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(2)女記者

 ロブ・ミーガン上院議員を殺害した弾丸の鑑定結果は翌朝には本庁に届いており、ひとまず警察は新聞各紙への、最初の記者会見の中身をまとめる事に忙しかった。


 記者会見は本庁の大会議室で行われ、おなじみのデイリー・メイズラント紙をはじめとした各紙や、地方紙までもが大事件の速報を求めて勢揃いしており、記者会見においても百戦錬磨のデイモン警部ですら、その人数に気圧されるほどだった。

「旧庁舎だったら暑苦しくて大変だったろうな」

 席の左端についた警部は、かつての庁舎より広くなった会議室に感謝した。席の中央にはオハラ警視監が座り、その右には資料を準備した担当者がついた。

「それではこれより、ロイヤルオペラホールにおいて昨日発生した、ロブ・ミーガン上院議員狙撃・殺害事件についての警察からの発表を行います」

 まず最初に右側に立つ進行役の刑事が、事件のあらましを説明した。昨夕に配られた新聞の号外とは、細部が異なっている事に各紙の記者は気付いたが、概要はすでに知られている事だった。


「以上が警察からの、事件現場の大まかな説明となります。それでは、各紙担当者からの質問に移ります」

 そこで、やや食い気味に最前列に陣取った、細身の若い記者が挙手した。

「どうぞ」

「リンドン新聞のメージャーです。狙撃手、つまり直接の犯人の目星はついているのでしょうか」

 進行役がデイモン警部に目線を送ると、警部はいつもの低く鋭い声で答えた。

「まだ現段階では、容疑者を特定するまでは至っておりません」

「では、大まかな人物像などについては」

「それについても、まだ話せる事は少ない。が、状況からみて高度な狙撃の能力を持った人間である事は、間違いありません」

 ここで、かすかに会場がざわついた。リンドン新聞社の記者は、鉛筆を手にして質問を終わらせた。

「わかりました。ひとまず質問は以上です」

 着席すると、いまの内容を素早くメモする。続いて、今度は5名の記者が挙手した。右奥にいる、やや太った記者が指名される。

「サンライトジャーナルのベンソンです。犯行の動機はどういったものが推測されるでしょうか」

 それは、殺人事件への質問としては妥当だが、この事件においては若干、鋭い内容を含む質問だった。これについてはデイモン警部ではなく、先んじてオハラ警視監が回答したため、記者たちは一瞬顔を見合わせた。

「それについても現在、各方面に対して調査を進めております。現在は提供できる情報がありません」

「ある程度の推測も立てていない、という事ですか」

 その問いには、デイモン警部が答えた。

「月並みな推測になるが、現段階では私怨、といった線で聞き込みを進めております」

 私怨、という表現はまさしく月並みなものだった。突き詰めれば殺人事件はかなりの割合で私怨が動機である。

「回答は以上になりますが、よろしいでしょうか」

 進行役が記者に、多少強引な調子で確認すると、記者はしぶしぶ席についた。

「他に質問は」

 すると、奥にいた一人の記者が高く手を挙げたので、進行役は指名した。立ち上がったのは、長い赤毛を首の後ろで結った、まだ若い女性記者だった。

「ベイルランド新報リンドン支社のエスターです。この事件は、4ヶ月ほど前のジミー・ローバー下院議員殺害事件のようなケースに発展する可能性は、あると思われますか?つまり、昨今認識が広まりつつある、魔法犯罪という事ですが」

 その質問は、会場をどよめかせた。進行役や横に控えている刑事たちにも動揺の色が見える中、オハラ警視監とデイモンだけは、微動だにしなかった。

 デイモン警部は立ち上がり、全体に響き渡るように言った。

「まだ捜査の初期段階であるため、それにお答えするための情報はありません。可能性だけで言えば、魔法犯罪も当然視野には入るでしょう」

「説明によれば、遠距離からの狙撃とあります。ですが、私が素人なりに分析した所では、あのラウンジにいたミーガン議員を狙撃するには、東側のギュンター商会ビルが最適かつ、唯一のポイントになります。距離はおよそ500m。その距離から、あのラウンジの柱や壁の隙間を通して、人間が立ち上がったばかりの瞬間を狙撃するなど、可能なのでしょうか。警察の方のご意見を伺いたく思います」

 息をつく間もない機銃のような指摘と質問に、デイモン警部は即座に答えた。

「可能かどうか、で言えば可能です。みなさんご存知かとは思うが、聖歴1856年のモーラス戦争で、800mの距離から木々の間をぬって敵の部隊長を狙撃し、戦局を逆転させたスナイパーもいる」

「つまり、そのようなレベルの人物が犯人だと?」

「先の回答を繰り返すが、犯人像はまだ推定の段階です。軍人か、一般人か、あるいはギャング、あるいはマフィアか。したがって、今は捜査の進展を待っていただく以外にない」

