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(4)カトリーン

 翌日も、メイズラント警視庁・魔法犯罪特別捜査課の面々は、指令どおり地下のオフィスにて待機任務をこなしていた。ナタリーはブルーが持ち込んだ数十冊の推理小説を、デスクで黙々と読み進めた。

「なあ、おかしくないか」

 事件現場のレポートを読みながら、アーネットは小説を読み耽る二人に訊ねた。ブルーが、ガサついたペーパーバック越しにアーネットを見る。

「何が?」

「狙撃だよ」

「狙撃の、何が?」

 文章を読み進めながら、ブルーの脳内では同時にミーガン議員狙撃の現場がイメージされていた。ちなみに今読んでいるのは、犯人だと思われていたレストランのシェフが毒殺されていたシーンである。

「おかしいんだ。根本的に」

「だから、どこがさ」

「ミーガン議員が撃たれた場所だ。なぜ議員はわざわざ、犯人が狙撃しやすい場所に立ったんだ?」

 その指摘に、ブルーもナタリーも本を伏せてアーネットを向いた。

「というより、そもそもおかしいんだ。なぜ、オペラ終演後に、都合よくあのテラスでミーガン議員達が歓談していたんだ?もし、近くのレストランにでも移動されたら、狙撃犯はあの高いビルに登ったことが徒労になる。違うか」

「確かに変ね」

 ナタリーも、いま読んでいる推理小説の探偵よろしく、腕組みして考え込んだ。アーネットの指摘は確かに不可解だった。

「だろう?仮にテラスで歓談が予定されるのを知っていたとしても、あの席にミーガン議員が座る事は、予測できたわけがない。議員がもし向かいの席に座っていたら、背の高い観葉植物と壁の陰になって、狙撃ポイントからは見えなかったはずだ」

「つまり…」

「そうだ。狙撃犯は何らかの方法で、ミーガン議員があの席に座る事を知っていたんだ」

 そこまで言って、アーネットは「いや」と、自分の発言に異を唱えた。

「それでもおかしい。座ったからって、都合よく撃ちやすい位置で直立してくれると思うか?」

「座った状態での狙撃は不可能なの?」

「不可能だ。あのビルの屋上からだと、ちょうど右から張り出した壁が邪魔になる。あの席で立ち上がった時だけ、奇跡的に8センチの隙間に、議員の側頭部がのぞける」

「つまり、犯人はその隙間に議員が頭を見せるのを知っていて、あのビルにあらかじめ登っていた。そう言いたいの?」

 ナタリーはアーネットの言葉を要約して、自分でも確かにおかしい、と思い始めた。そんな細かい事が予測できるのか。

「共犯者が手引きした可能性は?つまり、あの歓談の席にいた誰かよ」

「可能性としてはあり得るな。だが、あの場にいた議員以外の人間は、年齢も立場も議員より格下だ。まず議員に好きな席を選ばせたはずだし、こっちに座れと指示できたとは思えない」

「なるほど」

 よしんば、狙撃犯が席順の情報をつかんでいたとしても、あの隙間に狙撃を完了できるだけの時間、議員が頭を覗かせてくれる保証はない。すると、ブルーが訊ねた。

「使われたライフルの弾速は?」

「使用された弾丸からすると、まあ秒速700から800メートルってとこだろうな」

「狙撃ポイントまでは500メートル。つまり理論的には、1秒から2秒間あれば、引き金を引いて頭を撃ち抜ける時間はあるよね。仮にあの席にいなかったとしても、凄腕の狙撃手なら瞬間的に、そのタイミングを測れたんじゃないの?」

 ブルーの推測もそれなりに理屈は通る。だが、アーネットは首を横に振った。

「それも可能性としてはある。だが、重犯罪課の狙撃スキルを持った刑事による検証では、やはりあのテラスで、あの方向から狙撃できる条件は、"あの席から立ち上がって2秒以上直立した状況"が、ほぼ絶対だそうだ。上手いことそんな状況が、偶然巡ってくる確率はどれくらいだろうな」

