(3)デイモン警部と少女探偵
モリゾ探偵社、カミーユ・モリゾ氏からナタリーに長期休業の連絡が入ったのはアーネット達が出払って、ブルーが「待機任務」のために積み上げている怪盗冒険小説「セルピーヌ・アレン」シリーズを勝手に読んでいる時だった。凄腕の怪盗アレンが珍しく噛ませ役の刑事に出し抜かれ、現場に先回りされた所で、ナタリーの魔法の杖が白く点滅発光し、ブルブルと震え始めた。
「あら」
ナタリーは杖をトントンと指先で二回叩くと、受話器のように耳にあてがい応答した。
「もしもし」
『ナタリー、ごきげんよう。お忙しかったでしょうか』
「ええ。小説を読むのにね」
杖の向こうで、カミーユが距離をおいてケラケラと笑っているのが聞こえる。最近知った事だが、海の向こうのプロンス出身の彼女には、メイズラント人のジョークがたまにツボに入るらしかった。
『こほん、失礼。実は来週頭から、1ヶ月ほど探偵社が休業に入るので、ご連絡いたします』
「ふうん。どこか行くの?」
『うちの所員たちに、外の世界を見せてあげようと思いまして。手始めに、私の故郷から回ります』
なんとも優雅な話だな、とナタリーは思った。こちらは、お鉢が回ってくるかどうかも不明の、殺人事件対応の待機任務である。
『報道で、そちらが大変な状況なのは存じてますので、若干心苦しい所はあるのですが』
「ああ、気にしないで。あなたがいないのは寂しいけど、楽しんでいらっしゃい。お土産期待してるわ」
『ふふ、埋め合わせは帰ってからいたします。それでは』
じゃあね、とナタリーが通話を切りかけた時、『あっ』と、何か思い出したようにカミーユが付け加えた。
『ごめんなさい、忘れてました。そちらの事件について、少しばかり占ってみましたのでお伝えします』
「占い?」
そういえば以前のカミーユの本業は占い師である。ナタリーは有り難く拝聴することにした。
『"審判"のカードの正位置と、"悪魔"のカードの正位置が出ました。暗示はそれぞれ"復活"と"束縛"です』
「どういう意味なの」
『これ以上は料金が発生します。そちらにも頼もしい魔術師さんがいらっしゃるので、お伝え下さい』
それでは、とカミーユは通話を切った。お節介なようでいて、商売として締める所はきっちりしている。
「ま、待機中の暇つぶしの種にはなるかしらね」
重犯罪課のデイモン警部は部下を数名引き連れて、ミーガン議員を狙撃した犯人が狙撃地点に選んだと思われる、ギュンター商会という食品輸入業者のビルの検証に訪れていた。
「思ったよりだいぶ賑やかだな」
警部は、受け付けのあるエントランスで会社の責任者を待つ間、取り引きのために出入りする人間の多さに驚いていた。事件直後の聞き込みでは事件の当日、不審な人間の目撃情報は無かったのだが、ギュンター商会はそう小さな商社ではないらしいため、念を入れ現場検証も兼ねてもう一度聞き込みに訪れたのだ。
「こうも引っ切り無しに様々な人間が出入りする状況だと、ビジネススーツを着ていればだれも怪しむまいな」
「まったくです」
同行の刑事は頷いた。往来が多いということは、容疑者の特定がより困難になる、ということである。
頭の天辺がだいぶ寂しい、商社の責任者がようやく訪れた。だいぶ忙しいらしく、左脇には書類ケースを抱えたままである。
「お待たせいたしました、申し訳ない。専務のマイケルです」
「こちらこそ。だいぶ、ご商売が盛況なようですな」
「いや、有り難い事ではあるのですがね」
顔は笑っているが、目が笑っていない。
「正直、刑事さん方がお見えになったおかげで、抜け出す口実ができたところです」
デイモン警部たちは、苦笑いしてマイケル氏の疲れ切った様子を見ていた。捜査が行き詰まった時の自分達も、こんなふうに見えているのだろうか、と思いながら。
マイケル氏とともに、改めて犯人が狙撃を行ったと思われる、屋上を訪れた。
「よし。エド」
警部にそう呼ばれた、筋肉質なせいで太って見える若干背の低い刑事が、背負ってきたケースを広げた。中には、現行の警察用狙撃銃が収められていた。