 それは、会場全体の記者に向けた回答でもあった。実際その通りなのであり、これ以上何を聞いても同じ回答が返ってくるだけだ、と記者達は思い始めた。


 その後もいくつか細かい現場の状況確認の質問はあったが、やがて挙手する者はいなくなり、進行役はオハラ警視監に目線を送ると小さく頷いた。

「それでは、質問も終わったようですので、これで記者会見を終了いたします。捜査の進展がありましたら、改めて会見を開く予定です。ご苦労さまでした」

 立ち上がってゾロゾロと会場を出て行く記者達の様子を、デイモン警部はやや渋い表情で見ていた。最後に退出したのは、さきほど長々と質問をしてきた女性記者だった。

「マイナーな地方紙となめてかかったが、首都の新聞よりも突っ込んだ質問だったな」

 ややくだけた調子で、オハラ警視監は肩肘をついて笑った。

「して、現場の責任者としてはどんな感触かな、現在の進展は」

 周りで係員たちが椅子や黒板などを元の位置に戻し始めたので、警視監とデイモン警部は立ち上がって会議室の外に出た。


「犯人を特定するのは、そう時間もかかるまい」

「ほう。頼もしいな」

 オハラ警視監は、上から二番目に偉い人間にため口を平然ときく老刑事に煙草を勧める。しかし、警部は手のひらを向けて辞退した。

「女房に煙草は減らせと言われていてな」

「さしもの鬼警部も、奥方には敵わんか」

「ふん。…警視監、犯人を特定するのはそう難しくないかも知れん。だが、むしろ仕事が難しくなるのは、あんたかも知れませんな」

 まるでヒラの刑事二人が雑談を交わすように、二人は庁舎の外の芝生に出た。新聞記者たちがチラチラと見ているが、さすがに会見の様子から、まだ捜査の初期段階である事を悟ったのか、取材に来る強者はいない。

「どういう意味だね」

「あんたに言うまでもないでしょう。被害者は上院議員、貴族だ。しかも、その着ている上等なスーツが、叩けばホコリが出るときた」

 警部が遠回しに指摘しているのは、被害者のロブ・ミーガン卿について回っていた「うわさ」についてである。その中身は一部の人間達には、いわゆる公然の秘密であった。

「それ以上は言わない方が賢明だろうな」

 釘を刺すように言うと、オハラ警視監は取り出した葉巻きの先端にカッターを入れた。その断面を見ただけで、西の大陸から来た高級な葉巻きである事がデイモン警部にはわかる。

 煙を鼻孔で愉しんだあと、ゆっくりと吐き出して警視監は言った。

「君の仕事は犯人を見つける事だ。その先の事は私に任せてくれればいい」

「あんたの事は信頼しとるよ。だが、あんたもそれなりに色々制約がある立場だと思いましてな」

「お気遣いはありがたく受け取っておくよ。それでは、息苦しい職務に戻るとしよう」

 警視監は葉巻きをふかしたまま、そのわりには軽い足取りでその場を後にした。デイモン警部は、警視監との会話よりも、あるひとつの事が妙に気にかかり、腕組みして考え込んだ。

「一体何者だ」

 30秒ほど考えていただろうか。警部はこの芝生の上で頭をひねっても仕方ないと思い、ハットの傾きを直して庁舎に戻った。



 一方、オハラ警視監より待機任務を言い渡された魔法犯罪特別捜査課のオフィスでは、ブルーが堂々と小説を読みふけっていた。その斜め向かいでは、いちおう課の責任者でもあるアーネットが、なじみの酒屋がウイスキーの割り引きセールをやる、とのチラシを真剣な目で睨んでいた。

「こいつは思案のしどころだ」

 価格160ペナンの66年ものと、99ペナンの72年ものだと、どっちを買うべきか。最近、ある事件で少年少女グループに気前よく昼食をおごった結果、伝票の数字が若干予想を超えたものだった事は痛い教訓だった。もし結婚していれば、妻から叱責が飛んで来ただろう。浪費癖を改めろ、という神様からのメッセージかも知れない。

「ナタリー、まだ帰ってこないね。ちょっとだけ出て来る、って。待機任務のこと忘れてるんじゃないかな」

 アーネットの財布にちょっとした損害を与えた張本人の少年が、小説にスピンをはさんで呟いた。時計を見ると、11時前という所だ。アーネットは呆れたように小さくため息をついた。