 古巣の仲間から聞き出したメモをアーネットが読み上げると、ナタリーもブルーも背中をもたれさせて「うーん」と唸った。デスクに積み上げられた小説の名探偵、エルロック・ギョームズならそのトリックを暴けるだろうか。アーネットは手元のレポートを脇にどけて言った。

「もっとも、本質的な問題はそこじゃないがな。狙撃のトリックなんてのは、表面的な問題に過ぎない」

「どういうこと?」

「なぜ犯人が、ロブ・ミーガン議員を殺害しなくてはならなかったか。犯人は誰なのか。それに比べたら、どうやって議員を狙撃するタイミングを割り出したか、なんてのは些細な問題だ。犯人をとっ捕まえて吐かせれば、わかる話にすぎない」

 アーネットの意見に、二人とも異論はなかった。だが、魔法捜査課の面々が推理しているような内容は、もうとっくに重犯罪課の捜査チームが指摘しているだろう。しかし、推理小説の読み過ぎで"探偵脳"になっているナタリーが言った。

「それでも、謎は謎よ。狙撃のロジックを解くことで、犯人像がわかる事だってあるでしょう」

「それはその通りなんだがな」

 アーネットは脚を組んだまま、魔法の杖をひと振るいした。置かれてあるポットが動いてアーネットのカップに紅茶を注ぐと、カップはひとりでにソーサーに載り、フワフワと空中を漂ってアーネットの手元にやって来た。

「安い茶葉を美味しくする魔法ってのはないのか、ブルー。貴族御用達の茶葉に匹敵、とまでは言わんが」

「あるにはあるよ。食べ物の味を変える魔法。お勧めはしないけどね」

「なんでだ」

「大した事ない魔法に思えるけど、実は少しばかり"禁忌"に触れる魔法なんだ。ほんの少しね」

「禁忌?」

 アーネットとナタリーは、揃って首を傾げた。たかが味覚を変える事が、なぜ、僅かでも禁忌になるのか。だが、ブルーは言う。

「二人とも魔法に関わってる人間だから、これは知っておいて欲しい。魔法というか、魔女の世界において、"嘘"というのは最大の禁忌なんだ。ある意味では、人を殺すのに匹敵するほど重い」

「そこまでか」

「話すと長くなるから今はやめとくけど、何度か、魔法で変装して犯人を騙しただろ。さいわい警察上層からは形だけの書面注意で済んでるけど、魔女的にはあまり感心されてない、って事は覚えといてね」

 そう言われて、ナタリーもアーネットも困惑した。嘘といっても、遅刻の言い訳から殺人の否認まで色々ある。そして、どうやら"魔女"と呼ばれる人々が、魔法捜査課の活動を監視しているらしい事もブルーの発言からは読み取れた。


 やがて、どうにかこうにか時間を潰し、ようやく昼になったので、3人は交代で昼食を取ることにした。

「陽の光が浴びられると思ったら、曇りか」

 カフェ「ジェラール」の白いガーデンチェアに背中をもたれ、グラスのレモネードを傾けながら、ナタリーは残念そうに鈍色の空を睨んだ。ブルーは、追加で頼んだテレーズ川のウナギのパイに集中している。美味、というような代物ではない。とりあえず腹は壊さずに食えて、炭水化物と蛋白質は摂れる。

「さすがに今回は、私達の出番はなさそうね」

「それならそうと、さっさと待機を解除してほしいもんだけどね」

 ブルーは、本日何杯目かの紅茶でパイを流し込んで周囲を見回した。政治家ひとりが殺害されても、市井の人々にはほとんど関係がない。ウェイターは昼の書き入れ時で忙しく、辻馬車の御者は邪魔な通行人に、精一杯の礼節で遠回しに「轢かれたくないならどけ」と声を張り上げる。

 はたして自分たちに出番はあるのか。ふたりがそう思い始めた時、背後から張りのある声がした。

「失礼。ひょっとして、魔法捜査課の方ではありませんか」

 その、女性らしい声にふたりが振り向くと、ブルーは一瞬ギクリとした。そこにいたのは、チェックのハンチング帽にブラウンのジャケット、ニッカポッカを着た、長い赤毛の女性だった。その出で立ちから、ブルーはよく知っている女性かと思ったが、すぐにナタリーと同じくらいか、もう少し若い大人の女性だとわかった。左手には手帳を開いている。

