アドニス君」
隣に座るジリアンが、ブルーの目を覗き込んで言った。その足元では、ライトニングが疲れた体をぺたりと床につけていた。
「え?うん、ちょっとね」
「あー、あの遺跡の事でしょ」
ジリアンは少しだけ、口元に笑みを浮かべていた。
「ジリアンは気にならない?」
ブルーにそう言われると、うーん、と顎に人差し指を当ててジリアンは小さく唸った。
「もちろん、気にはなるけど」
「けど、何?」
「今のあたしにとっては、アドニス君といる時間の方が重要かな」
何のためらいもなく、ジリアンはそういった。ブルーは微かに赤面しながらも、それをひとつの疑問が上回り、質問をした。
「ジリアン、君はどうしてそんなに僕に興味があるの?会った最初から」
「知りたい?」
ブルーはこくりと頷いた。
「わかんないかな」
「え?」
「わかんないか、名探偵にも乙女心は」
「はい?」
ジリアンはブルーの方を振り向くと、いつもの勝ち誇ったような笑顔を向けた。
「解いてごらん。解けなきゃそのうち教えるわよ」
そう言い終わるタイミングで汽笛が高く鳴り響いて、ピストンから動輪へと動力が伝わる振動が、二人の座る座席を揺らした。前代未聞の初めてのデートが、ようやく終点に向けて走り出す。
ホームの柱の時計は、すでに夜9時半を過ぎていた。