「これから、犯人による犯行の状況再現を行います」
警部がそう断ると、専務のマイケル氏は若干緊張しつつ頷いた。エドは慣れた手付きでスコープのついた狙撃銃を屋上の縁にセッティングし、器用に膝をついて安定した姿勢で狙撃銃を構えた。
「どうだ」
警部がスコープの向こうを睨むエド刑事に確認すると、エドはこくりと頷いて答えた。
「例のホールのテラスは見えます。柱と壁の間に、置いてきたマネキンも確認できますね。この銃の有効射程はギリギリ700メートル位なので、まあ一応射程範囲内と言えます」
エドが覗くスコープにはロイヤルオペラホールのテラスラウンジの、被害者が立っていた席にあらかじめ置かれたマネキンが横顔を見せていた。ただし、せり出した壁と太い柱の隙間に、である。
「角度はどうだ」
「検死では、左側頭部の斜め上から頭蓋骨に入ってましたが、銃弾のホップアップも考慮すると、まあおそらく検死結果と同様の進入角度になると思われます」
これは素人が当てずっぽうに言っているのではない。エドは重犯罪課で最も狙撃に長けた人物であり、その意見は軍隊の狙撃兵と遜色ない説得力があった。実は以前のローバー下院議員狙撃事件の際に、検証に携わったのも彼である。
「お前なら当てられるか?ターゲットに」
「不可能ではありません…ただし、理想的な条件が揃えば、ですが」
「理想的な条件?」
「はい。無風状態であることと、空気が乾燥していることです。もし微風でも吹いていれば、私の腕では五分五分か、それ以下という所でしょう」
エドはそう断言した。エドくらいの腕前であっても、難しい狙撃ということだ。
「ただし、私より何段も上の、化け物みたいな狙撃手であれば話は別でしょうけどね」
銃を下ろして、エドは警部に向き直った。
「そんな狙撃手がいるのか」
「中には、その場で瞬間的に風向きを読んで、かつ銃のクセをも加味しながら狙撃できるような天才がいます。例えば私が尊敬している、メイズラント陸軍第七歩兵師団のコンラッド准将。彼は現役の狙撃手時代、人間業とは思えない狙撃技術を披露したそうです」
その名前はデイモン警部も知っていた。現在は歩兵師団の指導部に属しているが、若い頃は多くの戦場で、人知れず功績を挙げている。狙撃手という特性上、世間的にはあまり目立つ事はなかったようである。
「ですが、彼も今すでに40代半ば。若い頃のような視力や反射神経は、もうないでしょう。狙撃手の最大の敵は、加齢です」
つまり、コンラッドは容疑者候補から外れる、ということだ。デイモン警部は、ビル群の向こうに見えるオペラホールを睨んだ。
「わかった。とにかく、狙撃は条件次第で可能、ということだな」
警部が言っているのは、要するに「魔法を持ち出す必要があるかないか」という事である。それを読み取ったのか、エドが付け加えた。
「今回の件は、魔法による狙撃ではないでしょう」
「なぜだね」
「以前のローバー下院議員の事件の際に、レッドフィールド巡査部長が指摘していました。そもそも魔法を使うなら、狙撃という面倒な方法を選ぶ必要はない。ナイフを飛ばして喉をかき切るなり、レンガを延髄に激突させるなり、そこらの生活雑貨全てを凶器にできる、と」
なるほど、とデイモン警部は頷いた。隣で専務のマイケル氏が、解ったのか解っていないのか、同じように首を上下させている。
「つまり、今回犯人が狙撃銃を用いたのは、単純に狙撃という手段があったから、という事だな」
「はい。そこに関しては、難しく考える必要はありません。少なくとも狙撃行為に関しては、魔法の介在の可能性は、仮にあるとしても極めて低いと思われます」
狙撃銃をケースに収めて肩にかけると、エドは立ち上がった。警部は再び頷くと、マイケル専務に向き直って言った。
「お手数を取らせました。ひとまず、こちらの検証は終わりました。ご協力感謝します」
「いえ、お役に立てたのであれば幸いです。それでは…」