「ええ、そうですけど」

 ナタリーが答えると、女性は「やった」と呟き、ナタリー達の席に自分もついた。ウェイターを呼び止め、レモネードを注文する。

「突然ごめんなさい。私、ベイルランド新報リンドン支局の、カトリーン・エスターと申します」

 イントネーションにわずかな訛りがあるこの女性は、どうやら新聞記者らしい。ベイルランドといえば、ここメイズラントの北にある、連合王国のひとつだ。歴史的には何かと確執がある国だが、表向きにはいちおう友好関係にある事になっている。

「新聞記者さん?ひょっとして、今の事件についてネタを収集してるのかしら」

「まあ、そんなところです」

「あいにくだけど、私達の部署は管轄じゃないわよ。紙面を彩る華やかな特ダネはないわ」

「そこです。私がお訊きしたいのは」

 カトリーンは、指を立てて思わせぶりに迫った。ブルーは、新聞記者という生き物の強引さに免疫がまだないため、若干引いてしまう。

「今回の事件、今後あなた方の管轄になる可能性は考えられませんか」

 それは、オープンカフェで答えるには少々踏み込んだ質問だった。

「ノーコメントよ」

 伝家の宝刀をナタリーは即座に持ち出した。ノーコメント。話すことはない。だが、それで引き下がる記者でもない。

「わずか8センチの隙間を、500メートルの距離から弾丸を通過させて、正確に標的の側頭部を撃ち抜く。そんな離れ業、人間に可能だと思いますか」

「可能だから、狙撃手という専門技能があるのよ。そちらのお国にだって、何十年か前に活躍した伝説的な狙撃手がいたんじゃない?名前は忘れたけど、600メートルの距離から馬で移動中のメイズラント陸軍中将の頭を狙撃して、戦局をひっくり返したスナイパー」

 その指摘に、エスターと名乗った記者は一瞬、わずかに動揺を見せた。ナタリーは続ける。

「重犯罪課の記者会見の内容はもちろん知ってるでしょう?私も現時点では、あの内容に異論はないわ。つまり今回のケースは特異ではあっても、魔法など介さずに実行可能な狙撃だということ」

「問題は可能性の有無や程度ではなく、事実であるかどうか、では?可能性を論ずるのなら、以前のローバー議員狙撃事件と同様、やはり魔法が用いられた可能性だってあるはずです」

 レモネードが運ばれてきたので、カトリーンは質問を中断した。喉を潤すと再び、語調は強く、しかし周囲には聞こえない程度にナタリーに迫る。

「あの時は、拳銃の弾丸による遠距離の狙撃という、矛盾した条件を犯人が魔法によって工作しました。ですが今回犯行に使われたのは、ライフルの弾丸です。そうなると、仮に魔法を用いたのなら、ローバー事件とは別な魔法が使われた可能性はありませんか」

 もう、エスターは魔法が使われたに違いない、という前提である。お隣の国の聞いたこともない、おそらくは地方紙と思われる新聞にしては執拗だ。特ダネをものにして部数を上げようというのだろうか。すると、ブルーが突然口を開いた。