「あいつがこの部屋にいない時は、どこで何やってるかなんて愚問でしかない」

 どうせ重犯罪課が得た捜査の情報を、どこからかこっそり入手してくるつもりだろう。現場に行かないだけで、やっている事はアーネットと同じである。

 そのときアーネットは、ブルーのデスクの脇に寄せられた、黒い革張りの古そうな本に目が行った。

「ブルー、そのボロボロの本は何だ。大昔の小説か」

「これ?うん、なんか僕の先生が、持っとけって。必要になるかも知れないって」

「例の、哲学問答の先生か」

 アーネットが立ち上がって、何気なくその本を開こうとしたものの、本はまるで石で出来ているかのように、全く開くことが出来なかった。

「なんだ、こりゃ」

「うん、よくわかんないんだけど、僕の心構えだかが出来るまでは開けないんだって」

「時々思うけど、お前もそれなりに苦労してきたんだな。こんな難解な課題を、その先生から何度も出されてきたのか」

 心から同情するように、アーネットが憐れみの視線を向けた。ブルー本人は何とも思っていないようである。

「教えてもいいけど、聞いてるだけで頭痛くなると思うよ」

 ノーサンキューだ、とアーネットは手を上げて辞退した。そこへ、ガチャリとドアが開いてナタリーが戻ってきた。

「おかえりー」

「ただいま」

「なんか面白い話あった?」

 ナタリーは、ブルーのデスクに座ると脚を組んで二人を見た。

「現段階では、特に目新しい話はないわね。ま、天才的な狙撃手が犯人だろうって線で、捜査は進んでるらしいけど」

 ナタリーは、速記で書いた暗号のメモを丸めてゴミ箱に放り投げた。

「天才的な狙撃手、か。そんな人、いまリンドンにいるのかな」

「お前、射撃の競技大会見た事あるか。こいつら人間かよ、って思うぞ」

 アーネットは、娯楽方面の情報にも明るい。たぶん、過去に多くの女性と交際していた頃に、色々観てきたんだろうなとブルーは思った。

「けど、セッティングされた競技会場での射撃と、生身の人間の狙撃は違うんじゃないかしら。競技で優秀な選手が、暗殺者としても優秀とは限らないわ」

「君の情報網で、そういう人物は探り当てられないのか」

「探ってもいいけど、いま待機任務でしょ、私達は」

 ついさっきまで堂々と外出していた人間に言われても、説得力も中くらいである。

「さて、待機である以上は昼食も交替でとらなきゃならん」

「あなた達で先に行ってきたら?私、脚が疲れてるから」

 一体どれだけ歩き回ってきたんだ、とアーネットもブルーも思いながら、若干早いランチに出かける事にしたのだった。



 リンドン市内の道路沿いの狭い公園で重犯罪課のカッター刑事は、憤慨しながら同僚の刑事と、フィッシュアンドチップスを「処理」していた。

「胸糞悪い。何なんだ、あの男は」

 それは、つい今しがた任意で職務質問をしてきた相手に対する憤懣だった。カッターともう一人の刑事は、クレー射撃でメダルを何度か獲得している現役の選手に、犯行が行われた時刻どこにいたかを確認してきたのだ。

「そりゃあ、身に覚えがないのに容疑者扱いされれば、気分も悪くなるだろう。そんなのは、こっちだってわかってるさ。だからって、刑事に向かって壁に飾ってある小銃を向けるか?こっちも忙しいから見なかった事にしてやったが、本来なら公務執行妨害、殺人未遂その他で逮捕ものなんだぞ」

「なんなら戻って逮捕しますか」

「お前一人で行ってこい。貴族の次男だか何だか知らんが、あんな野郎の顔は見たくない」

 ひとしきり愚痴を吐いたあと、黙々と魚のフライを食べ切ると、ポテトをつまんでカッターは言った。

「しかしな。弾丸を無機質な的に当てるのと、動いてる人間に当てるのとじゃ、やっぱり違うだろ」

「そりゃそうでしょうね」

「お前、人に当てた事あるか。実弾だ」

 カッターは指で拳銃の形を作って訊いた。まだ経験がカッターよりは浅い若い刑事は、ブルブルと首を振る。

「生きてる人間には、まだです。威嚇は何度もやってますけど」

「いかんな。いや、そうそう頻繁に機会があるのも困るが、動いてる人間に当てる感覚を覚えないといかん」

「じゃあ、的になってくださいよ。カッターさんなら遠慮なく撃てそうです」

「お前、なかなか言う奴だな。よし、今度ギャングと撃ち合いになったら最前面に出してやる」

 何とも内容のない会話をしながら、カッターは犯人像について考えていた。確かに、射撃の選手というのは理屈なら狙撃も出来るだろう。しかし、単なる競技選手が上院議員、貴族を射殺しなくてはならないとしたら、その動機は何か。

「この線は違う気がするんだよな」

 カッターは、気が進まないアリバイ確認を消化しなければならない事にウンザリして空を仰いだ。メイズラント名物の曇天が、雨の到来を予告していた。

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