そう言って仕事に戻る専務の顔には、あからさまに「仕事したくない」と書いてあった。もう少し、話を冗長に引き伸ばしてやるべきだったろうか、などと警部は考えた。
そのマイケル専務と入れ替わりに、目撃情報を再び追っていた二人の刑事が、早足ぎみに屋上に上ってきた。
「警部、ありました。容疑者かどうかは不明ですが」
ポマードで髪をなでつけた細面の若い刑事が、手帳を片手に報告した。
「といっても、又聞きなんですが。事件当日、ここに出入りしている卸業者から、商人風でない外套をまとった若い男を見かけた、と聞いた社員がいます」
「よし、わしが直接聞く」
間接的な目撃情報が得られたのは、穀物類の部門で卸業者に取り次ぐ業務の男性社員だった。眼鏡をかけ頬がこけた、なんとなく気難しそうな30代くらいの男性は、ペンを手にして忙しそうにデスクに張り付いていたが、外見に反して協力的な態度だった。
「まあ、私がお客さんから聞いた話ですからね」
「見かけたというのは、この商社ビルの中ですか」
「ええ。出入りの小麦粉の仲卸業者さんが、エントランスでなんだか、商人ぽくない風体の若い男を見かけたそうなんです」
そこまで聞いて、警部は後ろの刑事に人相書きのためのメモを取るよう指示した。社員は話を続ける。
「この季節に、膝まであるキツネ色のマントを羽織って、足は頑丈そうなブーツを履いていたそうです」
「なるほど。顔は?」
「線は細いけど、首周りに見えた筋肉はけっこう鍛えてるようだったとか。髪は赤っぽくて、ぼさぼさだけど長髪だったのが記憶に残ったそうです」
「年齢は?」
「まあ二十歳前後くらいだろう、って話でした。目付きは若干鋭かったそうです」
デイモン警部は聞きながら、頭の中で人物像を組み立てて行った。
「何か持っていた様子は?大きなケースだとか」
「特に、そういったものを持っていた様子はなかったそうですね」
「なるほど」
はたして、その人物が犯人なのか。ひとまず進展はあったので、警部たちはひとまず午前中の捜査を切り上げ、いったん本庁に戻ったのち各自昼食、という事で解散した。警部は重犯罪課オフィスに戻ると、さきほど得た情報から不審なマントの男の人相書きの作成を指示し、昼食をとるために外に出た。
ただでさえメイズラントはもともと気温がそう高くない国だが、今年はそれに拍車がかかって冷夏になる、との報道がつい最近あったばかりである。一年でいちばん暑い月に、春のジャケットを着込んでも暑くもなんともないのを、暑がりの警部はむしろ有難がった。
警部が、警視庁のある区画から少し外れた通りのカフェで席を取ろうとしていると、「おーい、警部さーん」と呼びかける凛とした声があった。その声色に、デイモン警部はよく聞き覚えがあった。
「おーい」
老練の名刑事に馴れ馴れしく呼びかけるその声の主は、リンドン市で他に誰あろう少女探偵、ジリアン・アームストロング15歳であった。その隣には見覚えのない、ゆるいウェーブの髪のグリーンジャケットの少女が座っている。
「君か、ええと…アームストロング君だな」
「ジリアンでいいよ。ほらここ、空いてるよ」
同世代の友人に呼びかけるようにジリアンは、祖父といってもいい歳の刑事を空いている席に招いた。警部は一人で食事をする方が落ち着くのだが、無碍にするのも気が引けたので、やれやれと同席することにした。
ジリアン達はすでに昼食を終えたとの事で、優雅に小豆ジャムのパイと紅茶を楽しんでいるところだった。
「わしがいても邪魔なだけだろうに」
ウェイターにサンドイッチとコーヒーを注文した警部は、席に着くとハットを脱いで苦笑いした。
「そんなことないよ。それに、ちょうど連絡しとくのにいいかなと思って」
「連絡?」
「うちの探偵社、来週から1か月くらい休暇に入るからさ。ほんとはこれから、そっちに連絡しに行く予定だったんだけど、この子がここで待っていれば警部が来る、って言うもんだから」
そう言われて警部は鼻白んだ。ジリアンが紹介した、この一見穏やかそうで何か鋭いものを感じさせる少女は、一体何者なのか。