「可能性はあるね。風圧を制御することで、物体を意図したとおりの軌道で飛ばす魔法もある」

「ちょっと、ブルー!」

 ナタリーが、いきなり勝手に推測を始めたブルーを諫める。しかし、ブルーは構わず話を続けた。

「うん、そうだね。あんたの言う通り、魔法犯罪の可能性はあると僕は思う」

「やっぱり!」

 女記者カトリーンは、嬉々としてメモ帳に鉛筆を走らせた。ここで、さすがにナタリーがブルーの口を手でふさぐ。

「あんたね、いい加減な事言わないの!事件は重犯罪課の管轄で捜査が進められてるんだから、私達が勝手な見解を述べたら問題になるでしょ!」

「いまは非公式見解って事で構いませんよ。匿名の魔法専門家の意見、ってことで記事にします」

「あのね、あなたもいい加減にしないと、新聞社に直接抗議するわよ。人が一人亡くなっている事件に不用意な憶測を述べるのは、新聞としての矜持にもとると思わない?」

 警察官として言うべき事をナタリーが言うと、カトリーンは少し考えて姿勢を改めた。

「そうですね。もちろん私としても、ろくに裏も取っていない飛ばし記事を書くつもりはありません」

「わかってくれたなら、とりあえず今ブルーが言った事は聞かなかった事にしてくれるかしら」

「それとこれとは話が別です」

 ナタリーとカトリーンが顔を近づけて睨み合うと、ナタリーの拘束を抜け出したブルーが言った。

「お姉さん、ほんとは僕らがここに来るの、だいたい推測して張ってたでしょ?」

 その指摘に、カトリーンは少しだけ驚いた素振りを見せた。

「どうしてそう思うの?」

「魔法捜査課の人間が昼食を取っているところに、新聞記者が現れるなんて話が出来過ぎてる。魔法捜査課が待機任務っていう情報をお姉さんは掴んでいて、昼食は近場のカフェで交代で取るはずだと当たりをつけた。あるいはもっと単純に、警察署の前で僕らが出てくるのを待ち伏せしてた可能性もあるけどね」

「ふうん」

 推理というほどの事でもないが、ブルーの態度にカトリーンは少し関心を示したようだった。レモネードをひと口飲むと、ブルーに向き直る。

「ブルー君って言ったかしら。あなたは魔法の専門家なのよね」

「まあ、そんなとこ」

「わかった。さっきの話はまだ記事にはしない。けど、もし何か事件に関して魔法犯罪の線の情報が手に入ったら、非公式で私に教えてくれる?」

 すると、ナタリーが「あのね」とツッコミを入れてきた。

「待機任務の最中に、情報なんて得られるわけないでしょ」

「あら、私の情報だと魔法捜査課っていうのは、命令も無視してよその部署の管轄に平然と首を突っ込む課だ、って聞いてるけど」

 だんだん、口調がぞんざいになってきた。まるきり否定もできず、ナタリーは押し黙ってしまう。管轄無視は主にアーネットとブルーが原因だが、ナタリーも勝手に情報収集に動く事はある。魔法捜査課の人員は結局、組織の人間としてはどこか欠陥があるのだ。自覚もそれなりにあったが、こうして第三者から指摘されるのはあまり面白くない。

「ねえ」

 唐突にブルーは、問い詰めるような勢いでカトリーンに言った。

「今の話、応じてあげてもいいけど、僕の質問に答えてよ」

「何かしら」

「”ベイルランド新報”なんて新聞、存在しないでしょ?ホントは」

 その質問に、ナタリーは一瞬「何をバカな」という表情を見せたが、すぐに真顔でカトリーンを向いた。

「…そうなの?」

「あーあ。バレたか」

 カトリーンは、ハンチング帽を取ると残っていたレモネードを一気に飲み干して、ブルーに少し白けた笑みを向けた。

「どうしてわかったの」

「単純な話だよ。お姉さんの訛りはベイルランドじゃない。ベイルランド訛りをだいぶ上手く表現してるけど、ほんのわずかに匂う独特の語尾の上がり方は…エディントンの人だよね。違う?」

 ブルーはそう指摘した。エディントンとは、ベイルランドと同じくメイズラントの北方にある連合王国のひとつで、名門の大学がいくつもある学問の国だ。

「ベイルランド人は閉鎖的な気質で、エディントンともメイズラントとも折り合いが悪い。そういう国の新聞社が国外の支局に、よその国の人間を置くとは思えない。といって、実在する新聞社を名乗れば本物の社員とかち合う事になる。それを避けるには、架空の新聞社を名乗る以外にない」

「それじゃ、私は何だと思う?新聞記者でなければ」

「そうだね。身分を偽って、情報を得るために活動する人間とくれば、思い当たるのはひとつだけだ」

 ブルーは、冷めてしまった紅茶を飲み込むと、カップを置いた。

「探偵でしょ、お姉さん」


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