「自己紹介が遅れて申し訳ありません。わたくし、モリゾ探偵社勤務でジリアンの同僚の、ミランダ・スカリーと申します。以後、お見知り置きを」
ぺこりと頭を下げる様子も悠揚迫らず、百戦錬磨のデイモン警部は、この少女も只者ではないと薄々勘付きながらも、姿勢を正して自己紹介することにした。
「こちらこそ自己紹介がまだだったな。メイズラントヤード重犯罪課、デイモン・アストンマーティンだ」
「何を仰いますやら。”取り調べ室の魔王”デイモン警部の名を知らぬリンドン市民など、物心つかぬ子供くらいのものですわ」
「その二つ名は甚だ不名誉だ」
警部の表情に冗談の色はない。あらゆる凶悪犯を心胆寒からしめてきた老刑事を、魔王だの鬼だの、多くの人間が思い付く限りの語彙で呼んできた。
「話には聞いていたが、君もジリアンと同じなのか。その…」
「はい。わたくしも魔女ですわ」
あっけらかんとミランダは、自分も魔法使いである事を明かした。もはやその手の話には慣れっこになりつつある警部は、運ばれて来たサンドイッチをかじりながら話を続ける。
「わしの知らん間に、どうもこの街は魔法使いだらけになっておったらしいな。だが、この間の大暴動では君たちの世話になった。今更だが、礼を言うよ」
「いいえ、あの時わたくし達を大勢の警官さんが守ってくださいました。誰が欠けても出来なかった事です」
その静かながら堂々とした態度が、デイモン警部の心証をいくらか良くしたようだった。警部は、まるで性格が違うある一人の少年を思い浮かべながら苦笑した。
「警部、いまそっち大変なんでしょ」
ジリアンが、ミランダとはまるで対照的な調子で訊ねた。警部は捜査の進展を思い浮かべ、かぶりを振った。
「まあな。もっとも、捜査は始まったばかりだ。進展の内容を明かすわけにもいかんが、まあそう遠からず犯人に辿り着ければいい、とは思っておるがな」
「ふーん。じゃあ今回、アドニス君たちは出番なしか」
そこで、警部の手が一瞬止まった。
「それもこれも含めて、捜査に関しては話す事はできん。まあ今は、話したくても大して内容がない、というのが正直なところだ。それに」
警部は突然黙り込んで、後ろの席を指差した。
「気付いているか」
「もちろん」
ジリアンも、素知らぬ顔で紅茶を飲みながら答えた。ミランダも無言で頷く。
「もう慣れっこだがな。まあ、話せるような情報は何もないと教えておけば、彼らもゆっくり昼食を取れるというものだ」
デイモン警部は、わざとらしく大きめの声で、後ろの席に聞こえるようにそう言った。何やらばつが悪そうに、ハンチング帽を被ってメモ帳を手にしたその男は、ウェイターに代金を払ってそそくさと立ち去った。
「警部、優しいね」
ジリアンは笑う。警部は溜息をついた。
「この稼業をやっているとな、進展があってもなくても、新聞記者やら何やらが張り付いてくる。毎度の事だ」
実のところ、警部が一人で食事を取る事が多いのは、同席している若い刑事が迂闊に情報を漏らし、新聞社に嗅ぎ付けられるような事態を避ける意味もある。良くも悪くも有名人のデイモン警部は、色々と気を遣う場面が多いのだが、世間はそんな事は知りようもなかった。
「どれ、忙しないがそろそろ戻るか。しかし何やら、孫娘とでも話しているような気分だな。孫はおるが、しばらく会っておらん」
警部は指をくいっと曲げ、通りかかったウェイターを呼びつけた。
「この子らの分もわしが持つ。会計を頼む」
「かしこまりました」
ウェイターが伝票を手に合計額を計算し始め、ジリアンは慌てて警部に両手を振った。
「いや、いいよ警部」
「まあそう言うな。孫娘のランチ代を払える程度の稼ぎはある」
「そんな事言ってると、変な噂立てられるよ。警部の孫娘が探偵やってる、とか何とか」
ジリアンが言うと、ウェイターがぎょっとして警部を見た。このウェイターはほとんど、常連の警部の顔なじみみたいなものである。警部は眉間にシワを寄せ、会計とは別にチップを差し出して言い含めた。
「冗談を真に受けるな」




